第三話
「……ん」
湊は後頭部に鈍い痛みを感じながら目を覚ました。目の前には白い天井が広がり、少し消毒液臭い空気と、パリッとしたシーツの硬さに顔をしかめる。そこへ、チャイムの音がした。ここは保健室なんだろう、湊は体育館でのことを思い出した。
「あら、大丈夫?」
白衣を着た清楚な黒髪の女が湊の顔を覗き込む。
「一年二組の黒葛湊くんね?」
「はい」
目をしばたたかせながら、身体を起こす湊。
「待って、急に動かない方がいいわ。もう少し横になってなさい。私は保険医の佐々木よ。李人の蹴り喰らったんでしょ?」
そう言って佐々木は微笑んだ。その優しい笑みに、湊は言われた通り横になる。
「李人、加減をしらないの。本当にごめんなさいね」
なぜ保険医が、李人のことを庇うのだろう。そんな疑問は、保健室の扉を開ける音にかき消された。
「ほら、さっさと入れ!!」
現れたのは担任の中島と、襟首を掴まれ、不機嫌そうな顔の東雲だ。
「まったく、たかが体育の授業で、本気出すヤツがあるか!?宮城さんに散々言われてきただろ?」
「……」
李人は険しい顔で、目を伏せている。湊と目が合わないようにしているようだ。それはまるで、いたずらが見付かってしまった子どものようだ。
「初日からこんなんじゃ、おまえもこの先厳しいんじゃないか?つか、おまえより宮城さんの立場が悪くなるかもな」
中島の言葉に、李人がパッと顔を上げる。心底焦ったような顔で、中島を見る。
「ふん、今のは冗談だ。だが、おまえがそんな態度なら、なんにしろ宮城さんは悲しむだろうな。それがイヤなら、ちゃんと黒葛に謝るんだな」
そういわれて、李人がバツの悪い顔で湊を見た。目が合った湊の方が、なんだか気まずい。
「…ごめんなさい」
意外にも素直に謝る李人に、湊は少しだけ驚いた。よほど宮城と言う人物が大切らしい。
「俺も調子に乗り過ぎた。これからもよろしく」
「うん」
湊の言葉に安心したのか、ホッとした顔で李人は頷いた。案外素直なヤツのようだ。
「李人、責任を持って家まで送ってやれ。宮城さんにはおれから連絡しとく」
「わかった」
中島が李人に湊の鞄を手渡した。
「え、授業は?」
湊がキョトンとした顔で疑問を口にする。
「今は放課後だ」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。それが本当なら半日寝ていたことになる。
「李人の蹴りを頭にくらって、半日寝込むだけで済んだんだ。幸運だと思った方がいいぞ」
「そうね。死ななかったんだからいい方ね」
なんだかゾッとする湊である。李人と二人きりで帰宅していいものだろうか。しかし、湊の思いとは裏腹に、李人が入り口で不機嫌な顔をして湊を見る。まるで速くしろと言われているようだ。
「なんかすみません。帰ります」
湊はベッドから下りると、佐々木と中島に一礼して李人の後を追った。
「東雲!」
さっさと先を行く李人に、湊が声を上げて呼び止める。かなり早歩きだが、李人は湊の家を知らないはずだ。
「なに?」
振り返る李人は相変わらず不機嫌そうだ。李人に追いついた湊が横に並んで歩き出した。
「ちょっとは俺にあわせろよ。一応怪我人なんだから」
「…ごめん」
卑怯な言い方はわかっていたが、思いのほか堪えたようで、李人は大人しく歩調を緩めた。案外素直なところがあるのは、なんとなく気付いていた。
「東雲はなんであんな先生たちと仲が良いんだ?」
横に並んでみたが、これといって話題がみつからず、さっきから気になっていたことを聞いてみた。
「宮城の知り合いで、小さい時から顔を見てる」
「その宮城って人は、どんなひとなんだ?」
興味本位の、ただ間をもたせるためだけの他愛も無い質問だったのだが、それに李人は思いのほか食いついた。
「宮城はすごいんだ。若くして軍の偉い立場について、この国を守ってる。他の軍のジジイどもに何を言われても、その信念は曲がること無くて、みんなから信頼されている」
キラキラした目を湊に向ける姿は、学校での姿とは大違いだ。
「おまえ、そうやって笑えば、クラスでも浮かないんじゃないか?」
「は、学校なんてくだらない。宮城に言われなければいかなかった」
そこで、湊はあることに思い至った。李人の話す宮城と言う人物に、既視感を覚えていたのだが、その正体に思い至ったのだ。
「もしかして、その宮城って宮城大佐のことか?」
宮城大佐は、若くしてカリスマ的人気を誇る軍人だ。齢三十にも満たないとメデイアは噂しているが、本当の年齢は非公開となっている。軍事手腕はもとよりそのルックスをもってして人気を誇る軍人で、今の日本に、その名を知らぬものはいない。
