火付けのロレンス
そういえば、郵便ポストの中身をチェックしてないなと。
久しぶりに外に出てみた。
郵便ポストは庭先にあって、塀から向こう側は奥が見えないくらい深い森と、土が剥き出しの小道になっている。小道は森に続いている。
ヘンゼルとグレーテルが抜けて来そうな小道だ。
庭の出口の扉は壊れていて閉まらないし、ぎいぎい鳴るので随分前に取ってしまった。
私は本当に外に出ない。
月に一回の食料を運んでもらう時も、お店の人と会わないように時間をずらして行く。
それでも私が生きているのはわかるんだろうなぁ。
結構、入ってるんです。ダイレクトメールとか、広告とか。――不動産屋の。
今日も、『家、売りませんか?』『土地活用の専門家○○』『○×地所不動産販売 担当者云々』『住宅リフォーム、床下の・・・』『お墓 大丈夫ですか』と様々に呼びかけてくる十数枚のチラシ(・・・・・・失礼な!まだ死んでないっ!)をぎりぎりと雑巾絞りにして。
――ちょっと考えてみた。
がさがさと目に付く範囲で庭の落ち葉を掃き集めたら、私の腰くらいの高さになった。
この家には木が凄く多い。
食べたい果物は手当たりしだいに植えたようで、冬以外は何らかの果物が食べられるようになっているし、時節柄の植物は全部見ることができる。無秩序でもある。
この間可愛い泥棒さんがもいで行った柿の木が落葉したので、ちょっと気まぐれを起こしたんだけど。
・・・・・・いや、チラシを焚き付けにして、落ち葉でサツマイモ焼こうかな、と。
濡らしたキッチンペーパーで芋を包んで、その上をチラシで二重に。
で、火をつけようとして途方に暮れた。火種がない。
電子コンロにしちゃったし、お仏壇もない。私、煙草吸わない。つまり、火が点けられない。
ひゅおーっと、落ち葉が風で崩されて行くのを『私、段取り悪いなぁ』とか思いながらしょんぼり見る。
荒れた庭は雑草が生い茂って如何にも廃園という趣だ。
芝生が進行を妨げているけど、劣勢は隠しようもない。
一人だから手入れが行き届かないのは仕方ないと思うけど、久しぶりに外に出て、外の寂しさに気がついてしまったことだった。
やがて気を取り直して思った。お茶にしよう。
落ち葉はそのまんまでいいや。誰も見ないしね。
焼き芋をするつもりだったので、外で飲食が出来るような準備がしてある。
用意した一式全部をお盆に載せて、そこへ運んでいた時だった。
「ごめんください。どなたかいらっしゃらないか?」と張りのある声が言った。
色黒の男の人がいる。
目の前にいたのにこっちに気づいていなくて「どちら様?」と声をかけるとびっくりした顔をした。
くっきりした笑顔をしていて、笑うと歯がすごく白い。
彼は頭に布を巻いて、スーツ姿に外套を腕に掛け、ステッキを手に持っている。不思議とその組み合わせが似合っていておかしな所がない。
黒い瞳にすごく力がある人で、肩の辺りから意志の力が湧き上がっているように見える。
漠然と、『アラビアのロレンス』みたいだなと思った。昔の映画で、そういうのがあった気がする。
ロレンスは、困った顔で肩にスーツの上着を突っかけ・・・・・・手にかじりかけの林檎を持っていた。この家に来る人はいつも勝手に庭の木の実を食べている。いいけど。
で、私がそれを目に留めたのに気づいたらしいロレンスは罰が悪そうに笑ってから、腹を決めたように不敵なにやりという笑顔になって、王様みたいに堂々と言った。
「道に迷って、ずっと歩いて来て喉が渇いている。お茶を一杯頂けないか?」と。
多分、この人は命令することにすごく慣れているんだろう。
頼みごとをしているのに卑屈な感じが全くなくて、むしろ正当な権利かのように堂々とした要求だった。
却って好ましくて、少し笑ってしまった。
すこし息を弾ませて、シャツの腕をまくって熱そうにしていたし、上着を脱いで、タイも緩めていたから本当のことだったと思う。
だから「ちょうどお茶の用意をしていたんです」と言って庭先に招いた。
埃よけに、チェックのブランケットかけた椅子に彼を案内してから、
砂時計を反す。
「少しここでお待ちになっていてください」と言って裏へ急いだ。
珍しいものを出そうと思ったのだ。
果たしてそれは裏に実っていた。お茶請けとしては粗末だけど、これに昼に作ったサンドイッチを添えればいい。
カップは一人分しか出してないから客用を用意して、サンドイッチを小さく切って、食器を選んで。
時間って経つのが早い。走って戻る。砂時計は?うん、三分なんてすぐだったね。
「お待たせしました」と言って物珍しげに辺りを睥睨していた彼に出す。
紫の実が爆ぜて中の白い果肉が見える。
見たことがなかったらしい彼は面妖な、という表情で「これは?」と聞いて来た。悪戯を仕掛ける気分で笑って「あけびです」と教えた。
「粗末なものですが、今の時期にしか食べられないので」と。
彼は神妙な顔で白い果肉をフォークで割り、黒い種を避けて口に運んでから一言「悪くない」と言った。
そこではっと気がついた顔になる。
姿勢を正し、力のある目で「申し訳なかった」と謝罪した彼の意図を図りかね、首を傾げる。
淡々と目を伏せた彼は「知らぬとはいえ、勝手にお宅の物を食べてしまった」と言った。
