君と穏やかな時間を
ファンタジーです。恋愛話ではないです
爵位を返上しました。宰相も辞任しました。後は、愛しい愛しい娘との、二人暮らしをする為に全てを捨てました。
慣れない農作業も、慣れない家事もいつも君と一緒なら凄く楽しかったです。でも、パパは親友達の為にもう一度だけお城に戻る事にしました。
俺は、ディージェ・ハルヴァード。一応、公爵の身分に当たる。身に余るような大きな屋敷に、仕事の出来る執事にメイドに囲まれ、今は無き妻との間に出来た愛娘が居て、なんの不満もない平凡な毎日。ちなみに妻は他に男を作って出て行った。追い掛ける程の情熱も、愛もなかったから追う事はなかった。城での身分は宰相。王は仕事の出来る人間なので、こっちにとばっちりは来ないし、仕事は溜まらないのでこちらもほのぼのと平凡な毎日を送っていた。それはそれで良かったし、なんの不満もなかった。
だけど、俺は何を望んでこんな事をやっているのだろうかと、思い始めた。今の仕事は、楽しいわけじゃない。でも、嫌いなわけでもない。友人も、少ないとはいえ居ないわけじゃない。毎日をそうやって同じ事を考えながら毎日毎日、飽きる程考えて出した結論は、自分はこんな事をやりたいわけじゃなかった、というシンプルな考えに行きついた。それからの行動は緩やかに、たまにボーっとしながら、爵位を返上して、宰相も辞めてそして、屋敷も手放す事にした。
それが、つい三日前の事だった。
爵位を継いでから毎日のように入り浸った、無駄な広さを持つ執務室に、手に馴染んだ万年筆。窓を開けると、爽やかな風が入り込み、たまに風が悪戯して紙を巻き上げ、それを苦笑しつつも年若い執事が拾って、机に置く。メイドが、決まった時間に来て、美味しいアップルティーと茶菓子用のクッキーを何個か小皿に乗せて、執務机の隅に、邪魔にならないように置いてくれる。たまに娘が来て、来客用のソファに座って、一緒にお茶をする時もある。棚一杯の本をいつも整理してくれる年配のメイドは、たまに執務机に突っ伏して眠る自分に、太陽の温かい匂いがする毛布を掛けてくれる。執務室の窓の外を見上げて、夜空に輝く一際大きな月を見ながら、オレンジペコを啜り、物思いに耽る。いつの間にか、居心地のよくなっていた部屋をグルリと見回しながら、これからの事を考える。
陛下は今頃、爵位返上の書類と、辞表を見て驚いている頃だろう。あれは、マイペースだから、部下のそういう書類は後から見るという癖がある事を長年の付き合いで知っている。
「マキュド、皆をロビーに集めてくれ。大事な話がある」
「っは」
一礼して、出ていく年若い執事は困惑の色を隠せていない。執事として、失格だな。と心の中で呟いて、溜息を吐き出す。
シュルリとネクタイを外して、着替え始める。
ロビーに行けば、使用人は全員集まったようだった。執事にメイドに、庭師にシェフ。
「おいで、」
そして、愛しい娘。
「アンジェ」
クリーム色という明るい色ではあるが、布の手触りやデザインは庶民の娘達がよく来ている洋服と相違はない。そんな今までとは肌触りのあまりよくない服を着ていて、アンジェはむず痒そうだ。
「皆の者に今日、集まってもらったのには訳がある」
なるべくロビー全体に響くように声を張り上げる。
「私は今日を持って、爵位を返上し、宰相を辞める事にした。正確には三日前に、その旨を正式な書類にして提出してきた」
ザワザワと煩くなる使用人達を静かにさせるように、より一層、威圧感と声を張り上げて言葉を紡ぐ。
「今日までよく働いてくれた事を感謝する。今この場で職を失くしたばかりだが、お前達の各々の仕事の腕前は一級品である事は間違いない。それぞれがその仕事を極めるも良し。他の家に仕えるも良し。皆が皆、自由にしていい。あぁ、それと、一応紹介状の件だが、それぞれの部屋に置いてある。必要であれば、それを持ち出してくれ。それでは、ありがとう。そして、さようなら」
