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そうしつ  作者: 和泉あかね
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そうしつ6

圭吾と外食をするときには、いつも初めてのファーストフード店を思い出す。

思いのほか大きなハンバーガーは、デートしている相手の正面に座って食べるには恥ずかしすぎた。

まごついているわたしに、圭吾は映画のワンシーンを語り出した。

「あのさ、映画でさ。僕は映画が結構好きなんだ。でね、そのシーンでね、女の子が恥ずかしくてハンバーガーが食べられないの。今のユリさんみたいに」

わたしは、黙って圭吾の話に耳を傾けていた。

一面ガラス張りになっている店内から外を見ると、炎天下の中薄着で町を歩き回る人たちがせわしなく動いているのが見える。

「聞いてる?」

圭吾はわたしが窓の外を眺めていたのが不満だったのだろう。少し大きな声を出した。

「うん。その女の子はどうしたの?」

突然わたしのトレーからハンバーガーを取り出し、紙の包みから出さずに、両手でプレスした。

「こうしてね、彼氏が押しつぶしたの。こうして食べるものだよって……ほら」

わたしの前に差し出されたハンバーガーは少し変な形になっていたけれど、確かに大きく口を開かなくても食べられる。

「……ありがと」

あのころは、お互いにお金もなくて、左手の薬指には指輪もなかった。小さなダイヤの付いた誓いのリングがないころの方が、お互いに貞操を守っていたなんて、今思えば滑稽だ。

あのころは、何でも欲しいと思っていた。

指輪も、ネックレスも、ピアスも、圭吾から貰うものならなんでも身につけて、彼の好みの色に変わって、縛りつけてほしいと思っていた。

夏なのに、長いスカートも苦にならなかった。

それなのに、今はすべて投げ出したくなる。スカートの裾を切って、指輪をはずして、ついでに重たい腕時計をはずして。

しかし、すべてをはずした後、わたしはどうしたいのだろうか。

ニシガタさんのところがわたしの居場所だとは思えない。

圭吾の元もまた。

結局また、帰る場所が無くなっただけのことだ。

三界に帰る家なし。

意味は違えど、一度誰かの元に嫁いだ女は、その言葉通りになってしまう。

座っているのに、立ちくらみのような眩暈がする。

「顔色が、あまりよくないね」

圭吾が心配そうに覗きこんできた。

「そう? いいことを思い出してたんだけど」

「どんなこと?」

「初めて、ハンバーガーを一緒に食べたときのこと」

「すごいね。ユリは目の前にイタリアンのご馳走があるのに、ハンバーガーを思い出していたの?」

愉快そうに笑う圭吾の声に釣られて笑う。

わたしは、ワイングラスを傾ける。

たしか、あの時の紙コップに入っていたドリンクは味の薄いアイスティーで、小さなポーションのレモンリキッドを入れて飲んだ。

レモン果汁があんなふうに出てくるなんて知らなかったの、と驚いたら、その様子を圭吾は楽しげに見つめてくれた。

わたしは、そっとテーブルの下でスカートをまくしあげた。

膝上まであげると、少し濡れていた足に空気が触れて冷たい。その冷たさが心地よくて、わたしは陽気に酔えそうな予感がした。

「このお店、良く来るの?」

店を後にして、わたしと圭吾は駅に向かった。

幸い雨は上がり、月が顔を出していた。

わたしは、空を見上げたまま「時々ね」と答えた。

「いい店だね。雰囲気も味も。ユリの好きそうな店だ」

圭吾は傘を振りまわしながら「でも、一人で入るには寂しい店だね」と付け足した。

わたしは返事をしなかった。

ニシガタさんから連れてこられた店であることも、一人では入ったことがないことも、すべて隠さなくてはいけない。

でも、いつも一人できているのよ、という嘘をつくほどの元気もなかった。

疲れ果てていた。体も心も。


駅までの道すがら、何度もニシガタさんを思い出した。

彼はワインを嫌っていた。正確にはワインを愛する人を嫌っていた。

知ったかぶりが多いんだよ。

ワイン好きは信用できないな。

君は、ワインが好きなの? 今度美味しい日本酒を教えてあげるよ。

そう言いながらグラスを持ったニシガタさんの指先は優雅で、見とれてしまう。ついつい触れて、それでも足りなくて口に咥えてみたくなる。

ニシガタさんは、わたしが彼の指に欲情していることを熟知している。

それでいて、わざと長い指先をわたしの前に突き出して

「ぼーっとしている……バツ」と笑ってデコピンをする。

「君はきっと、僕を思い出すときは顔じゃなくて指だろ?」

パスタをフォークに絡めながら、不機嫌な声を出すニシガタさんは可愛い。

「そう。間違いなくね。顔を忘れても指は忘れないかも」

わたしはバケットを一口大にちぎって、バターをたっぷり載せて口に運んだ。

「ニシガタさんは? わたしの何を最後まで覚えててくれるの」

暫くわたしの顔を見つめて、ニシガタさんは「目、かな」と笑った。

「そう……」

「不満?」

「ううん。でも何の特徴もない目だからね」

わたしはついついまたバケットに手を伸ばしながらつぶやいた。

「特徴がない、という個性があるじゃない」

ニシガタさんは分かるような分からないようなことを言って、わたしの目じりに触れた。

「僕は一重だからね、二重の人が好きなの」

そう言われてニシガタさんの顔を改めてみると、確かに一重だった。

そんなことも気づいていなかったなんて、自分に呆れた。


公園口についた。当然午前中にチケットを買ったブースは閉まっていて、駅はひっそりとしていた。

「長い、一日だったな」

ホームのベンチに腰掛けて、圭吾はため息をついた。

「ねぇ、ツイッターやらないの?」

わたしは携帯電話を観るように圭吾にけしかけた。

「どうして?」

「だって、いつもはもっと頻繁にやっているのに。調子狂わない?」

それもそうだ、と呟いて圭吾は携帯電話を開いた。

ネットに接続したのを確認してから、わたしも鞄から携帯を取り出した。

メールの着信を確認する。

ニシガタさんから三通のメール。二件の着信。そっとメールを開く。

件名「無題」

「会いたい。連絡する」

件名「無題」

「電話に出てくれ」

件名「無題」

「ご主人と一緒なのかな。連絡待ってます」

最終の着信はホテルを出る直前のものだった。

携帯電話をマナーモードのままにして、震える指先で返信を打ち始めた。

隣では圭吾がツイッターで何か呟いている。

件名「Re 無題」

「会いたいわ。わたしも」

件名「Re 無題」

「声が聞きたいわ」

件名「Re 無題」

「そう。一緒で楽しいの。でも、あなたに会いたい」


最低だと思う。

わたしは、どうしてこんなに何もかもを欲しがってしまうのだろう。一つを大切にできない人間が二つを持つことは叶わないのに。

寂しいと可愛いはとても似ている。そう思っていつも恋愛小説は書いてみますが、結局出てくる人たちはみんなわがままなだけという感想をもらい、ちょっと反省しています。でも、まだこの作品では反省するまでに至らない未完の未完。

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