第91話 梅雨晴
楽器にとって湿度は大敵。
蒸し蒸しする日は、人にとっても嫌な梅雨の季節だけど、そんなの……ここには関係ないの。
彼ら専用のスタジオは温度管理が徹底され、楽器のコンディションは乾燥剤を使わなくても良い状態だ。
「もう一度、今の所いいか?」
「うん」
奏は作曲した通りに鍵盤を触る。
今はアレンジの終盤だが、最後のフレーズが和也の中でしっくりきていないのだろう。彼女は何度目かになるか分からない最後のフレーズを弾いている。普通なら文句の一つでも言いそうな所だが、彼の感覚は優れている上に、他のメンバーも同じような想いなのだろう。誰も止めるような者はいない。
「んーー……」
和也がまた考え込んでしまった為、圭介の提案で一度休憩となった。
「梨音と怜音も、お昼食べるだろ?」
「たべるー」 「わーい」
双子が元気に応える中、和也を一人残して三階に集まる。
長考になると……人の話、聞こえないから……
あとで和也には差し入れるとして、梨音と怜音は食べる気満々だよね。
梨音と怜音はママお手製の小さなハンバーガーを、大人達はスタジオ入りする前に買ってきたハンバーガーを食べていた。
「hana、上手だな」
「大人と同じ物食べたがる時があるからね。なるべく寄せてるの」
「二人とも一歳九ヶ月だっけ? 大人と同じのは早いのか?」
「薄味ならいいんだけど……基本、外で食べると濃いからね」
「大変なんだな」
「慣れれば楽だよ。綺麗に食べてくれるから、嬉しいし」
「二人とも食べっぷり良いからなー」
「梨音、怜音、美味しいか?」
『おいしー』
二人が同時に応える所は、さすが双子である。
「さっきのアレンジ、OK出なかったなー」
「あぁー、何処が引っかかってるんだろうな?」
「うーーん、そうだな……」
「あのままでも良さそうだけど……」
四人とも譜面を思い浮かべているのだろう。食べる手が止まっている。
「……最後のサビ、今まで伏線にしてた転調を回収して終わるよね?」
「あぁー、アウトロは転調したまま終わるからな」
「そこを……敢えて、戻すのは?」
「……イントロに戻る?」
「本当に戻る訳じゃないよ? なんて言うかな……」
「一旦戻るか?」
「うん! 梨音、怜音、ちゃんと食べててね」
『うん!』
双子の頭を撫でると、杉本に託して地下に降りる。
ブースでは、和也がギターを片手に同じような発想で奏でていた。奏は迷う事なく鍵盤に指を滑らせた。二人のセッションで、彼らにも意図が分かったのだろう。繰り返す際に五人の音色が重なっていたのだ。
「……出来たー!」
「やったな!」
ハイタッチを交わすと足早に三階に戻り、落ち着いて昼食を食べる姿があった。
レコーディングが終わると、ジャケット等の撮影が始まる。十周年にはアルバム発売が決まっている為、そちらの選考や個人の依頼もあり、忙しい日々を送っていた。
「hana、視線頂戴」
彼女がカメラに視線を向けると、和也と杉本が梨音と怜音を連れてスタジオに入って来たのが視界に入った。
「はい、OKー」
「菅原さん、ありがとうございました」
「お疲れさまー」
挨拶を交わす間も、二人が機材を壊したり、騒いだりしないか気が気じゃないようだ。
「hana、お疲れー。二人とも絵本はもう嫌みたいで、外に行きたいって」
「miya、お疲れさま。スギさん、ありがとございました」
「お疲れさま。さっきまで、控え室で静かに遊んでたよ。今日は二人ともこれで終わりで、明日は打ち合わせと、miyaは雑誌の対談が午後から入ってるからね」
「はい!」
「ママもお着替えするから、梨音と怜音も上着着れるかな?」
「きるー!」 「いくー!」
「うん、帰りに公園行こうね」
『わーい!!』
奏は右手を怜音に、左手を梨音に、引っ張られながら控え室まで歩いていた。
「梨音も怜音も雨の中でも元気だな」
「風邪ひかないように帰ったら、お風呂だね」
「そうだな」
二人とも長靴にレインコートを着て、家から近い公園内を駆け回っている。
「ママー! これはー?」
「それは、紫陽花。綺麗な花でしょ?」
「うん! きれー!」
「雨やんだな」
「お空が晴れてたねー」
「はれー!」
二人は水溜りの上を飛び跳ねている。
