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悠久のトワイライト  作者: しーやん
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第五話

 軍高に入って初めての休日。湊は趣味のランニングをしていた。湊の住む東区の海岸沿い、早朝の肌寒い潮風が流れる埠頭に湊はよく来るのだが、この日も湊は物憂げな顔を浮かべて埠頭に立ち寄っていた。


港には日本国軍の戦艦が多数停泊している。軍事に興味がない湊でも、その光景は壮観だと思う。


「ふう」


なんとなくため息が出た。軍高の授業はそれなりに難しいが、ちゃんと聞いていればついていけるのだが、何と言ってもクラスの雰囲気が最悪なのだ。坂咲梓の李人に対する態度は相変わらずで、一緒にいる湊と朔夜までも居心地の悪い思いをしているし、他のクラスメイトも何人かが坂咲に同調している。よくわからない李人のことよりも、坂咲准将の娘という、ちゃんとした身分を持っている梓につくことにしたのだろう。それも将来的な打算があってのことで、梓の機嫌を伺うようなところが見受けられる。


対して李人の方は、全く意に介していないようで、どんな対応をされていてもまるで気付いていないかのようにやり過ごしている。見ている湊の方がいたたまれなくなってくる始末だ。


そして、湊の最大の憂鬱は、李人が一体何者なのか、全くわからないことだ。


この一週間、李人と行動を共にし、その強さは痛いほど身にしみてわかったし、不真面目な態度の割にかなり頭が良いようで、新入生の実力テストでは総合一位だった。まあ、それが梓をさらに苛立たせる一因にもなったが。担任の中島をはじめ、何人かの教師とも顔なじみのようで、よりその存在感を強めている。だが、中島と保険医の佐々木以外は、李人と親しい感じではなく、どちらかと言うと腫れ物を扱うようなよそよそしさが目立っていた。


李人を孤立させている要因は、宮城大佐の養子だからと言うわけではなさそうだ。湊はそう考えている。


ぼんやりと思考を巡らせている湊の背後で、不意に物音がした。ザリっと地面を踏みしめた音だ。この時間にここにくる人は少ない。誰だろうと振り返る。


「あ」


間抜けな声が思わず出た。そこにいたのは、東雲李人だ。


「……」


湊の顔を見て、明らかに李人は嫌な顔をしている。


「こんなところで何をしている?」


李人が冷たく問う。確かに、ここは軍の船が多く、もう少し先に行けば、そこは立ち入り禁止の軍の土地となっている。そんなところへあえて近付く人は少ないのだ。


「何って言うか、昔からランニングの時、ここに来るのが日課なんだ」


警戒心をさらけ出しながら、李人が湊に近づいて来る。そのまま湊の横に立つと、目を細めながら朝焼けの地平線に目を向けた。よく見ると、李人の体には包帯が無数に巻かれている。頬の大きな絆創膏が、なんだか痛々しい。


「怪我したのか?」


何気なく聞いてみた。あまり答えは期待していないが。


「ん」


肯定だけで、あとには何も続かない。李人と会話を続けるのはなかなか難しい。


「そういえば、昨日も呼び出されてたよな」


李人は入学からの一週間で、軍本部に呼び出されることが二度あった。一回目は宮城大佐の公演の日、二回目は昨日だ。そのことも坂咲をイラつかせる要因の一つだ。


「僕の仕事だからね。宮城には逆らえないから」


ふん、と鼻で笑う李人の顔は、諦めにも似た表情が浮かんでいた。


「その怪我と仕事、関係があるのか?」


湊の素朴な疑問に、李人が不機嫌な表情を浮かべた。


「まあね。僕は所詮軍の犬だから」


「軍の犬って…」


言葉に詰まっていると、李人がさらに言葉を繋げる。


「宮城は人使いが荒い。僕の都合なんて御構い無しだ。まあ、生かされている僕には拒否権はないんだけど」


なんだか話の方向性が見えない。返答に困ってると、またしても後方で物音がした。今度は車がブレーキをかけた音だ。


「よう、李人!任務お疲れ!直帰しないで寄り道とは、なかなか隅に置けないなあ。ってなんだ女と会ってるんじゃないのか」


不躾な物言いをしながら、軍用の車から降りおてきたのは、今まさに話題にしていた宮城大佐だった。お堅い詰襟の軍服の襟元を開けている。なんとも不真面目な姿だが、宮城大佐には似合って見える。


