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剣の姉妹  作者: 著者
3/5

無間抱擁


 消えた街。その場所もその一つだった。

 辛うじて生活の場であったという面影と、多くの無念の嘆きを残したままで廃墟と化したその街は、酷く濁った血の残滓という白粉で二十年以上も死化粧をしたままだ。

「早くっ!」

「わかってるっ!!」

 刻限は過ぎている。闇に包まれている。つまり、もう、駄目なのだ。

 旅装束というにはいささか武装が過ぎていた。男二人は各々軽鎧と小剣、山刀等で身を固め、何時の襲撃にでも備えられている。

「どこだっ!?」

「だ……駄目だ、わからねぇっ!!」

 巨大な体躯の男が叫び、中肉中背の男が叫び返す。

 理解はしているのだ。無駄な叫びだということは。

 何故なら、男達は昼過ぎに『七人』でこの街を訪れ、今は二人だけという事実を知っているからだ。五人は既にこの街の嘆きに取り込まれてしまった。

 月が陰る。もう光源はない。松明は落としてしまい、洋燈は砕けた。もう闇から身を護る術はなく、肌に薄く纏わりついている。

 男達が走り出して一刻、二刻、いや、さらに多くだろうか。それは二人にはもう分からない。ただひたすらに街道の方と思しき方向へ転がるように走っているだけだ。この街で手に入れた物も、それ以前の物も全てを失った。あるのは身に付けているものと、命。

「ぐっ、ぎゃああああああああああっ!!」

「セドリック!!」

 絶叫が闇を切り裂けぬまま飲み込まれた。巨漢の姿はもうない。声もない。息づかいもない。もう、無い。

「あ……あ、ああ」

 独りになった男は、止まった足を動かそうとした。しかし走り続けていた疲労と、独りになった恐怖と、得体の知れない何かに足をとられ、後退りするのが精一杯だ。もう、動かない。

「なんなんだ……何なんだよぉっ!!」

 こんな筈ではなかった。言葉に後悔が乗せられ闇に消える。肌に絡みつく闇は粘度を増し、今や男の毛穴から体内へと侵蝕している。体温は奪われ、呼吸が震える。腕も上がらない。もう、足も。

「あ、ああああああああああああ」

 悲鳴か嗚咽か、ただの息か。それはもう男の意思ではなく喉から漏れ出した音。男の視線は真っ直ぐ前方に向けられ、それ以外にはもう意識を向けていられないようだ。

 少女だった。

 この地方では珍しくもない、茶色の髪と瞳の少女。長い髪は乱れて身体に絡み、瞳は濁っていた。

 それに、腹部が大きく切り裂かれ、臓物が露出していた。

「あああああああああああああああ」

 少女が男に歩み寄る。一歩。また一歩。男は震えることしかできない。ただ、震えながら、歩み寄る少女を見ることしかできない。

 そして、まもなく少女の伸ばした腕が、男の首に触れ。

「あああああああ……ぎゃああああああっ!!」

 ようやく、断末魔の叫びが上がった。



 早朝、ダウン・フォールは自宅から通り二つの所にある食料品店にいた。

「……小麦が銀貨二十枚?」

「そうだよ。ディヴァイスト崩壊からこっち、高騰してしょーがねーんだ。これだけ仕入れただけでも奇跡だ」

 ダウンの言葉に、顔馴染みの中年店主は手を振って応えた。

「中央海の怪物騒ぎは治まったみてぇだから、もうちょっとしたら買い付けも楽になりそうなんだがな」

 肩を竦める店主にダウンは小さく息を吐き、腰の皮袋から銀貨を取り出して差し出した。

「毎度あり。しかし、ダウンもすっかり街に馴染んだな」

「この街に馴染むのは、喜んでいいことなのか?」

「そりゃそーだ」

 ダウンの言葉に店主は苦く笑った。

 アフィマ。通称『荒くれ者の国』。

 三つのギルドが支配する小さな街は、しかし実質自治都市群の中心であり、街中は混沌の吹き溜まりと表現しても温い。

 麻薬に売春、人身売買。各地の武具や禁呪の書物。通りには、食べ物と酒と血の匂いが混ざった独特の空気が立ちこめ、酒場にはそれを貪る者達が集う。

 ダウンもそういう中の一人。名うての賞金稼ぎの二人組である『剣の姉妹』の一人、『堕落勇者』の名で広く知られる存在だった。

 焼け跡の灰の様な無造作に伸びた髪。その隙間から覗く赤黒い瞳。普段は全身を黒い外套で覆っているが、今は麻の普段着だ。女性にしては長身で、細身だが引き締まった四肢。豊かな胸で女性だと判別できるが、顔だけ見ると老若はおろか男女の区別もつかないほどに、生気のない表情をしている。

