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君のうた  作者: 川野りこ
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第98話 音で溢れる世界で

 十一年目…………年が明けてから今日までが、とても早く感じた。


 water(s)がデビューして今日で十一周年を迎えた。

 彼らの目の前には、五万五千人の観客がいる。東京ドーム2days公演の最終日だ。


 「こんばんはーー! water(s)です!!」


 最初から五人のテンションは高い。千秋楽の醍醐味だろう。


 このライブが終わったら、暫くは曲作りに専念して…………来年に控えるワールドツアーに向けて、この世界で生き残っていく。

 それにしても……何度見ても、すごい光景だよね。

 water(s)の音を聴いてくれる人が、こんなにいるんだから…………


 彼女は歌っていた。広い会場を埋め尽くす観客へ向けて。ただひたすらに、聴いてくれる人へ届くようにと。

 音と光の連動する演出は、いつもの事ながら見事である。感動の声があちこちから漏れているが、彼らに直接届く事はない。

 声をメロディーに乗せるhanaは、ステージを動き回っていたが、彼らのライブはその全てが計算されていた。偶然の産物ではなく、努力の結晶と呼べるだろう。感覚的に創り出す事もある彼女も、リハーサル通りに動いていた。体が覚えているのだ。


 梨音と怜音は、奏と和也達water(s)の姿を、液晶画面越しに見つめていた。


 『パパー! ママー!!』


 二人とも液晶画面にくっつきそうな勢いで、はしゃいでいる。


 『ばぁば! ママー! パパー!』

 「うん、ママとパパがいるねー」

 「うた、すきー!」 「すきー!!」

 「そうだねー、素敵な歌だねー」

 『うん!!』


 奏の母に向けて、二人が映っている様子を喜んでいた。


 はしゃいでいた二人もライブが終わる頃には、控え室で眠りについていた。どうやら奏の歌うバラードは、二人にとっては子守歌のように聴こえていたようだ。


 「ーーーー本当、寝てる時は静かね……」


 奏の母が思わず漏らしたのは無理もない。双子は三歳になり、言葉もだいぶ話せるようになった為、おもちゃの取り合いをする事もしばしばある。ただ今は仲良く揃って同じ向きに眠っている。

 そんな中、液晶画面に視線を移すと、鳴り止まない拍手と歓声が響いていた。娘と義理の息子の姿を、彼女は誇らしげに見つめていた。


 『……ありがとうございました!!』


 五人並んで手を繋ぎ、一礼をすると一際大きな歓声が上がり、ステージから手を振った。

 アンコールに応えれば、バックステージでは抱き合う姿があった。


 「お疲れー!」 「みんな、お疲れさまー!」

 「楽しかったな!」

 「あぁー! インストも反響よかったしな!」

 「……うん」


 テンションの高いメンバーに、奏は涙を堪えながら頷いて応える。


 ーーーーライブは、いつも一度きりの勝負。

 いつだって、今できる最大限を発揮できるように歌ってるけど、いつも精一杯で…………


 ライブの終わりを告げるアナウンスに、hanaは足の力が抜けたかのように、座り込みそうになる所をmiyaが支えていた。


 「お疲れ…奏……」


 耳元で囁く声はいつだって優しい。

 彼の腕の中で、ライブの余韻に浸っていた。


 「……miya、お疲れさま」

 「hana…………来年は、ワールドツアーだな」

 「……うん」


 彼らはすでに、来年に控えるワールドツアーの構想を練っていた。アジア、アメリカ、オーストラリアだけでなく、miya待望のイギリス、ドイツ、イタリア、フランスと大幅に演奏出来る国が増え、挑む事になる。彼だけでなく、water(s)も、ファンにとっても、待望のワールドツアーと言っても過言ではないだろう。

 微笑みながら達成感を共有し合う彼らは、杉本や長谷川等スタッフの瞳には、眩しい存在として映っていた。




 桜が舞い散る中、梨音と怜音は幼稚園に通っていた。水曜日は給食がない為すぐに帰ってくるが、月曜日から金曜日までの他の曜日は給食がある。給食があるといっても、幼稚園は十三時半までの為、午前中の僅かな時間が二人がフリーで動ける時間であった。


