聖女召喚の儀式に失敗したので旅に出ます
召喚の間は、厳かな雰囲気に包まれていた。
王宮の地下に集まるのは宰相、魔法兵団長、大司教、宮廷魔術師長の四人。聖なる儀式に臨めるのは限られた者だけだ。
弱冠十八歳で宮廷魔術師長に任じられたイェレミアスは、豪奢な杖を床に突く。
目を閉じ、石畳の床に魔力を流していく。やがて描かれた魔方陣は淡い青の光を帯び始めた。
異世界から聖女を強制召喚する呪文は、代々宮廷魔術師長にのみ受け継がれている。長い古語の呪文を慎重に唱え、奇跡の瞬間を希う。
カッと魔方陣がひときわ強く輝いた。
部屋中を覆い尽くす光量に、思わず目をつぶる。
徐々に光が弱まり、ゆっくりと瞼を開く。その場にいた全員が息を呑んだ。
「なんだ、これは……」
誰かがかすれた声でつぶやいた。
イェレミアスは口をぽかんと開けたまま、胡桃色の瞳を瞬かせる。
見間違いではないかと思う。そう思いたかった。だが、脳裏をよぎるのは失敗の二文字だった。
「ばかな! 嘘だ。呪文を間違えたんだ、そうだろう!?」
「いいえ。彼は圧倒的な魔力量を持ち、現存する古代魔法をすべて扱えます。だからこそ、特例として宮廷魔術師長になった。違いますか?」
「ぐぅ……だったら、この光景をどう説明するのだ! 宮廷魔術師長に推薦したのは大司教猊下、そなただろう。どう責任を取るつもりだ? 聖女召喚の儀式を失敗したなど、国王陛下にご報告できるわけがないっ!」
憤慨する魔法兵団長を大司教がなだめるが、火に油を注ぐ結果になっている。
イェレミアスは唇を引き結ぶ。
今ここにいるのは組織のトップたちだ。批判される立場の自分の意見は求められていない。彼らの決断に従うしかないのだ。
顎に手を当て考え込んでいた宰相がふっと顔を上げ、よく通る声で場を制する。
「落ち着いてください。誰にも責任はない。……魔方陣は正しく作動しました。異世界にも聖女はいなかった、そうは考えられませんか?」
新たな結論に、魔法兵団長と大司教は顔を見合わせた。
光が消えた魔方陣の上には誰もいない。それが答えだ。しかし、宰相が言うとおり、呼びかけに応じる人物が最初からいなかったのなら、目の前の光景も頷ける。
結局、それ以上の結論は出ず、ありのままを国王に報告することになった。
「──イェレミアス・グラーファ」
「はっ」
「そなたには失望した。国の一大事という局面で、よもや聖女召喚の儀式を失敗させるなど、あってはならん。疾く早く、この者を王宮からつまみ出せ……ッ!」
国王の命令と同時に、近衛兵が左右からイェレミアスを拘束した。
とっさに左右を見渡すが、誰とも視線が合わない。苛烈な国王に直訴することは、自分の身を滅ぼすと知っているからだ。
この場に、自分の味方は誰一人いない。
そのまま王宮の門から外へ放り出され、イェレミアスは閉ざされた高い門を力なく見上げた。
(ははは……。当たり前か。聖女が召喚できない時点で、俺に価値なんてない。命があるだけ、まだ恵まれている)
途方に暮れていると、近づいてくる足音に気づき、振り返る。
そこには、申し訳なさそうに眉根を下げた大司教の姿があった。ご自慢の立派な白ひげも心なしか元気がなさそうだ。
「……大司教猊下。すみません、あなたの顔に泥を塗ってしまいました」
「私のことはどうぞお気になさらず。調子が悪かっただけですよ。誰だって、うまくいかない日はあります。けれど、あなたには誰の追随も許さない魔法の才能があります。私は自分が視た未来を信じています。この国の未来には、あなたの力が必要です」
本当にそうだろうか。
聖女召喚の儀式を失敗したという汚点は一生ついて回る。
名誉挽回の機会が与えられたとしても、一度見下した相手を敬うことなんて無理だ。周囲の期待に応えられなかった。一度失った信頼は、そう簡単に取り戻せない。
絶望に打ちひしがれていると、柔らかな声が耳に届いた。
「国王陛下の怒りが収まるまで、今はどこか静かなところで身を隠しなさい。少ないですが、これでどうにか生き延びてください。時を待つのです」
「時を……?」
「あなたに女神の導きがあらんことを」
硬貨が入った小袋をイェレミアスの手の中にそっと置くと、大司教は踵を返した。その背中が小さくなるまで見送り、おもむろに立ち上がる。
