狂気乱舞
「ぎゃああああああああああああああっ!」
断末魔ではない。生ある絶叫。むせ返るような死の臭いと恐怖と血を混ぜ合わせたもの。男の口から吐き出されたのはそれだった。
「えらいえらい。恐怖と痛みで死ぬヤツが多いから。そういうのって、冷めちゃうじゃない?」
暗い部屋。椅子に縛られた男と、その前に立って笑う女。赤と黒と酷く濁った臭いで飾り付けられただけの、簡素な部屋。
「ねぇ、そろそろ教えてくれない? 『勇者候補』ルベルト・エクスは、何処に隠れているの?」
「……」
「ごーよーんさーん……」
「ま、まってくっ……ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「あ、ごめんごめん。手が滑っちゃった」
生えていた。
椅子に後ろ手に縛られた状態で拘束されている男の身体中、無数に細い棒状の物が。
男の絶叫に合わせて、一本。また一本。
それは手の爪一つ一つに。足の指一つ一つに。腹に、足に、腕に、右の眼球に。
「まぁ、別に教えてくれなくてもいいんだけどさー。あ、勘違いしないでね。これは拷問とかじゃないから」
窓から差し込む、か細い月明かり。浮かんだのは、赤毛の女。まだ若い、楽しそうに笑う。
「これはー……取引よ。『さっさと喋って楽に死ぬ』か、『喋らないで、穴だらけの夜明けを迎える』か、ね?」
「……っ!!?」
女が次に手にした棒を向けたのは、男の股間だった。
「目の前にこんなにイイ女がいるのに、全然元気がないじゃない」
「ひっ……や、やめ……」
女の舌がぞろりと唇の隙間から這い出し、鈍く光る棒に絡みつく。裸足の指先が男の股に当てられ、まるで蛇のように這い回る。
「そんな役立たずじゃ、全然楽しめないじゃない。とゆーわけで……あたしがぁ……代わりのをあげるっ!!」
「ぁ……っ!!」
足をどけると、男のそこから異臭混じりの液体が溢れ出す。女は狂ったような……いや、狂った笑いを撒き散らしながら、そこに棒を突きたてた。
「あははははははははははははははははははははっ!! すごいすごい、ビクビクしてるっ!! イっちゃった? ねぇ、イっちゃったの!?」
返事はない。言葉の代わりに、泡が口から漏れ出すだけだった。
月が陰り、室内が闇に包まれる。しかしその中で、二つの瞳だけが。
笑っていた。
「おい、ダウン。どうなってる?」
「……何が?」
店主……モルトの開口一番がそれだった。
「シャルだよ。お前の『愛娘』のことだよ」
「モルト。何に興奮しているかは知らないが、アタシがそういう類の『冗談』が好きじゃないのは知っているだろう?」
ダウンと呼ばれた女のその言葉だけで、空気が張り詰める。
街道沿いの小さな街、『荒くれ者の国』と呼ばれるその街の、特に空気の悪い一角。そこにあるこの酒場は、何時頃からか賞金稼ぎ達の集う場となっていた。当然殺気立った者もいれば、どちらかといえば果実酒よりも『赤い酒』を好むような『愛好家』もいる。いずれ腕に覚えのある者達ばかりが客だというのにも拘らず、女の低く枯れた声が店に響くほどに、荒れた店が静まり返る。
「わ、悪かったってっ……だが、仕方ないだろう。もう十年以上シャルを見ているが、あんな浮かれたアイツは初めて見た」
「……」
ダウンが小さく息を吐き出すと、無数の安堵の息と共に喧騒が店に戻ってくる。木杯の鳴る音と血生臭い話。いつもの店だ。
「さっきもそうだ。『ねぇ、モルト。お土産買ってくるけれど、ダウンは何が喜ぶかしら』だぞ。あれだけお前を殺す殺す言っているシャルが、だ」
「いたのか」
「ああ、ミルク飲んで、上機嫌で出かけて行ったよ……ま、まさか、男でもできたのかっ!?」
モルトが身を乗り出した分だけ、ダウンが身を引く、カウンター越しに距離は保ったままで、ダウンの赤黒い瞳だけが湖面の月のように揺らぐ。
「そんな話は聞いたことがないが……まぁ、シャルもいい歳だからな。恋人くらいいてもおかしくないだろう」
ダウンは小さく肩を竦め、木杯を口へと運ぶ。
「そうか……そうだよな。もう十……八か。いつまでも子供じゃねぇよな」
「……そうだな。アタシもお前も老けるわけだ」
自嘲気味に笑って酒を煽り、視線を戻せばそこにはモルトの鋭い眼差しが待っていた。