 奏は双子を送ると、大概water(s)専用のスタジオに集まっていた。他の仕事がない日は、大抵五人揃っての練習をしたり、個々の仕事を行なったりしている。


 「……hana、そろそろ行くのか?」

 「うん! お迎えに行ってくるね」

 「今日は俺が行こうか? ちょうど仕事も終わったし、hanaは創作活動中だろ?」

 「いいの?」

 「あぁー、行きはhanaが送ってくれたじゃん。車のキー、貸して?」

 「うん、お言葉に甘えてお願いします」

 「今日は、こっちに連れて来るな?」

 「うん」


 和也は車のキーを受け取ると、双子を迎えに行く為に三階の休憩室を出ていった。


 残った彼女はスタジオに戻ると、ピアノを弾きながら作詞を続ける。明宏はドラムを、大翔はベースをそれぞれ練習中だ。圭介は二階の多目的ルームでヴァイオリンを弾いている。近々、オーケストラとのコラボレーションがあるからだ。

 これもよくある光景である。十二時から一時間程、お昼休憩を取る事が多い為、仕事のきりがいい方が双子を迎えに行く役割だ。


 「hana、今のフレーズいい感じじゃん」

 「あぁー、出来たのか? 」

 「うん!」

 「そしたら、miyaが戻ったらkeiも呼んできてお披露目だな」

 「はーい」


 出来上がったばかりの曲をメンバーに聴かせる為、何度もピアノを弾きながら歌い始める。彼女の変わらず澄んだ声に、特徴のある声色に、その音色に何度も引っ張られ、さながらセッションのようだ。


 「……hana、これ、タイトルは?」

 「タイトルは、"君と僕と"かなー……」

 「あぁー、っぽいなー」

 「うん、歌詞も曲調と合ってるな」

 「ーーーーよかった……」


 新曲をメンバーに発表するのは、毎回緊張する。

 とりあえず、二人から許可が下りてよかった……


 彼女は安堵していた。耳のいいメンバーに聴いてもらう瞬間が、相変わらず一番緊張するからだ。


 弾き語りをしていると、和也が梨音と怜音を連れて戻った為、レコーディングルームに五人が揃う。

 奏が改めて弾き語りをすれば、窓ガラス越しに梨音と怜音が瞳を輝かせる。彼女の歌声に、その音色に、魅せられていく。彼らは、新曲披露の際にいつも感じていた。彼女の創り出す音色は、いつも新しく、耳心地がいいと。

 明宏と大翔だけでなく、圭介も和也も満面の笑みを浮かべた。


 「……じゃあ、アレンジだな」


 和也の言葉に奏は、ほっと息をつく。メンバーだけでなく、双子からもお墨付きを貰ったからだ。

 その後アレンジが行われ、二ヶ月後にはCDとして世に出る事となるが、それはまだ先の話だ。


 『ママー! もういっかい! 』


 梨音と怜音が声を揃えてリクエストする為、彼女はまたピアノの椅子に腰掛けると歌い始めた。今度は、彼女だけでなく、明宏のドラムに、大翔のベース、圭介と和也のギターが重なり、色彩豊かなモノになっていく。


