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第一回 なぜ福岡藩なのか?

挿絵(By みてみん)

 なぜ、福岡藩なのか?


答えは簡単です。

 故郷だから。これ以上の返答はありません。しかし、福岡藩(支藩含む)には幕末期に歴史好事を唸らせる2つのポイントがあります。


 それは、隠された功績と悲劇。


 隠された功績と悲劇は、歴史好事家の興味をそそるエッセンスです。

 では、福岡藩にはどんな功績と悲劇があったのか? 詳しくは今後の記事で紹介するとして、今回はサクッと行きます。


 まず功績ですが――


 長州周旋と征長軍解兵

 幕末に於ける福岡藩の藩是は「全国一和」。内戦を回避し近代化を図ろうというもので、第一次長州征伐に於いて、福岡藩は藩是に従い西郷隆盛と会談。長州を生かしておく利を説き、二人が共同して停戦に持ち込みました。


 薩長同盟の提唱

 よく薩長同盟というと坂本龍馬の名が出ますが、そのスタートは福岡藩が行いました。福岡藩主の黒田長溥は薩摩出身であり、福岡藩は長州藩の眷属たる岩国藩と昵懇の仲。そのルートから、長溥は長州藩に近しい勤王派(月形グループ&正義党)を使って、その運動をしていました(正確には、薩長それに筑前を加えた西国外様大連合ですが)。

 しかし、その運動は長溥自身が行った勤王派弾圧で頓挫します。その背景には君臣の間の齟齬があるのですが、この運動は中岡慎太郎に引き継がれ、画餅に終わらせず、江戸時代に終止符を打つ一手として実現しました。


 緒方春朔による種痘法の実用化

 久留米出身で秋月藩の医者である緒方春朔は、天然痘患者から採取した膿(痘痂)を使った人痘法を考案。エドワード・ジェンナーが考案した牛痘の膿を用いた牛痘法よりも6年早いと言われています。


 次に悲劇を述べますと――


 勤王党を粛清し、明治維新からの脱落を決定付けた乙丑の獄。

 乙丑の獄の責任としての佐幕党粛清。

 財政難を克服する為に大量に偽札を作り、廃藩と責任者の死罪処分を受けた偽札事件。

 徴兵令と部落解放に反対した未曽有の大混乱である筑前竹槍一揆。

 維新のバスに乗り遅れた者が死に場所を求めた福岡の乱。


 上記5件はコンボのように連続します(説明が長くなるので割愛)。


 以上の歴史好事をそそるポイントと地元がある故に、僕は福岡藩を愛してやまないのです。

 では、次回から福岡藩に関する事を書いていきたいと思います。何卒宜しくお願い致します。


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