――1章2節 必要とされる孤独
家を出ても、夢の余韻は消えなかった。
あの手の温もりと、写真の不自然な空白。二つが頭の隅で重なったまま、真弦は通学路へ出る。
ガラスの街が、朝陽を弾いていた。
その光に紛れるように、待っていたかのごとく声が飛んでくる。
「真弦くん、おはよう! 昨日は本当に助かったよ」
カフェスタンドのケンジが、湯気の立つカップ越しに手を挙げる。
「配送ルートの件ですよね。あれくらい、すぐですから」
「“すぐ”じゃないって。三十分も付き合ってくれただろ」
真弦は軽く首を振って、先へ進む。
角を曲がると、今度は花屋のミサキが店先から身を乗り出した。
「真弦くーん! この前のお礼、まだしてないよね。お花、持ってってよ」
「気持ちだけで。……それより、水やりの機械、直りました?」
「ばっちり! あなたのおかげ」
「よかった」
それだけ言って、また歩き出す。
背中に、配達員のタケシの声が追ってきた。
「相変わらずだなあ、真弦は。礼ひとつ受け取らない男」
「受け取るほどのこと、してませんから」
そんなやり取りを聞いていたトワが、肩の後ろで言った。
「真弦さま。今朝だけで、もう七人に感謝されています」
「数えなくていいよ、そんなの」
「ですが、皆さん本心からのようでした。真弦さまは、この街に必要とされています」
真弦は答えなかった。
人を助けるのは、特別なことじゃない。困っている人がそこにいるから、手を貸す。それだけだ。
理由を問われても、うまく説明できた試しはない。
ただ――誰かに必要とされるたび、ふと思ってしまう。
じゃあ、自分が本当に必要としているものは、どこにあるのだろう、と。
朝の夢で伸ばした手の、その先のように。
「真弦! おーい、真弦!」
物思いを破ったのは、聞き慣れた声だった。
振り返ると、リョウが息を切らして駆けてくる。その後ろから、呆れ顔のアイリ。
「ったく、何ぼーっと突っ立ってんだよ。三回も呼んだぞ」
「悪い。考え事してた」
「お前の考え事、だいたい難しい顔してるからすぐ分かる」
リョウがにっと笑って、真弦の肩を小突く。その軽さに、頭の隅の靄が少しだけ晴れた。
「ほら、行こ。一限、授業AIのクロノスの講義だよ」
アイリに促され、三人は肩を並べて歩き出す。
誰かに頼られるだけの朝に、こうして横から肩を並べてくる二人がいる。それが、真弦には少しだけ、くすぐったかった。