 二人とも反応が素直だから、演奏しがいがあるよね。

 ワールドツアーに向けて、英詞の曲も描きたい。


 彼女は新曲を作りながら、すでに次を考えていた。




 スクランブル交差点から見える大きな液晶画面には、water(s)が映っている。


 「ドラマの主題歌だよね?」

 「そうだよー。いい曲だよねー」

 「うん! ドラマでも良い所で、この曲が流れるんだよねー」

 「そう! 泣けるよねー」


 今期のドラマ主題歌に選ばれた"勿忘草わすれなぐさ"が流れ、彼女達のようにCMを見上げる人達が行き交う。


 『water(s)でニューシングル、“勿忘草“』


 画面に映る自分の姿を別人のように感じていると、双子が声を上げた。


 「ママー! パパー!」

 「このうた、うたってー」


 画面を指差し、元気いっぱいで歩く双子に、周囲を気にする事なくリクエストに応える。

 歌いながら人混みを抜けると、撮影スタジオにタクシーで向かう事となった。一瞬の出来事に、振り返る者もいたからだ。


 「次は視線をこっちねー」


 菅原の指示通りに、奏は視線をカメラに移す。彼女だけでなくwater(s)と菅原は、デビュー当時からの付き合いの為、撮影はスムーズに行われていた。

 綺麗な衣装を着て映る姿を、三人は静かに見守っていた。


 「……ママ、綺麗だな?」

 「うん! きれい!」

 「うん!! すてきー!」


 怜音も梨音も楽しそうに応えていると、撮影が終わりを告げた。


 「菅原さん、お疲れさまです」

 「miyaもお疲れさまね。りーちゃんとれーちゃんも、お疲れさまね」

 『すーさん! おつかりさまー』


 揃って応えると、菅原は嬉しそうな笑みを浮かべた。


 「お待たせー」

 「ママー!」 「ママ、おつかりー!」

 「お疲れー」


 三人の労うさまに、奏は優しい瞳で応える。


 「ありがとう、三人ともお疲れさまー」


 スタジオを出た後も、口ずさみながら帰宅していった。


 「ーーーー二人とも寝たのか……」

 「うん……」


 和也が風呂から上がると、梨音と怜音は並んで寝室で静かに眠っている。


 「なぁー、奏……」

 「なに? 和也?」


 ベッドに腰掛けていた奏の首筋に、不意に唇が触れる。


 「……っ!」


 彼女の声にならない声に、和也は満足気な顔だ。


 「……すきだよ」


 そっと頬に触れる手は優しく、奏は身を委ねそうになるのをとどめていた。


 「ーーーーいつも、ありがとう……」


 …………今日は五度目の結婚記念日だった…………子供が幼稚園に入園して、忙しくて忘れてたけど……


 「明日は幼稚園も休みだから、ランチを四人で食べに行こうな?」

 「うん……ありがとう……」


 奏が和也と抱き合っていると、耳元で囁かれる甘い声に頬が染まる。


 「ーーーー声、我慢できる?」

 「……っ! んっ……無理…」


 和也に抱き上げられ、静かにリビングに移動し、身体を重ねていく。


 「……奏、声…聞きたい」

 「んっ……あっ…」


 こういう時の和也はずるい……


 体勢を変えて彼の上に座るような形になれば、思わず声が漏れる。


 「…んっ……和也……」


 彼女の柔らかな素肌に、潤んだ瞳に、彼はその声に、止めることのできない愛を捧げるのであった。


 ーーーー隣で素肌の触れ合ったまま眠る和也の横顔を見るのは、何度目になるのかな?


 奏はまだ空が薄暗い中目覚めると、またソファーに引き戻されていた。


 「んーー……おはよう奏」

 「ーーーーおはよう……和也」


 和也の膝の上に乗る形になった彼女は、相変わらず恥ずかしそうだ。


 「もう少し、寝てよ? 」

 「でも、洗濯とかしないと……」

 「俺もやるから……」

 「……うん……」


 久しぶりの二人きりの時間に、彼女も甘くなってしまう。背中から抱きしめられ、でるように触れられれば、甘い声が漏れる。その反応すらも愛おしいのだろう。胸元に赤い跡を残すと、そのままゆっくりと可愛がる和也がいるのであった。