何でそんなこと、と考えてわざわざ採ってきた木の実の意図を誤解されたんだと気がつく、珍しいものを食べて欲しかっただけなのにと。
青くなった私は、何とか彼に気にしていないことを伝える術はないものかと知恵を巡らせた。
やがて口を飛び出したのが、自分でも考えていなかった「門が・・・・・・」という言葉だった。
思いもしなかった言葉で、言ってからぎょっとした。
でも、大したことじゃないのに問い質すように見つめてくる彼に、引っ込みがつかなって。
「門が壊れたから、取ってしまったんです。門がないならそれは外と一緒ですから、私の庭は森と一緒でしょう?・・・・・・森のものを食べても誰も文句は言いませんから、貴方はそれを食べてよかったんだと思います」と言う筋のことをつっかえながら言った。
めちゃめちゃな言い分だったと思うけど、不思議と言っていて納得できる事でもあった。
実際、彼は莞爾と笑って「変わった方だ」と許してくれたから。
私は真っ赤になったけど、彼は私の失敗なんて気にしてないようなので、後悔はせずに済んだ。
で、お茶会なんだけど。
お茶にミルクを入れ、彼にも勧めたところで「これは?」と聞かれる。
ブランデーシュガーのことだ。袋に一個ずつ入っているから分からなかったんだろう。
「お砂糖です」と答えて、眉を下げた。
嫌なことを思い出した。
一気にしょぼくれた私に、「どうした」と聞いて来る彼。
「大したことじゃない」って慌てながら答えて逃げるつもりだったんだけど。
でも、言い訳させてもらうと彼ってすごく強制力のある目力を持っていて、目の前に座られて問い質されると、何でも話さなきゃいけない気分になってしまうから。
で、結局これも逃げ切れなかった。仕方なく答えた。
「元気を出そうと思ってブランデーシュガーを奮発したんだけど・・・・・・ああ、このお砂糖にはお酒が染み込ませてあって、スプーンか何かの上で点火して、アルコールを燃焼やしてお茶に入れるお砂糖なんだ。・・・・・・そのまま入れても勿論いいけれど、お酒がきついし、何より私は点火の過程が面白くて買っていっていたものだから」と。
そして気まずく、本当に気まずく「火をつける道具が何もないんです・・・・・・」と蚊の鳴くような声で付け加えた。ほら、大したことじゃない。なんでしつこく聞くの!
それは本当に情けない声だったから、私はみっともなくて、惨めだった。
で、ここからが吃驚。凄いんだよ!
彼がね。すごーく不敵な顔になって、にやりって笑ったんだ。
それでゆっっくり勿体つけながら、指を一本、空に向かって立てた。
そして、きょとんとした私に『見てろよ』って顔をした。
指先に目をやってじぃっと見つめるロレンス。真剣だったから、同じくらい私も真剣に見た。
しーんとした沈黙。ひゅうっと風が吹いていって、緊張感で息を止めて生唾を呑んだ。
緊迫と、静寂、彼の指先を穴が開くくらい注視して――『ぼっ』
私思わず『ぎゃあっ』って叫んだ。だって指が、指が燃え、もえてっ、ええっっ?
と、思ったところでロレンスが悪戯っ子の顔でにやにや笑ってた。
恐る恐る覗き込んだら、ロレンスの指は燃えてなかった。火は指の皮一枚分くらいのところに点いていて、にやにや笑っている彼は凄く得意げな顔だったから、想定内のことだったんだって気がついた。
そして、彼は火のついてない方の指先を私の持っていたティースプーンの上の砂糖に向けて、
『ぼっ』と砂糖に火がついた。
無造作に、当たり前のようにブランデーシュガーは炎を纏った。
外側だけ赤い炎はしばらくすると小さな、温度の高い青い炎の塊になる。――この瞬間!
私はすごく機嫌がよくなって『うわぁ』って叫んで、その炎をとっくりと眺め、満足してからお茶に落とした。
火はじゅっと鳴いてから、消えた。
『どうやったの?』って顔で見る私を、彼は大声で笑った。
「このくらいの炎で喜ぶなら、いくらでも出せるさ!私の国では当たり前だ」と。
異世界だと思った。
その後、彼はにやにや笑いながら、私の家が妖怪が出そうなくらい寂れていて(失礼な!)、絶対に無人だと思っていたから、遠慮なく無花果や石榴を食べながら来て、林檎は一番最後だったと白状した。全然申し訳なさそうじゃなかった。
そして太陽と炎が『分けてやりたい』くらいあるらしい灼熱の国である彼の故国の自慢と、雨ばかりで捻くれた風が吹く皮肉屋しかいない留学先についての愚痴を一頻私にしてから、「また来る」といって去って行った。
「迷って来た」と言っていたのにどうやって来るつもりなんだろう?
もちろん、「朝飯前だ」という彼に強請って、焼き芋の薪に点火して貰った。
本当に朝飯前らしくて、彼が手をかざしたと思ったら、もう轟々と火が燃え盛っていた。
しっかりと中まで焼けた焼き芋をたらふく食べる事が出来たので、満足している。
家の外が異世界になっちゃったけど、全然問題ない。
異世界の人は指一本で火が点けられるらしい。
読んでくださって有難うございました。
※莞爾は「にっこり笑う」の意味だそうです。
心なしか、文体が変っている気がします。この話は昨日の夜唐突に書きたくなって、即興の文体で始めたので、今日になって同じ文体で書くことが凄く難しいことを痛感しています。見苦しい点は順次直して行こうと思います。