第六話
宮城大佐の屋敷を訪れた日から、さらに一週間が過ぎた。この日は、初めての本土上陸訓練だ。と言っても、上陸した後、少しだけ偵察を行なった後帰還するという簡単なものだ。本土へは約一・五キロの橋を渡って上陸する。これは十年ほど前に、この東地区から本土への最短距離で建設されたものだ。本土側の陸地には、日本国軍の駐屯地があり、湊たち学生が偵察を行うのは駐屯軍の警戒区域内に過ぎない。
「はあ、なんかイマイチな訓練だよなー」
橋を渡るためのバスを待ちながら、朔夜が呑気な声を出した。
「湊もそう思はねえ?」
朔夜が、目の前の橋を見ながら言った。それを聞いて、梓の取り巻きたちがこちらを睨む。
「なんであいつらあんなに真面目な顔してんだ?オレにはよくわからん」
取り巻きたちを見やりながら、朔夜は言葉を続ける。
「つか、あっちはただの無人島なんだよな?ひょっとして、オレら一般市民には知らされてないようななんかがあったりする?」
「…俺にフルなよ」
苦笑いで返す。正直、湊にも不思議なのだ。クラスメイトの中には、明らかに怯えているものもいる。軍人に守られているところに行って帰ってくるだけの訓練だ。何を怯えることがあるのだろうか。
「フン、さすが軍属に関係のない家の出身は呑気なものだね」
相変わらずの眠たげな表情で李人が言った。
「李人、何か知ってんのか?」
大きな欠伸をしている李人に聞いてみた。
「まあね。自分で確かめるといいよ。遭遇するかはわからないけど」
李人は被っている学生帽のツバを片手で押し上げながら言った。少し大きめのようで、先ほどから何度か同じ仕草をしている。外套がわりのマントも、小柄な李人が着ていると余計に小さく見える。なんだか着心地が悪そうだ。
「遭遇って…一体何がいるんだ」
朔夜が首を傾げると同時に、マイクロバスが二台橋を渡ってきて、整列するクラスメイトたちの前で止まる。バスの扉が開くと、中から担任の中島が顔を出した。
「全員いるな?さっさと乗れ」
確認と同時に促すと、自分はさっさと顔を引っ込めた。クラスメイトたちは少しだけ顔をしかめたが、何も言わずにバスに乗り込んでいく。湊たち三人が最後で、必然的にバス前方の席に座る。中島の後ろの席だ。乗り込むと、すぐにバスは方向を変えて元来た方に走り出す。
「おい李人、余計なことはするなよ。何もいうな。駐屯地の奴らは、お前をよく思っていないってことは、わかってるよな?」
中島が振り返って李人に言う。湊は隣に座っているため、どうしても会話が耳に入ってしまう。
「うるさいな。僕は命令に従ってるだけだ。それに、あっちが勝手に嫌ってるんだし、僕には関係ない」
「お前はいいかもしれんが、宮城さんに怒られるのはおれなんだよ!わかったら言う通りにしろ!」
ますます李人が何者なのか気になるところだが、聞いても何も教えてくれないのはわかっているから、湊は窓の外に視線を向ける。そこには曇り空のせいで余計に暗い色をした海が広がっている。その先には、緑の多い陸地が見えた。端島は人工島のため、あんなにたくさんの木を見るのは初めてだ。
数分後、二台のマイクロバスは本土の駐屯地に停車した。バスを降りると、足元は土の地面が広がっていて、なんだか不思議な気分だ。端島の住人は軍属以外本土に足を踏み入れることは禁止されている。そのため、少しだけワクワクしてしまう。
「うおお!!本土、上陸!!」
対して朔夜は、周りの目も気にせずに声をあげた。いかにも上機嫌だ。
「ちょっと!やめなさいよ!」
梓がものすごい剣幕で朔夜にに詰め寄った。その形相にビビった朔夜はおし黙る。
「ゴメンナサイ」
小さな声で朔夜が謝罪の声をあげた。そこに、数人の軍人たちが通りかかった。朔夜の声を聞いていたのか、厳しい目をしてこちらを見る。
「フン、呑気なものだな」
一人が吐き捨てるように言う。
「仕方ないだろ、所詮は何も知らないガキどもだ」
「そうだ、学生諸君、せいぜい漏らさないように気をつけろよ」
軍人たちがゲラゲラと笑いだす。騒いでいたことは悪いと思うが、そこまで言われてはさすがに頭に来る。
「こちらが悪いのはわかっていますが、言い過ぎではありませんか?」
突然の抗議の声に、成り行きを見守っていたクラスメイトや、軍人たちまでもが驚いた顔をした。声をあげたのは梓だ。その性格のため、一方的にバカにされていてもたってもいられなかったのだろう。