「うるさい。どこに行こうと僕の勝手だ」


あいも変わらず不機嫌に李人が返す。


「お前ぐらいの年頃は、いろいろあるんだろうがな、こっちだって子の監督責任やらなんやら面倒なんだ。その辺協力してくれるとありがたいんだが」


呆れた表情で宮城大佐が呟くが、全く意に介さない李人はそっぽを向いている。


「僕には関係ないよ。どうせそっちの都合でしかないし」


「は、お前は懐かないな。よし、これから一緒に朝食でもどうだ?もちろんそこのツレも一緒でいいぜ」


「は?俺?」


驚いて目を剥く湊に、宮城大佐がウィンクをする。


「そう、お前しかいないだろ。聞くところによると、李人と仲良くしてくれているそうじゃないか。そんな物好きな奴なかなかいないぞ」


「勝手なこと言うな。僕は別に仲良くなんてしてない」


李人の言葉に地味に傷つく。それに慣れてきたのだからどうしようもない。


「ま、とりあえず二人とも乗れ」


親指を突き出して車を指すしながら、宮城大佐はニヤリと不敵に笑みを浮かべた。そんなキザな仕草がなんとも似合うのだった。










 「でか…」


軍の要人ばかりが住まう中央区の、例の宮城邸に到着し車を降りた湊は呟いた。


「はは、デカイだけが取り柄みたいなもんだからな」


それを聞いた宮城大佐が、どこかで聞いたようなことを言う。親子というより歳の離れた兄弟みたいだ、と湊は思った。


促されるまま両開きの玄関から中へ入る。すると、正面には何かのドラマにでも出てきそうな玄関ホールと、二階へ続く湾曲した階段が壁沿いに配置されている。いかにもなシャンデリアと、少し暗い赤い絨毯に威圧されているようで、湊は少し緊張した。


「そんなところで立ち止まらないでくれる」


舌打ちとともに李人が声を上げる。


「李人、そんな言い方ないだろ。さ、食堂はあっちだ。李人など放って置け」


そう言って宮城大佐が右手の部屋へ向かって歩く。湊もそのあとに続く。通されたのは意外と質素な部屋だ。もっと金持ち然とした部屋かと思っていたから、なんだかホッとした。


「小さい部屋で申し訳ない。ここが一番使いやすいんだ」


向かい合わせのソファとテーブル、奥の窓際には観葉植物が置かれいるだけだ。応接室としても、少々質素すぎる気がする。


「もとはメイドの休憩室として使っていたんだが、今は俺が飯を食うだけに使ってる。そんなに緊張するな」


緊張するなと言われても無理な話だ。まさか宮城大佐の屋敷に、自分なんかが来ることになるとは。緊張しない方がおかしい。


「失礼します」


3人がソファに腰を下ろすのを見計らったかのように、これまた古典的な姿をしたメイドが紅茶の乗ったワゴンを押して入ってきた。長めの黒いワンピースに、白い上品なエプロンをつけた女性だ。年齢はよくわからないが、柔らかい物腰にメイドとして長く勤めていることがわかる。


「朝食を用意してくれ」


紅茶を並べるメイドに、宮城大佐が言った。かしこまりました、と控えめな返事をして、メイドは部屋から出て行く。


「黒葛湊。李人の学校での様子はどうだ?」


改まって名を呼ばれただでさえ固まっていた湊は、さらに身構えたが、なんのことはないただの世間話のようだ。


「え、あー、あまりいい感じではないです」


正直に答える。その横で、李人が舌打ちをするのが聞こえた。


「はは、まあそりゃそうだろうな。お前も知っての通りこの性格だからな!しかし一人でも友達ができたなら、とんでもねえ僥倖だ」


「僕に友達なんていない」


すごい剣幕で李人が声を上げるが、宮城大佐は見向きもしない。


「湊も災難だな。こんな奴がクラスメイトで。そもそもなぜ軍高に?お前の両親は普通の職についているだろ?わざわざ軍人になる必要はないだろ」


「調べたんですか」


ニヤリと宮城大佐は笑みを浮かべる。大佐の立場を持ってすれば、湊のプライベートなどスケスケだ。


「息子の友達一号だからな。父親としてはきになるだろう?」


一理あるが、少し過剰な気がする。


「そうですね。まあ、特に理由はありません。強いていうなら、一番安定した職業だと思ったからです。ご存知の通り、うちは裕福な方ではないですし、軍高に入れば授業料もかからない。三年間給料も出るし」