「そう、子供じゃねぇが……まだシャルには早いこともある」
モルトは葉巻に火石で日をつけて、重々しく吸い込めば、紫煙をゆっくりと吐き出した。
「ダウン……依頼だ」
「シャルじゃ無理な相手なのか? 正直、アタシがシャルに勝てるのは癖を知っているからで、腕自体はほとんど変わらないんだぞ」
「おー、シャルに聞かせてやりたい言葉だ。確かにそうだろう。今のシャルの手に負えないヤツなんざ、滅多にいねぇだろう。だけど、だ」
灰を落とし、続ける。
「こいつは、お前の……俺たちの仕事だよ。『子供』に背負わすにゃ、あまりにも『重過ぎる』借金だ」
「……なんだ?」
気がつけば、店内にいたほぼ全員が、ダウンの周囲に集まっている。
「依頼主は、俺だ。俺というか、酒場『錆びた庭』からの依頼だ」
モルトは葉巻をゆっくりと口から離し、手の中で揉み消す。僅か肉の焦げる臭いを撒きながら、重々しく声を吐き出した。
「あいつが、街に入った」
五年程前。一つの事件があった。
一応の決まり事はあるものの、荒くれ者が集まるこの街ではよくある事件だった。
人攫い集団と人買い集団の取引を、強盗団が襲撃。二つの集団はほぼ壊滅。金と売り物が奪われた。
人買い集団の元締めは怒り狂い、ありとあらゆる手段で強盗団の根城を探し出し乗り込んだ。
そこには、腐った血肉と臓物にまみれ、死体の上にまたがって腰を振り、狂い笑う少女が一人。
強盗団も。商品たちも。
他に生きた人間は誰一人いなかった。
「……壊れちまってた。俺も、そうとしか思えなかった」
「そうだな。詳しいことは分からないが、元には戻れない処に行っていた」
夜明け前。遠くの空が紫に揺れている。
何もない薄汚い通りを、ダウンとモルトは並んで歩いていた。
「その後……当時、この街を支配していた勢力の一つだったその元締め、以下部下全員が、殺された」
「賞金額がとんでもないことになったな」
取りあえず。その程度に二人は笑って。
「で……何人ぐらいだ。百はいってたか。それだけの賞金稼ぎが、返り討ちにされた」
「『魔王殺し』とまで言われたレイダン・グイが、まさか餓鬼に殺されるとは思ってなかったよ」
ダウンは苦く笑って、包帯に包まれた右手で灰色の髪を掻き毟った。
「アタシもどうにか手傷を負わせたが……逃げられた」
「あのままヤっていたら、勝てたか?」
モルトの問いかけに、ダウンは肩を竦めて見せた。
「わからない……本当に、わからないな」
「そうか……できれば、二度と関わりたくないが……そうもいかねぇ」
モルトが葉巻に火をつけ、大きく吸い込み、吐き出した。
「フィリー。『気狂いフィリー』。依頼があれば、その辺の子供から国の要人まで……時には依頼主まで殺す、暗殺者の皮を被った、快楽殺人鬼」
モルトの足が止まり、ダウンも向かい合う形で足を止める。
「あの時仕留め損なったせいで、相当な数の奴等がやられた」
「……」
葉巻が零れ落ち、踏み消される。
「『堕落勇者』ダウン……今度こそ、仕留めてくれ」
「……わかった」
遠く地平に光が伸びる。
ルベルト・エクス。ヴァリアント皇国勇者候補。
元々はヴァリアント騎士団に所属する騎士の一人だったが、その高い能力と真っ直ぐな人柄から、次第に彼単独の任務が増え、人々を苦しめる賊や魔物。さらには竜族や魔族からも人々を守る、まさに勇者たる人物だった。
「……しかも面もいいときてやがる。どうだい、『元勇者』としては」
「どうだろうな」
荒れた街を、数人の付き人と歩くルベルトを見ながら、顔見知りの賞金稼ぎの質問にダウンは肩を竦めて見せる。
「勇者候補がわざわざ、東部視察とは……ヴァリアントは東部まで領土を広げるつもりかね」
昼下がり。荒んではいるが、ある程度には普通の街の顔も持つこの街の『作り笑顔』を見て回るルベルトを、やや離れたところからダウンを含めた賞金稼ぎ数人が見張っていた。
「しかし、フィリーに狙われるとは……勇者にもなってないのに、不幸なやつだ」
「だな。どういう恨みを買えば、フィリーに狙われることになるのか……」
「おい、あまり気を抜く……シャル?」
緊張の糸が切れ掛かっていた仲間に声をかけていたダウンの言葉がとまる。視線の先にいたのは、自分の命を狙っている『娘』、シャルロッテの姿。
