第95話 眠れぬ夜
あの日、赤く輝く太陽が空を照らし出した瞬間。
道路までも赤く染まり、まるで道しるべのように見えた。
凛とした冷たい空気が流れる中、叫びたくなるような気持ち。
年が明けたからって、何かが変わるわけじゃないけど……明日への期待が膨らんでいたの…………きっと、五人なら出来るって信じていた。
アジア圏はほぼ同じ曲のリストだが、アメリカ、カナダ、オーストラリアの三ヶ国は、英詞を中心にセットリストを組んでいた。
「うーーん、“夢見草“も入れると時間オーバーか?」
「そうだな。どれか削るか、アンコールを二曲にするとか?」
「あぁー、削りたくはないな」
「だよなー。いつも三曲はやってるけど、やっぱアンコールを絞るか? 」
「そうだね。その方がいいかも……せっかく二十曲選別したからね」
初めての海外公演という事もあり、いつもとは違いセットリストを作るのにも苦労していた。
「“夢見草“と、何が合う?」
「うーーん、“夢見鳥“?」
「……いいかもな。“夢見鳥“は、映画の主題歌にもなってたし。何か賞取ってたから、海外でも上映されてただろ?」
「そうだったな……」
和也の一声で、メンバーの納得が得られ、奏の意見が採用される事になった。
「今回は今までと違ってセットリストが公演によって変わるから、間違えないようにしないとな」
そう圭介がまとめると、スタジオでの音合わせが始まっていった。
会社のミーティングルームには、出来たばかりのツアーグッズが並んでいる。定番のフェイスタオルにTシャツやパンフレットだけでなく、エコバッグやキャップにステッカーまで簡易のテーブルに置かれ、一つずつ手に取り確かめていく。
「綺麗に仕上がってるな」
「うん!」
「今回はタオル、二色展開にしたんだな」
「可愛い色じゃん」
「よかった……」
淡いピンクと水色のフェイスタオルは、初めての二色展開にしたが、メンバーからも好評のようだ。デザインを担当した奏は、メンバーからだけでなくスタッフからも好評価を貰い嬉しそうだ。
出来上がりが予想してた色と違う事もたまにあるけど……今回は大丈夫そう。
よかった……素敵に仕上がってる……
「……これで、大丈夫そうかな?」
「あぁー」 「いいと思う」 「うん」
「このまま生産で大丈夫だよ」
四人からGOサインを貰うと、ライブグッズは生産に入り、ツアーの準備が徐々に整っていく。
「皆、スタジオで見学会やってるんだけど、少し顔出せたりする?」
「はい、構いませんよ」
ミーティングが終わった所で、佐々木に声をかけられた。もうすぐ昼食時の為、学生のスタジオ見学会も終わりだが、今回の見学者は運が良い。アーティストと会える機会は、確率的には無いに等しいのだ。
レコーディングスタジオに着くと、中学生、高校生を合わせて十名程の見学者がいた。
「きゃあああっ!!」 「えっ?! 本物?!」
「water(s)?!」 「うそ?!!」
悲鳴に近い叫び声が聞こえ、思わず顔を見合わせながらも、圭介が声をかけた。
「こんにちは、water(s)です。えーーっと、せっかくなので……僕らがセッションする所を少し見ていただければ……」
自然と拍手が湧き起こる中、テンポはこのくらいにすると、明宏よりドラムスティックで指示があり、セッションが始まる。奏はピアノを弾いている為、歌のない楽器のみでの音合わせだ。
手拍子の音に惑わされる事なく、一定のリズムを刻む。見学者は皆、彼らの曲を知っているのだろう。ライブ会場のような盛り上がりだ。
五分程のセッションが終わると、拍手と歓声が響いていた。
「皆、ありがとう」
「佐々木さん、珍しいですね。見学会担当な訳じゃないのに」
「たまたま居合わせてね。見学時に持ち込んだCDをスタジオで毎回聞いてるんだけど、担当の子が預かったのが君達のばっかりだって言うからさ」
「それで反応がよかったんですね」
「有り難いですね」
「あぁー」
平日の午前中のみ、時折行なっている見学会の為、その場に居合わせた人達は、本当に幸運の持ち主であった。
「さっきの凄かったなー」
「うん! 感動した!」
