第92話 夢の続きを
貪欲に思うのは、water(s)の音を聴いてほしいってこと。
奏はリハーサルを終え、組み上がった舞台から会場を見渡した。
「…………すごい……」
ステージから一番近い場所がスタンディングゾーン。そして、シート・チェアゾーンの奥には、テントゾーンが広がる。スタッフが点在しており、ステージの周囲は緑に囲まれていながら、すぐ側には海があった。
「hana、行くよ」
「うん!」
和也から差し伸べられた手を取り、ステージを後にした。リハーサルをもとにスタッフも交えたミーティングが行われ、いよいよ本番を迎えるのだ。
「お義父さん、お義母さん、ありがとうございます」
「おかげで私達も楽しかったよ。牛久の大仏が気に入ったんだよなー? 」
「うん!」
「うーーんとね、おーきーの! 」
体全体を使って大きさを説明したいようだ。
「じぃじとばぁばに、ありがとうは?」
『じっじ、ばーば、ありがとー!』
「二人ともまた明日ねー」
「ありがとうございます」
「奏……ママは、顔色が悪いからしっかり眠りなさいよ?」
「う、うん……ばぁば、ありがとう」
お母さんには敵わないなー……すぐに分かっちゃうなんて……
「奏、もしかして貧血? 」
「えっ? そんなに顔に出てる?」
「いや……もしかしたらって思ったから、さっき手を引いたんだよ。倒れたら困るだろ?」
それで……手を差し伸べてくれたんだ…………和也にも敵わないなー……本当、よく見てくれてるよね……
「ちょっとね……寝不足なだけだから大丈夫だよ」
「無理するなよ?」
「うん、ありがとう」
『ママー、えほんよんでー』
「梨音、怜音、ママは疲れてるから、今日はパパが読むよ。いい?」
ベッドに寝かせると、梨音も怜音も納得したのか、和也の読み聞かせで眠りについた。
「和也、ありがとう。お風呂お先しましたー」
「あぁー、俺も入ってくるから、奏は横になっておくように」
「はーい」
ーーーー子供って、敏感だよね。
きっと……私が疲れてるっていうのが分かったから、パパの読み聞かせにしてくれたんだ…………
いつもなら、どうしてもママがいい時は、怜音が叫ぶもの……
愛らしい寝顔を見つめていたが、すぐに瞼が重くなっていった。
「ーーーーやっぱり、疲れてたんだな。白い顔して……」
そっと頬に触れ、愛おしい家族を見つめる。宮前家が早々と就寝時間を迎える中、明日を期待して眠る和也がいた。
国営ひたち海浜公園で行われる国内最大級の邦楽ロックフェスティバルに、water(s)は一年ぶりの参加である。四日間で二百以上のアーティストがライブを行う一番広い会場のGRASS STAGEでは、一日七組が出演するうちの今年も最後の一組となっていた。
彼らの目の前には約六万人の観客がいる。
ーーーーーーーーリハの時は、想像してた。
観客で埋め尽くされる会場を…………
また……今年も、この場所に立てた……戻って、来れたんだ……
圭介のかけ声で曲が始まる中、梨音も怜音もバックステージからwater(s)の姿を見つめていた。
『……ママ? パパ?』
「そうよー。梨音と怜音のママとパパだよ」
奏の両親と手を繋ぎながらも、響いて聴こえる音を耳にして興奮した様子が手に取るように分かる。
『ママ……パパ……』
子供心に感動したのか定かではないが、感情表現が素直な為か、時折泣き出す曲もあった。周囲の反応を他所に、双子なりに感じとっていたのだろう。
…………壮観。
いつか……ここから見える景色を梨音と怜音にも見せてあげたいな…………これが、私達のいる世界なんだよ。
目の前にあるスタンディングゾーンには、water(s)のファンであろうライブTシャツやフェイスタオルを持つ人達が立っている。ステージから遠くに見えるテントゾーンにも、タオルを振り回している人がいるが、おそらく目視は出来ないだろう。ただ会場はwater(s)、一色であった。
ーーーーーーーー楽しい……はじめて立った時は……圧倒されて、ただみんなに必死に食らいついていくだけだったけど……今なら分かる。
私達の曲を会場にいる人、みんなが聴いてくれているってこと。
一時間半に渡って行われたライブも最後の曲だ。ファンなら誰もが知っている曲に、大きな歓声が上がる。
「“終わりなき空へ“……」
デビュー曲であり、初めての共同作業でもある楽曲だ。彼女の声に惹かれていたのは観客だけでも、メンバーやスタッフだけでもない。披露する側のアーティストにも聴き入っている者がいた。
そして、再びステージに立てた事を喜んでいたのは彼女よりもメンバーの方が強かっただろう。待ち望んでいた瞬間でもあった。
『ありがとうございました!!』
いつものように並んで手を繋ぎ一礼する姿に、最大限の賛辞が注がれていた。
歓声と拍手が大音量で聞こえる中、バックステージでは円陣を組むように抱き合っていた。
「お疲れー!」
「お疲れさまー!」
一人ずつハイタッチをしたり、抱き合ったりしていると、hanaを呼ぶ声がした。
『ママー! パパー!』
『梨音、怜音!!』
双子同様にmiyaとhanaも揃って応える。一時間半ノンストップの演奏を終えたばかりで汗だくだが、飛び込んできた我が子を抱きしめれば、両頬に愛らしいキスのプレゼントが飛ぶ。
二人につられるようにmiyaに抱き寄せられたかと思えば、頬に唇が触れる。
「ーーーーっ!!」
一瞬で我に返り、頬に熱が集まる。メンバーだけでなく両親やスタッフが間近にいたからだが、娘達からは不思議そうな視線が向けられていた。
『ママはー?』
「!! 」
ニヤリと悪い笑みを浮かべ、自分の頬を指差すmiyaをジト目で見ても効果はない。
覚悟を決めて抱きつくと、頬にチュッと唇を寄せた。
…………恥ずかしい!