「なんだ、学生の分際で俺たちに意見しようってか?」
「身の程をわきまえろ!」
軍人たちは本気で頭にきたのか、こちらを睨みつける。それに負けじと、梓も睨み返す。
「坂咲、落ち着けよ」
たまらず湊は口を挟んだ。このまま放っておけば殴り合いになりそうだ。
「あなたは黙ってて」
キッと、湊まで睨まれてしまった。ので、おとなしく黙る。
「お、おい!アイツは…例の…」
梓につられてこちらを向いた軍人の一人が、驚いた声をあげる。
「っ!東雲か!」
さらにもう一人が、李人を指差して叫ぶ。その声に、軍人たちの間に動揺が走った。皆一様に青い顔をして李人を見やる。
「ふああ」
気の抜けた欠伸をしながら、李人が面倒そうに口を開いた。
「たかが学生とか言ってるけど、アンタらも大して変わんないじゃん。数がいるだけで何もできないし。蟻と同じだよね」
「貴様!!」
李人のあまりの言い草に、軍人たちが憤る。さらには、腰に下げたサーベルの柄に手をかけるものまでいる。これはいよいよ収集がつかなくなってきているんじゃないかと、湊は手に汗握る思いだ。
「なに?僕とやりあう気なの?相手してやってもいいよ。まあ相手になるとは思ってないけど」
李人が学生帽を押し上げながら足を一歩踏み出す。誰もが最悪の事態を想像しながら事の成り行きを見守ることしかできないでいた。が、緊迫した空気は突然終わる。バスから降りてきた中島が、後ろから李人の頭を叩いたのだ。バシ、と痛そうな音がして、李人が小さく呻いた。
「痛!!」
「痛、じゃないだろこの馬鹿野郎!!さっき言ったよな?お前が問題を起こすと、困るのはこのおれなんだよ!!」
「…そんなこと僕に関係ない」
「百歩譲っておれのことはいいとしても!困るのはおれだけじゃない!仮にも宮城さんの養子ってこと忘れんなよ!!」
「…わかったよ」
不機嫌そうな顔は相変わらずだが、そっぽを向いて押し黙った。なんとなくその場の緊張が和らぐ。李人がやる気をなくしたため、軍人たちも戦意を喪失したようだ。
「お前たち、仕事をサボってなにをしているかと思いきや、まさか後輩の学生に絡んでいたのか。全く、呆れて言葉もないわ」
いつのまに近くまで来ていたのかわからないが、軍人たちが来た方向に凛とした印象の中年の男がいた。撫で付けた黒い髪、鋭くつり上がった瞳に嘲笑うような表情。横柄な物言いが様になるようなそんな男だ。
「し、失礼しました!!」
男の姿を見た途端。今まで強気に振舞っていた軍人たちの態度が変わる。一斉に敬礼をしたのだ。それだけで、その男の身分に見当がつく。
「矢島大佐!うちのものが失礼いたしました!」
「はは!大佐の位はとうに降りた。今はただの駐屯軍総指揮だ」
中島が敬礼をしながら呼んだなを、この場にいるすべての人間が知っていた。矢島源助。日本国軍で長らく大佐の任についたこの国の重要人物の一人だ。宮城大佐の前任に当たる。本土駐屯軍や、橋の建設に深く貢献した人物だと知られている。前線を退いた今でも、日本軍にとっては重要人物だ。そんな人物とこんなところで会うとは思わなかった。
「さて、今日は大事な訓練の日だろう?こんなところで時間をとっている場合ではない。このものたちは私が預かる。軍高の諸君は、予定していた訓練を行いたまえ」
そう言って矢島指揮官が軍人たちを見回す。皆、バツが悪そうな表情で視線を逸らしている。
「矢島さん、ありがとうございます」
中島が頭を下げた。クラスメイトたちは目を疑う思いだっただろうと、湊は思っている。それほど、普段の中島からは想像もでいないほどへりくだった態度だ。
「お前も大変なことになったな。一番しんどいのは宮城だろうがな。奴の選んだ道にとやかく言う気は無いが、私は味方だと伝えておけ。特に東雲にも特別扱いはしないと」
「わかっています」
クラスメイトや、もちろん湊にもなんの話かはわからない。ただ、それを聞いても李人は無表情のままそっぽを向いている。
「よし、お前ら、さっさと訓練終わらせて帰るぞ」
中島の言葉で、一応その場は収束した。湊たちは中島の後について移動を始める。ふと視線を感じて振り返ると、軍人たちが鋭い目つきでこちらを睨みつけていることに気付いた。なんだか嫌な予感がする。中島の言うように、さっさと終わらせて帰る方が良さそうな雰囲気だ。
湊たちは、演習を始めるために駐屯地の端にある広場に整列した。すぐそこには駐屯地の出入り口があり、その先は日本の領土だった土地が広がっている。