それは湊の本心だ。昔、本土にまだ人が住んでいた時代は、自衛隊という防衛機関があり、その大学に入ると学生は一自衛隊員とみなされ、毎月給料が支給されていた。軍高もその名残を引き継いでいて、決して高くはないが給料が入るのだ。


「だが、卒業すればお前もどこかの部隊に派遣され、そこで簡単に死ぬかもしれないぞ?配属先は選べない。派遣された先に無能な上官がいれば、お前は簡単に切り捨てられ犬死するかもしれない」


嫌味なほどの笑顔を浮かべたまま。大佐は質問を続ける。


「軍人の家に生まれたものなら、どんな死でも軍人として死ねたことを誇りに思うだろうが、お前の家族は違うだろう。わざわざ死ななくてもいい場所で死に、その死体すら家族は目にすることができないかもしれない。それでもいいのか?」


「そうなったらそうなったです。別に家族に執着もないですから。自分の行動の責任は自分で取ります。死ぬかもしれない状況になれば、俺はそこで自分にできることをして死にます。まあ、死にたくはないですけど」


湊の言葉に、大佐は大声で笑いだした。びっくりした湊はもともと縮こまっていた体を、さらに縮こまらせた。


「失礼します」


そこにさっきのメイドが朝食を持ってやってきた。湯気の立つスープに、焼きたてのパン。ちょうどいい感じに仕上がった目玉焼きの横には、安っぽくない分厚いベーコンが乗っている。上流階級の匂いだ。李人はこんな朝食を毎日食べているのか。買い置きの食パンに、毎朝の付け合わせに悩む湊とは大違いだ。メイドが下がったところで、大佐が目玉焼きをお箸でつつきながら言った。


「お前は面白い奴だな。先のことはわからないが、李人のこと見捨てないでやってくれ。こいつは色々複雑でな。少しばかり厄介なことに巻き込まれつつあるんだが」


「おい!余計なことを言うなよ」


李人が宮城大佐の言葉をさえぎった。なんだかいつにも増して焦った顔をしている。


「李人、いずれはバレることだ。学校にも味方がいる方がいい」


「味方?そんなもの、僕には必要ない。それに今までそっちの都合に付き合ってきたんだ。これからも僕一人でなんとかする」


湊にはわからない話だが、真剣な顔の二人に部外者である湊は口を挟めない雰囲気だ。


「お前はそれでいいかもしれないが、俺はそれでは困るからな。お前に死なれては大損害だ」


「損害?代わりはいくらでも作れるでしょ」


ゴホン、と入口から咳払いが聞こえた。湊は驚くと同時に、怪しくなっていた雲行きから解放されてホッとした。


「大佐、それ以上は発言を控えていただきたい」


入り口を振り返ると、そこには白衣を着た男が立っていた。銀縁眼鏡をかけた長髪の男だ。見るからに神経質そうだ。


「桜庭、入るときはノックしろと言ってるだろ」


宮城大佐がそちらに目をやる。そこで李人との会話は中断された。湊はホッと胸をなでおろす。


「ノックはした。聞いていないそっちが悪い」


大佐に対してぞんざいに言葉を交わすその桜庭という男は、湊に視線を合わせもしない。なんだか愛想の悪い男だ。


「何か用か?」


桜庭の態度など気にもとめずに大佐が言う。


「定例会議だ。お前が忘れているのは若手いるから、わざわざ迎えに来てやったんだ」


「忘れているわけではないさ。ジジイどもの話を聞くのが面倒なだけさ」


「面倒でもお前は大佐だ!さっさと来い!」


はいはい、と宮城大佐は席を立った。部屋を出るときに大佐は改めて湊に言った。


「李人を頼むよ。それと、いつでもこの家に遊びに来ていいからな!俺はいないことの方が多いが」


ひらひらと片手を振り、桜庭とともに宮城大佐は去っていった。


「あいつの言うことは気にするな。いつもあんな調子だから」


李人がポツリと言う。湊はあっけにとられ、返す言葉も見つけられずに、謎の朝食会は終わった。

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