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剣の姉妹  作者: 著者
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生死苦到


 私はシャルロッテ。家名はない。

 アルファンド大陸を東西に走るアルゴット山脈の中央付近。織物の盛んな小さな村で生まれた。

 確か一人っ子で、両親に愛されて育った。と、思う。

 多分六歳の時だった。

 真っ赤に燃え上がる村。転がる村人達の死体。

 物陰にいた私の目の前で、首をはねられた両親。

 それが、唯一鮮明に覚えていること。

 殺したのは化け物だった。

 『人』の形をした化け物。

 焼け跡の灰みたいな無造作に伸びた髪。

 濁った沼に血を流し込んだような瞳。

 黒い外套に身を包み、闇を纏っていた。

 大人の三倍ほどある鉄の塊の剣を、細い包帯に包まれた右腕一本で振り回し、瞬く間に私の村を滅ぼした。

 化け物の名前はダウン。ダウン・フォール。

 破壊の化身。醜い化け物。

 私は化け物に、ナイフを持って飛び掛った。

 容易く蹴り飛ばされた私は、握り締めていたナイフで、自分の喉を突こうとした。

 どうせ死ぬなら、自分の手で。両親に会いに行こうと。

 ナイフは、化け物の左手に突き刺さって、私は死に損なった。

「……アタシを殺したいなら、アタシについて来い。アタシより強くなって、アタシを殺せ」

 化け物は、悲しい目で、私にそう言った。




「シャル、裏に回れ」

 小声でダウンに言われ、シャルロッテは小さく頷いて、小屋の裏手に回る。

 街から少し離れた森にある、今は使われていない廃屋。元は猟師が使っていた小屋だ。

 二人は依頼を受け、魔術系ギルドから様々な薬品や道具を盗み出した盗賊団を追い詰めていた。

 シャルロッテは裏の朽ちた木窓の隙間から中を覗き込んだ。静かに動く人影。気配からするに、二人。部下を捨てて逃げた、盗賊団の団長と副団長で間違いないだろう。

 シャルロッテは小さく息を吐いて、手にしていた長剣を握り直した。

「うわああっ!?」

「何だテメェっ!!」

 扉が破壊される音。悲鳴と激昂。何かが砕ける音。

 複数の足音がして、次の瞬間すぐ側の扉が開き、男が飛び出してきた。

「はい、残念」

「な、ぎ、ぎゃあああっ!!」

 シャルロッテの剣が閃く。一瞬で背後を取った彼女の一振りが、男の両足首の腱を断っていた。

 最近はダウンを含めて負けが続いていたシャルロッテだったが、剣士としても賞金稼ぎとしても世界屈指の実力者なのだ。盗賊に遅れを取ったりはしない。

「……ダウン?」

 しかし、そのシャルロッテよりさらに実力者であろうダウンが、いつまで経っても出てこない。

 シャルロッテは簡単に手当てをして縛り上げた男を地面に転がしたまま、音のしなくなった廃屋へと警戒しながら入っていく。

 あのダウンが、ただの盗賊如きに遅れを取るはずがない。ならば、何故。

「……っ!!」

 踏み込んだところで、息が詰まった。

 そこに、うつ伏せに倒れているダウンの姿があったからだ。

 シャルロッテは駆け寄りそうになるのを堪え、周囲を警戒しながら少しずつダウンへと歩み寄る。

「……ダウン」

 どうやら、中にはもう誰もいないようだ。剣を納め、深呼吸をして、恐る恐るダウンを身体に触れる。

「ん……つっ」

「ダウン……どうしたの?」

 触れた瞬間ダウンの身体が震え、彼女は頭を振りながら起き上がる。

「シャル……連中は?」

「一人は捕まえた。もう一人は見てない」

 まるで飲み過ぎた翌日の寝起きのような顔をしていたダウンだったが、やがてはっきりと目が開く。

「悪い。逃がした」

「逃がした?」

 盗賊団の規模といい、連れの男といい、とてもダウンが倒される程の相手だとは思えない。

「何があったのよ……怪我もしてないし……へんな魔術でも使われたの?」

「いや……何かビンを投げつけられて、剣で払ったら割れて中身を被った……もう乾いてるから、水とかじゃなさそうだ」

 ダウンは頭を押さえたまま、自分を見下ろしてそう言った。

「体調は?」

「頭が痛い。毒も薬も効きにくい身体なのに気絶するとは……即効性の猛毒でも浴びたのか」

「……水浴びするまで、近づかないでよね」

 ダウンの言葉に、シャルロッテは大きく後退って吐き捨てる。

「そんなに優しくされたら泣きそうだ」

 ダウンは眉根に力を入れながら、嘆息混じりにそう言った。

 それから二人は男を連れて街へと戻り、モルトに男を預け、今日のところは一度家に帰ることにした。

 薬や道具は逃げた団長の方が持ち去っていたらしい。翌日に再捜索することにしたのだ。

 ダウンの頭痛は続いていたが、食事もとっていたし風呂にも入っていたので、一まず様子を見ることにした。

 そして、朝。

 シャルロッテは目を覚まし、裏口の井戸で顔を洗うと、ダウンの部屋へと向かう。

「ダウン、調子はどう……っ!?」

 ダウンの部屋の扉を開けると、しかし彼女の姿はベッドになかった。途中居間も通っているが誰もいなかったし、もしも家の中で誰かが動いていればシャルロッテは目が覚める。

 部屋の中に荒らされた様子はないが、枕元にはダウンの右腕にいつも巻かれている包帯が無造作に置かれていた。

 シャルロッテはゆっくりと部屋に入り、シーツが床に落ちているベッドの方へと足を向け。

「……ふっ!」

「な、きゃっ!?」

 身構える暇もなく背中から床に叩きつけられ、首元に短剣を突き付けられた。

「おはようございます。いい朝ね?」

「……誰?」

 シャルロッテの顔を覗き込んでいるのは、見知らぬ少女。

 歳はシャルロッテよりもやや若く見える。白金の長い髪は奇跡の様に美しく、覗き込む瞳はどんな宝石よりも美しい紅玉。すっと通った鼻筋に、世界樹の花の蕾のような唇。

 どんな芸術家を連れてきても、この少女より美しい物は生み出せないであろう、美の結晶。

「名前、聞かせてくださる?」

「……まず、自分から名乗るのが礼儀じゃないの?」

 とはいえ、圧倒されていても仕方ない。シャルロッテはなんとか調子を取り戻そうと、鼻で笑ってそう言った。