土埃がついたローブを軽くはたき、今後のことを考える。
(ここで立ち止まっていても仕方ない。……さて、どこに行こうか。宮廷魔術師長という肩書きがなくなった以上、王都にはいられないな。無職になってしまったし、まずは職探しか)
幸い、魔法の杖は手元にある。
大司教からのお金があるので、当面の生活費もなんとかなるだろう。
(手っ取り早く仕事を探すなら、ギルドで魔術師を探しているパーティーに入れてもらうのがいいかもな……。王都では顔が割れているし、悪評もすぐに広まるだろう。近くの大都市に行ってみるか)
そうと決まれば、善は急げだ。
イェレミアスは手早く旅支度を整え、夕方発の乗合馬車に飛び乗った。
◆◆◆
さすが交易都市だ。
どこも活気にあふれ、夜市では食事中の冒険者や商人の姿も多い。
辺りを漂う香ばしい匂いに誘われるようにして足を踏み出すと、路地裏から悲鳴のような叫び声が聞こえた。
イェレミアスは足音を立てないように細心の注意を払い、近づく。ちょうど手前にあった大きな樽から顔を覗かせ、耳を澄ます。
「そんなの知らない! 僕は元の世界に戻りたいだけだ! いきなり異世界に連れてこられて迷惑してるんだから」
見慣れない白い上下の服を着た少女が叫んでいる。
(なっ……今、異世界と言ったか!?)
淡い栗色の髪は肩にかからない程度で揃えられ、ゆるやかな癖がついていて綿菓子のようだ。色白の少女は大柄な男にも物怖じせず、きっと睨みつけている。
その漆黒の瞳は、意志の強さを感じさせた。
命令に慣れた為政者を彷彿とさせる冷ややかな視線に、対峙する男がわずかにたじろぐ。男がぎゅっと拳を握りしめた。
(暴力沙汰になってはマズい。早く彼女を保護せねば……っ)
イェレミアスは急いで二人の間に割り込む。
微笑みながら、少女の見えない角度で大柄な男に銀貨を握らせた。
「失礼、俺の連れです。どうか、この場は収めてくれませんか?」
「ちっ……! 次から気をつけるんだな!」
捨て台詞を吐いたあと、その場に残されたのは異世界の少女とイェレミアスだけだ。少女は身構えたまま、じっとこちらを見つめている。
警戒心の強い猫みたいだと思ってしまう。
イェレミアスは相手を刺激しないよう、穏やかな声で端的に質問した。
「失礼ですが、あなたは異世界人でいらっしゃいますか?」
「そうだよ。見ればわかるでしょ? 服装だって全然違うんだし」
確かに、彼女の着ている服は見たことのない学生服だ。少なくとも、この国のものではない。
「……いつ、この世界に渡ってこられたかはわかりますか?」
「今日だよ! 購買で買った焼きそばコロッケパンを食べようと口を開けた途端、なんかこうピカッて光って。これ絶対やばいやつだって直感したんだ。だから必死に逃げたのに、光がしつこく追いかけてきて……気づいたらここにいたんだよ!」
少女がばっと腕を振り、懸命に訴える。
その瞬間、イェレミアスはすべてを悟った。そして片手で顔を覆った。
「すみません。その原因は俺です」
「…………は?」
「俺が聖女召喚の儀式を執り行いました。魔方陣は光りましたが、なぜか聖女様のお姿が見えず、てっきり儀式は失敗したと思っていたのです」
「ちょっと待って。聖女って言った? まさか、僕のことを言ってる?」
訝しむ視線を向けられた。気持ちはわかる。
聖女召喚の儀式は、世界を救うためという大義名分があるものの、実質は誘拐である。太古から伝わる魔方陣を使い、異世界から聖女にふさわしい少女を強制的に連れ去るのだ。正常な人から見れば、どう見ても誘拐罪に他ならない。
逆の立場なら、怒り狂ってもおかしくない場面だ。
(経緯はどうであれ、俺が異世界に召喚したのは事実。魔方陣の上に現れていればその場で説明できたが、彼女は自分がなぜここにいるのかを知らない。これは俺の責任だ)
召喚魔法を使ったのは、他ならぬイェレミアスである。
説明義務は果たさなければならない。
「あなたは優れた聖魔法の使い手、この世界に光を取り戻せる唯一無二の御方。魔の力が抑えられなくなったとき、異世界から聖女様をお招きすることになっています」