子供のいる前で頬っぺでも、チューするんじゃなかった……
距離を取ろうとするが、力では敵わない。抱き寄せられたまま、耳元に唇が近づく。
「ーーーーーーーーライブ、最高だったな……」
「……うん 」
泣きそうになるhanaを呼ぶ声がした。
「そこー! イチャついてる所悪いけど、もう一回登壇だってー」
『えっ?!』
「歓声が鳴り止まないからだってさ」
「歌えるの?!」
「さすがhanaだな」
「皆、セットリストは出し尽くしたけど、どうする? 一曲なら……って、感じだけど」
杉本の声色で時間がないと分かり、即決である。
揃ってステージに戻ると、拍手と歓声が響く中、一礼した。感謝の意を表しながらも手を振りながら、一人、また一人と去っていく。このまま終わるかに見えたが、hanaがピアノの椅子に腰掛け、miyaも隣で簡易の椅子を引き寄せた。彼の手にはアコースティックギターが握られていた。
「……たくさんの声援、ありがとうございます。最後の曲です」
曲紹介はせずに弾き始めた。今では合唱コンクールでも歌われるようになった曲、“夢見草“だ。
「あっ! しってる!」
「怜音も梨音も知ってるのか?」
「うん! ママとパパ、うたってる」
「うん! すきー」
素直な反応に、メンバーからも笑みが溢れる。
ーーーーはじまりは、高校の練習室だった。
放課後よく残って、弾いていたっけ……懐かしい。
私にとっても、想い出がいっぱい詰まった曲。
和也が私に合わせてくれてるのが分かる。
いつかの学祭みたい…………規模は……今の方が勿論大きいけど……変わらない。
音楽がすきで、和也がすきで、みんながすきで……
二人は舞台袖から見守る仲間に気づいていた。
『……ありがとうございました!!』
miyaがhanaの手を取り一礼すると、再び最大限の賛辞が送られ、ステージをあとにした。
スタッフや杉本等ともハイタッチを交わし、六万人を魅了した一時間半を超すライブは幕を下ろしたのであった。
「お疲れさま」
「佐々木さん!」 「来て下さったんですか?!」
音楽プロデューサーの佐々木は、彼らをデビュー前から知る一人だ。
「いいステージだったな。皆、お疲れさま」
「ありがとうございます……」
「佐々木さん、もしかして……」
「察しがいいな、miya」
「来年はアジア&北米ツアーになるぞ?」
『北米?!』
「ニューヨーク他五ヶ所とカナダでもライブが可能になった。私を通さなくても、アメリカではライブ出来ただろうけどな」
『えっ?!』
「water(s)のファンがいたんだよ。詳細はまた後日、社で話すから……スギ、調整よろしくな」
「はい! では、後程ご連絡します……」
颯爽と去っていく佐々木に残されたメンバーは、話についていけていない。
「今の……現実……?」 「やばいな……」
「ドッキリじゃなくて?」 「……本当に?」
「夢じゃないって!」
hanaの肩をmiyaが抱けば、五人は肩を寄せ合い、いつかの月に願った日のように叫んでいた。
「北米ツアーだー!!」
思わずフェイスタオルを投げるmiyaに、笑い合っていた。
まだ……信じられない。
アジアツアーだけでもすごいと思ってたのに、アジアだけでなく北米ツアーも出来るなんて…………夢だった。
和也が言葉にした日から、目標になった。
『……water(s)の曲を、hanaの歌を……世界中何処にいても聴こえるようにする!』
梨音と怜音はミーティングの間、奏の実家に預かって貰っている。佐々木が言っていた詳細を聞く日だからだ。
会社の一室には、water(s)だけでなく、 システムエンジニアやマニピュレーター、照明デザイナーにコーラス担当のサポートスタッフ等が集まっていた。
water(s)の後ろには会議で使うホワイトボードがあるが、資料を杉本から配布された為、手元に視線を向けた。
「ーーーー来年三月二十八日の十周年記念をドーム、武道館と都内からスタートして、大阪、北海道、名古屋、横浜、福岡、埼玉、香港、台北、上海、シンガポール、韓国……ここまでが、アジアツアーだな」
佐々木の声に耳を傾け、時折相槌を打ちながらも心音は速まるばかりだ。
「そして、アメリカがニューヨーク、シカゴ、ダラス、シアトル、サンノゼ、ロサンゼルスと、カナダのトロントで、また東京の予定だったが……記載の通り、オーストラリアの主要五都市が追加になった。シドニー、メルボルン、ブリスベン、アデレード、パースを巡って、最後に東京に……一年かけて戻ってくる感じだな」
…………声にならない。
佐々木さんは追加って言ってるけど、追加で出来るものなの?