「ふむ。それもそうね、失礼したわ。ヴァリアント皇国騎士団所属。そして勇者。ライズ・ハイヤードよ」

「……は?」

 その名前は、つい先日聞いたばかりだった。

 それは、ダウンの『勇者だった頃』の名前。

「さ、答えて。ここは何処。貴女は何者なの。どうやって連れてきたの?」

 あまりの衝撃に思考が停止してしまったシャルロッテに、凛と澄み切った、かつての勇者の声が降り注いだ。




「面白い味の紅茶ね。嫌いじゃないわ」

「それはよかったですわ、勇者様」

 どうにか我に返ったシャルロッテは、なんとかダウン……ライズに、敵意が無いことを伝え解放されると、今はキッチンのテーブルを挟んで二人でお茶を飲んでいた。

「これ、貴女がブレンドしたの?」

「あー……同居人が」

「そう。愛されてるわね」

 おどけた様に微笑むライズの言葉の意味はよく分からなかったが、取り合えず敵意はないようなので、シャルロッテは混乱する頭からどうにか言葉を捻り出す。

「ええと……まず、貴女はライズ・ハイヤードで間違いないのよね?」

「そうよ。証明はできないけれど、ライズがライズだってことは、まぁ、戦ったら分かるんじゃないかしら?」

「ああ、そういう嫌味ったらしい言い回しは、ダウンと一緒ね」

 クスクスと笑うライズに、シャルロッテは顔を歪めてため息をつく。

 確かに、先程組み伏せられたとき、シャルロッテは全く気配も悟れず、抵抗することもできなかったのだ。目の前の少女との力の差は歴然だ。

 ダウンが自分は全盛期の半分程度の力しかないと再三口にしていたことを思い出す。目の前の少女が本当に若き日のダウンだというのなら、それは紛れもない事実だった。

「そういえば、部屋でも言ってたわね。ダウンって誰なの?」

「あー……ダウン・フォールっていって、まぁ、私の同居人なんだけれど……聞き覚えない?」

 首を傾げるライズにシャルロッテは唸りながら尋ねる。

「ないわ。その人が、ライズに関係あるの?」

「……自分のこと名前で呼んでるの?」

 シャルロッテは思わず尋ねてしまう。

「なによ、悪い? ライズっていうのは、古代語で『上昇する』とか『誕生する』とか、すっごく良い言葉なのよ。両親がくれた素晴らしい名前だもの。素晴らしい人物になるために、自分にも言い聞かせてるのよ」

 ライズは誇らしげな笑顔でそう言うと、自慢げに鼻を鳴らす。

 高慢な印象を与える仕草だったが、目の前の少女がやるとなんとも似合っている。

「そう。ああ、改めて、私はシャルロッテ。家名はないわ。私の両親はダウンに殺されて、そのダウンに育てられたの。ダウンを殺すためにね」

「……ええと、その、複雑なのね。あー……お気の毒に」

 シャルロッテの言葉に、ライズは気まずそうに目を伏せてそう言った。見ている限りではそこに嘘やごまかしはなさそうだ。

「そう。で、なかなかダウンを殺せない私は、ダウンと一緒に賞金稼ぎをやってるの。周りからは『剣の姉妹』だなんて呼ばれてるわ」

「へぇ。そんな二つ名が付くくらいだから、ダウンっていう人も相当強いんでしょうね。貴女も結構強いし」

「ありがとう。で、昨日、私とダウンは二人の盗賊を追っていたの。魔法の道具なんかを盗んだね」

 シャルロッテの言葉に、ライズはカップを口に運びながら小さく頷いている。いかにもお嬢様といった、上品な仕草だ。

「一人は捕まえたけれど、一人は逃がした。ダウンが変な液体を浴びて倒れたの。怪我はなかったけれど調子が悪いって言ってたわ。それで昨日は家に帰ってさっさと寝たの」

「ふぅん。それで、ダウンさんは大丈夫だったの?」

 首を傾げるライズを真っ直ぐ見据え、シャルロッテは言葉を続けた。

「ええ。朝になったら元気になりすぎたのか、二十歳ほど若返って、私に襲い掛かったの」

「……え?」

 ライズが硬直する。

「ダウン・フォール。本名はライズ・ハイヤード。昔は聖女とか勇者とか言われていたけど、今は『堕落勇者』って呼ばれている賞金稼ぎ」

「冗談……よね?」

 恐る恐る尋ねてくるライズに、シャルロッテはゆっくりと首を横に振る。

「私だって冗談であって欲しいわよ。でも、貴女が着てる服はダウンがいつも寝るときに着てる服だし、貴女が外した包帯は、ダウンが絶対に外さない包帯。部屋にも家にも、誰かが出入りした形跡はないわ」

「ええと……そう、じゃあ、今は、新暦九七七年じゃないの?」

 包帯のない、綺麗な『人間の右手』の人差し指を立てて、ゆっくりとライズが尋ねる。

「ええ。今は九九八年よ」




「……それじゃ何か。あの絶世の美少女が、あのダウンの若い頃だっていうのか?」

 いつもの酒場。シャルロッテの説明を聞いたモルトは、少し奥のテーブルで、彼の恋人と話しているライズを見ながらそう言った。

「あのまま髪の艶をなくして短くして、目を濁らせて、二十歳くらい老けさせたら、ダウンになるんじゃない」

 シャルロッテは心底うんざりした表情で、自分では滅多に注文しないエールを飲みながら零した。

「まぁ、確かに面影があるな……時間は残酷だな。あのままで育ったら、とんでもない美女になったろうに」

「別に今でも、ちゃんとしてたら結構見れるじゃない」

 モルトの言葉を聞き、シャルロッテは思わず言い返す。

「シャルは……まぁ、いいか。で、どうするんだ?」

「どうしたらいいか分からないから連れてきたの。私もまだ混乱してて、全然考えがまとまらないし」

「ま、そうだろうな。取り合えず、ダウン……じゃない、ライズか。ライズに全部話してみて、自分の状況を把握してもらうか」

「そうね。二十年前の記憶で動かれたらどうなるか分からないし……でも、正直あんまり聞かせたくないわね」

 目線の先のまだ幼さの残る少女に、自分がこれから先どんな地獄を味わうのか。そしてどうなってしまうのか。それを告げるのは酷でしかないだろう。

 ダウンはシャルロッテにとっては仇だが、『ライズ』にはなんの恨みもない。

「俺が話すか?」

「ううん。私が話すよ。モルトは悪いけれど、昨日逃がした盗賊の情報を集めてくれない? それと、盗まれた道具なんかの詳細。ダウンが何されたのか解れば、手の打ち用もあるだろうし」