「そう。その宮城は、僕の親代わりだ」
湊は一瞬言葉を失った。それから、素直に、
「んじゃ俺に最初から勝ち目なんてないじゃん」
と思ったままを口に出していた。軍人の中の軍人が親代わりとは、さぞ厳しい訓練を受けて育っただろう。湊は単純にそう思ったのだ。
「ふん。おまえが思ってるほど、僕は宮城の世話になってないよ。宮城が親代わりになったのは高校進学のためだ」
余計に李人のことがわからなくなった。湊は顔をしかめて李人を見る。
「アンタにはまだ詳しく言えないが、僕は強くなるべくして産まれた兵器だ。だからあまり近付かない方がいいよ」
李人が立ち止まった先に、湊の家の玄関口が見えた。どうやら、話している間に家に着いたようだ。どうして李人が湊の家を知っているのか知らないが、そんなことよりも李人の話の方が気になった。だが、李人はこちらを見ることも無く、さっさとその場を離れていった。
次の日、湊が登校すると、すでに李人は自分の席にいて、例のごとく突っ伏したままピクリとも動かない。一応おはようと声をかけるも返事は無かった。
「はよ、湊!頭は大丈夫か?」
振り向いて朔夜が明るく声をかけてきた。
「ああ。まだちょっと痛いけど」
「そっか。それにしても、すごかったぜ、昨日の戦い!」
目を輝かせながら朔夜が語る。
「湊の逃げっぷりもそうだけどさ、東雲の動きマジかっこよかった!」
とうの湊は、逃げるのに必死過ぎて李人の動きなどまともに見ていない。ただ、一発でも喰らえば終わる、という確信だけがあった。
「クラスの奴らも、李人のこと見る目が変わっててさ。ほんと面白いよな」
言われてみれば、一部のクラスメイトが、バレないように時たま李人のことを盗み見ている。入学式から不真面目な李人を疎んじてきたが、それがとんだ強者だったのだ。内心穏やかではいられないのだろう。
「面白くないよ」
いつのまにか顔を上げた李人が、目を半眼にしてこっちを睨んでいた。よくもまあいつも不機嫌な顔ができるものだ。
「そんな顔してないで、これを機会に友達でも作ったらどうだ?」
朔夜がニヤリとしてみせる。完全におもしろがっている。
「ほら、手始めに廊下側の一番前の席の女の子なんかいいんじゃないか?顔も可愛いしさ」
湊と李人がそちらに目を向けると、あろうことか鋭い目つきでこちらを睨む彼女と目が合った。気まずくなって目を逸らす二人だが、相手は微動だにせずこちらを睨み続けている。
「……こわ」
言葉を発したのは意外にも李人だ。
「はは、東雲でも怖いと思うんだな」
「僕にだって怖いと言う感情はあるよ。恐怖を感じなければ、危機感を感じない。危機感を感じなければ、力を発揮できないし」
あっけにとられる朔夜に、李人はフンと鼻を鳴らす。
「平和ボケしてるんだね」
取りつく島も無い、そんな言い方だ。
「おーす。お前ら元気か?」
担任の中島が、気怠そうに教室に入ってきたのだ、湊たちは会話を中断した。
「よしよし、李人もちゃんといるな」
「ふん」
中島がニヤリと李人を見たので、李人は窓の外に視線を移してしまった。中島はそんな李人などお構いなしに、話をはじめる。
「今日は特別授業だ。急な予定変更だが、まあ、適当にやり過ごしてくれ。ホームルームが終わったら、各自体育館に集合すること。以上だ」
いつものように投げやりな話を終えると、中島はさっさと教室を出て行った。クラスメイトは不満も言わず、といっても表情には現しながら、それぞれ教室を出て行く。
「なんかよくわからんけど、今日も退屈しなさそうだな」
楽しそうな朔夜とともに教室を出る。その後を、李人も大人しく付いてくる。
体育館にはパイプ椅子がきっちりと並べられていた。まるで入学式のときのように、どこか厳かな雰囲気が漂っている。それは、壁際に並ぶ教師たちが、皆一様に緊張した面持ちで立っているからだろうか。この学校の最高責任者である校長までも、居心地の悪そうな顔をしている。
集まっているのは、この年入学した三クラス、計90人の生徒だ。広い体育館なので、一学年だけが集まるとガラんとして見える。
「えー、集まったところで、注意事項を伝えておく」
湊たちが席についたところで、校長がステージに立って話しはじめた。
「これから諸君には、あるお方の講演を聴いてもらう。その方は大層お忙しい身の上でありながら、是非にとこの講演を開くことに同意してくださった。そう言うわけで、くれぐれも粗相の無いように」
物々しいいいように、生徒たちはざわざわと音を立てる。余程の大物が来るのだろう。そんな空気の中でも、李人はいたっていつも通りで、うつらうつらしているのだろう、先ほどから小首をもたげている。それを横目に見ながら、湊と朔夜は頬を緩めた。だんだん東雲の通常運営ぶりに可愛げを感じてきたのだ。