「あーー、びしゃびしゃ」
「仕方ないなぁー。またお着替えだね」
楽しそうにしているので、他の人の迷惑にならない場合は、大抵そのまま遊ばせている。
「梨音、怜音、お洋服見て?」
『びちょびちょー』
長靴にまで水が入ったのは、気持ちが悪いようだ。
「水溜りの上でバチャバチャしてたからだよ?」
『……ごみんさい』
二人とも理解したようだ。
「雨の中、遊ぶのはいいけど気持ち悪いのは嫌でしょ?」
『あい……』
「よし! じゃあ、帰ったらパパと風呂だな」
『じゃぶじゃぶ?』
「そう! じゃぶじゃぶ入るぞー」
『わーい!!』
機嫌の良い時は聞き分けが良い双子の為、二人とも大助かりである。
いつもこうだと、有り難いんだけど…………
気分にムラはあるが、二人とも活発な子に育っているようだ。
「わーいって、絶対奏の口癖がうつってるよな」
「えっ? 私、そんなに言ってる?」
「わりとな」
「ママー」
「何、怜音?」
「これはー?」
先程の青い紫陽花とは違い、珍しい白い花を指さした。
「それも紫陽花だよー。お花」
「はな、きれー!」
「そうだねー」
先程と色も形も違う為、何の花か気になったようだ。
「あ、かー!」
「そうだねー、車だねー。a carね」
何でも聞いてくるな…………子供には、不思議なもので溢れてるって事だよね。
大人にとっては些細な事でも、二人にとってはお外に出る度、毎日が冒険みたい……
「……奏」
和也が左腕を差し出した。腕を組むと、四人並ぶように繋がってマンションに帰っていった。
自宅の小さなレコーディングルームでは、奏がボイストレーニング中である。時折、先生のレッスンを自宅で受けているのだ。今日は和也も家で仕事の為、リビングでは子供達と遊びながら、気になるフレーズを時折メモしていた。
「今日も雨だな」
『あめー』
「パパと絵本読む?」
「やっ、ママがいい」
地味に傷つく和也に、更に追い討ちをかける。
「ママはー?」
「……ママは歌のレッスン中」
「ママ……」
怜音につられて梨音まで泣きそうである。
「Twinkle twinkle little star How I wonder what you are Up above the world so high Like a diamond in the sky Twinkle twinkle little star……」
困った時のキラキラ星だ。梨音も怜音もママの歌声に、泣きそうになっていたのを忘れ、きゃっきゃっと足踏みし、踊っている。奏の歌うキラキラ星をBGMにして、和也の読む絵本に興味津々になる二人がいた。
レッスンを終えて山田と共にリビングに戻ると、梨音と怜音が彼女の足元に飛びついた。
「絵本、読んで貰ってたの?」
『うん!』
「よかったね。パパにありがとうした?」
『ありがとー』
同時に振り返っているが、ママの足元から離れたくないようだ。
「山田先生、お茶して行けますか?」
「お時間あれば、ぜひ……」
「二人ともありがとう。嬉しいけど、今日は他にもレッスンがあるから、来週はお邪魔させて貰うわね」
「はい!」
「先生、ありがとうございました」
梨音と怜音は足元にくっついたまま、山田を玄関まで見送っている。
「梨音ちゃん、怜音くん、またねー」
『てんてー、バイバー』
揃って応える愛らしい双子を他所に、背後から抱きしめられる。どうやら相当ダメージを受けたようだ。
「…………今日は、ママっ子の日だったのね」
「本当だよー。パパ、淋しい」
「梨音、怜音、パパが淋しいって」
『よしよし?』
「そう、よしよしね」
和也がしゃがむと、揃って彼の頭を小さな手で優しく撫でている。
ーーーー可愛い……動画撮りたいけど、携帯が……
「奏……」
彼の携帯電話を受け取ると、パパをよしよしする子供の動画を撮るママがいるのであった。
笹の葉に折り紙で作った天の川や星、貝や提灯等と共に短冊が飾られていた。今日は七夕であるが、まだ梅雨明けしていない事もあり、外は無情にも雨が降っている。
「ママー! あめー!」 「ママー!」
先日、七夕の話をしたからか、天の川を見たかったのだろう。明らかにテンションが下がっている。