追加公演は、てっきり国内かと思ってた……
「だから来年度のwater(s)十周年ライブは、アジア、北米&オーストラリアツアーになるから、皆もそのつもりでな」
『はい!』
有名な佐々木昇が関わっているだけでもニュースになりそうだが、彼らの予想以上のツアーになったに違いない。五人ともスケールの大きさに声が出せないでいた。
「……佐々木さん、ありがとうございます! みなさんも、これからも宜しくお願いします!」
圭介が椅子から立ち上がった為、メンバー全員で綺麗に一礼した。
この場にいたメンバーは、デビュー当初から知っている者が殆どの為、成長を喜ぶと同時に、彼らが何処まで行くのか見てみたいとも感じていた。
細かな日程の発表に、ライブグッズの案が決まった所で解散となった。
ミーティングルームには、佐々木とwater(s)に杉本の七人が残っていた。
「国内は、金土日の二日か三日間続けて開演が多いから体調管理、気をつけてな」
『はい!』
「アルバム制作は順調か?」
「はい。ただ次の新曲を入れるので、CDを三枚組にしたんですが、新曲をどこに差し込むか考え中です」
「新曲かー……何てタイトル?」
「“Blue Rose“ですよ」
「hanaの作詞作曲か?」
「はい……佐々木さん、私が作ったって何で分かったんですか?」
「miyaが誇らしげに応えたから」
『えっ?!』
揃って声を上げる姿に、佐々木が微笑む。
「半分冗談で、紅一点のhanaしか植物に詳しくなさそうだからかな?」
「佐々木さん、そんなことな……」
「……miya、否定は出来ないよな?」
「確かに……」 「あぁー」
植物に詳しい?
私もそんなに詳しい訳じゃないけど…………ただ青い薔薇は不可能な代名詞だったけど、青に近い青紫色の薔薇がつくられた事によって、夢叶うって花言葉になったんだよね。
このエピソードがすきでメモしてたんだけど、ようやく形になった……
携帯電話や学生時代のノートによる彼女のメモ採用率は80%といった所だろう。
話が逸れた所で和也が確信を突いた。
「佐々木さん、何故オーストラリアでも公演決定したんですか?」
「気になるか?」
「それは、気になりますよ」
素直に応える和也に、佐々木も正直に応える。
「Jamesのおかげだな……」
「James?」
「あぁー、James Carter。アメリカの音楽プロデューサーの一人が、ネット動画を知人に広めたらしくてね。オーストラリアの音楽業界にも声が届いて、実現したって所だな」
「Jamesって、miyaが憧れてた人じゃないか? 透明度の高い声で……」
「……あ、あぁー、Jamesさんも、俺達の動画を見てくれてたって事ですか?」
「彼は動画だけじゃない。数年前、ニューヨークに行った事があっただろ? あの公園は、彼のお散歩コースだったそうだよ」
佐々木は腕時計で時間を確認すると、次の仕事があるようだ。杉本も彼を見送りながら話があるようで、その場にはwater(s)だけが残っていた。
五人とも言葉にならないようで、暫くの間沈黙が流れていると、最初に口を開いたのは圭介だった。
「……ニューヨークに…みんなで行ったのは五年前だっけ?」
「そうだな……」
「あぁー、俺達が卒業して……」
「そう。俺と奏の夏季休暇を利用して行ったんだ」
ーーーー手書きのURLを書いたカードを、貰ってくれた人の中に……いたんだ。
音楽は繋がってる。
繋がっていくんだ……
「……miya、すごいね」
勢いよく抱きしめられ、驚きながらも背中にそっと手を伸ばす。興奮の色は隠しきれない。
「…………繋がった」
和也の漏らした言葉に、頷いて応える。
「……また、みんなで行けるね!」
二人を中心に抱き合い、喜びを噛み締めていた。
ーーーーあの時、晴れた空を見上げて願っていた。
みんなと奏でられるなら、それだけで何もない場所でとステージに変わるから……
また五人で、訪れたいと想っていた夢が叶う。
あの頃より、歌えるようになれてるかな?
夢の続きを……五人で見られるなんて……
あまりのスケールの大きさに言葉にならなかったが、ようやく実感したのだろう。その喜びようは、まるでライブ直後のようなテンションの高さで、ここが会社だという事は忘れ去られていた。
「すぐ地下に行こう!」
「うん!」
「miya、hana、ここは、僕達のビルじゃないでしょ?」
冷静に圭介に言われ、会社だと気づく。それは奏達だけでなく、明宏も大翔も頷きそうな勢いであった。
「うっ……でも、練習しに行くだろ?」
「それは……」
ノックの音がして話は途切れたが、答えは決定事項であった。