「まぁ、こうやって冗談が言えるくらいに馴染んだってことだ。初めてお前を見たときは、正直殺されると思ったからな」

 笑う店主の言葉にはため息だけ返し、小麦の粉の詰まった袋を持ち、店を出ようとした。

「ああ、そういや聞いたか?」

「何を?」

 背中に声をかけられ、ダウンは店の出入り口で身体半分だけ振り返る。

「北の、ダンシラムの跡地で、廃墟荒らしの男達七人が死んでたって話だ」

「廃墟荒らしなんて、まだいたんだな。手付かずの街があるとは……それじゃあ、大方他の連中に金品目当てに殺されたんだろ。あの辺りには盗賊団もあっただろ」

 店主の話に、ダウンは半眼で応えた。珍しい話ではない。似たようなことならこの街でも毎日起きている。自宅からこの店まででは見かけなかったが、一つ通りを変えて帰路に着けば、死体の一つや二つは見かけるだろう。

「いや、聞いた話だと、奇妙だったらしいんだ」

「……奇妙?」

 眉をひそめる店主に、ダウンは心持ち首を傾げて見せた。

「そこで死んだ男達の仲間が、一夜明けても戻って来ないってんで探しに行ったんだと。そうしたら、街で見つけた金目の物や男達の荷物はそのまま転がっていて、男達の死体は色々なところに、七人とも無傷で転がってたんだとよ」

「……無傷?」

 全員が無傷のままで、死んでいた。黒魔術には対象を呪いで殺すというのもあるらしいが、全員が全員ということがあるだろうか。しかも荷物も残っていたということは、物取りということもない。

「な、奇妙だろう?」

「それは確かに奇妙だな……」

 ダウンはそう言って、小麦の袋を店主に突きつける。

「袋の中に石を入れて高く売るのと同じくらい、奇妙だ」

「……畜生」

 片眉を上げて言うダウンの言葉に、店主の呻きがこぼれた。




 賞金稼ぎの集う酒場、『錆びた庭』は今日も賑わっていた。

 この酒場に集まる賞金首の情報はどれも高額なものばかり。つまるところ、危険の高い相手の物ばかりということだ。それ故、賞金稼ぎも猛者ばかりが集まる。

 そこに酒が加わると、自分語りに花が咲き、自慢話の嵐が起きて花も散り、塵となるまで喧嘩が続く。この酒場はそういう場所だった。

「モルト。スープおかわり」

「はいよ……朝からよく食うなぁ」

「朝だから食べるんでしょ。身体の隅々まで力を蓄えてないと、いざって時に動けない……でしょっ!」

「げふっ!」

 カウンターの向こう。店主であるモルトに皿を渡したシャルロッテは、自分の背中に向かって吹き飛んできた男を振り向き様に蹴り飛ばした。男は転がって、壁に当たって気絶する。

「ディーズ。喧嘩するなら外でやってよ。ご飯食べてるんだから」

「悪い、シャルロッテ。そいつが殴りかかってきてよ。メシ代は俺が出すから許せ」

「ん。じゃあ許す。ごちそーさま」

 少し離れたテーブルにいる髭面の中年の男に手を振って、シャルロッテはカウンターに置かれたパンを千切って口に放り込んだ。

「本当に、ダウンに似てきたな」

「……モルト。言って良い事と悪いことがあるって、何回も言ってるでしょ」

 スープの入った皿を差し出しながら言うモルトに、シャルロッテは瞳を細めながら言い放った。静かな怒りを込めた言葉は、彼女の身体から放たれる剣気と混ざり合い、店中の壁やテーブルを軋ませる。騒がしかった店内は静まり返り、彼女の後方の十数人の男達も静かにシャルロッテの様子を窺っていた。

「そういうところが似てるんだが……まぁいい。で、仕事があるんだが、やるか?」

「はぁ……いいけど、この間みたいに、街の権力争いに巻き込まれるのは嫌よ」

 シャルロッテがそう言って、その柔らかな長い金の髪を揺らしたところで、ようやく酒場に喧騒が戻ってきた。

 『剣の姉妹』の一人、『剣の妖精』と呼ばれるシャルロッテは、まだ十八歳で成人を迎えたばかりの、あどけなさの残る美しい少女だった。

 光り輝く金の髪。強い意志と純粋さを感じさせる黄金の瞳。均整のとれた肢体には純白の軽鎧とマント。傍らのカウンターに立てかけているのは、細身だが彼女の身の丈程もあろうかという長剣。その姿は賞金稼ぎというよりは、どこか騎士を思わせる。それがシャルロッテだった。

「何、調べ物みたいなもんさ。北にダンシラムの跡地があるだろ?」

「うん。行ったことはないけれど、崩壊に巻き込まれた廃墟でしょ」

 モルトの言葉に、スープにパンを浸しながらシャルロッテが答える。

「そうだ。そこで廃墟荒らしが死んでいたらしい。死んでいたのは七人。そいつらの残りの仲間が依頼人だ」

「ふーん。物取りの小競り合い?」

 シャルロッテの疑問に、しかしモルトはゆっくりと頭を振って、傍の台に置いてあったグラスから琥珀色の液体を口に流し込み、口を開いた。

「それが、よくわからん。依頼人の話だと、荷物はそのまま、死体は無傷で死んでいたらしい。一晩の話だそうだ」

「なにそれ」

「だから調べ物なんだよ。依頼は死んだ連中を殺した奴を殺すことなんだが、相手がなんなのかも解らねぇんじゃ、正式な依頼にもできん。見たこともない魔物や魔族だった場合、下手な奴を向かわせることもできんだろ」