 『ーーーーママー、パパー、おはよう……』

 「梨音、怜音、おはよう」

 「二人とも、おはよう。ちゃんと起きれたな」


 双子が起きてきた七時半頃には、揃っていつものパパとママの顔になっていた。


 「今日は、パパ達の想い出の場所にランチしに行くからな?」

 「わーい!」 「ランチ!」


 朝食の前からランチに大喜びの二人に、奏と和也からも笑みが溢れていた。


 ジャケットやワンピースと、いつもよりおめかしをした双子は、個室での食事に嬉しそうだ。用意された子供用の椅子にもおとなしく座っていた。


 「ここは、ママとパパが結婚式を挙げた場所なんだぞ?」

 「けっこん?」

 「そうだよー、結婚ね」

 「りーは、いーくんとけっこんするー!」

 「そうなのか? ママ……いーくんって、誰?!」

 「梨音と同じりす組のいずみくんだよ。かっこいいんだよねー?」

 「うん!!」

 「……女の子は早いなー……怜音はクラスにすきな子いるのか?」

 「れーは、いないよー」


 怜音はご飯に夢中のようで、梨音が代わりに答えていた。


 「奏は幼稚園の頃にすきな子いたか?」

 「うーーん、あんまり覚えてないかな。小学生の頃は足の速い子とか、スポーツ出来る子が人気があったと思うけど……」

 「あーー、それは分かる。健人はモテてたもん」

 「和也だって、運動出来るでしょ?」

 「うーーん、でもモテてはいないな。ピアノがすきだったけど」

 「小さい頃の和也の写真、可愛いもんねー」

 「あんまり変わってないのは、奏も同じだからな?」

 「うっ……」


 二人とも幼少期の写真から、相手を探し出せるくらいに面影が残っている。奏と和也の楽しそうな会話に、双子もニコニコと楽しそうだ。個室の為、周囲を気にする必要がない事もあり、家族四人で穏やかな時間を過ごす事となった。




 奏の目の前にはファンが揃っている。生放送の歌番組で、新曲の"勿忘草"を披露していた。


 生放送って、毎回緊張するけど……ライブである事に変わりはないから……


 ファンクラブに入会している人達の中から抽選で選ばれた千三百人が、間近で聴いている。当たったファンは歓喜である。


 ーーーー楽しい…………ファンの人達の反応がいいから……


 ドラマ主題歌でもある自身の作詞作曲の"勿忘草"を歌っていた。彼女の紡ぎだす音は、いつも鮮明だからこそ人の心に残るのだろう。少し切ない曲調に、泣き出しそうになるファンが続出である。


