第三回 黒田家と細川家、その不仲の原因
福岡の黒田家は嫌われ者である。
と、ファンが言うのもアレだが、兎角トラブルが多い家門である。
佐賀の鍋島、久留米の有馬、岡の中川、柳河の立花など。まあご近所トラブルは諸藩の常なのですけども。
さて、今回はその中でも有名な細川家とのトラブルをご紹介します。
黒田と細川の喧嘩。それは、国替えに関わるトラブルでした。
国替えがある年に収納した年貢は、後任の大名に引き継ぐものというのが当時の慣わしだったらしく、細川家も丹後を離れ中津に入る際に、その年に収納した年貢を百姓民に返納しました。
そして、中津に入り5万石の年貢を徴収しようとすると、百姓は目を丸くして
「え? もう黒田さんに差し上げました」
と。
「なんですと?」
そう、黒田家は慣例を守らず5万石を持ったまま筑前に入国したのです。
細川家は、早速使者を福岡に差し向けます。
※以下、子どもの喧嘩が始まります。
細川「返せ! このクソやろう!」
黒田「は? 関が原の折にあんたの家臣の飯をうちが食わせた代わりにもらったよ? 第一、筑前も小早川のアホが収納してどっかに行ったから、こっちも無いし! 小早川が返したら返すし!」
細川「知るか! 早く返せ! こちとらジリ貧なんじゃい!」
黒田「ローンでいいなら返すぜ」
細川「うるせえ、七光り! への字口!」
黒田「てかさ、俺って関が原で頑張っし、よくね?」
完全に黒田が悪い。ええ、黒田が悪い。10対0で黒田が悪いのです。
これには細川家も流石にブチ切れた。
「関門海峡を通る黒田藩船を全て差し押さえちゃる! 合戦じゃ!」
細川の怒りを知った山内一豊が、「こりゃあかん、戦になる」と、細川・黒田の両家と仲のいい片桐且元に相談。その後、徳川家に仲介させ、結局黒田が5万石のうち3万石を金銭等々で返納し、残りの2万石は山内・片桐が肩代わりしましたとさ。
しかし、その後も両家の仲は改善されず、細川が熊本に入部されるまで、福岡藩の仮想敵国は細川が治める小倉藩でした。
軍師官兵衛ならぬ、居直り詐欺師官兵衛と言うべきか。
何とも愚かしくも悪辣で、何処までも愛らしくある、我が福岡藩よ。