 空になったグラスに酒を注ぎながら大きく息を吐くモルトを見ながら、シャルロッテはパンを口に放り込んだ。

 確かにモルトの言う通りならば、適正な賞金額すら付けられないだろう。シャルロッテやダウンならば、少々の強敵であっても問題はない。

「んじゃ、相手が判れば私の仕事は終わりでいいの?」

「遭遇して、倒せるなら倒してくれてもいいぞ。それなりに礼はする」

「……カイザードラゴンの内皮で作ったマントが欲しいなー」

 モルトの言葉に、シャルロッテは満面の笑みで告げた。

「お前……それ、金貨百枚どころじゃない貴重品だろうが」

「うん。さすがに全額出せとは言わないから、取り合えず、手に入れてほしんだよね。そういう知り合い、いるでしょ?」

「くっそ……わかったよ。だけど半額は払え。それなら探しといてやるよ」

「よし、それで手を打とう。大好きだよ、モルト!」

 モルトの言葉にシャルロッテは笑って、音もなく椅子から飛び降りると剣を背負う。その様子にモルトは苦笑いをしながら頭を掻いた。

「まったく、立派に育ったなぁ」

「ちょっと、何言ってるの」

 シャルロッテは笑ってそう言うと、扉の方へと歩き出す。

「モルトや皆が、育ててくれたんでしょ」

「……本当に、俺好みに育ったよ」

 それを聞いて、シャルロッテは満足そうに店を後にした。




「……はぁ」

「何よ。言いたいことがあるなら言えばいいじゃない」

 ダウンのため息にシャルロッテがその顔を睨むように見やる。

 昼を少し回った頃、ダウンとシャルロッテはシャルロッテが受けた依頼の依頼人のいる宿屋へと向かっていた。

「シャル。アタシも、もうじき三十六になる」

「そうね。モルトに言って、誕生会でもやりましょうか」

「……ありがとう。祝う気があるなら、勝手に、何の相談もなく、こんな面倒な依頼を受けないでくれ。若いお前と違って、アタシはそんなに元気でもないんだよ」

 いつも通りの死人のような無表情の上から疲労の色を貼り付けて、ダウンは吐き出すようにそう言った。

「どうせ暇だったんだからいいじゃない……で、依頼人のこと調べたんでしょ?」

「はぁ……まぁいい。依頼人はガルダ・スレイン。東部中心に活動していた廃墟荒らしの一人で、その前は旅商人だったらしい。特に目立ったことはしてない」

 ダウンは馴染みの情報屋から買った情報を羅列していく。特に重要であろう事柄もなく、ただの商人崩れというだけでしかない。

「んー、これといって、話を聞く意味もなさそうだけれど」

「ああ。まぁ、死体を見つけた時の状況を聞くくらいだろうな」

 背伸びをするシャルロッテにそう言って、ダウンは小さく外套を揺らした。

 ガルダのいる宿は、町の中央を通る街道からはかなり離れた、特に危険な一画にある。そこに宿を取るくらいならば、いっそ野宿の方が安全だろうという場所。この街に慣れているダウンやシャルロッテでさえ、この区画を歩くときは、最低限の警戒をし続けている。現にダウンは外套の下で投擲剣に手をかけ、背中の長大な剣も外せるようにしており、シャルロッテは背伸びで振り上げた腕を頭の後ろに回し、すぐに背中の剣に手をかけられるようにしていた。

「で、依頼料は?」

「ん? えーっと……それなりに出してくれるって」

「……別に懐具合が寂しいわけじゃないからいいが、食料も高くなってるんだから、程々にしろよ」

 言葉を濁すシャルロッテだったが、付き合いの長いダウンには見抜かれていたようだ。ダウンのこぼした息にばつが悪くなったのか、シャルロッテは黙って視線を外した。

 それから歩くことしばし。荒み寂れた空気が満ちた頃に、目的の宿屋が現れた。

 二階建ての石造りの建物は、廃屋をなんとか使えるようにした風で、長く使うことなど考えられていないように見える。入り口の扉は壊れて横の壁に立てかけられているし、見える壁面には亀裂が大きく入っている。強い嵐でもあれば、倒壊してしまいそうだ。