「ここは降ってるけど、お空の上の方は晴れてるかもしれないよ?」
「ひめさま、あえる?」
「じゃあ、短冊にお願い事書こうか?」
「おね?」
「そう、願い事。織姫と彦星が会えますように……」
『あい!』
二人ともママの言っている意味が分かっているようだが、字は書けない為、曲がったような線をクレヨンで短冊に書いていた。奏は、ピンクのクレヨンで描いた線の隣に、みやまえ りおと、ブルーのクレヨンで描いた線の隣に、みやまえ れおと書き、笹の葉にくくりつけた。
「これで、願いが叶うかもしれないね」
「ママー! てるてるつくるー!」
「そうだね! 作ろうか!」
ティッシュを丸めて頭にして、てるてる坊主を作る。顔を書いて、首部分を止めたリボンに紐を通し、窓辺に吊るしていく。
「てるてるー!」 「はーれー!」
双子はどうしても晴れて欲しいのだろう。ありったけの願いを込めるように踊っていた。そんな子供達の様子に、彼女から笑みが溢れる。
和也の為に、動画撮っておけばよかった……
彼はレコーディングルームで作業中なのだ。
「梨音、怜音、もう一回やって?」
「うん! てるてるー!」 「はーれー!」
ムービーを撮り終えると、奏は夕飯の用意をする為、キッチンに向かう。まだ危なっかしい為、ベビーベッドを柵代わりに利用して、歌を歌いながら料理をしていく。
『ママー! えー!』
「A ? ABCDEFG、HIJKLMNOP、QRSTUV、WXY and Z ……」
『Z?』
「そうZだよー」
英語の歌もキラキラ星に続く双子の定番曲である。
喋れなくても、そのうち覚えるよね?
奏の歌に合わせて手拍子をして遊んでいるようだ。その為、彼女のいい発声練習にもなっていた。
「出来たから、パパを呼びに行こうか?」
「うん! パパー!」 「パパー!」
駆け足でレコーディングルームまで着くが、ママの合図を待つ。
「二人ともノックして?」
『トントン』
手で扉を叩く仕草をしながら声にも出す為、愛らしいことこの上ない。
「パパー、入るよ?」
奏が扉を開けると、仕事がひと段落ついたようで、ヘッドホンを外しながら、椅子を扉側に向ける和也がいた。
『パパー!』
揃って足元に飛びつく。
「もう、こんな時間か……」
「夕飯食べれそう? 」
「あぁーわ梨音と怜音と食べたいからなー」
『パパー! だっこ!』
二人同時に言われ、困りながらも怜音をおんぶし、梨音を抱きかかえてリビングに向かう和也がいた。
二人を寝かしつけた後は、夫婦の時間である。奏と和也はホットティーを飲みながら、笹の葉にある子供達の短冊を眺めていた。
「何て書いたのかな?」
「分からないけど、雨が上がって欲しくて、てるてる坊主まで作ってたから……願いは叶ってるね」
「そうだな」
夕方まで降っていた雨は止み、時折雲の隙間から夜空が顔を出している。
「短冊とか久々書いたな」
「そうだね。子供の頃した事って、意外と覚えてるよね」
「確かにな。断片的なものも多いけど、アルバム見ると想い出したりするからなー」
「和也の子供の頃の写真、可愛かったなー。健人さんが可愛がってるのが、よく分かったよ」
「奏だって、創くんの少ない髪を風呂上がりに毎回とかしたがってたって、言われてたじゃん」
「うっ……でも、お母さんって……凄いよね」
「確かにな……奏は、いいママだよ」
「本当?」
「本当。今日の七夕にちなんだ星づくしの夕飯も、二人とも喜んでたし」
「可愛いよねー」
「そうだな」
全身で好きと表現している為、我が子が可愛くて仕方がないのだ。二人が最初に書いた短冊には『パパ、ママだいすき』と、書かれていたのかもしれない。
「ママだけど、俺の前では奏だからな……」
「うん、和也。ありがとう……」
二人の呼び名は様々あるが、どれも彼ら自身に変わりはない。
「来月のライブ楽しみだな」
「うん!」
アーティストでもある二人は、早めに就寝すると、翌朝の子供が寝ている早い時間帯から、セットリストの練習を開始した。
「ーーーー和也……今の所、もう一回いい?」
「あぁー」
子育てに関しては寛容な二人だが、音楽に対しては一切妥協を許さない為、朝から入念な音のチェックが始まる事となった。