「僕が聖女? ないないない。魔法なんて見たことも使ったこともないし。異世界人ではあるけど、僕が世界を救うとかあり得ないから」
「召喚されたばかりの聖女様が戸惑うのも無理はないでしょう。大丈夫です。まだ力の使い方を知らないだけです。あなたの存在に国中が安堵することでしょう。聖女様は我らの希望の光ですから」
不安を和らげようと真摯に伝えたつもりだったが、聖女はうんざりした顔でため息をつく。
「やだよ、無関係な人間に責任を押しつけないで。僕にそんな義務はない。それに、聖女ってことはあれでしょ? 魔王を倒すやつでしょ?」
「いいえ。魔王はいませんよ」
「……え? 地道に旅をしながらレベルアップしていって魔王を倒せば終わり、っていう話じゃないの?」
「違います。各地域に魔力汚染で変質した魔獣の主が出没しています。変種の魔獣は非常に凶暴で、討伐は至難の業です。聖女様は各地の魔獣を殲滅していき、穢れた大地をすべて清めたら旅はおしまいです」
イェレミアスが説明し終えると、聖女の頬が若干引きつっていた。
「へ、へぇ〜。そうなんだ。なんか意外」
「とにかく、聖女様がいらっしゃる事実を国王陛下に報告せねば。まずはお召し替えが必要ですね。聖女様にふさわしい美しい衣装を用意し…………」
「どうしたの、固まって」
イェレミアスは視線をさまよわせる。
未成熟の少女特有のオーラを放っていたせいで気づかなかったが、聖女の着ている服は男性のものだ。これは一体、どういうことだろうか。
(長い睫毛にぷっくりした可憐な唇。うっすら色づいた頬。ほっそりとした白い首。いやいや、どう見ても少女だ。間違いない。……だが、聖女様は自分のことを『僕』と言っていたな。つまり、やはり少年だったと? 俺は悪い夢でも見ているのか!?)
試しに自分の頬をつねってみるが、しっかりと痛みを感じる。地味に痛い。
結論、これは夢ではない。
頭を鈍器で殴られた衝撃が襲った。
「あ、あの、俺の見間違いかもしれないんですけど。その、ズボンをお召しになっているように見えるのですが」
「見間違いないじゃないよ。僕、男子高校生だもん。ズボンを履いていて当たり前でしょ?」
「なっ……ななななな、なんという……!」
両手を口元に当てながら後ずさった。
驚きのあまり、声を失う。
(もしや……魔方陣は、彼を間違って聖女として認識してしまったのか?)
ダメだ。頭が混乱してきた。
呼吸が浅くなっている気がする。思考が鈍る。脳が酸素を求めている。
意識が薄れていく中で、呆れたような高い声が聞こえてきた。
「まぁ、落ち着きなって」
「これが落ち着いていられますかっ! 聖女様が男だったなど! 前代未聞です! 国王陛下に報告したら世迷い言を、と仲良く切り捨てられて人生が即終わりますよ。……危なかった」
カッとなりやすい国王のことだ。
即座に首をはねられていたに違いない。早めに気づいてよかった。
「なーんか安心しているところ悪いけどさ。確かに、男子の制服を着ているよ。でもね、僕は正真正銘、女だよ」
「ははは。またまたご冗談を。レディは男物の服を着たりいたしません。おちょくらないでください」
「そういえば、まだ名乗っていなかったね。僕は九十九谷千影。男子高校生とは仮の姿。僕の家はちょっと変わっていて、小さいときから誘拐事件が多くてね。自衛も兼ねて、普段から男装させられているわけ。女の子の姿をした僕は、それはそれは可愛いんだからね」
千影は可愛くウインクしてみせた。
とても似合っていた。惚れっぽい男がいたら、イチコロだっただろう。
彼女の申告どおり、昔から男のふりをしていたなら、言動や仕草が男っぽいのは当然だ。男を演じるのは息を吸うのと同じことだろうから。
少年と少女の狭間のような曖昧な存在など、初めて見た。何を信じていいのか、正直わからなくなった。
イェレミアスは困惑を隠せないまま、なんとか口を開いた。
「…………本当に女性、なのですか?」
「そうだよ。普段から僕って言っているし、長いこと男の子のふりしているから、すぐには信じられないかもしれないけどさ。女装も男装もどっちでもいけるよ」
「性別が女性なら、女装ではないのでは?」
「まぁまぁ、細かいことは気にしない」
気にしてほしい。