 二人は中に入ると、誰もいない受付を通り過ぎ、一階の一番奥の部屋に向かった。情報によると、そこにガルダがいるという。

 たどり着いたところでダウンが扉を叩く。数回叩いて様子を窺うが、反応はない。

「おい。ガルダ・スレインはいるか」

 再度扉を叩き、今度は声もかけた。それでも反応はなく、しばらくしたところで、中から掠れた声が聞こえてきた。

「……誰だ」

「『錆びた庭』で依頼を受けた……『剣の姉妹』だ。話を聞きにきた」

 中からの問いかけに、ダウンは通り名で答えた。この通り名は好きではないが、名前の知名度はこういう時に役立つので、利用するにこしたことはない。

 さらに少しして、ようやく扉が薄く開き、中から充血した瞳が二人を見据える。

「剣の姉妹……じゃあ、お前がダウンか」

「ああ。ダンシラムに行くから、お前が行った時の状況を聞かせてくれ」

 すると扉が開き、ガルダの姿が現れた。

 歳は三十前後だろうか。濃い茶色の短髪と瞳。無精髭が、いかにも、といった様子だった。簡素な旅装束で、両手で短剣を握り締めている。

 顔色は青白く、目の回りは塗料でも塗ったかのように黒ずんでいる。唇は細かく震え、誰がどう見ても正常ではない。

「ああ、そうだ。そうだな……誰も帰って来なくて、俺はこの街で残りの仲間二人と待っていたんだ。手に入れた物を手早く換金するための準備をしていた」

「で、次の日になっても戻ってこないから、あなたが見に行ったのね」

「ああ。馬を使えば時間はかからないからな……」

 シャルロッテの言葉に頷いたガルダは、言葉の途中から身震いをし始めた。それは、明らかな怯えだった。

「で……そうだ。俺は馬を街の入り口に置いて、街の中に入っていった。まだ昼前だった。天気も良かったんだ……なのに、村に入った途端に、薄暗くなった。空は晴れているのに薄暗かったんだ。だけど、うん。すぐに荷物があった。金目のものも集まっていた。その横で、三人死んでいた」

「傷はなかったのか」

 ガルダの顔は既に蒼白を通り越し、紫に近くなっている。唇も黒く呼吸も荒い。倒れていないのが不思議なくらいだった。

 もしくは、倒れられないから、こうなっているか。

「ああ。調べた。寝ているのかと思った。だけど、全員、顔が……ひでぇ拷問でも受けたみたいに、叫び顔のままで死んでいた」

 断末魔を上げたまま事切れたらしい。確かに、ダウンにはそういう死体を見た経験もあった。もっとも、無傷というのはなかったが。

「それで、その先の通りに二人。同じ死に方だった。あと、村の奥の井戸の側で残りの二人。それで全部だった」

「……で、死体と荷物はどうしたの」

 シャルロッテの言葉に、ガルダは目を見開き、言葉の主を真っ直ぐに見やる。

「置いてきた。とてもじゃないが、そんな余裕はなかった」

「何だ……お前は、仲間を殺した奴を、見たのか?」

 ガルダの言葉から察したダウンが尋ねる。

「見た。子供だ。女の子だ」

「女の子が、大人七人を殺したの?」

 あまりのことにシャルロッテが声を上げる。武装した男が七人いたのだ。その疑問は当然のことだった。普通ならば。

「違う。わからない。でもそいつしかいなかった。だって、街には俺達以外の足跡も蹄の跡もなかったんだ! それに、その子供は生きてないっ!!」

 徐々に語気が強くなり、ガルダはついに叫び始めた。しかしその内容は支離滅裂で、二人には理解できない。

「落ち着け。つまり、子供の死体が動き回って、男達を殺した。これでいいか?」

「そ、そうだ……俺は仲間達の死体を運ぼうとした。そうしたら、突然目の前に子供がいた。茶色い髪の、十歳くらいの……腹が裂けて中身が出ていて、生きている筈がないのに、歩いて来るんだっ! だから俺は逃げ出した! 逃げ出して、他の仲間達に言って、俺もその内殺されるんじゃないかと思って、酒場に依頼して……っ!!」

 そうして、ガルダは吐き出すだけ吐き出して、その場で失神した。

 あまりに突然だったので本当に死んでしまったのかと、滅多に動揺しないダウンすらしばし硬直してしまっていた。

「……ゾンビ?」

「レイスかもしれん……厄介だ」

 ガルダを薄汚れたベッドに寝かせて宿を後にした二人は、各々が陰鬱な表情でそう言った。

 動く死体。ゾンビ。死体に仮初めの魂が入り動き回るようになったもので、命あるものの精気を求めて人々を襲う。

 レイスは現世への強い怨恨に囚われた死者の魂が、周囲の精霊を取り込んで具現化したもので、狂ってはいるが意思を持ち、やはり精気を奪うために人を殺す。

 どちらも浄化の魔術等があれば対処できる相手なのだが、生憎『剣の姉妹』は二人ともが剣士。魔術は使えない。

「仕方ない。サザに話を聞いてくる。あの変態ならダンシラムの少女のことでもレイスの対処法でも、何でも知ってるだろうからな」

「私は嫌」

 呻くように言うダウンに、シャルロッテは短く告げた。

「私はガルダの残りの仲間二人に話を聞いて、モルトから馬車を借りてくる。ダウンは変態の相手をよろしく。サザの家まで迎えに行くから、それまで逃げないようにしててよね」