「ごほん。それでは、ご本人に登場していただきましょう」
そういって校長が壇上を後にする。
その後に現れた人物を見て、体育館にどよめきが走った。
「えー、そんなかしこまらなくていいよ?今日は無礼講ってやつ?ただの人間として迎えて欲しいな、なんて、ははは」
柔和な笑顔と、誰もが見とれるようなルックスを惜しみも無く有効活用するその人物は、昨日李人が嬉しそうに話していた人物。この国を実質操っている、宮城誠司だった。
「今日はキミたちに話ができて、本当に嬉しいよ。この時間が、今後のキミたちの充実した訓練期間によい影響を与えることを心から願っている」
ここがコンサート会場ならば、間違いなく黄色い悲鳴が上がるような笑顔で、宮城大佐が笑顔を向ける。誰も声を上げないのは、ここが軍高と言う特殊な環境であるからだろう。
「これといって話すことはないんだけど。私はキミたちに多いに期待している」
そい言って始まった話は、湊の興味を十分に誘うものだった。
「今、この国が直面している問題は大きく二つ。一つ目は、外交問題だ」
約50年前に起こった事件の影響で、かつて国境と言う見えない線で守られていた見えない境界線は、今やなきに等しい。生き残ったどこの国も、あわよくばかつての国境を越え、資源調達に繰り出そうと隙を窺っている。本土にも外国からの侵入が後を絶たないことは、連日のニュースで皆把握している。そのため、元日本であった本土防衛のため、軍高の卒業生は最前線に配置されることが多い。兵役で参戦する兵士よりも、訓練や軍事教育を受けた軍高生の方が利用価値が大きいからだ。
「特に注意すべきは、アメリカが放つ機械兵器だ。アレには感情がない。よって単純に戦術の優劣が勝敗に影響する。まあ、機械よりも優れた状況判断ができれば用意に勝てる相手だ」
こともなげに言い放つ宮城大佐だが、それがどれほど難しいか、まだまだこれから訓練を受ける身である生徒たちでも知っている。だからこそ、こともなげに言って退けるこの大佐が、英雄扱いされているのだ。並の人間にはできっこない。
「二つ目は、本土を犯す闇だ」
それは今の日本でまことしやかに語られている、本土を徘徊する亡霊のことだ。その正体は、本土に残った日本人の生き残りが、独自の進化を遂げて生き残っているとされる、ただの噂話だ。正直、大人が酒の席で面白半分に語るような、絵空事だ。だが、宮城大佐はそれを絵空事とは思っていないようだ。
「彼らは我々のことを幾度となく妨げてきた。正直、今の端島の技術に対抗してきていることに驚きを隠せない。しかし、だからこそ、我々は本土に行かなくてはならないと、私は思っている。その技術は、この端島を守っていくために必要なものだからだ」
宮城大佐は体育館中を見回した。その場にいる誰もが、心を掴まれる瞳だ。湊や朔夜でさえも、無駄口を叩くことさえ許されない。そんな空気が、体育館中を満たす。
「ふう。俺がこんなに誠意をもって話をしているのに、一人だけ居眠りをしているヤツがいるな」
大佐の言葉に、会場がざわつく。この状況で居眠りとは、余程肝が据わっているヤツなのだろう。そう考えて、湊は内心いやな予感がした。
「李人!!おまえ、いつもそんな態度なのか?俺はおまえにそんな態度を取るようにしつけた覚えはないぞ」
マイクの拡声器をを通して聞こえた自分の名前に、さすがの李人も顔をあげる。
「ははは、おまえ、その顔で戦場に出る気か?だったらとんだ大ボケやろうだ。兵役出陣のヤツですら少なくとも仲間のためには、もう少しマシな顔をしているよ」
「!?宮城!!」
たった今気付きましたとばかりに、李人が大声を上げる。
「おまえもまだまだ甘っちょろいな。こういう場所でこそ、真面目に振る舞うべきだろう」
会場のほぼ全員が李人に顔を向けている。あの宮城大佐と懇意にしているヤツはどんなヤツなのだろうと、会場全体が興味津々だ。
「テメエが来ると知ってたら、僕はもう少しバレないように居眠りしてやったんだけど」
李人がぞんざいに腕組みをして言った。
「はは、随分な物言いだな」
そんなやり取りも、宮城が東雲の親代わりだと知っている湊はなんだか微笑ましく感じた。
「宮城、用が済んだなら帰れ」
李人の言葉に肩を竦めた宮城大佐は、こちらもぞんざいに腕組みをして返す。
「残念だが俺は仕事で来ている。まだ始まったばかりだ。お前もしっかり聞いとけよ」
宮城が人懐っこい笑顔でそう言うと、講演の話を再会した。この日本の現状や、軍の仕事など、湊にとっては面白い話だったのだが、李人は終止不機嫌そうに壇上を睨みつけていた。