星を集めて
もう終わりだな。
少し強い風でボサボサになる髪の毛を片手で押さえながら、冬馬は思う。
「あー、終わっちまった! ついに!」
隣で大きく伸びをするのは、同じ歳の憲。
「そうだな」
冬馬は呟いた。
振り向くと、校舎が見えた。白い壁の校舎。もう見ることはない。
小学6年生。今日、その学年を終えたばかりの二人は、とぼとぼと帰路についていた。
「……トシは、もう会えねぇな」
ぽつりと憲が言う。今ちょうどそのことを考えていた冬馬は、ふぅと息を吐いてから足元の石を蹴飛ばした。
「……3人組、解散だな」
「そうだな」
憲も、冬馬より一回り小さい石を見つけて蹴飛ばした。
冬馬、憲、そしてトシ。なぜかずっとクラスが一緒で、先生たちには『ガキ3人組』と呼ばれて呆れられていた。よく悪さをしては叱られ、校長室に呼び出しもくらった。放課後校舎全体の掃除なんて、1回や2回では済まないくらいした。
そんな『3人組』のトシが、遠い他県に引っ越すことになったのは、つい一ヶ月前のことだった。
「……トシは一人でも大丈夫かな」
「憲は心配性だな。あいつは一番バカだから大丈夫だって」
冬馬は石を思い切り蹴飛ばす。勢いよく飛んだ石は、一直線に公園の植木に突っ込んでいった。
「……俺、やっぱやだな。トシがいなきゃエンジョイ出来ねぇもん、中学生活」
憲はうつむいたままで言う。
俺だってやだよ、と冬馬も言いそうになる。ずっと一緒だったのに、急にいなくなるなんてあり得ない。
「俺らはこれからも中学一緒だけどよ」と憲が続ける。「トシは一人で知らないとこに行くんだぜ?」
「そんなことは分かってる」と冬馬は言い返す。「分かってるんだよ」
「じゃあどうすんだよ」
憲は泣き出しそうだ。もう中学生だというのに泣くな、と言いたくなるが、言えない。なぜなら冬馬も泣きそうだからだ。
「分からない」
冬馬は首を左右に振る。
「どうにもなんないだろ。明日の朝トシは行っちまうのに」
「うるさいな、分かってるよ」
嫌でも声が荒くなる。分かってることを何度も言われて、どうにも出来ないことを何度も言われて、冬馬は苛立っていた。
「じゃあトシが行くのを止めろって言うのかよ」
「そんなことは言ってねぇよ」
ほぼ泣き出しそうな声で憲は言う。
「ガキみたいなこと言うなよ。お前もう中学生だろ? 2年生みたいにびーびー言いやがって」
冬馬は舌打ちする。
「……分かってるって言ってるだろ」
分かってる。何回それを言っただろう。
でも、何を分かってるんだろう。何を分からないといけないのだろう。
冬馬はもう一度、分かってる、と口に出した。
「……トシが俺らのこと忘れたらどうすんだよ」
「トシはそんな奴じゃねぇよ」
言い返すのは速い。が、続く言葉が見つからず、冬馬は口を閉じた。トシが自分たちのことを忘れないということの根拠なんて、これっぽっちもないのだ。
「……あいつはバカだけど、楽しいことは忘れたりしねぇよ。遅刻ばっかするくせに、修学旅行は遅れなかったじゃないか」
あぁ、俺は何が言いたいんだろう、と冬馬は思う。多分憲よりもパニックになっている気がする。
「……修学旅行とは別だろ」
「とにかく、忘れたりしないよ」
絶対、と言った後で急に自信が無くなった冬馬は、多分、と付け足した。
「……星をプレゼントしよう」
は、と間抜けな声が出た。出たのは、それを聞いた憲ではなく、冬馬自信だったが。
「……何言ってんだ、お前」
ぽかんと口を開けた憲が、呆れたように問うてきた。
「……分かんねえ、分かんねえけど」
もう頭がごちゃごちゃで、何が言いたいのか分からない。
「星だよ。とにかく星なんだ」
何で、と聞かれて、冬馬の目がまた宙を泳ぐ。
「……ちゃんと考えてから口に出せよな、言葉をよ」
「うるさいな、とにかく星だよ」
冬馬は言う。
「星なら、どっからでも見れる。ここでも見れるし、北海道でも沖縄でも、アメリカでもブラジルでも、宇宙からでも見れる。だから星なんだよ」
「意味が分かんねぇよ」
冬馬は呆れる憲を睨みつけるようにして続けた。
「星なら、どれだけ離れてても俺たちを繋いでくれる。織姫と彦星だって一年に一度は結ばれるんだぜ」