娘を抱えながら階段を降りていき、門前で待たせてあった馬車に乗り込んだ。
そして、実はその日の夜、どこぞのバカ貴族や、俺の地位を妬んだ貴族など、俺に恨み辛みを胸に抱える大勢の貴族が大金でうちの使用人達を誑かせ、俺と娘のアンジェが暗殺されようとしていた事など俺が知っているわけでもなく、後に残された者達は皆一様に項垂れていたらしい。
引っ越し先は、空気の美味しい森の中。近くには泉があり、大きな木が数本並び、太い幹の上には事前に作らせておいた一軒家がある。森なものだから、獰猛な野生の動物から身を守る為にあえて木の上に作らせたのだ。
念には念を入れて、木の周りには頑丈な柵も作らせた。ちなみに泉の一部も込みで。これで野犬が昼間に来ても安心だ。少し離れた場所には、自給自足が出来るように畑も作ってもらった。もちろん柵で囲って、小さな小屋もあって、そこに道具一式置いてある。
「さぁ、アンジェ。これからここでパパと二人で暮らすんだよ」
頭をグリグリ撫でて、柔らかな黒い髪を手櫛で梳いてやる。
「うん!パパといっしょ!」
満面の笑顔を全面に出す、娘のこめかみにキスを送った。
それから月日はあっという間に流れ、三歳だったアンジェが十歳になった頃には、農作業や家事は二人で分担しつつもこなしていった。そんなある日。
なかなかにスペースの広い柵の中で娘とほのぼのと草の上に寝転がりながら最近拾った手負いの虎|(アンジェは猫といって聞かない)と遊ぶ可愛い愛娘を横目に、青空に流れる白い雲を眺めながら、微睡んでいると蹄の音が徐々に近づいてくる事に気が付いた。
「ミケ、落ち着け。多分あれは俺の知人だから」
そう言うと、虎はさっきまで鋭い歯をむき出しにしていた口を閉じて、警戒心だけこちらに向けている。ミケという名はアンジェが付けた。
「ディージェ!」
明らかに怒ってます。と言わんばかりに眉間に皺を寄せ、眉尻を上げて、馬から降りてきた男は騎士団長で俺の友人の一人だ。
銀色の髪を後ろで一つに括り、ひまわりの花びらのような鮮やかな黄色い瞳をした男前は、普段は銀色の明らかに重たい鎧を着ているのに、今日は動きやすそうな身軽な服装をしている。
「ウィンセントじゃないか」
本名、ウィンセント・ノウェルツォは貧乏貴族の男爵ではあるが、かなり強い男で、今この男に勝てる人間は居ないと噂されている。言葉はかなりキツイが情に厚く、強き者にも弱き者にも飴と鞭で接している為か、気付けば騎士団長に任命されていた。
「なんでここに居るんだ?」
「それはこっちのセリフだ!!」
怒鳴るウィンセントに、娘のグズる声に、思わずウィンセントを睨んでしまう。
「アンジェ、大丈夫だよ。もうちょっとミケと遊んでいなさい」
コックリ頷く娘にヒラヒラと手を振ってやると、アンジェは満面の笑みで全身全霊で手を振ってくる。可愛いなぁ。
「骨抜きだな」
「悪いか?」
視線は相変わらずアンジェに行っている。
「ずっと探した」
「何も言わずに出て行って悪かったよ」
「…………手紙ぐらい寄越せ」
「悪かったって」
「なんで、何も言わずに出て行った」
仲良くアンジェとミケがじゃれ合っている所を見ながら、視線を立っているウィンセントに向けた。
「座ったら?」
横をポンポンと叩けば、素直にそこに座るウィンセントは、隙だらけだ。今、矢でも打たれたらウィンセントは簡単に死んでしまうだろう。
「なんか言ったら止められてたから、黙って出て行った」
「……お前の屋敷で働いていた者達全員が、アホな貴族連中が差し向けた暗殺者だった事は知っていたか?」
「全然」
「お前が屋敷に居ない事で、心臓が止まり掛けたぞ」
「はは。ごめんな」
「謝るぐらいなら戻ってこい」
「それは出来ない」
遠くで青空に漂っている雲を二人でボーっと眺めながら、気の抜けた会話を続けた。
