第二話
入学式翌日からはさっそく通常授業が始まった。
高等教育はもちろんだが、軍高では対人戦術や各重火器の扱い方、戦術についての講義など多岐に渡った授業が設定されている。
「あー、今日から厳しい学校生活が始まるのかー」
湊が教室に入ると、すでに来ていた朔夜が憂鬱な顔で話しかけてきた。
「仕方ないことなんだけど、オレ、身内に軍人とかいないから、正直あんま乗り気じゃなかったんだよな」
「ハハ、俺もだよ。まあ、少しでも家計の足しになるなら、な」
湊と朔夜は、お互い同じような理由で軍校に進学したことはなんとなくわかっていた。それは、軍関係者からの推薦入学も多いこの学校で、身内に軍人がいないことから予想できる。湊や朔夜のように、普通科の高校ではなく軍校に一般入試で入学するものが少なからずいるのは、要するに家計が困窮しているからだ。軍校には授業料などの金銭がかからない。そればかりか、月幾らかの補償金が家族に入るのだ。
「まあ、卒業してしまえば、家族を養うくらいには稼げるからな」
「そこなんだよねー」
2人の会話が聞こえているクラスメイトは、厳しい目でこちらを睨んでいる。きっと彼らは、お国のためだなんだと、小さい時より言い聞かされてきた、根っからの軍人家庭に育ったのだろうと予想がつく。彼らにとっては、ただの一般人である湊と朔夜は相容れない存在なのだ。
2人が話している間に、朝のホームルームが始まるチャイムがなった。
ガラガラガラと、教室の扉を開けて中島が入ってくる。その後を中島に引き摺られるようにして、李人が連れられてきた。
「ったく、おまえはほんとにヤル気もクソもないな。なんでおれが学校まで連れてこにゃならねーんだよ……」
「ふああ」
悪態をつく担任とは対照的に、李人は大あくびをかます。
「おら、さっさと座れ!」
背中を押されて、よろめきながらも、李人は自分の席についた。そして、間髪入れずに机に突っ伏した。
「このッ!!」
中島が怒りと諦めが入り混じったような顔をするが、溜息をつくとホームルームを始めた。
ホームルームのあと、湊は中島に手招きされていることに気付く。怪訝に思いながら、教卓の側へ行く。
「おまえ、李人の面倒見てやってくれないか?席も近いし、おまえ、そういうの向いてそうだし」
向いてそうとはどういうことだろうと考えていると、沈黙を肯定と受け取ったのか、中島がさらに
「ちゃんと授業受けられるようにしてやってくれ、な?おまえの成績、それとなくあげといてやるから」
「は?」
どういうことかと、聞き返す間もなかった。頼んだ!と言って、中島は教室を出て行った。席に戻ると、隣の李人に目をやる。相変わらず机に突っ伏したまま微動だにしなかった。
軍校最初の授業は、国語だ。その次が数学。どちらも今までの復讐のようなつまらない内容だった。そして、三限目の現代社会。教室に入って来た老教師は、教科書も開かずに語り出した。
「君たちは知らないが、日本がこの軍艦島に移住したきっかけは、それは酷いものだった」
妙に惹きつけられる語り口の白髪の老教師は、すこし丸くなった背筋を震わせながら、教室を見渡した。誰もがその姿に視線を向ける。李人以外だが。
「わたしはそのとき、成人を目前にした大学生だった。毎日勉学に励み、将来に夢を見る若者だった。しかし、そんな日常は突然崩れ去ったのだ」
老教師が話しているのは、50年前に起こった大災害のことだとわかる。
その日、世界中で同時に起こった変化は、それまでの常識を一変し、世界人口は約10分の1に減ってしまった。
「その日は大学で講義を受け、帰路についたところだった。突然空が血のような赤色に染まってしまった。誰しもが空を見上げ、立ち止まった。そこに、アレは現れたのだ」
今、この世界を壊滅の危機に追い込もうとしている生物。幽鬼と呼ばれる、謎の生命体は50年前のその日、突然人間を襲い始めた。
「わたしたちは必死に逃げた。そして運良くこの島に渡ることができた。家族がどうなったかはわからない。諦めるほかなかったのだ」
老教師が突然話し始めた内容は、現代社会が今の状態に落ち着くに至るまでの、事実だった。教室中の空気が、戦慄したかのように静まり、クラスメイトたちは、目を見開いて老教師を見つめていた。湊も同じだ。今までも幾度となく聞いてきた話だが、それでも、何度聞いても信じることができない。
「今われわれは、この軍艦島に居を構え、国軍のお陰でこうして生きていられる。しかし、未だ外には幽鬼が蔓延り、われわれのこの島や、他国の生存圏を脅かしている」
