【番外】何故、黒田家の銅像が福岡市に無いのか?
福岡市内には、黒田家の銅像が無い。
福岡市総合図書館に黒田孝高の胸像はあるが、それは申し訳ない程度だ。勿論、黒田長政もない。
かと言って、福岡市内に福岡藩関係の銅像がないわけでもない。
まず、母里但馬(太兵衛)の銅像は、博多駅と西公園に2か所ある。
同じく黒田家家臣で学者の貝原益軒が、金龍寺。幕末福岡藩の勤王志士・平野国臣が西公園。家臣筋として、野村望東尼(平尾山荘)、中野正剛(鳥飼八幡宮)、進藤一馬(福岡市美術館)、川上音二郎(川端商店街)。他にも、広田弘毅(福岡市美術館)・武谷廣(九州大学医学部)・井上吉左衛門(博多歴史館)・王貞治(王貞治ベースボールミュージアム)と続く。
それでいて、黒田家(福岡藩主)の銅像が無い。この理由を考えると、僕はある確信に辿り着いた。
それは、銅像設置に協力する有力者の方々が、黒田家を嫌いという事。
その理由は、今後語るであろう〔乙丑の獄〕にある。
舞台は幕末。事件の詳細は省くが、黒田長溥が筑前勤王党を根こそぎ粛清し、維新のバスに乗り遅れた。そこで死にきれなかった者が、福岡の乱を起こし、そして玄洋社結成に繋がっていくのだが、現在の福岡で歴史に興味があり、財力と発言力・行動力を持った有力者は、軒並み玄洋社が好きである。僕自身、先祖が玄洋社に関わりがあるので、その事を批判するつもりはない。しかし、玄洋社の思想的源流を持つ筑前勤王党を粛清した張本人が長溥で、そうしたオジサマの方々が、この粛清の原因を長溥の不明と、長政以来の親幕政治に見出しているから問題である。
僕が各所で長溥の話をすると、必ず一人はこうしたオジサマはいる。そして、つい最近も某所の歴史ガイドボランティアのオジサマに、「長溥は嫌い! 長政以来の徳川好きが悪い」と言われたばかりである。
小学六年から郷土史研究を初めて、二十年近く。数々の勉強会に於いて、積極的に孝高や長政を好きだというオジサマに会った記憶がない。むしろ、黒田家との距離を感じた事の方が多いぐらいだ。
そうした経験から、黒田家の銅像が出来るのは、まだ先と予想している。特に大河ドラマの時期に造られなかったのだから、もう可能性は低い。絶好のタイミングを逸したのだ。
それよりも、加藤司書像の復活と、頭山満や金子堅太郎が先になるかもしれない。或いは、博多華丸大吉か山本華世か。
最後に僕の希望は、黒田忠之・継高・長溥、三人の集合像である。個人的なオールスターですから。
でも、無理でしょう。福岡市民は歴史に疎く熱がありませんからね。