「生の音って、初めて聞いたよー」
「俺も!」
高校生の四人組が見学を終えたビルを見上げていた。先程まで別世界にいたと感じている彼らもまた、音楽が好きな少年少女であった。
まだ寒い早朝に、奏は和也と近くの公園に向かった。子供達が起きた時の為に、テレビ電話を繋げた状態でジョギングだ。ライブ前の体力づくりを行なっていたのだ。
「はぁーー、汗かいたね」
「帰ったらシャワーだな。そろそろ七時になるから戻ろうか?」
「うん」
自宅に戻り、奏が先にシャワーを浴び、朝食の準備をしていると、梨音と怜音が起きてきた。
『ママー、おはよー』
「梨音、怜音、おはよう」
和也もシャワーを終え、キッチンに顔を出した。
「二人ともおはよう」
「パパ!」 「パパ、おはよー」
「梨音も怜音も顔洗いに行こうか?」
『うん!』
二人とも目覚めはいいようだ。和也が着替えを終わらせると、ちょうどダイニングテーブルには朝食が出来上がった。
家族四人揃って食べると、今日の一日の始まりである。
「りーも、うたうー!」 「れーも!」
梨音も怜音も奏が洗い物をする中、口ずさむ鼻歌がお気に入りである。
「何を歌う?」
『……キラキラ!』
「いいよー。せーーの、Twinkle twinkle little star How I wonder what you are ……」
二人に合わせて奏がゆっくりと口ずさめば、時々舌が回らない為か宇宙語のように聞こえるが、双子なりに一生懸命歌っていた。
和也が洗濯物を終えて戻ると、キッチンからは三人の楽しげな歌声が聴こえていた。
彼ら専用のスタジオで今日は揃って練習を行なっている。個別の仕事も抱えている為、日々の練習は、どうしても個人練習になってしまう為、全員揃う機会は貴重である。
「午前中は日本公演のを流すか?」
『了解』
ライブ通りの曲順で、スムーズに演奏していく。日々の個人練習の成果だ。
やっぱり、みんなの音が重なる時が一番楽しい。
一人でのボイストレーニングも、ピアノやギターの練習もすきだけど……みんなと合わせたらどうなるかなーって、そんな事ばかり考えてしまうの。
十曲弾き終わると、少し休憩を挟んで、残りの十曲をまた演奏していく。少しの休憩は飲み物を飲む程度の為、ほんの五分程だ。ライブと同じように続けて演奏していく事が、彼らの練習方法の一つの為、練習を開始してから約二時間。あっという間に、昼食の時間である。
「お疲れー」 「お疲れさまー」
「集中したな」
「あとで録画したの見てみるか?」
「あぁー」
三階に行くと、昼に頼んでおいたデリバリーが綺麗にテーブルに並んでいた。
『ママー! パパー!』
「スギさん、ありがとうございます」
彼女達の足元に、梨音と怜音がくっつく。杉本が二人の面倒を見てくれていた。
「皆、お疲れさま」
「お疲れさまです」
「僕は、これで行くけど大丈夫かい?」
「はい! スギさん、ありがとうございました。二人ともお礼は?」
『スーさん、ありがとー』
揃ってお辞儀をすれば、杉本も虜だ。
「梨音ちゃんも怜音くんもまたね」
「うん!」 「バイバー」
杉本を見送ると、ゆっくりと昼食の時間だ。梨音と怜音には、奏の作ったおにぎり入りのお弁当が用意されていた。
『いたきまー!』
揃って小さな手を合わせる仕草は、何度見ても可愛らしく、癒しの時間である。
「はい、いただきます!」
梨音と怜音は静かにお弁当を口にした。食べる時だけは変わらずに大人しいようだ。
「二人とも、だいぶ喋れるようになったな」
「あぁー、スギさんの事もスーさんって、呼べてたし」
「みんなの名前も言えるよな?」
『うん!』
和也が聞くと、嬉しそうな返事が並ぶ。
『うーーんとね。けーたん、あーたん、ひーたん!』
「合ってる!」
呼び方はあれだが、左から順に圭介、明宏、大翔と、人物と名前は一致していたのである。
「二人とも凄いなー」
「こんなに話せるようになるんだな」
「少し前まで、最後の字くらいしか覚えられなかったのにな」
三人とも子供の成長に感動しているようだ。
「これ食べたら、梨音達もいるから下でさっきの鑑賞会しようか?」
