第九回 二代 黒田忠之③~改革者、その魂の孤独~
黒田忠之は、歴代藩主の中でも、とりわけ宗教を保護した殿様でした。
博多の東長寺、荒戸山の東照宮、姪浜の愛宕神社。そして、今回の舞台となる、糸島の桜井神社と、多くの寺社仏閣を建立しています。
忠之を批判する材料として、このような建立ラッシュは財政を苦しめたと言われます。確かに、それは否定できません。しかし、姪浜や糸島に建立する事で、地方に銭を落とし、雇用を創出した、公共事業の側面があるのではないか? と、常々思っております。
さて、ここからが本題。
今回は、桜井神社に伝わる伝承から、忠之が抱えた闇、改革者の孤独に触れたいと思います。
※現在の桜井神社。
※黒田の家紋である黒餅。
慶長十五年六月一日の事。
筑前では大変な暴風雨が起こり、その影響から桜井付近の山が崩れて大きな穴がぽっかり現れました。
桜井の住民がこの穴を不思議がっていたので、山伏が中に確認したところ岩戸(古墳)を発見。
「この岩戸はとても清浄である。よって不浄の者は入ってはならぬ」
と、この場所を奉らせました。
そんなある日、岩戸を毎日参拝していた浦新左衛門毎治の妻の夢に岩戸の神様が現れ、神懸りになります。
その日から浦新左衛門毎治の妻は五穀を断ち身体を清めると、彼女の予言はたちまち的中し、その神秘的な力から「浦姫様」と呼ばれるようになりました。
この評判は福岡まで伝わり、忠之は家臣の村上某を使者に送ります。
村上某は浦姫を「嘘っぱちだ」と侮っていましたが、浦姫が村上某の着物や刀の銘、忠之とのやり取りを見事言い当てるものですから、びっくり仰天。
この話を聞いた忠之は流石に敬服し、それ以降何かと浦姫相談するようになります。まさに神託政治のスタートです(笑)一説には、東照宮建立もお指図とか。
そして、その強い信仰心の表れか、伊勢神宮を真似た桜井大神宮、更にはこの岩戸宮を造営し、桜井神社を創建しました。
このような経緯で創建された桜井神社は、あの「黒田騒動」にも関わっています。
前回も触れましたが、忠之は父の長政から大藩を引き継ぎ、組織を戦国から泰平にシフトチェンジするという重責を背負わされました。この難問を忠之は有力家臣を取り潰し、新たな人材を登用するというブルドーザー改革で解決しようします。これには重臣達は猛反発し、黒田騒動という大事件が起きるのですが、これにも浦姫がアドバイスし、また神通力により江戸でのやり取りを透視して事なき事を得た、という言い伝えもあります。
よく言えば、軍師ですね。
こうした逸話が本当なのかどうか判りません。ただ「夢想」と名付けた忠之の俳句にその心情を垣間見る事が出来ます。
しるへにや
雀の千声
鶴の一声
この句の意味は
「私の道しるべには、家臣団がギャーギャー言うより、浦姫の一言が勝っている」
という感じのものです。
忠之の深い孤独と家臣団との軋轢、改革に次ぐ改革で頼るべきは信仰しかなかったと感じさせてくれますね。
※流麗な文字が、忠之の神経質さを感じさせます。
僕はこの話に触れる度に、改革者は何と孤独なのだろう、と忠之が抱えた孤独に想いを馳せます。
時代は下りますが、福岡藩の中期に改革を実施した黒田継高も、同じく糸島に大悲王院という寺院を建立しています。
改革者は、その孤独から宗教に縋ったのせしょうか。
追伸、桜井神社は凄く素晴らしい場所です。車が無いと辛いですが、お勧めですよ! 近くのベーグル屋も最高です!