「ああ、わかった」

 モルトにそう頼むと、シャルロッテは木杯を片手にライズの所へ足を向けた。

「ピアス。ライズに話があるの」

「そう……飲み物は?」

「エールおかわり。ライズは?」

「あ、ライズにはミルクをお願いします」

 二人がけのテーブル。シャルロッテはピアスに席を替わってもらい、ライズと向き合う。

「ライズちゃん、可愛いわね。ダウンもこれくらい愛想良くてもいいのに」

 去り際のピアスの言葉に背筋が凍りつく。ダウンが上品に微笑みながら自分のことを名前呼びするのを思い浮かべてしまったのだ。

「ピアスさんにダウンさんのこと聞きましたけれど、ライズは素敵な大人には成れなかったんですね」

「あ、いや……確かに良くはないけど、人助けとかもするし、魔物狩りなんかもしてるし、そこまで悪いってわけじゃないのよ?」

 ライズが悲しそうに笑うのを見て、シャルロッテは慌ててそう言った。何故ダウンを庇っているのだろうと心中では自問していたが。

「でも、貴女の両親を殺したのでしょう?」

「それは……そうだけれど」

 ライズに真っ直ぐに見据えられ、シャルロッテは言葉に詰まる。

 ライズの澄み切った瞳に見られると、心の中まで見られている気分になり、どうにも落ち着かない。これが聖女なのかと、シャルロッテは戦慄した。

「何で、ライズは、そんなことをしたのかしら?」

「ダウンは答えなかった。色んな人から聞いた話だと、誰が魔族で何体いるかも分からない状況だったから、村を火で囲んで逃げ場をなくしてから全員を殺したみたい」

「あら……それは酷いわね。貴女が恨むのも当然だわ」

「……」

 ライズは悲しげに瞳を伏せて、そう言った。

「はい、おまたせ」

「ありがとうございます」

「……ありがと」

 そこに飲み物が届く。ライズは微笑みながらそれを受け取り、そしてシャルロッテを見据えて口を開く。

「さ、それじゃあシャルロッテ。ライズに何があって『ダウン』になったのか、全部聞かせて?」

 その声、その表情は力強く、シャルロッテにその申し出を断ることはできそうになかった。




 話し終えたのは夕刻。二人は一度家に帰ることにして酒場を出た。

 モルトには何か情報が入り次第連絡を送るように頼んである。

 今は薄暗くなった大通りを、二人並んで歩いていた。

「そうか。結局ライズは勇者でも聖女でもなくなって、国も追い出されて、両親も死んで、お酒ばっかり飲みながら、たくさんの命を奪って、自分の殺した相手の娘に自分を殺すように言って育てて、その子と賞金稼ぎをしながら暮らしてるのね」

「……ま、まぁ、そうね」

 ダウンについて聞いたことの要点を列挙しながら歩くライズに、シャルロッテは戸惑いながら頷く。

「もう、完全に人格破綻者なのねー」

「……」

 そう言われると返す言葉もない。

 しばらく二人は黙って歩く。買い物帰りに仕事帰り。スリに引ったくりに強盗。脇道で殴り合い。走る馬車から蹴り落とされる御者。いつも通りの光景だった。

「よし。取り合えず、帰ったらご飯食べて、ちょっと手合わせしよう」

「え?」

 突然のライズの言葉に、シャルロッテは間抜けな声を上げる。

「その薬かなにかを浴びたせいか、身体に違和感あるの。ちょっと慣らしておかないと、何があるかわからないし」

「え、いや、それはいいけど」

 自分の未来を聞かされて、何も思わなかったのだろうか。シャルロッテは隣を歩くシャルロッテを見るが、特に変わった様子はない。

「なによ。ライズが自分の未来に絶望して、落ち込んでないと駄目なの?」

 心を見透かされ、シャルロッテの足が止まる。

 背も縮んで今はシャルロッテよりも少し低いライズが、シャルロッテの顔を見上げる。

「確かにライズの未来は最悪よ。思い描いていた未来とは似ても似つかない未来だわ。シャルロッテにも申し訳ないことをしてる。謝ったって許されることではないわ」

 語る瞳は悲しげだったが、そこに絶望の色はない。

「でも、それはもうどうしようもない。仕方ない。少なくともライズにできることなんて何もない。じゃあ、そのことで思い悩むのは、悪いことではないけれど、何にもならないわ」

「……じゃあ、私の両親が死んだのも、仕方がないの?」

 ふっと、シャルロッテの口から、そんな言葉が零れ落ちた。

「ええ。そうよ」

「っ!!」

 ライズに言い切られて、シャルロッテは思わずその胸倉を掴みあげる。

「仕方がないっていうのは、妥協ではないわ。諦めでもない。どうしようもないっていう選択肢よ。どうしようもないのなら、出来ることをすべきだわ。どうしようもないことに囚われてそこで立ち止まっていたら、それこそただの絶望よ」

 ライズは怯まない。意思の強い瞳でシャルロッテを見据え、意志の強い言葉をぶつける。

「シャルロッテ。貴女は絶望を知っている。その原因がライズで憎むのも分かる。でも、貴女は立ち止まらなかったからここにいるのでしょう?絶望と憎しみの中でも、何かを見つけたから、そんなに綺麗な瞳をしているのでしょう?」