「おいおい、シャルが浮かれていたのは、ひょっとしてコレか?」
「何か、贈り物してるぞ……ダウン、知ってたのか?」
「……知るか」
見ていれば、シャルは嬉しそうに言葉を交わし、握手をして、軽い足取りで駆けていった。
「憧れの人は勇者候補、か。複雑だな、ダウン」
「……うるさい」
「しかし、贈り物が小剣ってのは……さすが、ダウンに育てられたって感じだよな」
「おまえら……ん?」
笑う仲間たちに拳を構えた時、先ほどのシャルのように駆けてくる娘がいた。
「はぁー、人気者はすごいね。ずっとこんな調子……」
「待て……」
昼下がりの街角にはやや溶け込めない、薄手の衣装に身を包んだ、赤毛の、くすんだ黒い瞳の……
「来たぞ、フィリーだっ!!」
ダウンはそう叫ぶと、背中に縛っていた獲物に手をかけ引き剥がし、ルベルトと娘の方へと駆け出す。
しかし、その時には、すでに肉厚の短刀の刃がルベルトの胸を……
「伏せろ、ルベルト・エクス!」
その声に身を引いて伏せ、何とか迫る刃から逃れたルベルトの頭上を、巨大な金属板……いや、巨大な剣が薙いでいく。
「あははは、何コレ、すっごーい!」
「おいおい……」
「化け物じゃねぇか」
ダウンがフィリーめがけて投げた、自身よりも長大な巨剣。回転しながら迫るそれに、笑いながら、無造作に手を伸ばして、柄を掴んで受け止めるフィリー。小さな小屋くらいなら破壊できるであろう一撃は、殺人鬼の肩を外す程度に留まってしまった。
「でもおもーい。って、あれ、久しぶりだね、おねーさん?」
「……ああ」
フィリーが落とした巨剣を、軽々と右手で拾い上げ、フィリーとルベルトの間に立ったダウンは、慎重に相手を見据える。
不気味なほどに艶のある長い赤毛。輝かない相貌。幼さの残る顔。それと不釣合いなほどに豊かで整った肢体。そして、全身から溢れる狂気と、右手の凶器。
「久しぶりだから遊びたいんだけれど、その前にその人を殺さなきゃいけないから、邪魔しないで?」
「すまないが、アタシはその邪魔をしに来たんだ」
フィリーは外れた左肩を、微笑を浮かべたままで、腕をひざで蹴り上げただけではめながら、短刀を構えた。
「とりあえず、アンタは逃げときな」
「ついて来い。死にたくなけりゃな」
「あ、ああ」
「あー、ちょっとぉ。逃がさないでよぉ」
ダウンの後ろで、男たちがルベルトを連れて離れていく。
そう、ダウンと違い、彼らへの依頼は『ルベルト・エクスを逃がす』こと。
「行かせない……っ!!」
「う、わぁっ!?」
巨剣が空を切り裂く音が響く。まるで細剣のように連続してフィリーへと放たれる斬撃は、掠めるだけで髪を、服を、薄皮を薙いでいくが、しかしその身には届かない。
「うわわ、どんな身体してんのよ、おねぇさん。本当に人間?」
「……さぁな」
ダウンの包帯に包まれた右腕一本で繰り出され続ける巨剣の乱舞は、大地や石壁や空間を穿つものの、全てフィリーにかわされてしまう。
「おっと、逃げられちゃう。おねぇさんとは、また今度ね?」
「……ちっ!」
それは、先端の尖った鉄の棒。手の平二つ分程の長さと、親指程の太さのそれが、フィリーの手から十数本放たれた。
ダウンは巨剣の腹を盾にしそれらを受け止めたが、高速で放たれたそれの一つが彼女の左肩へと突き刺さる。
「……待てっ」
「やぁだ」
ダウンが体勢を崩した刹那、フィリーは一瞬でその脇を駆け抜けて、ルベルトが逃げた方へと駆けていく。
「どっちが、本当に人間、だ」
鉄の棒を引き抜きそれを左手に握り締め、ダウンも走り出した。
世界が、黄昏に染まる。
いや、その中で、ただ一箇所だけ、黄金に染まることなく、赤黒い狂気に包まれている場所があった。
大通りから入り込み、何に使われていたかも定かではない、小さな倉庫。
小窓から差し込む光は途中から黒く染まり、その闇を打ち払えない。
そのまま世界に闇が訪れてしまえば、その気狂いの闇が溢れ出し、世界中が壊れた笑いに包まれてしまうと、そう恐怖させるほどに。
「ああ、安心して。別にアナタが悪いんじゃないからさぁ」