「……嫌な奴に育ったな、お前は」

 捲し立てるシャルロッテに、ダウンは深いため息をついた。

「何言ってるの。ダウンが育てたんでしょ」

「……違いない」

 ダウンが心の底から疲れたという顔をしたのを見て、シャルロッテは満足気に笑った。




 サザ。家名はない。むしろ本名かどうかも分からない。

 中肉中背の冴えない男というのが第一印象として適しているが、一昼夜も共にすれば、第一印象というのがいかに当てにならないかを実感することができる。そういう男だった。

 年齢不詳だが、三十中頃に見える。くたびれたローブと小さなひびの入った片眼鏡。伸びるがままの雑草のような髪を、適当な布の切れ端で一つに結わえているのが、普段見かける彼だった。

「ああ、それはきっとローラだ」

「ローラ?」

 そこはサザの家。ダウンの話を聞き終えたサザは、おもむろにそう言った。決して強い口調ではないのに耳に残る低い声が、ダウンの耳の内側にへばりつく。

「ダンシラム。二十年前の白銀の魔王が東部を崩壊させた時に消えた街の一つ。当時の人口は五百人程度だったかな。数年後に生き残りが街を訪れ、形のあった遺骸をまとめて墓地に埋葬したんだが、その生き残りの住んでいた家の隣に住んでいたブライド一家の次女のローラの遺骸だけが見つからなかった。何故ローラのものだけと判断できたかというと、ローラを除いたブライド一家の遺骸は一箇所に……住居跡にあったからだ。生き残りも周辺を探したが、見つからなかった。茶色の髪の、当時十歳の少女だ」

「……」

 早い口調で一気に流れ出たサザの言葉は、しかし彼の汚泥の様な声質のお陰でダウンの耳にしっかり入り込んでいた。

「生き残ってどこかに逃げ延びた可能性もあったが、今の話で間違いないだろう。何か無念があって、レイスになったのだろうな」

 サザは大きな革張りの椅子にゆったりと座ったままで、立ったままのダウンを上目遣いに見やった。深い緑色の瞳は濁っていて、その視線も粘着質だ。

 ダウンは全身を絡め取るような不快感に耐えながら、しかし相手に悟られることのないように表情を殺したままで、口を開く。

「まるで見ていたかのように詳しいが……その街でも死体集めをしていたんじゃないだろうな」

 そう、この男の異常性の一つがその趣味である、死体集めだ。

 何をしているかは分からないが、サザは死体を見つけると自宅に持ち帰っている。老若男女問わず、まるで子供が道端で銀貨を拾ったような無邪気さで……いや、有邪気さで。

「まさか。ある程度新鮮な方がいい。だから、この街に住んでいる」

 この街には良く死体が転がっている。しかし腐乱死体を見かけない理由が、この男なのだ。

「まぁいい。それで、レイスはどうすればいい。魔術師に知り合いはいるが、この街を出ている。浄化する以外に、どう対処すればいい」

「そうだな……遺骸を見つけて、塩をかけて燃やせばいい。塩は魂の穢れを祓う。それで消える」

「遺骸は、見つからなかったんだろう?」

「レイスが街中にしか現れないなら、遺骸も街中にあるさ。面倒なら、街ごと燃やせばいい。残された死体も浄化されて都合がいいだろう」

 それは冗談ではなく、本心からの言葉だった。口元は笑っているが、ダウンはサザが『笑っている』のを見たことがない。

「そうだな。キミとシャルロッテの剣は、多少なりとも効果はあるだろう。魔力を持った剣と、清められた剣だ。何度も切りつけていれば、いずれは消滅する」

 サザは立ち上がり、ダウンの方へと歩み寄りながら、その背中の剣を指差した。

 剣というよりは、持ち手のある鉄板のようなダウンの剣。長く、広く、重い。その影にダウンの姿が全て隠れてしまう程の巨剣だ。

 それはサザの言う通り、ある魔術がかけられている。だが、それをサザに話した覚えはない。しかし、それがサザなのだ。

「それにしても……相変わらず美しいな、ダウン。苦痛で色の抜けた髪。苦悩と絶望で輝きを失った瞳。透き通るような白い肌と、その皮膚に内包された暴力的なまでの破壊衝動。以前は魔族を美しく思っていたが、キミと出会った後では、色褪せてしまった」