「これから五人一組の班に別れて、この頑丈な扉の先に出てもらう。行動範囲は半径三キロ以内で、制限時間一時間以内にこの無線機を回収してくれ」
中島が掲げた右手には、小型の無線機が握られている。小型だが頑丈そうな無線機だ。
「無線機はこちらで隠しておいた。五つ、バラバラの位置にあるから必然的に早い者勝ちだ。見つけたらそれを使って連絡を入れ、すぐに帰還すること。一時間以内に連絡のない班は、後でペナルティがあるからな」
それを聞いた朔夜が、ゲッ、と声を漏らした。中島がそんな朔夜に向かってニヤリと笑みを見せて言う。
「ペナルティの内容は帰って来てからのお楽しみだ。なに、無線機はわかりやすい場所に置いてあるだけだ。ここから三キロ以内なら、軍の監視範囲だし何かあればすぐに助けに行く」
それから、と、真面目な顔をして中島が続ける。
「班はこちらで決めて置いた。名前を呼ぶからその通りに集まれ。お前らのこれまでの成績と、普段の様子を見て公平に決めたから文句は一切受け付けない」
名前を呼ばれたクラスメイトが、それぞれ列を離れてグループを作る。が、徐々に人数が減るなか、湊、朔夜、李人はなかなか呼ばれない。
「第五班、木下、神木、川島、槇、藤崎。で、残りが六班な」
湊はため息をついた。李人と一緒なのは、まあ、わかる。それに、朔夜も李人と親しい。が、そこには梓の姿もあった。どう考えても円満に協力できる班ではない。湊と朔夜は諦めた表情で目を見合わせる。
「先生!!どうして私がこんなやる気のない人たちと同じ班なんですか!?」
梓が当然のように抗議の声をあげた。
「坂咲、文句は一切受け付けないと言ったはずだ。それにちゃんと理由がある。クラスで今一番成績がいいのは李人。で、ちょうど真ん中がその三人。で、体育や実技以外最下位の坂咲。バランス的には一番いい班だぞ」
それを聞いたクラスメイトたちが、驚いて梓に目を向ける。湊も朔夜も梓を見る。この気の強い軍属の娘が、まさか最下位の成績とは思わなかったのだ。勝手にそう思っていたのは自分だけではなくてよかったと、湊は思った。
「ちょ、そんな大声で個人情報を言わないでください!!」
顔を真っ赤にして梓が叫ぶ。
「だから最初に文句は一切受け付けないと言っただろ。これに懲りたら今後口答えしないことだ」
ぐっ、と唇を噛んでおし黙る梓を見て、湊も気をつけようと思った。
「よし、では早速開始だ」
その言葉とともに、閉ざされていた頑丈な鉄の扉が開き始める。よく見るとその扉はかなり分厚い。かなり思いようで、自動でスライドするのに時間がかかる。徐々に開く扉の隙間から、かつての日本が見えてきた。昔はそこに街があったのだろう。割れたアスファルト、窓ガラスが割れた廃墟。そこに蔦状の植物が絡み付いている。四月のまだ肌寒い時期だが、閑散とした街のせいか、よりいっそ寒さを感じた。人が住まなくなったここは、初めて訪れる湊たちには、どこか恐れを感じさせる。
「今から一時間な!安心しろ、なにも起こらない。この二週間で初歩的なことは学んだはずだ。さっさと行け!」
そう言われても、なかなか踏み出す気にはなれない。だが、李人だけは違った。ためらうクラスメイトたちの間を抜けると、一歩外へ踏み出して振り返る。
「なにしてるの?行かないとペナルティなんでしょ?」
そんな李人のお陰か、気を取り直したクラスメイトたちが意を決して外へ出る。班ごとに分かれてそれぞれが違う方向に歩き出した。湊たちが最後だ。駐屯地の外に出ると、背後で扉が動き出した。振り返って徐々に閉まっていく扉を見ると、内側からわはわからなかったが、そこには大きな凹みや、何かの引っかき傷が無数についていた。
「げ、なにも起こらないってほんとかよ」
同じく振り返った朔夜が声を上げる。あんなに頑丈そうな扉に、こんな傷をつけることができるものが潜んでいるのかと考えるとゾッとする。
「この辺りにその傷をつけたやつはいないよ。もう少し内陸に行かないとね」
李人がつまらなさそうに答える。
「なあ、めちゃくちゃ気になってんだけどさ、李人って何者?」
もう居ても立っても居られないようで、朔夜が質問した。湊も気になっていたことだ。
「無駄話は歩きながらでもできるわ。とりあえず行きましょ」
いつのまにか周りに人気はなく、完全に出遅れている。梓の言う通り、五人は歩き出した。