「何が言いたいんだよ。急にロマンチックなこと言いやがって」
「とにかく星なら、俺らを繋いでおける。忘れようとしても、夜に空さえ見れば思い出す。それくらいインパクトのある思い出を、星で作るんだよ」
分かんね、と肩をすくめる憲。
「……で? どうすんだよ、星を」
憲の言葉に少し目をさまよわせた後、冬馬は手を叩いた。
「こうしようぜ。まず、トシを呼び出す。それから……」
耳打ちされた内容に、憲は目を丸くした。
「おい……マジか?」
「マジだよ。それならインパクトもある」
「インパクトありすぎだろ……バレたらやべーぞ」
「バカ。俺らはどんだけイタズラやってきたと思ってんだよ。『ガキ3人組』、最後のイタズラだよ」
夜。トシに電話をかけたのは憲だった。
「……急になんだよ。俺明日の準備あるんだけど」
「そう固いこと言うなって。行こーぜ」
「どこへ」
きょとんとするトシに、冬馬は笑いかけた。
「サイコーの思い出を作りに」
「え……ここ?」
「そう。ここ」
冬馬は得意げに鼻の下をこする。
「俺たちの思い出の場所といやー、ここだろ」
「いや、けどよ……」
戸惑うトシ。それもそうだろうと思う。
3人が立っているのは、夜中10時、とっくに門も閉まった小学校なのである。今日は卒業式ということもあって、教員は全員帰っているらしく、電気一つついていない。
「……ホラーじゃねぇんだから」
呆れるトシを前に、冬馬は、まぁまぁ、と背中を叩いた。
「俺たち最後のイタズラってことで。ノってくれるよな? トシ」
無言でうつむくトシを見ながら、憲はもうすでに閉まった門によじ登っている。
「お、おい憲……」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! 怒られるのは俺らだし。トシはその頃いないから」
「そういう問題じゃねぇよ! 明らかに犯罪だろーが!」
トシが慌てているのにも目を止めず、冬馬も門に足をかけた。
「ほら、こいよトシ! これで最後なんだからよ!」
門の向こうで憲が言う。冬馬も笑いかけた。
「こいよトシ。来ねぇならほってくぞ」
仕方なくというように手をかけたトシを引き上げて、冬馬とトシは同時に校内に入った。
「けどよ冬馬」
憲が前を歩きながら言う。
「校舎がっちり鍵かかってんぞ。どうすんだよ」
「バカだな、お前は」と冬馬は言い返す。「俺が何にも考えずにこれを思いついたとでも思ってんのか?」
「どういうことだよ」と食いついたのはトシだ。
「鍵を持ってんのかよ」
「そうじゃない」
冬馬はおおげさに、人差し指を顔の前で左右に振ってみせる。うわ、うっとおしい奴、という憲の言葉はあえて無視。
「窓を開ける」
冬馬の答えに、は? という顔をした2人。
「……どうやって?」
「え、もしかしてお前らやったことねぇの⁉︎ 俺結構窓の鍵、外から開けてるぞ? 家の鍵忘れた時とかに」
「外から窓の鍵って開けれんのかよ」
顔を見合わせる2人を見て、冬馬は苦笑した。
「まぁホントはやっちゃいけねぇんだろうけど。鍵ってさ、引っ掛ける方と引っ掛けられる方があるじゃん?」
ふむふむとついて来る憲を手招きして、冬馬は窓の前に立つ。
「まず、引っ掛ける方が付いてる窓を思いっきり上に持ち上げる」
がこ、という小さい音が鳴って、窓が持ち上がった。外れないように真上に上げ、そのまま静止する。
「んで、引っ掛けられる方が付いてる窓を、思いっきり叩く!」
ごん! と鈍い音がして、冬馬の手がガラスに打ち付けられる。
「そしたら開く」
上に持ち上げていた窓をはめ直し、引っ張ると窓は簡単に開いた。
「うぉぉっ、すげー!」
感嘆の声を上げるトシ。冬馬は窓から校舎内に入った。
「ここの窓は古いからさ。上に持ち上げやすいんだ。フツーの家だともっと大変なんだけど」
さっすが冬馬、と言いながら、憲も入る。トシは少しためらった後、恐る恐るというように入ってくる。
「で? こっからどうする? とりあえず校舎には入れたけど」
「バカトシ。ここまで来れば、することは決まってんだろ?」
冬馬は眉間にしわを寄せた。
「屋上に行く」