 いつだって想ってる。

 聴いてくれるあなたに届くように…………ずっと奏でていられるような自分で在りたいって。


 割れんばかりの拍手と歓声が響く中、テレビ画面はスタジオに切り替わっていた。


 「ーーーーやば……」

 「本当……いつ聴いても、良い音だよな」


 テレビ画面越しに見つめ、思わず声を漏らす。water(s)のライブ映像に揺さぶられないはずがないのだ。


 「なぁー、俺達は来週出演だろ?」

 「そうだな。water(s)の音、間近で聴きたかったけどなー」

 「だよなー、仕方ないけどさ……」


 拓真も潤もファンという事には変わらない為、共演出来なかった事を悔しそうにしていた。


 「そういえば、阿部っちの結婚式が決まったらしいな」

 「あぁー、連絡来てたな。式に参加するだろ?」

 「そうだな。大塚と学生時代から付き合って、そのまま結婚かー」

 「なぁー、結婚する奴が出て来たよな」

 「だなー、俺はまだ想像もつかないけど……」

 「それは俺もだよ。考えられないな」

 「拓真は彼女いるのに?」

 「それと、これとは別だろーー?」

 「そんなもんか……」

 「何があるかは分からないからな。高校から付き合ってた石沢と指揮科の佐藤だって、別れたらしいしな」

 「そうなのか? てっきり結婚するのかと思ってた」

 「俺もだよ。この間、聞いたんだよなー」


 先程まで夢中になっていたテレビから流れる音楽は、すっかりとBGMだ。water(s)の出演時間が終わったからである。


 「七月か……」

 「あぁー、久しぶりに大学の時の友人と会えるかもな」

 「そうだな……」


 テレビ画面から流れていた生放送の歌番組では、エンディングの曲が流れている。画面に映る彼らを見届けると、二人は来週に控える出演について話し合っていた。


 「楽しかったね!」

 「だな!」 「また演りたいな!」

 「あぁー!」

 「スペシャルを除けば、番組史上最多の観客だしな!」


 控え室では揃ってテンションが高めである。生放送の番組という事だけでなく、今回はファンに囲まれ、ライブ会場さながらの演出だったからだろう。


 「またライブ演りたいよなー」

 「そうだな。また八月のフェスは出れるけどなー」

 「久々にseasonsとか?」

 「miya、それいいな!」

 「ファンクラブ限定のイベントって事?」

 「そういう事。楽しそうだろ?」

 「うん!」


 彼らの音楽好きも変わりはない。すぐに杉本に提案をしてライブが出来ると決まったのは、それから五日後の事だった。




 自宅の小さなレコーディングルームでは、和也が一人で作曲をしている。奏が双子を幼稚園に見送りに行ったからだ。


 「んーーーー……ここの音がなー……奏なら、いけるのに……」


 かなり大きな独り言だ。どうやらCMの曲を提供する為、描いているようだが、理想に反して妥協が必要なようだ。


 「……和也?」

 「奏……おかえり……見送りありがとう」

 「ただいまー。今のって、発注があったCM曲?」

 「そう……やっぱ、乗らないなー……CM曲だから引き受けたけどさ。出演予定の人が歌うらしいんだけどな……」

 「まだ分かってないの? 珍しいね」

 「あぁー、でも、佐々木さんが持って来てくれた仕事って、スギさんが言ってたからさ」

 「そうなんだ……」

 「奏なら、ここのフレーズどう歌う?」

 「私? …………私なら……」


 和也の作った曲が流れる中、彼女が声を出せば、高いキーも簡単に歌っているように映る。


 ーーーー心地よい旋律。

 和也の創り出す曲は、いつも新しい…………仕事のオファーが来るはずだよね。

 みんなが紡ぎ出す音色は、いつも素敵だから……

 

 個々の仕事は和也だけでなく、圭介ならギターにヴァイオリン、明宏ならドラムにチェロ、大翔ならベースにサクソフォンと、それぞれの楽器でのソロでの活動から編曲等の多岐に渡って行なっていた。


 「……奏、また上手くなったな」

 「本当?!」

 「うん、元から上手かったけど、音のブレがない」

 「……ありがとう」


 嬉しそうな笑みに、本音が溢れる。


 「……奏のうた……すきだよ……」

 「……っ! 急に……どうしたの?」

 「たまにはいいだろ? 二人きりだし……」


 手を引かれ、膝の上に乗せられれば、楽しそうな顔が映る。


 「重いから、下ろして……」

 「却下」


 あっさりと却下された奏は、膝の上で恥ずかしそうだ。こういう所も、高校生の頃から変わらないのだろう。


 「……奏、うたって」

 「ーーーーうた?」

 「あぁー……“夢見草“がいいな……」


 優しく抱きしめられたまま耳元で囁かれれば、頬がピンク色に染まる。和也は反応を楽しんでいたが、それも一瞬であった。優しい声色で歌い始めると、音が浮かんできたのだろう。自然と瞼を閉じて、彼女の歌声に耳を傾けていた。




 新曲のレコーディングが終わると、彼らはいつものビルの三階で、七夕限定のライブについて話していた。


 「seasonsで出来るの楽しみだなー」

 「あぁー、曲は今回の新曲も発売されてる頃だから入れるだろ?」

 「うん、入れたいな」

 「十六曲くらいだからなー」

 「そうだね、選曲しないとだね」


 ライブまで一ヶ月を切っていたが、焦りはあまり感じられない。彼らは、いつでも演奏出来る状態なのだろう。

 テーブルの上には今までのセットリストが並んでいる。毎回、違う印象の残るライブにしたいからだ。五人でまとめたものをスタッフに共有し、細かな箇所を決め、ブラッシュアップし、一つのステージを創り上げていく。

 今回はseasonsでファンクラブ会員限定の一夜限りのライブの為、ツアーのようなグッズ販売はしないようだ。


 「七夕だから、来てくれた人に短冊書いてもらうのは?」

 「いいじゃん! 出入り口付近に置いといて、俺達の短冊も下げとくとかは?」

 「それ、いいな! 俺達もファンも楽しめそうなものになるよな?」

 「あぁー。楽しそうだし、提案してみるか?」

 「じゃあ、決まりだな。スギさんには、このあと僕から言っておくよ」

 「kei、ありがとう。あと、ハセさんとかスタッフの方にも書いて貰いたいなー」

 「いいな。じゃあ、それもよろしく」

 「了解」


 意見がスムーズにまとまった所で、午後からはCDジャケットの撮影の為、スタジオに向かう。


 今回の新曲のジャケットも、菅原が撮影を行なっていた。五人はブルー系の衣装を着てカメラに収まる。


 「はーい、OK。次は一人ずつ撮るから、keiからねー」

 「はい」


 一人ずつの場合は、簡易のテーブルと椅子に腰掛け、順番を待つ。大抵の場合、奏は最後に撮られる事が多く、今日も最後のようだ。飲み物を片手に待つメンバーと話している事が多い。


 「皆、笹の葉の件OKだよ」

 「わーい! スギさん、ありがとうございます!」

 「短冊は、チケット確認時に配る事になるからね」

 『はーい』


 仕事が早い杉本のおかげで、笹の葉や短冊等はすでに手配済みだ。圭介が明宏とハイタッチを交わして撮影を変わると、椅子に座りペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲み干した。


