村を燃やした男
ジョナサンは夢を見た。
それは楽しい夢だった。
怪物を倒し、いつものようにマキを背負って村に帰った彼を待ち受けるのは温かい食事だった。
何かがおかしい。
夢の中、ジョナサンは首を傾げた。
……そうだ、いつもよりも食事がやけに豪華だ。
弟はいつもの何倍も大きな魚を釣り上げてきたと豪語し、
母はいつもよりも優しく、
父が少し照れ臭そうに「おめでとう」と肩を叩く。
夢の中、ジョナサンはハッとした。
そうか、すっかり忘れていたが、今日は自分の誕生日なのか。
夢の中、ジョナサンは、大きく肩を震わせた。
いつもと同じように、今年もこの日を忘れず祝ってくれる家族がいる。
夢の中、ジョナサンは、なんだか照れくさくなって鼻先をかいた。
そして、弟が「いつもジョナサ兄はまき割りにいそしんでいるから」と
、誰ぞの名工が打ったという切れ味鋭い斧をくれた。
うけとったジョナサンは、その斧を酷く軽いと感じた。
「…………」
何かがおかしい。
この暖かい景色にジョナサンは違和感を覚えた。
彼の意識は、少しずつはっきりとし始めていた。
夢から現実へ、いくつかの扉を潜り、覚醒していくまどろみの中。
見慣れたリビングで、四人で豪華な食卓を囲む。四人全員いつも同じ場所、決まった椅子の上でみんなが笑うから自分も笑う。
けれど。そんなまばゆいばかりの夢の光景の向こう側で、光り輝くトンネルの向こうに、暗い現実の黒点がシリの穴みたいに小さく見える。大いな、ありふれた幸せの中に忍び寄る違和感。
現実の自分の身体がボロボロで、血だらけで、指の一本も動かないことがよおく分かった。
現実の、自分の身体に雨粒が落ちてくる、ひんやりとした感覚。
「…もうすぐ夢から覚めそうだ…」
夢の中、唇を震わせながらジョナサンは呟いた。
父と母と弟は、不思議そうに首を傾げた。
そして、ジョナサンから視線を外すと、「明日はまたつまらない日常が始まるぞ」との父の言葉に、皆が笑うのだ。
ジョナサンは、震える唇を丸めこんでは必死に食いしばり、弟がとってきてくれたそれはそれは大きな魚の頭にかぶりついた。
何かを否定するように、せき込むほどに勢い良く小骨が喉に引っかかることも気にせずに胃袋の中へとそれを押し込んだ。
けれど、どれだけ食べてもどれだけ咀嚼しても味もしないし満腹感の一つも得られなかった。何かがおかしい。
………。
………。
…………。。
…………、………………。
掴んではいけない違和感。
夢から覚めそうだーー。
「ーーーーうまい、ありがとう」
年甲斐もなく大粒の涙を流しながら、ジョナサンは弟にそう言った。
父が笑っている。弟は得意げに誕生ケーキに火をつけ始めた。
突然涙を流し始めた彼に、母親が心配そうな顔をしてその温かくて大きな手を差し伸べてくるーー。
ジョナサンは。
怪物よ、この中の誰も殺さないでおいてくれ、そう強く願った。
そして、母親の手が、彼の頭に届かないうちに。
ーーその温まりの届かぬうちにーー。
違和感に抗いきれず、ついに心地のよい夢が終わって彼は目を覚ました。
「………生きていたのか…」
ぐわんぐわん、恐ろしく痛む頭に顔をしかめジョナサンは呟いた。
真っ暗の空から、いつの間にか降り出したらしい雨が、意識の覚醒を助けたのだろうか。
ジョナサンは左の拳を握りしめた。
右の指は5本とも動かなくて、左の人差し指と小指だけを、「何で…目が覚めたんだ……ッ」と強く握りしめた。
最後の瞬間、巨人が振り回す大木にフルスイングされたことを覚えている。
そこで意識が途切れた。
ジョナサンは、握りしめたこぶしの中で爪が皮膚に食い込む痛みの中でハッとした。
「----そうだ、みんな無事だろうか」
巨人に襲われなかっただろうか。
重症か、逃げられたのか、生きているのか。
血だらけの身体、全ての骨が折れている気さえする身体で。
ジョナサンは、這いつくばるように村を目指した。
一緒に吹き飛ばされたのだろうか、そばに落ちていた斧を背中に担いで、その重みにすら耐えきれず悲鳴を上げる体に苛立ちを覚えながら、ただ皆が生きているという希望だけを胸に、ヒューヒューと今にも終わってしまいそうな呼吸音を響かせて、ズリズリと虫みたいに地をはって村を目指した。
いつの間にか巨人の気配がすっかり止んだその島の上空を。
ーー何の変哲もないおんぼろの自転車が独りでに飛んでいることにーー、地を這うジョナサンは全く気付かなかった。
ジョナサンは村へと急いだ。
不自由な、血まみれの身体をなんとかはいずりながら、村の外側に広がる畑の前までやってきた。
「----」
身体中が総毛立つ感覚。
ハッと息をのんだ。
畑をぐるりと取り囲む害獣除けの柵が見るも無残になぎ倒されてーー・
収穫直前の麦のなる黄金色の実りの真上に、
豪華客船ほどの巨大な足跡が容赦なくスタンプされている。
ーー信じられないものを映し込んだジョナサンの瞳が、強烈に開いていく。