「……」

 シャルロッテには答えられない。

「さ、帰りましょう。皆にも見られてる」

 はっとしてシャルロッテが手を離す。通りの真ん中でそんなことをしていれば、それは人目を引く。

「……お酒飲んでてよかったわ」

 そう呟いて早足に歩き出す後ろを、小走りにライズがついてくる。

「あれって、そんなに美味しいの? ライズは嫌いなんだけどなぁ」

 その言葉を聞いて、シャルロッテは思わず吹き出した。




 もう十二年も前。それと、それから。

 ダウンに連れて行かれた酒場で、モルトとピアスに初めて会った。

 私は酒場の酷い臭いに吐いてしまった。いまでもその事でからかわれる。恥ずかしいけれど、実はそんなに嫌でもない。

 ヘーゼルが時々遊んでくれた。服も色々くれた。人をからかって遊ぶヘーゼルのことは苦手だけど、好きだ。

 ダウンには色々なことを教わった。

 読み書き。計算。薬草と毒草。剣の使い方。素手での戦い方。人や魔物の急所。生きていくため、戦うための方法。

 目をつぶらない訓練と動けなくなるまで殴られて、私の子供の歯は全部折られてから生え変わった。

 剣の訓練で、あちこちの骨を折られた。

 死に掛けたことも一度や二度じゃない。

 殺そうとする度半殺しにされた。だから、そのうち決闘だけにした。

 ……動けない時、病気になった時。

 ダウンは、つきっきりで看病してくれた。

 時々服とか本とか、子供向けの玩具とか、黙って私の部屋に置いていた。

 変な男に襲われたときも、すぐに助けに来た。

 私の誕生日には、何も言わないけれど、私の好きな料理を作った。

 ダウンの料理は、悔しいけれど、とても美味しかった。

 賞金稼ぎの仕事をするようになって、剣と鎧をあつらえてくれた。

 高額の賞金首を仕留めた時は、初めて褒めてくれた。

 料理の作り方とか、食材の選び方とか、お酒の飲み方とか、剣の手入れの仕方とか。

 全部。全部。全部。ダウンが私に。

 ……だから、私はダウンを殺さないといけない。

 それが、私の生きる意味だから。

 それが、ダウンの望みだから。

 復讐と、恩返し。

 ダウンが、そう、目的の魔族を殺したら、私がダウンを殺す。

 それが、ダウンと私の『夢』なのだから。

 だから、それまで、ダウンは誰にも殺させない。

 私が、ダウンを護るのだ。




 手合わせは、十回中十回、シャルロッテの負けで終わった。

「うん。やっぱりライズの剣はこれよね」

「……」

 家の庭。踏み固められた草木も生えない地面の上。

 数箇所に置かれた角灯の明かりに浮かぶのは、ダウンの巨大な剣の中から抜かれた白金の剣を手に、息一つ上がることなく上機嫌に身体を揺らしているライズと、地面に四つんばいになり、尋常じゃない汗を滴らせ、喋ることもままならないシャルロッテの姿だった。

「いくら腕の魔力を抑えてるって言っても、あんな鉄板を使うなんて、ダウンさん……未来のライズは怪力なのねー」

 口元に手をやって可愛らしく微笑むライズを、シャルロッテは半眼で見ていた。

 手加減されていた。

 いや、つまり肩慣らしの意味の手合わせだったのだ。

 しかし、殺気がないだけで、シャルロッテは十全に本気で剣を振るっていたのだ。

「あれね、シャルロッテはもう少し基本を身体に馴染ませないといけないわ。踏み出したら、踏み込まないといけないっていうのは、ただの思い込みよ。折角速く動けてるのに、ここぞという一振りは、必ず身体が止まってる。歩く感覚で剣が振れないと、どんなに速く動けたって『ただの素振り』と同じよ?」

「……」

 確かに、シャルロッテの斬撃はことごとくライズの剣に弾かれた。弾かれ、受け流され、跳ね飛ばされ。

 シャルロッテの癖を知っているダウンでさえ、今のシャルロッテの攻撃は受け止めることしかできないはずなのだ。それを初見のライズは、右腕一本であしらってしまった。

 それは、いったいどれ程の技量の差なのか。

「それに、踏み出しと踏み込みの足がいつも一緒だから、動きが単調。あと、剣は使いこなせてるんだから、突きも組み込むようにした方がいいわ」

「……はい」

 なんだか泣きそうになった。

 ダウンが若返っているとはいえ、相手の少女はまだ十四歳だ。四つも下の少女にここまでやられてしまうなんて。

 正直、シャルロッテは自分のことを強いと思っていたし、それは周囲の人々も認めていることだった。相手が全盛期のダウンで、聖女で、勇者だったとしても、それなり以上に闘えるつもりでいたのだ。

「結局、剣術とか剣技とか言うけれど、相手を倒せればいいの。一歩前にいる相手を倒すんだったら、ライズは剣より果物ナイフを選ぶわ」

「……はい」

 というか、ちょっと泣いていた。

「でも凄いわ、シャルロッテ。ライズとこれだけ戦えるのって、騎士団長くらいだもの。頑張ってね」

 そこには嫌味も驕りも何もなく。聖女の言葉と微笑みはどこまでも純真無垢で、それ故シャルロッテの心を抉る。

 ライズはひとしきり話し終えたらしく、剣を片手に井戸の方へと向かっていた。家の裏口のすぐ側。庭の隅にある井戸。東部では珍しい程に澄んだ水が沸くその井戸の水は、そのまま飲んでも問題がない。

 ちなみに、井戸のすぐ横の壁についている鉄の管に水を流し込むと、浴槽に水が流れ込む仕組みになっている。この辺りには入浴の習慣があまりないらしいが、ダウンは風呂好きなので、こんなものまで作っていた。

「はぁ……」

 ようやく呼吸を整えたシャルロッテも井戸へと向かう。井戸の脇の大きな桶に水をはり、ライズが顔を洗っていた。

「ここって、本当に大陸東部なの? 森林地帯の面影もないじゃない」

「白銀の魔王が崩壊させたからね。精霊が存在しにくいみたい。荒野と砂漠と死骸でできてるのよ、今のこの地方は」

「ふーん……ライズには無理だったのね」

 シャルロッテの言葉にライズは顔の水滴を腕で拭って、どこか悲しげな口調でつぶやいた。

「あのさ、ライズ」

「ん?」

 ふと、シャルロッテが問う。

「ライズは、どうして今が二十年後だって信じられたの? 私が騙してて、ライズを誘拐して何かに利用しようとしてるだけかもしれないって、少しも思わなかった?」

 そう、ライズは自分の状況を理解するのが早かった。早すぎた。

 シャルロッテの言葉も、モルトやピアスの言葉も簡単に信じ、自分が本当の時代に生きていないことも、簡単に受け入れてしまったのだ。もしシャルロッテが同じ状況になれば、まず全てを疑っただろう。

「別に思わないわよ。だって、これが本当でも嘘でも、ライズには関係ないもの」

「……自分のことなのに?」

 軽く笑うライズにシャルロッテがいぶかしむ。

「そもそも、そんな嘘をつく必要なんてないでしょ。理由がないもの。それに、ライズに話すみんな、本当のことしか言ってないわ。それくらい、目を見たらわかる」

 だから、疑う必要なんてないの。

 ライズはそう言って笑った。

「……なんでそんなに強いの」

 シャルロッテはそうこぼした。目の前の少女には、疑うとか迷うとか、そういった負の感情がまるで感じられない。強い意志と強い意思。自分を信じているという強さがある。

「それ、友達にも言われた。でもさ、ライズがライズを信じてないのって、ライズを信じてくれている人に失礼じゃない? そうしたら、ライズは強く生きてないと。強いと信じることに理由はいらないわ。だって強いんだもの」