床に転がる数は五つ。そのうちの二つは『滅茶苦茶』になっており……そう、癇癪を起こした子供が壊してしまった人形、のようになっていて。残りの三つは四肢の骨の継ぎ間に鉄の棒を打ち込まれ、動くことすら出来ずに、ただ恐怖に、狂気に、なすすべなく震えている。
「立派な人間は辛いわぁ。だってただの妬みで、命を狙われるんだもの」
笑う。壊れたように笑う。壊れ笑う。
「ま、そいつも、死んじゃったけれどね。昔の言葉に『人を呪わば穴二つ』っていうのがあるらしいんだけれどぉ……百倍以上は開いてたかなぁ」
笑う。狂ったように笑う。狂い笑う。
「じゃ、あ……何で俺を……」
「えー? だって、依頼は依頼だしぃ……」
椅子に、ルベルト・エクス。後ろ手に縛られ、拘束されている。
「アナタくらい『御立派』なら、あたしも満足できるかもしれないじゃない?」
「ぎゃあああああああああ」
それは、残りの三つのうちの一つ。その腹に、鉄の棒が十数本の束で叩き込まれて引き抜かれ、その穴にフィリーの手が差し込まれ、引き出された中身を、今度は絶叫に開かれた口から中へと詰め戻される。
「な、な……」
ルベルトの、声が震えた。
「……なぁんだ。もうちょっと『御立派』かと思ったけれど、この程度」
フィリーの声が、低く、冷たく響く。
「つまらないわぁ……つまらない。期待はずれ……よ」
「ひっ……くるな……っ」
震えるルベルトに、半身を赤黒く染めた狂気の手が伸び……その指先が、恐怖に揺れる眼球を掴もうと……
「おおおおおおっ!!」
「きたっ!!」
扉が、周囲の壁ごと吹き飛び、黒い外套が飛び込んでくる。
フィリーの顔に喜びが浮かび、その喜びが凶器となって黒い外套……『堕落勇者』ダウン・フォールへと叩きつけられる。
「おねぇさん、やっぱり凄いわぁ! おねぇさんと遊ぶと、凄い感じるっ!」
「そうかい、そりゃよかったな」
迫る鉄の棒は全て巨剣で叩き落とされ、今度はその破壊の一撃がフィリーへと向かう。
「これは何? このゾクゾクするのは何っ!?」
笑いながら、フィリーは壁を蹴って跳び上がり、巨剣をかわしながら大量の鉄の棒をダウンへと投げつける。
「教えてやろうか?」
「え?」
次の斬撃は、初撃と同じ。剣が投げられ。
「そいつはな……『恐怖』ってやつだよ」
「か……っ!?」
剣を避け、体勢の崩れたフィリーの喉を、鉄の棒を全身に受けながら間合いを詰めたダウンの左手に握られた鉄の棒が、貫いた。
「かひゅ……」
床に転がったフィリーの喉から、赤が湧き零れていく。
「恐怖を忘れると、壊れることも忘れていくんだよ……」
足を引きずりながら、壁に突き刺さっていた巨剣へと腕を伸ばし。
「思い出せたか? そう願ってやるよ」
右腕で、巨剣を振りかぶり。
「そうすれば、少しは人間らしく……死ねるさ」
突き刺さった鉄の棒ごと、フィリーの首を跳ね飛ばした。
「……」
狂気が、掠れ消えて息絶えて。
やがて世界は、平凡な闇に包まれる。
「……なるほどな。壊れてなくした恐怖を求めていた、か」
「まぁ、憶測だけれど」
全身包帯だらけのダウンは、しかし今日も酒場で木杯を煽る。
「しっかし、まぁ、不味い酒だ」
「そうだな」
モルトと顔を見合わせ、苦く笑う。
「ああ、そうだ。ルベルト・エクスだが……」
「……ああ」
「やっほー。どうしたの、二人とも老けた顔しちゃって」
扉を跳ね開けて入ってきたのは、満面の笑顔のシャルだった。
「あ、これ。ディーズの店のクッキー。ダウン好きでしょ……って、なんでそんな怪我してるの?」
「え……ああ、ちょっとドジってね」
「ふーん……ダウンが……歳かしらねー。しょーがないから、今日は見逃してあげる。早く治して、万全の状態で、私に殺されなさいよね」
「あ、ああ。ありがと、う?」
「じゃあねっ」
「……」
「……」
それだけ残して、シャルは出て行った。
「シャルには聞かせられねぇな」
「ルベルト、どうなったって?」
苦笑交じりにクッキーの包みを開けて、二人で手に取る。
「再起不能、だ。恐怖で壊れちまったとさ」
「シャルの周りの『勇者』は、残念なのばかりだ。ツイてない子だ」
「自分で言うなよ……にげぇクッキーだ」
クッキーを食べたモルトがこぼす。
「ああ……苦い、な」
決して、焦げていたわけではなかったが。
END