 サザの指が、ダウンの頬に触れた。

 殺気も敵意も気配もない動きは、ダウンが身を退く刹那の間さえ埋めてしまう。

「抱きたいな……その絶望に僕を内包されたいよ」

「趣味が悪いにも程があるぞ、サザ。第一お前は死体遊びが忙しいのだろう」

 人類史上最悪級の口説き文句をダウンは言葉で切り捨てて、サザの手を振り払った。

「死体もいいが、それよりも美しいキミに心惹かれるのは仕方のないことだろう」

「死体と比べられる日が来るとは思わなかったよ。斬新な褒め言葉だと喜んでやろう」

「そうしてくれ。僕の最上級だ」

 口角を吊り上げて、サザが言った。

「ダウンーっ!!」

 そこに、ダウンの聞きなれた、サザとは対照的な、澄んだ声が届く。扉の向こう。次いで馬蹄が石畳を打つ音。

「……僕はシャルロッテは苦手だ。行くといい。話の礼は……そうだな。仕事が片付いたら、一緒に食事をしてくれるといい」

「……モルトの酒場でよけりゃ、付き合ってやるよ」

 ゆらりと手を振るサザにそういい残して、ダウンは扉を開けて通りに出た。丁度シャルロッテが馬を止めるところだった。

「どうした、血相変えて」

「乗って! ガルダの仲間の残り二人が、ダンシラムに向かったってっ!」

「なっ……馬鹿がっ!」

 シャルロッテの言葉にダウンはそう吐き捨てて、シャルロッテの隣に飛び乗った。




 黄昏。夕闇に沈む世界の片隅に、深い闇が座っている。

 広い世界の片隅で、一人留守を過ごす子供のように。

 ゼオンとリドーグは話し合い、ダンシラムに行くことにした。ガルダが何を見たのかは分からないが、死体はともかく荷物は回収するべきだということになり、昼過ぎにはたどり着いていたのだ。

 例えガルダが見たという少女がゴースト等であったとしても、日中の街中なら大丈夫ろうと。影に入らなければ大丈夫であろうと。

 そして、二人が己の浅はかさに気付いた時には、もう手遅れだった。

「畜生っ畜生っ!」

「騒ぐなリドーグ!」

 二人は薄暗い部屋の中にいた。辛うじて家の形を保っていた建物へと逃げ込み、扉と窓を塞ぎ、後悔の言葉を漏らし、信じてもいない神に祈りながら、迫る恐怖に怯え震えていた。

 今なら、彼らの仲間の怯えが理解できた。あれは、正しく死の具現化されたものなのだから。

 人が闇を恐れ、死を恐れるのは、魂に刻み込まれた本能から。だから眼前に迫る恐怖と戦おうと思うのならば、本能を捻じ伏せる必要があり、彼らにそれはできなかった。

「……音がしなくなった」

「居なくなったのか?」

 二人は小声で囁き合うと、意識を壁の向こうへ集中する。聞き取れたのは風の音だけだ。

 顔を見合わせ、木窓を塞いでいた朽ちたテーブルをゆっくり下ろし、音をたてないように木窓に隙間を開けて外へと目をやった。

「ひっ!」

「ぐっぐぅあ、あ、ぁ」

 男が家の中を覗いていた。

 次の瞬間伸ばされた腕が木窓を突き破り、ゼオンの喉を掴んで握り潰す。

「や、やめてくれジェンス!!」

 リドーグの叫びは届かない。そして、ゼオンの首がへし折れた。

 次の瞬間ドアが破壊され、三つの人影が中になだれ込んできた。

 かつての、仲間達が。

 死んだ筈の仲間達が襲い掛かってくる。言葉もなく、白濁した瞳で、土気色の顔で。

 動く死体が闇の中を、リドーグ目掛けて襲い掛かかる。

「伏せろっ!!」

 爆発音。反射的に伏せたリドーグの頭上を、破壊された壁板、家具、動く死体の肉片が千切れ跳んでいく。

「お前がガルダの仲間か……もう一人は……死んだか」

 リドーグの前に現れたのは、破壊だった。

 色のない髪。濁った赤黒い瞳。黒い外套に身を包み、そこから伸びる右の腕には包帯が隙間なく巻かれている。なにより異様なのは、細い右腕一本で支えられている、鉄の塊だった。

 巨大な鉄板。柄がなければ、誰もそれが剣だとは思わないであろう、金属の塊だ。

「こ、これ……あんたがやったのか」

「ああ。ゾンビ化していたから、仕方ない」

 リドーグが言ったのは、砕け散った仲間の死体もそうだったが、それよりも、半壊し、壁が半分以上吹き飛んでなくなっている家屋のことだった。恐らくは、その腕の一振りでなぎ払ったのだろう。まるで、小枝を折るように。

「三人。恐らく残りの四人もゾンビだろうな……仕方ない。アタシと来い。お前は街を出ろ。表の馬はお前のだろう」

 破壊の化身のような人物に言われ、リドーグはどうにか伏せていた身を起こして立ち上がる。

「あ、あんたはどうするんだ?」

 半壊した家を出て行く背中を追いながら、リドーグは尋ねた。

「終わらせるんだ。二十年前に終われなかった、この街を」

 その暗く淀んだ瞳が、上った月明かりに小さく揺れた。




「遺骸ったって、見つかるわけないじゃない」

 シャルロッテは手にしていた松明を振り回しながら、うんざりといった様子で呟いた。

 慌てて街を出てきたので、決して準備は万全ではない。敵と戦うだけなら剣があればいいが、探し物には使えない。

 街に入った所でダウンと別れ手分けして探してはいるが、この街は決して小さな街というわけではない。なんの手がかりも無しに子供の遺骸を見つけるとなると骨が折れそうだ。

 二件目の廃屋を出て辺りを見回す。当然ながら人の気配はない。ひたすらに濃い闇が広がっているだけで、何もありはしない。

「とりあえず、荷物が置いてある所まで行ってみるか」

 聞いた話では、街の中央にある井戸から南にある広場だという。シャルロッテは取り合えず中央を目指すことにした。

 吹いていた風もなくなり、今は無音だった。シャルロッテは移動する時に音は立てないからだ。

 衣擦れは、音が出る寸前に身を捻れば、風が布地の間に入り込んで起きないし、足音などはそもそも無駄な力を入れなければいい。必要以上の力がかかっているから音が出るのであって、むしろ音を立てないように歩けば足が疲れないくらいだ。