だから、と老教師は続けた。
「国はこうして、軍人の駒を育てることに大金を費やしている。お前たちはその駒だ。せいぜい長生きできるように、よく学べ。そして強くなるのだ」
そこで三現目終了のチャイムが鳴った。思いのほか時間が経っていたことに気付いた。老教師は、教室に気不味い沈黙を残してそそくさと出て行ってしまった。
「なんだか嫌な教師だな…」
顔をしかめた朔夜が、湊の方を見て言った。
「確かに…」
湊は苦笑いで同意する。入学したばかりの湊たちには、重すぎる話だった。
そんな感慨の二人の横から、朝からずっと居眠りしている李人の、スースーと気持ちの良さそうな寝息が聞こえ、なんだか気が抜けてしまう。
「確か次って対人戦闘術だったよな」
朔夜が今までの陰気な空気を振り払うように、明るく言った。
「ああ、そろそろ着替えないとな」
周りを見ると、クラスメイトたちが更衣室へと移動を始めていた。
「李人!起きろ!」
「んー」
律儀に李人を起こしにかかる。が、まったく起きない。起きる気配すらない。
「おーい!起きろって!」
「湊、もう行こうぜ。正直面倒みてやる筋合いないし」
朔夜のしかめっ面に、多少流されそうになる。しかし、担任に頼まれたこともあって、放っておくのも気がひける。そんな優しい湊に、朔夜はため息をつく。
「悪い。先行っててくれ。俺はもう少し粘るよ」
「そっか…」
悪いなと言って、朔夜は教室を出て行く。規律が厳しい学校だから、そんな朔夜に文句は言えない。朔夜も、気を使う湊のことを考えて先に出ることにしたのだ。
「まいったな…」
もう一度李人の肩を揺さぶる。
「おーい、李人!マジで起きろよ!」
その時、パタっと軽い音がして、何かが湊の足元に落ちた。ん?と湊がそれに目を向ける。それは、厳しい黒い革の手帳のようなものだった。
「李人のか?」
揺さぶったことで、李人の制服のポケットから落ちたのだろうそれを、湊はそっと拾い上げる。二つ折りの掌ほどの大きさの手帳。表紙には金糸で日本国軍の桜の紋章が縫い付けてある。悪いと思いつつも気になる。何せこの手帳には見覚えがあったのだ。そう、紛れもなくそれは、日本国軍所属の人間だけに配布されるライセンスなのだから。本来なら、軍校を卒業して、配属が決まった者にだけ所持が許される身分証で、そこには所属部隊や階級が記される。
ようするに、学生が持っているわけがないのだ。まして、昨日軍校に入学したばかりの一年生が。
「……ダメだとわかってるけど」
そんな事を呟きながら、多少罪悪感を抱きつつ、しかし、居眠りしている方が悪い、なんて自分に言い訳もしながら。
湊は二つ折りの手帳を広げた。
「……これって……」
そして驚きに目を見開く。思わずそこに書いてある文字を凝視してしまった。
所属・日本国軍特務部隊"幽鬼"
階級・少佐
間違いなく李人の顔写真と名前が記載されている。
「マジかよ……」
気のない返事に、少しだけイライラが募る。そんな湊を尻目に、朔夜はさっさと教室を出て行く。しかも、出る間際に、湊にウインクなんてするもんだから、呆れて言葉を失ってしまった。
「行くぞ」
はあ、と溜息をついて、李人は大人しく席を立って歩き出した。溜息をつきたいのはこっちだと、湊は内心思った。
更衣室につくと、すでに他のクラスメイトはいなかった。二人は言葉を交わすこともなくそそくさと着替えを済ませると、体育館へ向かう。
「お前らで最後か」
チャイム前だと油断していた。そこにはきっちりと整列をするクラスメイトがいて、その前には竹刀を持った強面の教師が仁王立ちしていた。スキンヘッドで体格もゴツく、さらには顔中に傷跡がある。年齢はわからないが、その傷跡がさらに老けて見せているように感じた。
「すみません」
平謝りをする湊など気にも止めず、李人は欠伸をしながら列の最後尾に並ぶ。教師が舌打ちをすると、その瞬間授業開始のチャイムがなった。
「今日からお前たちは、日本を守る軍人と同列に扱われる!この先様々な作戦行動にあたるだろう。そのなかで、武器もなく仲間もいない状況に陥ることもあるだろう。そういった状況では、お前たち個人の能力が試される。武器や仲間に頼っていると死ぬ。そのため、これから行う訓練は、常に命がかかってると思え!」
体育館に響くような声で、教師が言い放った。顔中傷跡がある教師に言われると、どうも人ごとに思えなくなってくる。きっとこの教師も過去にいくつもの死線をくぐってきたのだろう。