それは当たり前の、当たり前に思っていた日常への、突然のじゅう躙だ。
揺れる瞳に映る景色。
それは怪物の足跡が大地をめちゃくちゃに踏み荒らし、
その足跡の深さときたら、
降りしきる雨がそのくぼみに濁りながらたまっていくほどでーー。
倒壊した小屋から逃げ出したのだろう、牛や馬といった家畜たちが、棒で延ばされたみたいにぺちゃんこになって、血まみれせんべいみたいになって、土の上に沢山転がっている。
「……ッ」
ジョナサンは頭を抱えた。
寒気がするほどの悪寒だ。
家畜も、今年も、今年は全部…。
いや今年だけじゃない、これから先ずっとこの島はどうすれば生きてーー。
「--違う」
村だ。村は無事だろうか。
この先にある村、怪物の足跡が続いてゆく先にいる父や母や隣人や友達や昔習った先生たちがーー。
ジョナサンは駆け出した。
訳の分からない力がみなぎってきて、立ち上がって、村へ走った。
ジョナサンの頭上、物凄いスピードで空を飛ぶおんぼろの自転車が彼を追い越していくが、彼はそれには気付かない。
わき腹に空いた穴から血が噴き出すことも気にせずに、顔をしかめて、祈るように走った。
無事を祈った。
父の、母の、弟の、皆の。
祈って祈って祈って、走って走って走ってたどり着いた先。
急な斜面も少ない見晴らしのいい島のこと。
開けた視界に大パノラマみたいに飛び込んできたのは、雨の中もうもうと黒煙を立ち昇らせて燃え盛る村のあり様だった。
家という家は押しつぶされ、その上怪物にそんな知能があるものなのか、木造のがれきに火が放たれている。
(……何という有り様…)
不思議と心は折れなかった。
そんなことよりも今はーー、ジョナサンは必死に黒目を動かした。
生きて動いているものの姿を。
そして、見つけた。
真っ赤に燃え盛る火の中で、あまりに堂々とたたずむ者の姿を。
父でも、母でも、弟でもなかった。
知らない男が、この島のものでは決してないーー。
ーー黒髪にいくらか白髪の混ざった40手前のその男は、次々と家々に火を放っていた。
魔法使いの証であるつばの大きな灰色帽子をかぶり、その表情は帽子の陰に隠れきっており。
何度も杖をふるっては、杖の先から火を放ち、ジョナサンの生まれ育った村を、恐ろしい表情を浮かべたまま二度と動かない父や母の身体に向けて火を放っていた。
(……フーッ!
……フーッ!!!!)
荒ぶる呼吸。
ジョナサンの目が怒りに染まり、次の瞬間、喉の奥が千切れる以上にジョナサンは咆哮する。
「お前殺してやるーーッ!!!!!」
ジョナサンは駆け出した。
と、そこでようやく魔法使いは彼に気付いたようで、肩をそれは大げさにピクリとさせた。
その胸倉に掴みかかろうとするジョナサン。
けれどその身体は既にボロボロで、立っていることすらそも奇跡で、つるりと雨にぬかるむ地面に足を取られて彼は顔面から地面にめり込んだ。
「……なんだ、生きている島民がいたとはな…。
全部死んどでたら、金品だけ奪って帰ろうかと思ってたんだが…」
魔法使いがそう言った。
ジョナサンは、フーッ!!と何度も荒い息を吐きながら、恐ろしい目つきでその男をにらみつけ、どうにもならない身体を震わせて、立ち上がろうと奮起する。
「返せ……フーッ…島を…返せ…」
立ち上がろうとして、足が震えて転んだ。額から、いやパックリと割れた頭部からどくどくと血が噴き出している。
心臓に矢を放たれた兵のように、血まみれで、
泥の中に横たわるジョナサン。
その姿は羽をもがれた虫のよう。
もがけど、もがけど、血を流すばかりでもう立ち上がれない。
その腕っぷしで、立ち上がろうとして、腕が震えて手が滑って、あごの先から地に落ちるジョナサン。
ジンジンと痛むあごの先。
ジョナサンは鬼のような形相で魔法使いを睨みつけたままの姿で、その目から涙を流した。
「……フーッ…!
…家族を…家族を…返せ…ッ…!!」
今目の前で、父と母の遺体が燃えている。燃やした男が、目の前にいる。
ジョナサンは、ほとんど意識もないままに、その事実だけに突き動かされて、芋虫みたいに地面を這った
そして、ついに魔法使いの足首をつかんだところでーー。
その足首を握りつぶすほどにギリギリと締め上げたきりーー。
死んだように動かなくなった。
降りしきる雨の中、燃え盛る父や母に自身もまた同化していくように、呼吸の音の一つも立てなくなって冷たくなっていった。
と、その時。
チリンチリンと音がして、「ようやく来たか」と魔法使いが空を見上げた。
そこにある空飛ぶ自転者(指笛で主に呼び出された)は、『怪物の姿がすでに見当たらない』ことをそのベルの合図で告げているで、魔法使いがうなずいた。
そして、魔法使いは「都へ帰ろう」と。
まるでその自転車が、生き物であるかのように語りかけ。
続いて、自身の足元で息絶えた青年の死骸を、静かな顔つきでじっと見下ろした。
降りしきる雨の中、右足首の痛みの余韻にぎゅっと奥歯をかみしめながら。