 ライズの言葉は茫洋としていて理解しきれなかったが、その真っ直ぐな気持ちは伝わってきた。シャルロッテはなんだか馬鹿馬鹿しくなって、思わず笑ってしまう。

 目の前の少女はきっと、シャルロッテがここのところ抱えている多くの悩みなど、全部『仕方ない』で片付けてしまうのだろう。悩んでも仕方ない。出来ることをやればいい。

「何で笑うの。変なこと言った?」

「ううん。違う。ごめんごめん」

 笑ったら身体が軽くなり、シャルロッテの笑いは止まらなくなってしまった。それをライズが怪訝な顔で見ている。

「お、楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ」

 そこに、モルトが現れた。家の外側から直接庭にやってきたモルトは、軽く手を上げ二人のところへ歩み寄る。

「駄目ですよ、モルトさん。女の子には秘密が多いので」

「おや、ライズちゃんは連れないね」

「……なにだらしない顔してんのよ。初孫喜ぶ爺さんじゃあるまいし」

 ライズに向けて目尻を下げるモルトを見て、シャルロッテが半眼で呟く。

「爺さんてお前……はぁ、盗まれた物の一覧表だ。その中に、それらしいのが一つあったぜ」

 モルトはため息一つ、懐から取り出した紙の束を振ってみせる。

「おお、さっすが。仕事が早いわね」

「どーも。で、多分こいつだ。実験薬。『存在を消す薬』」

「存在を……」

「消す?」

 なにやら仰々しい名称に、ライズとシャルロッテ顔をしかめる。

「いや、そんなに危険ってわけでもないんだ。一時的に対象の存在を消して、危険を回避するものらしい。例えば火事になるだろ。逃げ場がない。そんな時にこれを使うことで、火事が収まるまでの間消え隠れると」

 モルトの説明に二人が頷く。確かにそうすれば危険を回避することが出来るだろう。ただ、失敗すれば取り返しがつかないことになるのは明白だったが。

「でも、それでどうしてダウンが若返るの?」

 どうにも合点がいかずシャルロッテは首を傾げる。

「その辺は推測なんだが……つまり、ダウン・フォールとしてのライズの存在が消えたから、本来のライズだけが残ったんじゃねぇか」

 モルトがそう言うと、ライズは大きく頷いた。

「なるほど。確かに今のライズには、ダウンさんに繋がりそうな記憶は一切ないわ。つまり、概念としての存在を消す薬なのね」

「ああ、若返ったんじゃなくて、『ダウン』の部分だけが消えたって……じゃあ、ほっとけばその内戻るの?」

 そうでなければただの殺人薬品でしかない。

「いや、この状況が既に本来の効果とかけ離れているし、そもそも、一滴でいいところを一瓶かぶったんだろう?」

 シャルロッテの問いかけに、モルトはなんとも言えない顔をする。

「一応、一日で効果は消えるはずなんだが……実験段階だしな」

「そんな……」

 シャルロッテは言葉を失う。つまり、最悪ダウンはずっとこのままということになる。モルトもそれを考えているのか、苦い顔をして黙っていた。

「うーん、いや、多分大丈夫だと思うわ」

 そう言ったのはライズだった。モルトが手にしていた紙を覗き込み、小さく頷いている。

「ど、どういうこと」

「つまり、ライズのこの状態は『魔術効果』なんでしょう? だったら、無効化しちゃえばいいだけ……ほら」

 そう言ってライズは、モルトの手の中の紙の一箇所を指差す。

「『魔術無効化の粉末』っていうのがあるわ。これで無効化できるんじゃないかしら?」

 確かに一覧の中にその名前がある。シャルロッテとモルトは顔を見合わせた。

「確かに、試してみるしかなさそうね」

「てことは、結局盗賊を捕まえる依頼に戻るってことだな」

「……にしても、二十年で魔術関係も随分発展してるのね。『透明化薬』に『竜族束縛縄』。『魔獣変化薬』に『惚れ薬』って……何考えてこんなの研究してるのかしら」

 盗賊を確保するため話し合い始めたモルトとシャルロッテの横で、ライズは紙の束を眺めながらそんなことを呟いていた。




 昨日逃がしたばかりの盗賊だ。もちろんそれ程遠くまで逃げているとは思っていなかった。

 大陸東部は歩いて旅をするには街や村も少なく危険も多い。少なくとも馬などの移動手段が必要だった。

 昨日シャルロッテ達が踏み込んだ小屋の周囲には馬車等はなく、盗賊に協力者でもいなければ、逃亡ではなく潜伏を選ぶだろう。

「でも、同じ街の中にいるていうのも、凄い度胸よね」

「まぁ、この街には不審者が多いから、身を隠すのには丁度良いわ」

 街の北西部。街道や大通りから離れれば、そこはほぼ無人になる。

 住人は南部を中心に中央に近いところに住んでいるし、旅人が宿をとるならば、なおの事街道沿いの宿を選ぶのが、この街で無事に過ごせる最低限だからだ。

 だから、こんな街の外れには、普通に死体が転がっている。

「……ねぇシャルロッテ。どうしてこの街は、二十歩おきに死体が転がってるの?」

「まぁ、昔からこんな街よ。六歳から住んでるけれど、最近はこれでも落ち着いてきてるくらい」

 角灯を手に陰鬱な表情で尋ねてくるライズに、シャルロッテは肩をすくめてみせた。

 恐らく死体は旅人か何かで、追い剥ぎにでもやられたのだろう。この辺りは人がいないので、死体の捨て場所にされることが多いのだ。あまり目立つとギルド等に目を付けられるという、彼らなりの対処法なのだ。

「どうして、皇国はこんな無法地帯を放置してるのかしら」

 勇者で騎士団所属のライズにこの街の状況は不満な様で、口を尖らせて拗ねたような顔をしている。

「東部は自治都市がいくつかあるだけで、正直領地にしても得られるものがないからじゃないかしら。実質東部を支配してるのは裏の世界の三つのギルドで、その力はそうとう強いからね。下手に手を出せないんでしょ」

「でもなー……」

 シャルロッテの言葉に一応頷いて見せたライズだったが、納得はできないようだ。シャルロッテの隣をつまらなさそうに歩いている。

 件の盗賊らしき男は朝方街に入り、街の入り口近くの酒場で酒と食料を買い込み、その後北西部の廃屋街に入っていったのが、ヘーゼルの部下に目撃されていた。モルトの情報網はかなり広く、この街に出入りした人間は殆ど把握されているのだ。