「まずはお前たち個人の今の能力を見ておきたい。各自、隣の奴と二人組になれ」
湊は横を見て思わず顔を歪めた。最後に来たため、もちろん最後部は湊と李人だ。正直李人が真面目に授業を受けるとは思えない。これ以上巻き添えをくうのはごめんだ。
「よろしく」
「……」
とりあえず李人と向かい合う。心底面倒そうな目が、湊を見ている。
「よし!今組んでいる相手を、真剣に倒せ!負ければ死ぬと思ってな!武術や流派はなんでもいい。なぜなら戦場では、それぞれが得意としている戦い方で挑んでくるからだ。そして己の技を磨いているものが勝つ!よし、始め!!」
合図とともに、一斉に取っ組み合いが始まった。そこら中から気合いを入れる声や、身体と身体がぶつかりあう音がする。男女関係なく組まれた二人組だが、性別の差など関係なく、中には男子生徒を一瞬で叩きのめした女子生徒もいる。親が軍人で、幼い頃から鍛錬してきたのだろう。
「はあ、俺らもやんなきゃいけないんだよな」
湊の呟きが、李人にも聞こえたようだ。
「イヤなら負けてよ」
「なんで俺が負けなんだよ!?東雲が負けてくれればいいだろ?」
理不尽だと思って言い返す。それに、李人が嘲るような笑みを浮かべた。
「ふん。人が絡まれているのを、影からコソコソ見ているようなヤツに負けたくないね」
入学式の朝を思い出して、湊は顔を引き攣らせた。
「はは、そりゃそうだな」
「じゃ、そっちの負けでいいよね?」
李人のバカにするような言い方に、さすがに腹が立ってきた。
「やってみないとわかんないだろ!!」
そういって、湊は勢いを付けて李人に飛び掛かった。正直体術などこれっぽっちも心得ていないが、自分よりも小柄で、いつも怠そうな李人に負けるわけにはいかない。渾身の右拳が、李人の顔面を捉える……かに思えたが、そこにはすでに李人の姿はなかった。
「そんな大振りで直線的な攻撃、あたるわけないよね」
李人の声は、湊の下から聞こえた。とっさに踏みとどまって勢いを殺し、後ろへ倒れ込む。そのすぐ目の前を、李人の蹴りが通過する。あのまま進んでいれば、確実に顎を蹴り上げられて終わりだった。
「少しはいい反射神経してるんだね」
尻餅をついたところに、今度は左脇腹を狙った鋭い蹴りが襲ってくる。これもなんとか回避して、湊は必死に立上がった。
「東雲!おまえ、少しは手加減しろよ!!」
「これでも二割くらいしか出してないよ。そっちが弱すぎるんだ」
嫌みというより、呆れた声音に、湊は顔をしかめた。
「クソ、どう見たって弱そうなのに」
「……僕が弱そうだって?」
急に李人の雰囲気が変わった。少し前まで怠そうな表情をしていたはずが、無表情で、静かに湊を睨んでいる。
「どう見たって強そうには見えないだろ!!」
その言葉が、どうやら李人に火をつけたようだ。キッとこちらを睨みつけると、今度は李人から向かってきた。
「この僕が弱いわけないでしょ!!僕は、僕は誰よりも強くなければならないんだ!!」
李人がなにを言っているのかはわからないが、向かってくる李人が、目の前でさらに加速するのを見て、湊は必死に後退した。湊の頭があった位置を、李人の素早い回し蹴りが通過していく。これはさすがにヤバい。次々に繰り出される攻撃に、ひたすら避けまくる湊は、さすがに呼吸が荒くなってくる。そんな湊などお構いなしに、呼吸一つ乱さず、李人が攻撃を繰り出す。
「ヤバッ」
ドン、と背中が壁に当たる。いつの間にか体育館の隅に追いつめられていた。さらには、対戦を終えたクラスメイトが、やたらと逃げ回る湊と、意外な強さを見せる李人に注目している。朔夜などは、もう笑いを堪えるのに必死なようだ。あとで文句言ってやる、と湊は心に誓った。
「意外とすばしっこいんだね」
李人が険しい顔で湊を睨む。
「まあ、それだけが取り柄なんだけど」
昔から、逃げ足だけは速かったな、と人ごとのように思い出した。
「僕を弱そうって言ったこと、後悔させてやる」
「いや、謝るからもうやめろよ」
正直逃げるのも疲れてきた。負けてもいいから、終わりにして欲しいというのが本音だ。だが、そんな湊の気持ちなど通じるはずも無く。李人は真面目な顔で湊の方へ突っ込んできた。横っ飛びでもって回避するが、それは李人の予想道理の動きだったようだ。余程人間業とは思えないような体制で身を捻ると、なんと壁を横向きに数歩蹴り、その加速をもって渾身の蹴りを湊の後頭部へお見舞いする。鈍い衝撃を感じたすぐ後に、湊は意識が遠のき、自分が体育館の床に倒れるドサッと言う音を聞いたきがした。