そうしつ8
ニシガタさんは、眠るときとても静かだ。息をしているのだろうかと不安になるほどに、静かに眠る。そのことを話してみると「眠るっていうのは、死ぬのと一緒だからね。静かなのが正しいのです」と小さく笑った。
わたしも、笑った。
まったくその通りだ。
眠りの延長に、死があるのは事実だし、死はとても静かな穏やかなものだ。わたしは、以前ニシガタさんと『死の島』の絵を見ながら話したことを思い出した。
考えが似すぎていると、愛情を通り越して憎しみに近くなる。出会うのがもっと早ければ。どうしようもできない現実を前に、打ちのめされそうになる。しかし、わたしが圭吾と一緒じゃなくても、ニシガタさんに出会うことができるのは、きっと既婚後なのだ。だって、人生って皮肉にできている。
「先日、圭吾とあのお店に行ったの。ワインも飲んだのよ」
ニシガタさんは、ふむ、とだけ小さく漏らした。
「それに、雨が降ってたの」
そういうと、ニシガタさんは「ダメだよ」と少し怖い声を出した。
「僕を試そうとしてもダメだよ。その話を聞いて、悲しい顔をしない僕を、褒めてほしいよ。ゆりさんは、もう泣きそうな顔をしているんだもん」
と、わたしの顔を両手で包んだ。
そう、わたしは泣きそうだった。圭吾との話を聞かせても仕方ないことはわかっている。
それでも、わたしと同じくらい、もしくはそれ以上に悲しむニシガタさんを見たかったのだった。
「傾倒してしまいそうです」そう呟くと、ニシガタさんは「それは困りましたね」と囁いた。
不倫はきっと、この重さのバランスが崩れたときに終わるのだ。
わたしは、そのことを直感で知っている。困らせれば困らせるほど、お互いに燃えて、燃え尽きるスピードが速くなる。
「あーぁ。行きつけのお店が一つなくなっちゃったじゃないか。新しく開拓しにいこうか」
そういうと、ベッドから滑り出し、わたしの両腕を引っ張り起こした。
「おいしいお酒のある店がいいです」
「福島の地酒が揃うお店があるらしいんだけど・・・・・・」
「それがいいです」
身体を起こしてみると、お腹が空いている事に気づいた。
「福島って、食べ物おいしいの?」
「さぁ」
ニシガタさんは、手を引いてバスルームにわたしを連れて行く。彼の脱ぎ捨てたシャツで身体を隠しながら、少し俯きながら付いてゆく。ニシガタさんの家のボディーソープは、ココナッツの香りがする。
その香りに包まれると、ますますお腹がすいて、そしてなぜだか、性欲が増す。恥ずかしい香りだと、小さく隠れて笑った。
「会津若松にあるんだよ。そのさざえ堂はさ」
ニシガタさんは、珍しく酔っていた。
日本酒とミネラルウォーターを立て続けに飲み、時おりニシンの山椒漬けを箸で抓んでは、少し持ちあげ、暫く考えた顔を見せては、お皿に戻した。
口に合わないのだろう。
お酒はいいのに、とふてくされる声を聞くたびに、わたしは口元に手を当てて笑い声を立てた。
まったくその通りだと思う。何を食べても、このお店のものは、特別おいしくはない。でも、ニシガタさんと一緒だと、なんでもおいしそうに見える。このしょっぱすぎるニシンでさえも。
「さざえの貝の中を歩いている感じなんだ。とても驚いたよ。だって、釘一本使わないんだ。それよりもまず、やっぱり設計図面を見て、感心したんだよ」
「設計士さんだから、余計に感動も大きかったんじゃないの? わたしのような素人でも、そのすごさはわかるのかしら」
左手で頬杖をつき、右手の指先でガラスのお猪口のふちを撫でながら尋ねると、「それはもう、圧倒的だよ。いつか一緒に行こうよ。一泊二日。日帰りはきついな。遠すぎる」少し興奮気味にそういってから「いつか、ね」と寂しそうに笑った。わたしも「きっと行きたいわね」と答えて、お酒を口に運んだ。
専業主婦に出張はない。しかし、圭吾が出張のときなら、というよこしまな考えが頭を過ぎる。
お互いに、考えていることが同じなのに気付いている。言葉もなく、お酒を飲み干した。沈黙が勿体ない。せっかく会えたときくらい、もっと声が聞きたいのに。焦るわたしは、少し酔った頭で、何か話題を探そうと努力する。
「ツイッター、やってる?」
「・・・・・・僕?やってるよ。興味ないんだけどさ、建築士仲間がやれってうるさくて」
「あれって、誰が誰をフォローしているか、見ればわかるのよね。アドレスさえ持っていれば、誰でもできるのよね」
「できるけど。興味あるの? 面倒だよ、あれは実際さ」
「興味、でてきたの。なんとなくね」
敦子、どんな名前でアカウントを取っているのだろうか。見ればわかるだろうか。圭吾とどんな会話をしているのだろうか。
ニシガタさんといながら、また圭吾のことを考えている。
ほんの少しの罪悪感と、ほんの少しの嫌悪感と、ほんの少しの愛情を交錯させながら、わたしは、140文字の呟きを想像する。
しばらく更新お休みます^^
また、来月にきっと。