「うん、ありがとう」
「それで大丈夫そうだったら、またスタジオで練習だな」
「そうだな」
通しで練習をした場合は、大抵ビデオに撮って魅せ方を研究していた。
スクリーンに映る彼らに子供達も最初は騒いでいたが、今は積み木遊びに夢中になっている。
「hana、ギター上手くなったよなー」
「本当?」
「うん、手元見ないでも大丈夫そうじゃん」
「ありがとう……」
みんなに言われると、本当に上達してるって思える。
出来ない事もまだあるけど、今の私に出来るすべてをかけないと…………
それくらいの意気込みで挑んでいた。
プロになってから、人への魅せ方を知った。
ただ……弾いていた頃とは違う。
視線、指先の動き、マイクの持ち方一つ取ったって、私には分からない事だらけ。
この十年近くで、どうすれば人に届きやすいか、私なりに考えてきたつもりだけど…………結局は難しいけど……気持ちを込めて歌うこと、心を込めることが、一番大切だってこと。
「……奏? どうかした?」
「ううん、なんでもない。和也、こっちも可愛いよ」
「本当だ。うーーん、迷うな」
午前中だけオフの為、子供服を見に来ていた。
「梨音、怜音、どっちがいい?」
『こっちー!』
揃って同じデザインを選んだ為、奏があとから提案した方を購入する事になりそうだ。
「ママー、すいたー」
「お腹空いた?」
『うん!』
「これ買ったら、ご飯な」
『わーい!』
無邪気に喜ぶ二人と、一緒に居られる時間を大切にしていた。
子供が遊ぶスペースのあるカフェで、ランチが運ばれて来るのを待っていると、梨音と怜音は座敷の部屋をウロウロしていた。畳は和也の実家や曽祖父母の家と同じだが、フローリングとは違う感触が面白いようで足踏みを繰り返す。
「梨音、怜音、ご飯来たよー」
『いたきまー!』
ご飯の時間は好きなようで、すぐに奏の隣に梨音が、和也の隣に怜音が座って食べ始めた。奏達も二人の様子を見守りながら食事を楽しむ。
本当、ご飯の時と、絵本読んでる時は大人しいよね……
「美味しいか?」
「うん!」 「おいしー!」
二人ともよく噛んで食べているようだ。
こうして家族団欒で過ごす間も、先程のようにふとした時にも、ライブを考えてしまう奏がいた。
「奏、……奏?」
「あっ、ぼーっとしてた……」
「大丈夫か?」
「うん! ごめん……美味しいね」
「おいしー!」
「ママ、これなぁーに?」
「これは鱈。お魚だよ」
「たら?」
「そうだよー」
「たら、おいしー」
「美味しいねー」
彼女は何でもないように振る舞いたかったが、和也には分かっていたのだ。時折、眠れない日がある事が。
午後からは番組の収録に参加の為、梨音と怜音は控え室で杉本と一緒に待っていた。
「スーさん、げんきでるのなぁーに?」
「元気かぁー……ご飯を食べてる時かな」
「スーさん、ママは?」
「ママは歌いに行ったよ。テレビつけてみようか?」
生放送番組の為、water(s)が時折テレビに映っている。
『ママ! パパ!』
同時に呼ぶ姿は愛らしさ満載である。テレビ画面に小さく映る奏と和也が、どんな格好をしていてもママ達だと分かるのだ。
「…………ママ……」
珍しく梨音が泣きそうになっている為、杉本は彼女の歌ったキラキラ星を携帯電話から再生すると、梨音だけでなく怜音も安心したのか眠りについていた。
「お疲れさま」
「スギさん、ありがとうございました」
「二人とも静かに寝てるよ」
「朝から動いてたから、疲れたんだな」
奏と和也は、娘達を愛おしそうに見つめている。
「二人はタクシー、呼んであるからね」
「ありがとうございます」
「明日、hanaはスタジオ入りの仕事があるから二時に来てね」
「はい」
スケジュールの確認が終わり、解散となった。
双子を寝室に寝かせると、お風呂上がりの奏は柚茶を飲みながら、外の景色を眺めていた。
「……奏、緊張してるのか?」
「えっ?!」
「今日、ずっと何か考え事してただろ?」
「……うん…………ライブのこと、考えてたの」
「もう一ヶ月切ったからな……不安?」
「……そう……だね……」