本人には些末な問題かもしれないが、大きく違うのだ。
そこまで考えて、ふっと頭からスッコーンと抜けていた問題点に気づいた。
「……ああっ!」
「ど、どうしたの。この世の終わりみたいな顔をして」
「実は俺、聖女召喚の儀式を失敗して国王陛下の怒りに触れ、王宮から追い出された身なんです。宮廷魔術師長の役目も解かれていますし、王宮に出入り禁止となった俺は門前払いされるでしょう。国王へ謁見できる信頼できる方に、聖女様を預けるしかありませんが……宮廷魔術師長でなくなった俺の評価は地に落ちています。知り合いに頼んでも、快く引き受けてくれるとは思えません」
「ちょい待ち! 君、王宮から追い出されたの?」
手を突き出して話を止めた千影は、すっと目を細めた。
おそらくだが、咎められている気配がする。
(だが、なぜだ? 俺が追い出されたことは聖女様には関係ないのに……)
腑に落ちないながらも、とりあえず質問されたことに答えた。
「え、ええ。そうですが」
「ふぅん……。じゃあさ、これは僕からの提案なんだけど」
「なんでしょう?」
「偉そうな王様には微塵も興味ないから、正体は隠したまま、僕と旅をするっていうのはどう?」
「はい?」
首を傾げていると、千影は悪い笑みを浮かべていた。
「宮廷魔術師長だったってことは当然、魔法が得意なんだよね?」
「ええ、まあ……。攻撃や防御結界は割と得意です。専門ではありませんが、初級治癒術なら少しは扱えます」
「十分だ」
「……あ、あの……?」
話の方向が読めない。
目の前の彼女から、どことなく不穏なオーラが放たれているように見えるのは気のせいだろうか。気のせいだといいなと思う。
だが、そんな淡い期待を木っ端微塵に砕くように、千影は両腰に手を当てて胸を張った。とてつもなく嫌な予感がする。
「いいかい? これから、僕は聖女じゃなくて、ただの冒険者になる。君は魔術師だ。冒険のパートナーにぴったりでしょ。……ああ、君の正体を知っている人に勘づかれるのは面倒だな。よし、君は女装して」
「──い、意味がわかりません!」
「君、体の線は細いし、顔はきれいで中性的だし。女装しても問題ないよ。むしろ似合うって。この僕が言うんだから間違いない。それとも、僕の目が信じられないとでも?」
美人が凄むと迫力が違う。
やはり、彼女は正真正銘の女性だ。たった今、確信した。
なぜなら、圧のかけ方が無慈悲で容赦ない姉たちと同じだったから。
「うっ……いやでも、そんな……第一したことがないですし。似合うとも思えませんし、そもそも女装をする必要性はあるのでしょうか。変装でよいのでは……」
「ふっふっふ。何事もチャレンジあるのみ。やる前から逃げるなんて許さないよ」
果たして、この人は本当に聖女なのだろうか。
魔方陣は判断を誤ったのではないか。そんな疑問が浮かんでは消えていく。
(なぜだろう。常に穏やかに微笑む聖女のイメージが、ガラガラと崩れていくような……)
目の前にいるのは、ただの少女ではない。
獰猛なライオンを手懐ける調教師のような気迫すら感じる。
(……ああ。これは……すでに退路は断たれたやつだ)
イェレミアスはゴクリと息を呑んだ。千影は細い指先を頬に添わせる。そして、誰もが見惚れて足を止めるような笑みのまま言葉を続ける。
「初めては皆、同じことを思うものだよ。大丈夫、僕を信じなって。君をとびきり可愛い女の子にしてあげる。任せて」
「…………ほ、ほどほどでお願いします」
「ふっ、善処はしよう」
千影はどこにそんな力を隠していたのかと思う握力で、イェレミアスのフードをがっちりつかみ、ブティックへと連れ込んだ。
着せ替え人形と化した結果、ほとんど自分の魂は抜けていたが、どうにか千影が満足するコーディネートができたらしい。
どこがよかったのか悪かったのか、もはやわからないが。
考えることを半ば放棄したイェレミアスを引っ張りながら、当の本人は自分の装備品を楽しげに物色していた。男物を手にしていたから、異世界でも男装を貫くのだろう。
かくして、ここに元気いっぱいの冒険者(中身は聖女)と、背の高いクールビューティー魔術師(中身は成人男性)のパーティーが結成された。
魔術師と聖女の旅は始まったばかりである。