憲が冬馬の言いたいことを続けた。な、と言って冬馬の顔を覗きこむ。冬馬は大きくうなづいた。
「ここの屋上ってどうなってるか知らないだろ? トシ」
「あぁ、知らねえ」
けどよ、とまだ不安そうにトシは口を尖らせた。
「ここの屋上、立ち入り禁止の紐が貼ってあっただろ?」
「あぁ。そうだな。で、どうした?」
冬馬は振り返ってトシを見た。
「いや、どうしたって言われても……」
「ここまで来て帰るのかよ。もう先生はいねぇし、俺たちは明日から中学生だし、お前は引っ越してこの街にはいない。どこに心配する要素があるんだよ」
ぱんぱん! とトシの背中を叩いたのは憲だった。
「もう俺ら何にも怖くないくらいいたずらしてきたじゃん? これは、今までの総仕上げ。これで最後なんだし、ラストでっかいことしようぜ。なぁ?」
憲に言われ、トシはうつむいた。そして、しばらくすると顔を上げた。
「……オッケー。行こうぜ」
冬馬はにやりと笑って、階段を登り始めた。
立ち入り禁止の紐なんて、引きちぎった。
階段からスローモーションのように滑り落ちる、【立ち入り禁止】の段ボールのカードは、全く無力に見えた。
職員室の窓から入ってとってきた屋上への鍵。これさえあれば、どこへでも行ける気がした。
三人の悪ガキは、屋上の鍵を開けて、星空を見るために地面を蹴った。
まるでコマ送りのように、それは果てしない時間のように思えた。
「……きれー!!!!!!」
上を見上げて、思わず叫んだ。満天の星空だった。
「……晴れててよかったな。卒業式の間ちょっと雨降ってたから不安だったけど」
風に吹かれながら、冬馬は言った。憲は、すげえすげえと叫びながら、なぜかくるくる回っている。
「こんなにちゃんと星を見たことなかったよ」
トシが小さく呟いた。
「こんなにいっぱいあるなんて、知らなかった」
空を見たまま言うトシの目は、光っていた。
「……トシ、俺らのこと忘れんなよ」
冬馬も空を見上げたまま言う。
「俺らも忘れねぇし。……ってか、忘れたくても忘れられないよな、こんだけ長い間一緒にいたらさ」
ははっ、と笑う。ちょっと声が震えた。
「トシー、こっち月も見えるー」
憲のはしゃいだ声が、遠くから聞こえる。
まるで、静まり返った町中に響き渡っているような、そんな声だった。
「……忘れないよ、絶対。こんな壮大ないたずらしといて、忘れるわけないだろうが」
立ち入り禁止の、鍵のかかった夜の校舎に入るなんて滅多にないぞ、とトシが笑う。
もっと大きないたずらもあるだろう。だが、小学校を卒業したばかりの彼らにとっては、壮大ないたずらだった。
「星見りゃ思い出すだろ、こうしとけば」
冬馬はポケットに手を突っ込んで、もう一度空を見上げた。
流れ星が見えないかと探した。そんなにすぐに見つかるわけがないが、冬馬はそっと目をつぶった。
――これからも俺たちがずっと繋がっていられますように、と。
翌朝。トシの家は空っぽだった。人のいる気配も全くしないため、多分もう行ってしまったのだろうと思う。憲と一緒に、呼び出された学校へ向かいながら、冬馬はふうと息を吐き出した。
「……あーあ、どこでばれたんだろうなー」
憲が頭の上に両手を乗せたまま言う。
「絶対ばれないと思ったのに」
冬馬はぶっ、と吹き出した。
「お前覚えてねぇのかよ? 俺、外から鍵は外せるけど、外から鍵はかけれなかったじゃん」
「あー、そうだっけ?」
「あと、【立ち入り禁止】の紐、張るの忘れてたし」
「……そりゃばれるわ」
帰ってから気付いた、と冬馬が続けると、憲は呆れた顔をした。
「お前バカだな」
「トシよりはましだよ」
二人同時に吹き出した。
星を見る度、思い出す。
何も怖いものなんてないと思ったあの日を。
無敵になれた、あのたった一日を。
僕らは今でもずっと、繋がっている。
冬馬は少し暖かくなった風に、思い切り背伸びをした。
桜のつぼみは、もうふくらみはじめている。
ありがとうございました!
不法侵入は犯罪ですので、くれぐれも真似はしないでください(笑)
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