 「スギさん、ありがとうございます」

 「いえいえ、keiが的確に言ってくれるから助かってるよ。それと、新CMにwater(s)五人で出演が決まったから」

 「えっ? 珍しい」

 「そうだな。五人でって……」

 「そう。ミネラルウォーターのCMで、曲もこちらに一任されてるからね」

 「miyaが好きそうですね」

 「うん…………スギさん、それって……俺に来てたオファーのやつ?」

 「さすが、するどいな。そうだよmiya。曲が決まってないと話にならないから、先にmiyaにだけ頼んでたやつで、歌うのはhanaだから」

 「よかったー……ぶっちゃけ、hanaじゃなきゃ歌えない曲に仕上がってたから困ってたんですよ」

 「それなら、良かった。日取りは皆の予定が合う六月下旬で、ライブ前になるから」

 「分かりました」

 「了解。スギさんは、この後病院でしょ?」

 「あぁー、面会時間には顔を出すようにしてるよ」

 「そしたら、私達も今日はここで終わりなので、行って下さい」

 「いいのかい?」

 「勿論です。優香さん、待ってますよ?」


 奏だけでなく、撮影を終えて戻って来た明宏も、その場にいたメンバーは皆、同じ気持ちのようだ。


 「hana……皆もありがとう」


 入院中の優香の元に向かう杉本を見送ると、残りの撮影もスムーズに終わる。


 「菅原さん、ありがとうございました」

 「hana、お疲れさま。CD楽しみにしてるからね」

 「ありがとうございます!」


 嬉しそうに応える奏に、周囲の視線も穏やかだ。


 「菅原さん、来年の春にニューヨークで個展開くって聞きましたけど、いつ頃ですか?」

 「さすがmiya、情報が早いわね。四月末から六月までの約二ヶ月間ね。皆も向こうにいるなら会えるわね」

 「ちょうど、いますよ。六月頭の土日がニューヨーク公演なので!」

 「へぇー、ニューヨークはどこで演るの?」

 「ここだけの話ですけど、カーネギーホールです」

 「凄いじゃない!」

 「ようやく叶うんで、楽しみですね」


 そう応えた和也からは、自然と笑みが溢れる。


 「見に行きたいな……」

 「本当ですか?!」

 「当たり前でしょ、hiro! 日本人のバンドだと初めてになるんじゃないの?」

 「わーい! 菅原さんなら、そう言ってくれると思ってました」

 「みんなの言ってた通りだな。菅原さんの席は、勝手に確保済みなんですよ」

 「後日チケットを送るので、来て下さいね」

 「……楽しみにしてるわね」


 芸術家という面では同じアーティスト仲間の為、彼の反応にwater(s)が喜んでいた事は明らかだった。


 「ワールドツアーを一年かけて行ったら、次の年がまた大変そうね。ファンは……聴衆は、それ以上のモノを求めて来るでしょ?」

 「そうですね……でも、基本は変わらないです」


 和也の言葉に揃って頷く。


 「俺達の曲を、hanaの歌を……世界中何処にいても聴こえるようにする事ですから……」


 はっきりとした口調で応える瞳は、光が帯びているように感じる菅原がいた。




 「新曲だー!」

 「プロモの映像もいいな」

 「ねぇー! hanaの声すきー! “君と僕と“かー」

 「いいよなー」


 彼らの見上げている映像は、新宿駅から程近い距離にある液晶の大画面だ。water(s)の新曲発売のCMが流れている。たった十五秒程度の映像に、思わず足を止めていたのだ。


 「この辺の楽器店で、miyaとhanaの目撃情報があったらしいよー」

 「会ってみたいよなー、渋谷のショップにも来た事があるらしいぞ?」

 「ねぇーーっ! 会いたいなー」

 「来月、会えるだろ?」

 「そうなんだけどさー」


 彼らは幸運にも七夕限定ライブのチケット入手に成功したようだが、すでにライブが待ちきれないらしい。瞳を輝かせながら、大画面から流れ出る曲を聴いていた。


 音で溢れる世界で、彼らは確実に日本だけに留まらず、世界に向けて発信しているのであった。

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