……不安…か…………色々、考えたり、眠りが浅くなったりするのは、緊張感からだと思ってたけど……初めての国外ツアーに、不安がよぎっていたからなんだ……
「……和也にはお見通しだね」
「俺もそういう時あるから、分かるよ?」
「本当に?」
いつものように笑う姿は、肩の力が抜けていくようだ。
「ギターソロは失敗出来ないから、ライブ前に練習するだろ? それで練習が足りない時は、よく目が覚めたりしてたな…………奏は何が不安?」
「えっ?」
「練習もしっかりしてるし、体力づくりもしてるから、いつでも準備万端だと思うけど」
「……いつだって、ライブの前は不安になるかな? 上手く声が出せなかったらーとか、音外したらーとかね」
「大丈夫だよ。奏なら……」
優しく撫でられ、頬が緩む。
「……ありがとう」
何度も、何度も……救われている。
不安で眠れない夜に、柚茶を持って来てくれた事もあった。
思わず抱きつき、勇気を貰っていたのだと気づく。
「……聴いていてね」
「あぁー、勿論!」
彼女はスケジュール通り、新しいワイヤレスイヤホンのCM撮影に挑んでいた。CM中に流れる曲は、自身の歌声だ。
瞳を閉じた横顔がカメラに視線を移す。耳が見えるように髪の毛はアップに整えられていた。
実際にテレビで流れる時間は、一分もない。
十五秒か、長くても三十秒程…………その僅かな時間に、印象に残る映像。
プロモとは、違う…………
高音質と小雨程度なら防水機能があり、使用可能を売りにしている為、水で濡らしたような状態でも撮られていた。水滴が彼女の頬や髪、服にも付いているが、気にする事なく曲を聴き続ける。プランナーの企画した通りの撮影が行われていた。
撮影現場でNGを出す事が少ないと言われる奏は、今回も本番が一発で終わったようだ。
「ーーーーありがとうございました」
「hanaちゃん、タオル!」
「ありがとうございます」
アシスタントからタオルを受け取り、顔や髪を拭く仕草は、同性であっても高鳴る美しさがある。
無事に終わってよかった…………毎回、緊張の連続で慣れないんだよね。
眠れなかったのは、これの影響もあるのかも……
「……hana、お疲れさま」
「スギさん! お疲れさまです 」
「今日はこれで終了ね」
「はーい」
奏が控え室に戻り、私服に着替え帰ろうとしていると、扉をノックする音がした。
「はい」
「失礼しまーす」
態とらしい彼の声に、微笑む。
「和也? どうしたの?」
「んーー、迎えに来た」
「ママー!」 「おつかりー!」
梨音と怜音が勢いよく飛びつく。
「お迎え、ありがとう」
『どういたましてー』
同時に応える双子は、『どういたしまして』と、言いたいようだ。
「今日は、うどん食べに行くんだよな?」
「うん! つるつるー」 「つるつる、すきー!」
三人とも彼女の様子を心配していたのだろう。
「……ありがとう。ママもすきだよ」
双子がいつものママの笑顔に、きゃっきゃっとはしゃいでいる中、和也がそっと手を取る。
「パパ! つなぐー!」 「りーも!」
和也の右手を怜音が、奏の左手を梨音が繋いで、揃って帰っていった。
不安がないって言ったら嘘になるけど……大丈夫。
深く息を吐き出せば……みんなが、いてくれるから……
「……和也、起きてる?」
「うん、どうした?」
「……今日はありがとう。うどん、美味しかった」
「よかった……二人ともママの様子がいつもと違うって、心配してたみたいだからな?」
「子供にまで心配されるなんて……ダメだなー」
「心配するのは俺達の特権だから、いいんじゃない?」
「ふっ、何それ?」
和也が可愛らしく小さく笑う彼女を引き寄せる。
「……たまには、弱音吐いたっていいんだよ?」
「……うん……和也もね?」
「俺? 俺は結構言ってない? 出来ないーとか、無理ーとかさ?」
「でも……和也は結局、自分で解決しちゃうもの」
「それは、奏がいるからだよ……かっこつけたいだろ?」
「ーーーーありがとう……」
奏は安心したのか、久しぶりに彼の腕の中で眠りにつく。
「…………大丈夫……みんな、想ってるよ」
そう口にした彼もまた、腕に感じる温もりに安心感を覚えていた。