「さ、そろそろよ。準備はいい?」

「ええ。完璧」

 尋ねるシャルロッテに、ライズは角灯の火を消しながら答えた。

 今のライズはダウンの服ではない。

 ダウンより一回以上は小柄なライズは、仕方なくシャルロッテの昔の服を着ている。白い綿の上下と革の胸当て。ワイバーンの皮膜を織り込んである白っぽいマント。どれもシャルロッテが着られなくなったもので、何となく取っておいた物だった。腰には『ライズの剣』が鞘に納められて携えられている。

 二人は足音を消して歩き、やがて一つの朽ちた家屋の前で息を潜める。二人とも気配を感じたのだ。

「……一人ね」

「友達がいないんでしょ」

 唇の動きだけで会話して、二人は各々獲物を構えて家に近づいていく。

 シャルロッテはライズに家の正面の入り口を見張らせ、家の周囲を音もなく見て回る。一階建ての平屋で、見た目よりも痛んでいない。石材と木材に上等なものが使われているのだろう。表面は朽ちているが、建物が傾いていたりはしない。

 窓には全て板が打ち付けられていて、裏手は庭になっている。土の状態がよかったのか、一面雑草に覆われていた。裏口もなく、正面の入り口以外に人が出入りできそうな箇所はなかった。

 ライズの元まで戻ってきたシャルロッテは小さく頷くと、扉の取っ手に手をかけ、施錠されているのを確認する。

 開錠もできなくはないが時間がかかってしまう。扉を蹴り開けようとライズを少し後ろに下げ、足を振り上げた。

「ギャアアアアアアア!!」

「え?」

 突然扉が爆ぜ散り、シャルロッテに向かって黒い塊が襲い掛かる。

「シャルロッテ!!」

「つ……っ!!」

 塊に弾き飛ばされたシャルロッテは、空中で身を翻して着地する。木片で頬を切っていたらしく血が伝ってはいるが深手は負っていない。

「ギイイアアアアアアアア!!」

「シャルロッテ。この巨大狼人間が、追っかけてた盗賊なの?」

「そんなわけないでしょっ、普通の男だった!」

 ライズが角灯に再び火を点すと、二足歩行の獣の姿が浮かび上がる。

 筋骨隆々で見上げるほど巨大。真紅の瞳。全身が黒い体毛で覆われ、その中から鋭い爪と牙がのぞいている。

「じゃあ……っと、この獣は飼い犬か何か?」

 獣の爪をかわしながら、ライズが尋ねてくる。

「こんな飼い主を喰いそうなの、どうやって飼うのよ……ん?」

 シャルロッテが剣を構えながらそう返すと、ふと爪先に硬い感触があたった。

 目だけでそれを確認する。散らばった木片と一緒に、割れた硝子の破片。その一つに紙の断片が張り付いている。

『魔獣変化薬』

 そう、読み取れた。

「ライズー」

「ん、何かわかったー?」

 魔獣の爪を剣で弾きながら、ライズが軽い調子で応じる。

「多分、これ、盗賊本人だわ」

「あらら。じゃあ、取り合えず動けなくなってもらおう」

 ライズの言葉に呼応するように、ライズの剣が純白に輝きだした。




「はっ!!」

 ライズの剣が鋼のような鈍い輝きを持つ獣の毛皮を切り裂き、胸から出血する。その血の色は深い紫。

「うわっ、何これ気持ち悪い」

 ライズは反射的に跳び下がり、咆哮する獣から距離を取る。

「盗んだ魔薬を自分に使ったみたい。魔獣になるってやつ」

「それにしても、効果ありすぎじゃない? 普通の人狼の倍以上はありそう」

 シャルロッテはライズと並び、胸を押さえて唸る獣の様子を窺う。

「あ……多分ダウンの時と一緒なんだ。一滴でいいのよ、きっと」

「あー、一瓶浴びちゃったんだって、何あれっ!?」

 シャルロッテの言葉に頷いていたライズが、叫ぶ。

 獣の胸の傷が急激に塞がり、しかも、その体躯がさらに巨大になっていく。

「超再生……シルバードラゴンみたい」

「来るっ! ライズ、右側任せた!」

 獣は一際大きな咆哮を上げると、二人へと、その巨体からは考えられない速度で襲い掛かる。

「っああああああああ!!」

「はぁ!!」

 それと交差するように二条の閃き。

「グギャアアアアアアア!!」

 獣の絶叫と、重い物の落下音。

 シャルロッテの剣が獣の右腕を。ライズの剣が左腕を、それぞれ肩口から切り落としていた。

「さっすが! やっぱり凄いじゃないシャルロッテ!」

「そっちこそ!」

 獣は飛び掛った勢いのまま通り向かいの建物に突撃し、上半身を瓦礫に飲み込まれていた。

「でも、やっぱりおかしいわよシャルロッテ。いくら強力な薬だったとしても、ドラゴン並の超再生に、獣人の運動能力。鋼鉄の強度の毛皮と爪。普通の研究じゃないわよ、これ」