 通りを曲がり、おおよその見当を付けて中央と思われる方へと歩く。すると、向かう先から爆発音が聞こえてきた。

「あっちにいたか……ダウンに任せて、私は探そうか」

 松明を持ち直して、駆け出そうとした瞬間だった。

 目の前に、少女がいた。

「……ローラ」

 ダウンから聞いていた名前を呟く。返事はない。

 聞いていた特長通りの少女だった。

 濁った瞳が、見つめている。それを朝焼けのようなシャルロッテの瞳が真っ直ぐに見据えている。

 すると、ローラの背後から四つの人影が現れた。

「ゾンビになってたか……通してくれそうにはないね」

 シャルロッテは手にしていた松明を、すぐ側の廃屋に投げ入れる。乾燥していたらしい廃屋はたちまち燃え上がり、闇の中から街の一角を浮かび上がらせた。

 ゾンビ達が迫り来る。シャルロッテは背中の剣を納めている鞘の止め具を外し、右手で柄、左手で鞘を持ち、一気に抜き放った。鞘は地面に転がり、自身の身の丈ほどもある剣は静かに、その先端は地面に触れさせた状態で片手で持たれていた。

 軽く両足を開き、両手は脱力して下げられている。それが、シャルロッテの構えなのだ。

「……ッ!!」

 短い呼気。刹那、一斉に襲い掛かってきたゾンビ四体のうち、二体の首が跳ね飛ばされ、残った身体が地面に倒れこんだ。

 シャルロッテの身体を回転させながら放った一閃。それはつま先から順に加速された力が、斜めに斬り上げる剣の一振りを神速の一撃に成したもの。その速さは目で追えるものではなく、動く死体には知覚もできないだろう。

 突然消えたシャルロッテの姿を探すゾンビ達の背中に、シャルロッテの次撃が向かう。

 先程の回転の軌道を変え、さらに速度を増した斜めから振り下ろす一撃はゾンビの身体を斜めに切り裂く。

 その勢いのまま宙に飛び上がったシャルロッテは、身体を回転させて頭上から剣を叩きつける。その一撃が最後の一体を左右に両断した。

 黄金の髪と銀の剣の軌跡が描く死の円舞は、生死をかけているが故に美しく、見るものの心を虜にする。それが『剣の姉妹』の『剣の妖精』たる由縁であった。

 シャルロッテは周囲を見回す。ゾンビはもう動いていない。清められているシャルロッテの剣は、死体と仮初めの命の繋がりを断っていた。

「……ローラは……くっ!?」

 煌々と燃え盛る炎が照らし出す。

 シャルロッテの背中に突き刺さる、少女の青白い手を。

「しまっ……あああ……っ」

 少女には敵意も殺意もなかった。もしほんの少しでも、少女に憎しみのような負の気配があれば、シャルロッテが見逃すはずはなかったのだ。ただ、手を繋ぐような感覚で。

『さみしい』

「……え?」

 シャルロッテの膝が折れる。どうにか首だけ捻って後ろを見ると、少女が泣いていた。

 表情はなかったが、涙が、こぼれている。

『誰もいないの』

 シャルロッテの身体から、精気が吸い取られていく。全身の力が抜け、剣も落としてしまった。

『こっちにきて』

 それは、ローラの声だった。

 触れている部分から伝わる魂の声。

 シャルロッテの視界がかすみ始める。ふと、少女の姿に、別の誰かの影が重なって見えた。

 命が消える前の幻なのか、有り得ないものが見えていた。

『たすけて』

 それは、幼い頃のシャルロッテ。

 村が燃え上がり、自分以外の人は死に、ダウンの剣で両親の首が刎ねられる光景。呆然と立ち尽くすシャルロッテ。

『ここは暗いの……寒いの……』

 ローラの声が一際大きくなり、シャルロッテの意識が弾けるその瞬間。

「おおおおおおおおおっ!!」

 闇を、炎の灯りを、死を、少女の亡霊を、幼い頃のシャルロッテを、ダウンのもたらした破壊が叩き潰した。

「はっ……は、く、はっ」

 少女の姿が霧散し、シャルロッテは死から解放された。全ての熱を奪われた身体が、震え始める。

「シャル! 大丈夫か、シャル!!」

「……ダウン」

 剣を投げ出したダウンが、シャルロッテの身体を抱きかかえた。炎に浮かび上がるその顔は見たこともないくらいに歪み、氷の張った沼のように揺れない瞳が、今は飛び込んだ水溜まりのようだ。