「お前が、城には必要なんだ」
「……なんかあった?」
「王が、ガルティナが寂しがっている」
ガルティナ・フォルセナは、国王だ。四人の子供が居て、四人全てが王子である。ガルティナ自体が容姿端麗で、傾国の美女も眩む程の美貌だ。まぁ、先代も先々代の王妃も見目麗しい美女だった。というか、歴代の王妃は皆が皆美しかったせいもあり、現国王が美しいのも当たり前だ。
「それに、お前以上に宰相に向いている奴が居ない。だから、今の宰相位は空席だ」
「有能な人間ならいっぱい居る」
「居たら世話ない」
確かにその通りではあるだろう。だが、宰相位が空席なのは痛手だ。いつどこぞのアホ貴族に付け込まれるかわかったものじゃない。
「戻る気はない。俺は今、この生活が気に入っている」
「………そうか」
至極残念そうに呟いたウィンセントは脇に置いてあった荷物をゴソゴソと漁って、ヒョイと手紙を俺に差し出してきた。反射的に受け取ると皺くちゃになった一通の手紙、の差出人はガルティナだった。
「………………お前、仮にも陛下の手紙を粗雑に扱うなよ。めちゃくちゃ皺寄ってんじゃねぇか。あ、ここ破れてるし…」
「し、仕方ないだろう!俺は不器用なんだ!」
「これをお前は不器用と言うのか。子どもでももうちょっと綺麗な状態を保って持ってくるぞ」
「う、煩いっ!!いいから読め!!」
手紙を開けて読むのには、一苦労した。なんせ皺くちゃ。そーっと開かないと皺が深く刻まれた箇所が破れてしまう。まぁ、こういう事は慣れている。ウィンセントが持ってくる書類が綺麗だった事は未だかつてない。
「…………」
「お前の子ども、女だろう。だから、宰相位に戻らないなら、その条件として四人の王子の内のどれかの嫁にさせるってさ」
「アンジェ!これからパパとお城に引っ越そうか。あぁ、ミケも一緒に連れて行こう。番犬ならぬ番猫だ」
手紙にはざっくんばらんに説明すると、「戻ってこないなら息子の嫁にする。これ、王様の絶対命令だから」という事である。俺の可愛い可愛い可愛い可愛いアンジェが男の毒牙にされるなんて絶対ダメだ。神が許しても俺が許さない。
「無理矢理だが、まぁ、よかった」
「ところで家なんだが、」
「城に住んでもらう予定だ」
逃げ場がない。
これでは朝から晩まで仕事三昧。アンジェと遊んでやる暇なんかなくなるではないか。
「わかった。後は、俺から陛下に直談判しよう」
「ディージェ、お前…ガルが面白おかしく言っていた通りの行動してるぞ」
「…………とりあえず、週休五日で」
「ふざけるなよ」
ウィンセントのこめかみに青筋が浮かび上がった。
その日の夜は、ウィンセントは我が家に一泊してから城へと戻って行った。次に来るのは一週間後の事だった。
城は俺が居た時より荒んでいた。
まず名ばかりの大臣や、サボりが目立つ兵。侍女と下女の教育のなってなさ。後宮は今の所は名のある貴族連中が勝手に入れた姫達が住みつき、見た目にはわからないが、裏では酷い惨状。とりあえずなんとかしなければ、その内、王妃を始めとする王子達も俺の愛娘も暗殺されてしまうなぁー。
城に着き次第、俺は元の管轄に戻る事になってしまった。どうやら陛下は、爵位返上の書類も宰相辞表の書類も判を押す寸でで、たまたま執務室に来ていた王妃により止める事が出来たらしい。ちっ。そんなわけで、俺の地位も役職も変わらずというわけである。
「よくここまで仕事を溜め込めましたね」
「お前が居ないだけでこんなに忙しくなるとは思ってもいなかったからな!」
陛下は怒っていた。ウィンセントは当たり前だという顔をしていたが、俺にはあまり意味がわからなかった。
「とりあえず、やれるだけの事はしましょうか。ウィンセント、その書類の束から取ってくれ」
「あぁ」
ドスンっと最早紙の塊と成したそれを、俺の執務机に置いたウィンセントは自分の仕事をやる為に机についた。