「ええ……まるで新しい……っ」

 ライズの言葉に頷くシャルロッテの脳裏に、先日この街に現れた殺人鬼が思い浮かぶ。

 獣の様な真紅の瞳の、ダウンと『同類』の化け物。

 あれは片腕のみだったが、もしあれが、全身だったとしたら。

 それは、目の前の獣の様だったのではないだろうか。

「って……どうしようか、シャルロッテ」

 瓦礫の向こう。獣の身体が起き上がる。

「本当に……何の研究してたのよ、これは」

 獣の腕が、再生していた。

「ギャアアアアアアアア!!」

「次は三本だと思う?」

「四本かも」

 肩口から、左右二本ずつ。




「ギギャアアアアアアッ!!」

「ああもう! きりが無いっ!!」

 シャルロッテの剣が首を跳ね飛ばす。

「ライズの『聖剣』が効いてない……魔力や精霊力は関係ないのっ!?」

 ライズの剣が獣の脚を二本とも切断する。

「グウググググググググググガアガ!!」

 しかし獣の全身が震え、頭が二つ、脚が四本になって再生し、その体躯も既に家程の大きさにまでなっていた。

「ガアッ!!」

 獣の四本の腕が二人に襲い掛かる。二人は大きく跳んで距離をとるが、獣は地面を穿った勢いのまま、さらに二人に襲い掛かる。

「ああ、仕方ない!!」

 シャルロッテは壁を蹴って虚空へ舞い上がり獣の背後へと飛び越えると、身を捻りながら右腕二本を切断する。

「……だわよね!」

 ライズは正面から獣の爪をかいくぐり、そのまま左の腕を二本切り跳ばして獣の背後へと抜けた。

「……で」

「やっぱり」

 獣の咆哮。獣は既に元の形は失っている。

 腕が八本、脚が四本、尾が二本、頭部が二つ。

 それはもう、伝説の中でも見つけられないような、異形。

「これ、全身を一気に粉々にしない限り、倒せないんじゃない?」

「ライズもそう思う。街の一区画ごと吹き飛ばすくらいじゃないと、効果なさそうね」

 二人とも大きく息を吐いた。息は上がっていない。この程度で体力が尽きるような鍛え方はしていない。

 していない、が。

「このままだと、朝までに街がなくなるわよね、きっと」

「ええ。これって、大陸の危機よね、多分」

 前方で、獣がゆっくりと、背後の二人へと向き直る。

「一人は足止め。一人は救援を呼びに行く」

「……それしかないわよね」

 シャルロッテの提案に、ライズが苦笑混じりに獣の前に進み出る。

「ライズ……」

「シャルロッテの方が走るの速いでしょう? それにライズなら、これの四倍くらいまでの大きさなら、封殺できるわ」

「わかった。おねが……っ」

 と、シャルロッテはあることに思い当たる。

「ライズ! すぐに戻るから、どうにかこいつの動きを封じておいて!」

「え、ちょ、ちょっと、シャルロッテ!?」

 シャルロッテはライズの返事も待たずに、その場所へと駆け出す。

 剣を鞘に納め、鞘に巻いてあった細長い布を解くと、転がっていた手ごろな木片を拾ってそれに巻きつける。

 背後では破壊音が響いている。それを聞きながら、シャルロッテは扉の砕け散った、盗賊がいた家の中へと飛び込んだ。

 あの獣が本当に盗賊が魔薬を浴びた姿なのだとしたら。

 シャルロッテは手にしていた簡易松明に火石で火を点けると、室内を見回す。部屋の隅に散乱している瓶や缶。小袋等を見つけて飛びついた。

 あれが、『魔術効果』なのだとすれば。

「……あった!!」

 見つけたそれを握り締め、床を壁を蹴って外へと飛び出す。

「ライズ! 倒して!」

「……了解っ!!」

 戻って見れば、獣はさらに腕と首の数を増やしてはいたが、全ての足の甲を錆びた鉄の棒で貫かれ、もがいていた。その鉄の棒はどうやらライズが崩れた廃屋から見つけた物のようだった。

 その四本の脚に、ライズの剣が走る。

「グイアアアアアアア!!」

 獣の膝下が切断され、獣は仰向けに倒れる。

「……たっ!!」

 シャルロッテは松明を投げ捨てると一気に加速し、崩れた家屋の壁を蹴って高く飛び上がると、真下の獣に、革の袋の中身。黒い粉を振り掛けた。




「いやー……初めてカオスドラゴンと戦った時より辛かったわ」

「ほんと……賞金稼ぎの手には余るわ、これは」

 二人は、脚を切断されたまま気を失って倒れている盗賊を見下ろしながら呟いた。

 獣と化した際に服は破れたのだろう。男は全裸だった。脚の再生中だったのか、切断面は不気味に盛り上がり、出血はほとんどない。多少苦しそうだが呼吸はしている。

「やだなぁ、全裸の男抱えて帰るの」

「あ、ライズは盗まれたもの持って帰るね。さっきの戦いで足首痛めちゃったの」

「……さっき、普通に歩いてたわよね?」

 突然片足を引きずりながら、そそくさと家に向かって歩き出したライズに、シャルロッテは苦笑を漏らす。

「ま、いっか」

 そうこぼして、手の中の革袋に目をやる。『魔術無効化の粉末』だ。中身はまだ半分程残っていた。

 これで、ダウンが戻ってくる。

「……『ライズ』とは、お別れ」

 ライズが入っていった家へと目をやる。

 元に戻るだけなのだ。

 ライズが、元のダウンに戻る。それだけなのに。

 シャルロッテは、何故だろう。無性に寂しくなっていた。




「……っていうことよ。わかった?」

「ああ……昔の自分を知られるっていうのが、死ぬほど恥ずかしいってことはわかったよ」

 早朝。いつもの店。賞金稼ぎの集う酒場『錆びた庭』。

 夕刻には賑わう店内だが、今は静まり返っている。

 シャルロッテとダウンはカウンターに並んで座り、二人でミルクを飲んでいた。

「気分はどう?」

 額を片手で掴んで俯いているダウンにシャルロッテは声をかける。

「ああ、悪くない。頭痛と吐き気と倦怠感。酷い二日酔いみたいだ……服もきつくて、身体が引き締まるよ」

「なんだ、調子よさそうじゃない」

 まだ『ライズ』の時の服装のままのダウンが呻き、グラスの中身を飲み干す。シャルロッテは笑いながら、その空になったグラスにデカンタからミルクを注ぎ、手元の小瓶から酒を少し注いだ。

「いい飲み方だ。『大人の飲み方』が分かってきたじゃないか、シャル」

「でしょ。でもこの店の連中は『子供』ばっかりだから」

 顔を上げて力なく笑うダウンにシャルロッテは肩をすくめ、それから二人はグラスを合わせる。鈍く、甲高い音が店内に響いた。

「変な気分だ……十四の頃の記憶に、お前がいるよ」

「まさか、そんな風に覚えてるとは思わなかったわ」

 そう。店に戻ったシャルロッテとライズは、『ダウン』を戻そうとした。

 シャルロッテは躊躇したが、ライズは笑って、自分で『魔術無効化の粉』を浴び、言葉一つ残さずに『ダウン』に戻ったのだ。

「迷いは、命取りになる。ライズからの最後の忠告よ、シャルロッテ」

 それがダウンの第一声で、『ライズ』の最後の言葉だった。

 ダウンは、ライズだった時のことを覚えていた。

 いや、二十一年前。十四歳の頃の自分の記憶として持っていたのだ。

「まぁ、難しく考えるのはやめましょ。無事に仕事も終わって、問題ない」

「そうだな」

 二人はそれぞれグラスを口に運ぶ。

 モルトはいない。取り戻した道具と犯人の身柄を依頼人に引渡しにいったのだ。二人はその帰りを待つついでに、祝杯をあげている。

「その剣、『聖剣』なの?」

 シャルロッテが、ダウンの腰に下がったままの『ライズの剣』に目をやりながら尋ねる。

「……ああ。そうだ。アタシが生まれた時の産湯、へその緒、聖樹の若芽、精霊石をつけた水……とにかく『めでたい物』で清めた希少金属で出来てる。アタシにしか使えない剣で、アタシの意思に呼応して性質を変える剣だ」