「何、人間みたいな顔してるのよ……らしくない」

「ああ……そうだな」

 シャルロッテが笑うと、ダウンは瞳を細めて微笑んだ。

 優しい顔で。

「ん……ローラは、倒したの?」

「いや、どこかにいる。今はアタシに怯えているが、また来るぞ」

 徐々に身体に熱が戻り立ち上がったシャルロッテは、辺りを見回す。

 あの少女の力は相当に強い。やはり遺骸を見つけるより他はなさそうだ。

「あ……」

 ふと、シャルロッテの脳裏に、少女の声が蘇る。

「どうした?」

「わかった……ローラはあそこにいるっ!」

 シャルロッテは駆け出した。はやく見つけてあげなくてはいけない。彼女は一人きりで寂しかっただけなのだ。

 背後でダウンが何も言わずに付いてきているのがわかった。

 あの時、シャルロッテにはダウンがいた。

 自分を殺せと、シャルロッテが生きる理由を与えてくれた。

 きっと、ローラにはいなかったのだ。それからずっと、孤独だったのだ。だからこうして出てきたのだろう。

 力の戻ってきた身体を跳ねさせる。するとその場所が見えてきた。

 暗くて寒くて孤独な、井戸が。




「……燃やさないと駄目なのかな」

「レイスになった魂は、自力では浄化されないんだ。こうしてやらないと、ローラはさまよい続ける」

 井戸から引き上げられたローラの遺骸は、不思議な程に綺麗だった。

 腹部は裂けていたので整えてやると、人形のように可愛らしい少女の姿が蘇る。

「崩壊のとき、ローラは恐らく即死しなかったんだろう。喉が渇いて井戸に向かい、落ちて死んだんだろうな」

「ローラは、家族のところにいけるのかな」

 レイスと化し、穢れてしまった魂は。

「行けるように祈ってやればいい。アタシ達にはそれだけしかできないしな」

 ダウンがローラの遺骸に塩を振りかけ、洋燈の油をかける。

「そうだね……」

 シャルロッテはそう呟いて、発火石から火の粉を落とした。

 遺骸は瞬く間に燃え上がり、ローラの形が崩れていく。

『ありがと』

 シャルロッテが顔を上げると、笑顔のローラが立っていた。

「……じゃあね」

 そして祈った。

 もう、家族と離れたりしないようにと。




「ああ、キミは素敵だよダウン。きっとこのケラッセの肉よりもキミは美味なのだろうね」

「食用家畜と比べられても……いいから、メシを食え」

 数日後。いつもの酒場の一角に、近寄りがたい空間があった。

「ダウンが珍しく男を連れてくるっつーから楽しみだったんだが、よりにもよってサザかよ」

「情報料の代わりに、約束したんだって」

 その光景を遠巻きにカウンターから眺めながら、シャルロッテはモルトに言った。

「まぁ、この街でダウンに言い寄る男なんてアイツくらいだろうしな」

「ダウンは吐くほど嫌がってたけれどね。ほら、らしくもないワンピースなんて着てるでしょ」

「見てくれは悪くないんだけどな……」

 シャルロッテはグラスのミルクを飲みながら、噛み潰した苦虫が生きていて口中を這い回っているような表情のダウンを見ている。何にしても、普段は見られないダウンの姿を見るのは楽しかった。

「しっかし、なんともな。やるせない一件だったな」

「そうだね……まぁ、もう大丈夫でしょ。ゾンビになった連中も清めて燃やしたし、もって帰った荷物は、残った二人に渡したし」

 ガルダもリドーグも精神的にまいっていたが、生きているのだからどうとでもなるのだと思う。彼らは、死んでいないのだから。

「で、モルト。例の物は手に入りそう?」

「あー、あれなぁ」

 シャルロッテが目配せすると、モルトは嫌そうな顔で答えた。

「ジードが仕入れられるとさ。金貨百二十枚だと」

「わかった。それじゃ、明日にでも持ってくるよ。六十枚ね」

「くっそ……滅多に手に入るもんでもないのに、どうしてこう都合よく来るのかね」

 自棄気味に言って、モルトはグラスの酒を飲み干した。

「私の日頃の行いがいいからだよ。モルトやダウンは悪いから、あんな目やこんな目に合うの」

 ダウンに目を向けると、サザに指を舐められ身体を震わせているところだった。

「取り合えず、二人とも塩で身体を清めてみたらいいんじゃない」

 卓上の容器から塩を摘んでモルトに投げると、モルトは手についたそれを舐めて言った。

「塩は焼いて酒のつまみにするんだよ」

「あっそ。じゃあモルトがレイスになったら、たっぷりの塩と酒をかけて焼いてあげるよ」

 二人で笑ってグラスを打ち合わせると、向こうからダウンの怒号が聞こえてきた。



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