そうしつ4
避妊をしなくてもいいのは楽だと思う。
若いころは、盛り上がってきたところで「ちょっと待って」なんて避妊具を付けている彼の姿や、それを待っている自分の姿を想像するだけで、セックスは滑稽なものに感じたし、親への背徳のようなものを感じたものだった。
しかし、今は違う。盛り上がればいつでもいいわけで、年を重ねてからの方が、積極的になったのかもしれない。
ましてや、もう子供もできないであろうという諦めと安心感が、開放的にしてくれる。
圭吾は右手でわたしの髪を弄りながら目を閉じている。
今の相手は、若い子なのだろうか。それとも圭吾の好みからいえば、会話が楽しい人が好きだろうから年上かもしれない。
きっと、その相手とこのようにホテルに足を運んでは、こんな風に髪を触っているのだろう。きっと髪の長い人なのだろう。
ゴムを使って束ねるほどに。
わたしは、体の火照りが消えてからシャワーを浴びた。少しカビ臭い小さなバスルーム。清潔に掃除をしてあるのだろうが、どうしても浴槽に入りたいとは思えなかった。洗面所に置いてあったスポンジにボディーソープをたくさんつけて泡立てる。何の香りだか分からない、安っぽい石鹸の香り。熱いお湯で流しても、なかなかさっぱりしない。
いつまでも体にまとわりつく香りが、わたしを切なくさせる。
こんな香りを、圭吾は持ち帰ったことがあった。
きっと相手の女性は、一人家に帰った布団の中で、この香りを思い出の香りとして纏い、優しい眠りにつくのだろう。
わたしは、すぐにでも消してしまいたい。この安っぽい香りを二人で漂わせながら、夜の街を歩くなんて、耐えがたい。そんな衝動と、それでいながら、今の自分にふさわしいようにも思えるのだった。
圭吾の相手を勝手に模索していながら、わたしはベッドの中でニシガタさんを思っていたのだ。
どっちも、どっち。鼻から息が抜ける。失笑しているのだった。
そうだった。
ニシガタさんはそう言った。
「独身のニシガタさんはいいよ。だって不倫じゃないもの」
わたしは、彼の指先を触りながら、不機嫌な声を出した。
「わたしは、不倫だもん。知られたら、大変なんだから」
そう言いながら、指先を齧った。
ニシガタさんは大げさに痛がりながら、どっちも、どっち。と笑った。
「僕は独身だから、適当だとおもうの? 君が、これからダンナさんのいる家に帰って、日常生活を営むと言うのに、何とも思わないとでも?」
ニシガタさんは、目を閉じてため息をついた。
「僕に奥さんがいれば、それで満足? それで愛し合っていれば、フェアなの?」
わたしは、黙って指を齧る顎の力を抜いた。
「僕が一人でベッドで寝ている間、君は夫と愛し合っているかもしれない。その姿を想像して嫉妬に狂う僕と、不倫がばれたらどうしようと怯える君、どっちも、どっちだよ」
ニシガタさんはわたしを強く抱きながら、耳元で囁いた。
この腕以外、何もいらないと思えれば、わたしは幸せになれるのだろうか。
この指以外、何もいらないと思えれば、いいのに。
どこか冷めている自分の気持ちに蓋をしながら、わたしは身を任せている。
「君は欲張りだ」
ニシガタさんはうれしそうにそう言った。
わたしは、ほほ笑んで頷く。
欲しいものなど、何もないのに。わたしはむしろ与えたがっているのだ。有り余る感情を与えて、受け止めてくれる人を探しているのだ。
それが、ニシガタさんなのかどうかは、未だに分からない。
ただ、出会いが良かったのだとも思う。
圭吾と行ったあの美術館の、免震構造の覗き口。滅多に人がいないあの場所で、わたしとニシガタさんは触れ合った。
もしも、あの場所でなければ、わたしは今この腕の中にはいないだろう。
ニシガタさんもきっと同じだろうと思う。わたしと、普通に町中で出会っていれば、このような関係にはなっていない。
響きあった場所がよかった。
それだけのこと。
わたしは冷めた気持ちに蓋をして、ため息を漏らす。
ニシガタさんの汗がわたしの体に落ちる。
冷たい。
そう呟いてから、ため息を漏らす。
それから……
「そろそろ、出ようか」
いつまでも脱衣所でバスタオルを巻いて立ちすくんでいるわたしに、圭吾が声をかけてきた。
「お腹すいたよ」
「わたしも」
圭吾は軽く首筋にキスをしてから、浴室に入って行った。
そっとドアを開けて覗く。
「なに? 一緒に浴びる?」
圭吾は屈託なく笑う。まっすぐな視線につい、目をそらす。
「嫌よ。ただ、浴槽に入るのかなって思ったの」
「すぐに出るよ。服を着て待ってて」
圭吾はスポンジに、ピンク色のボディーソープを乗せた。
安っぽい香りが浴室に広がった。
そっとドアを閉めて、わたしは服を着た。
長いスカートに皺が寄っている。引っ張って伸ばしてみると、雨の香りがした。
話がなかなか動き出さなくてすいません。のろいんです。書き手も登場人物も^^