一枚の書類を手に取ってみると、隣の部屋が煩い。○○姫が暗すぎて後宮の雰囲気が暗くなる。アイツ女にモテすぎてウザい。など等、どうでもいい事をなぜここに持ってくる。相談窓口はどうしたんだ。
「……陛下」
「なんだ」
「掃除しましょうか」
その一言で、貴族連中の姫達を追い出して、後宮を取り壊し、兵達の統率を厳しく行わせ、管轄や役職関係なく洗いざらいに今まで行ってきた汚職を絞り出し、バッサバッサと首にし、酷い時は爵位を没収。侍女や下女は、身分関係なく志願している者が居れば、受け入れ一から教育をさせ、またウィンセントには騎士団長として、隊をいくつか作らせ隊長をそれぞれに配置し、定期報告行わせる。その際、不正がないかを見定める為、ウィンセントが心から信頼出来る者を一つの隊に少なくとも一人は潜らせている。文官達に関して言えば、ガル曰く俺が居るというのに不正を行う不届き者は勇気あるバカだと言っていたので、俺が目を光らせていれば大丈夫なのだろう。
俺も随分と信頼されたものだな。
宰相位に着いて一か月が経った頃に、ようやく休みが貰えた。久しぶりにアンジェと一日中遊ぼうと娘の部屋へと向かった後の執務室でガルとウィンセントは涙していたらしい。
「アイツが居ない間は大変だったな…」
「あぁ…」
さて、誰が気付くだろう。
あんなに暢気で温和な性格をしていて、娘大好きな男が、執務室の床には足の踏み場もなかったぐらいに書類の山があったというのに、それを一か月で全て綺麗にして行ってしまった。しかも仕事量が、ここ一か月格段に増えたというのになんでもない顔をして次々に消化していく様を見るのは久しぶりであった。ガルティナにとってもウィンセントにとっても、宰相はディージェしか知らなかった。あれが普通だと思っていたのだ。通りで周りの古株の奴等はディージェを神の申し子と意味の分からない事を言っていたわけだ。
いわゆる、ディージェは天才だった。本人も周りの友人も気付かないぐらいに彼は穏やかで、あまりにも仕事が出来ていた為それを普通だと思い込んでいた。ディージェが居なくなった数年間は本当に大変だった。仕事は溜まる一方、仕事を消化しようと集中すれば、いつの間にか使用人達が喧嘩をし、兵達は目を離せばすぐにサボるか寝る。それらの上司達も何をしているのか注意もしない。こちらで注意を促せば「彼等の問題でしょう」と我関せずな態度を取る。問題しか浮上しなくなった城で、ディージェはよく彼等を抑え込んでいた。同じ人間でここまで出来が違うと悲しくなってくるものだが、ディージェが戻ってきた一か月間で環境はガラリと変わった。
後宮がなくなり、血税を食らうしか能のない重臣達を切り捨てあまりに酷い時は爵位を没収し、侍女や下女でも使えないと判断したものは家に帰され、逆にまだ使える、やる気がまだある者に関しては残らせ、サボりの目立つ兵達はディージェが帰って来たお蔭で一気に余裕を取り戻したウィンセントが直々に指導し、統率出来た。
「これで、残る問題は王子達の婚約者探しだな」
アンジェは身分も申し分ないし、父親がディージェである事は周囲が認めている。ハッキリ言って、婚約者相手としては申し分ない。が、
「あのディージェがアンジェを手放すとは思えないしな」
「王妃としての知識だとか、立ち振る舞いも申し分ない。なんとか、ディージェを出し抜く方法はないだろうか」
余裕が出来ると人間、更に欲深くなる生き物らしい。これでディージェが王子四人分の婚約者を探してきそうだ。もちろん娘に近付く男達を一掃という名目で。
「アンジェが可哀想だ」
「出来るだけアンジェの望みは叶えてやろう」
二人がこっそり誓いを立てるものの、その数年後にはアンジェはディージェの教育の元、すっかり腹黒くなってしまったガルティナの息子の長男と結婚し、苦労を積み重ねるのだった。