出せない手紙。これを読むことの無い貴方へ。
これを読むことのないあなたへ。
それは敗北宣言だ。
自分は自分一人では生きていくことはできないという敗北宣言だ。
周り中に向かって自分が未熟だと喧伝して回る行為だ。証明だ。
たしかに、人は独りでは生きていけない。誰かに支えてもらわないと、一秒だって生き抜くことなんてできない。これは社会的動物として繁栄を享受したところの人類にとって避け得ぬ生物学的真理だ。だがそれは人類全体としての不可避であって、多様性の受容可能な個人においてはその真理は絶対ではない。そのはずだ。そうでないと、自立を目指して邁進した意味が、時間が、信念が、泡と消えてしまうじゃないか。
どうしてそんなことを言うんだ、どうしてそんなに嬉しそうなんだ。まるで、それが帰結とでもいうように、まるで、それが幸福だというように。
それじゃあ、あんまりじゃないか。
ああ、そうだ分かっている。僕はわかっている。人に支えられるということは、人を支えるということだ。一人で生きていくのではない、二人で、三人で、そしてそれ以上の大勢で生きていくということは、つまり、そのすべてを支えていくことでもあるんだ。共に生き、共に暮らし、その責任のすべてを、あるいは、一部を背負うことを覚悟したということだ。
僕は僕一人を支えるのに精いっぱいで、彼女は何人でも背負い支え慈しむ決心をした。
どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか、答えは明白だ。それは、もう、本当はわかっている。
ただただ僕は、それが、その相手が、自分でないことを、嘆いているだけなんだ。祝福の言葉の代わりに罵倒を投げ、「おめでとう」のかわりに「くだらない」と呟いて、そうして僕自身をただ守っているだけなんだ。
なんて、欺瞞だ。くだらない自己防衛を、言葉を弄して正当化しているだけだ。そのくせ、自分では何もかもわかっていて、それが欺瞞だとわかっていて、それでも叫ばずにいられなかった。欺瞞だと告白することもできなかった。
ああ、それでもなお、君の祝福はできない。謝罪の言葉一つでてきやしない。情けない、僕は。
ただ、君の決心に、その尊さに、眩しく目をそらすことしかできない。
お読みいただき、ありがとうございました。
願わくば、読み終わったあなたが、「君」ではありませんように。