「性質を、変える?」

 ダウンの言葉にシャルロッテが首を傾げる。

「殺したくなければ切れないし、不死者相手には浄化。竜の鱗を切り裂いて、魔族の魔力も断ち切る。聖女で勇者のための『聖剣』だよ」

 シャルロッテは思い出す。『化け物』のダウンが使っていた時は赤く光っていたし、ライズが手にしていた時は白く光っていた。あれは、持ち主に反応していたのだろう。

「『右腕』を使う時はこの剣を解放して、腕を制御してるんだ。それ以外はこの剣の力は封印してる。とにかく目立つ剣だからな」

 目立つというならば、普段の巨大な鉄板の剣の方が目立っているのだが、シャルロッテは眉を上げただけで、口にはしなかった。

「ところで、えーっと、さ」

「ん?」

 ダウンの話が終わったところで、シャルロッテが躊躇いがちに口を開く。

「その……お願いが、あるんだけど」

「なんだ……言ってみろ」

 上目遣いに、言い辛そうに。それは普段シャルロッテが見せない顔だったので、ダウンも少し身構える。

「色々考えた。最近、その、私達、苛立ってたでしょ?」

「ん……まぁ、そうだな」

 顔を突き合わせ、お互いに何度も頷きあう。

「私は……最近、ダウンを殺すことが、嫌になってた。ああ、誤解しないでよ? 憎いのは変わらないし、殺したい気持ちは、ちゃんとある」

「え、ああ、大丈夫だ。わかってる」

 二人の様子は、まるで親子や姉妹、あるいは恋人の気まずい打ち明け話のようで、しかし会話の内容は物騒で。なんとも奇妙な光景だった。

「あのね。いい? 言うわよ」

「あ、ああ」

 緊張で口が渇いているのか、シャルロッテはしきりに口を動かしている。つられてダウンも唾を飲み込む。

「ダウン。私を、育ててくれてありがとう」

「……な」

 真っ直ぐに目を見据え、包帯に巻かれた手を両手で握り、泣きそうな瞳で、真っ赤な顔で、シャルロッテはそう言った。

「そりゃ、普通の生活じゃないし、普通の女の子でもないわ。野蛮で、物騒で、ろくでもない。でも、私は一人前くらいにはなって、成人して、お酒も飲んでる。大人になったわ。なれたの」

 シャルロッテの手は震えていた。

「してくれたのよ。ダウンが」

「シャル……」

 ダウンの死んだ瞳が微かに揺らぐ。

「多分、あの村にいれば、私は潜んでいた魔族に殺されていた。遠からず、死んでいたはずよ。こうして生きていられるのは、間違いなくダウンのおかげ」

 夜明け。木窓の隙間から、薄い光が差し込んでくる。

「本当に感謝してる。この仕事だって、そんなに嫌いじゃないわ。悪いやつを倒して、誰かの役に立ってる。分かりやすくて、見返りも大きい」

 命には優しくないけれど。そう苦笑して。

「だから、ダウンは、仇だけど恩人で……だから、イライラしてた」

「……悪い」

 大きく息を吐き出したシャルロッテに、ダウンが目を伏せて呟く。

「謝らないでよ。お礼に謝られたら、どうしたらいいのよ」

 シャルロッテが笑う。

「ライズと話して、考えたの。どうしたいのか。どうなりたいのか。色々考えたわ……それで、結論」

 シャルロッテの頬を、涙が伝う。

「ダウンは……ちゃんと、私が殺すわ」

 その黄金の瞳から、涙がとめどなく溢れ出す。

「だから、お願い。その時まで……私が殺すまで、私のそばから、いなくならないで……お願い」

「シャル……シャルロッテ……」

 ダウンは、シャルロッテの肩を抱く。声を、身体を震わせて、『娘』が泣いている。

「だから……私も一緒に、ダウンの腕の魔族を捜す。一緒にやらせて。もっと強くなる。足手まといになんかならない……だから、お願い……っ」

「わかった……わかったよシャル。一緒にいよう。お前がアタシを殺すまで、一緒にいよう」

 ダウンも震えていた。目を閉じて、『愛娘』を抱きしめて。

「私が、ダウンを護る。何があっても、私が護る……っ!」

「ああ、アタシは死なない。約束する。その時まで、絶対に死んだりなんかしないからな……」

 二人はそうして、モルトの乗った馬車の音が聞こえるまで、そのまま抱き合って過ごした。




「なぁ、ヘーゼル。これをどう思う」

「わからない……わからないけれど、ダウン達にはまだ知らせないほうがいいでしょ」

 そこは執務室で、『色情王』ヘーゼルの私室の一つ。

 豪華なテーブルをソファが挟み、奥には見るからに高級な机。置かれている棚や調度品も全て立派なものばかりだ。

 その部屋の中央。ソファに向かい合って男女が座っている。

 賞金稼ぎの酒場『錆びた庭』の店主であるモルトと、この部屋の主であるヘーゼルだ。

 仕事上の付き合いも多い二人だったが、元々友人であり、ダウンやシャルロッテの共通の友人でもある。

「だがこれは、恐らく二人に関係がある。すぐに気付くかもしれんぞ」

「ええ……しばらくは、無関係な仕事をしててもらいましょう。ウチからも依頼を出すわ」

 そして、二人の事情を深く知る人物でもある。

「俺が依頼の報告に行った日の昼前には、関係者も施設も、全部灰になっていた……何の痕跡もなかったよ。それどころか、ギルド自体が『存在していない』ことになってやがった」

 モルトが苦々しく吐き捨てる。

「さっき調べさせたわ……こっちも駄目。少なくとも、この大陸に痕跡はないわ……だからこそ、当たりだと思う」

 ヘーゼルは艶やかな長い銀髪を揺らし、肩眉を上げた。

「ダウンと同じような『魔族の腕を移植した男』に、あり得ないほど強力な魔薬。この街だけじゃない。ラムズの事件からこっち、各地でおかしな事件が起きている」

「魔族か次期魔王か、どこかの国か組織か。とにかく情報を集めましょう」

「そうだな……しかし、友達の助けになるっていうのも、中々疲れるもんだ」

 モルトは自嘲気味に笑って、テーブルの上に置かれていたグラスに手を伸ばす。

「私達みたいなのに、そんなことが出来ることが幸運じゃない。喜ぶことよ」

 ヘーゼルは笑ってそう言い、自分もグラスを手に取る。

「そうだな……美しい友情に」

「それと、可愛い私達の『娘』に」

 二人はグラスの中身を一気に喉に流し込んだ。





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