episode log2
『今月分の七万はまだか』
「高校生に七万は、ちょっと。学費とか。家賃に光熱費、水道代……物価高だし」
「せいぜい三万とか、」
『何言ってるんだお前。ここまで育ててやった恩はねぇのか、あ?』
『お前の兄は優秀だぞ?今月も三十送ってきた、三十だ。そうだ、お前もこれからは十五にしよう』
「……え」
『口答えすんのか?大体な、お前の兄に出来てなぜお前には出来ない。昔からそうだったな、お前は——』
ツーツーと一方的に父親との通話を切った。
「うざ」
大前提として、相模秦は高校二年生。国の政策で成人が多少早まろうが、まだまだ未成年の十七歳だ。そして兄は二十四歳で、来年からはギリのアラサー。この七歳差はかなり大きい。
「にしたって、兄貴は何の職に就いたんだよ……外科医か?人の内臓捌いてんのか?」
実父にだって月に三十万仕送り出来るなんて仕事も随分と限られてくる。成功しちゃった経営者か、兄の天才っぷりをここぞと活かせる医者か。
何にしろ兄は才色兼備だった。
それだけではない。
「いやモデル業か……?」
顔も良かった。同じ血を受け継いでいるはずなのにこんなのってない。
「……洗い物しなきゃ」
立ち上がり、キッチンに向かって歩く。
六畳の一人暮らしには丁度いい間取りの部屋。都心から少し離れた築二十年の家賃約六万円の物件。+学費に生活費で月々十数万かかる。結局払えなくて先月の分も友達に借りたし、二ヶ月前もなんだかんだいって借りた。借りる理由も友人もなくなってきて、そろそろ潮時か、と悟った。
きゅっきゅっと皿をスポンジで擦る。皿に付着した朝食べた目玉焼きの醤油が、泡で薄められた。ある程度洗えたな、と思い、水で流す。
茶色に染まった皿が水により、元の白さを取り戻していた。
他の皿、コップ、フライパン、諸々を洗い終えて、一息付いた。
徐に自分の手の甲を見る。ゴム手袋をつけ忘れ、中性洗剤によって荒らされた肌だった。乾燥もあるだろうと、どっかのノベルティで頂いたハンドクリームを棚から取り出す。一年ほど前から家にあるが、開けるのは本日が初めてである。特に香りに拘りはないし、ハイブランド特有の強烈な甘い香りでなければなんでも良い。
ふわり、と優美な香りが漂う。少々甘めの林檎の様だ。
「は、」
良い香りなのに気分が悪い。
ばしゃばしゃ、と保湿したはずの手を乱暴に洗った。ゴシゴシと力を入れて全てのハンドクリームを落としきる。その手から香りがしなくなるとようやく呼吸ができた。深く息を吸っては吐く。
落ち着いてから手にある物のパッケージを見ると、白と黄色の儚げな花が写っていた。
薫った臭いは兄の香水に随分と類似していた。
京成本線、京成押上線の快速、東京メトロ日比谷線と乗り換えて、秦は銀座に来ていた。
特に理由はない。
きゃぴきゃぴした女性陣。
ブランドの時計をつけたサラリーマン。
僕が相応しい場所ではない。誰も秦ことを見ていないだろうが、視線が気になるのと、心地悪くさで、適当な路地に逃げ込んだ。
駆け込んだ路地には壁に張り紙があった。こういうのを普段深く気に止めない。
今日も同じ。
『あなたも怪異を倒しませんか⁉︎』
え?一般人が怪異を倒してるの?
いや怪異は存在する。存在するんだよ?今朝のニュースにも出てたし。けどもほら自衛隊とかでしょ。倒してるのは。
秦はすぐ様立ち去ろうとした。別に興味ないし、僕はこんな事を信じたりしないぜ☆、自分を煽てて。張り紙に背を向けて、路地から出ようとした。足取りは重い。まるで背中に目が付いているかのように疼いた。
——いやでも、あれ。桁が違かったな。
まあ、別に?ちょっと読むだけ。
【あなたも怪異を倒しませんか⁉︎】
資格なしでOK
スタッフ大募集!
高校生〜大歓迎!
〈時給〉
報酬制 3000〜
目安時間 1時間
〈仕事内容〉
指定された怪異を祓う、等。
※階級によって金額は大幅に変動します。
闇バイトだ、これ。
でも金額だけを見れば最低賃金の三倍は確定。平均四時間週四で働いたとして月に五万六千円。
流石に怪しい。
張り紙に鋭い疑いの目を向け、端から端まで読む。そうすると右端に※で小さい文字がかかれていた。
※命は保証しません。
「……ですよね〜」
ほら見ろ。
まず一般人が怪異を祓えるはずないでしょ?
流石に条件が良すぎるとは思った。高収入で資格も問わないなんて、そんな好条件のバイト、全国どこを探したってないだろう。結局は詐欺か。無駄に時間を割いてしまった。こんなことをしてる暇があるのならば、適当な単発バイトに入ればよかった。時間は有限なのだから。
「いやでも、!僕でも」
馬鹿か。
路地を後にしながら、ふと思う。
秦は意外と兄のことを自分が考えているより気にしているらしい。今朝だって兄と同じ香りがするものを身体が受け付けなかった。父の話を最後まで聞かず、兄の話題が出たらぶった切るというはて。
何もかもに負い目を感じていて。
一つ一つの動作に兄だったら、と思い出し。
劣っている自覚はあるのに、他者よりかは優れているからと努力せず。
挙句、才能の一言で全てを片付ける。
恥ずかしい。
気づいたら路地を出ていた。大通りに出て、信号を渡ると放心していたからか、派手な金髪の不良に衝突してしまった。「ごめんなさ、」体格の良い彼に突き飛ばされ、後ろに倒れ込んでしまった。
痛い、と思う間もなく、胸倉を掴まれ強制的に体を引き起こされた。目が合った。次の瞬間には右頬に熱が疾った。殴られたのだろうか。からん、ころん、音が鳴った。ピアスが落ちた音だった。終いには唾を吐きかけられた。
「だっさ」
恥ずかしい。
惨めで、恥ずかしい、劣等生の僕が。
こんな大層なこと、できるはずがない。
何を期待したの。
知ってる。この仕事だって存在すること。頭が、脳が、存在しないって思った方が幸せってだけだよね。
ぽた、ぽた、と雫が落ちてきた。雨にして温かいものが。
朝見たニュースの女の子、痛かったよね。ずっと誰も助けてくれなくて怖かったよね。
自分に力があるなら助けてあげたかった。
価値が欲しい。自分の生きてる意味を誰か教えて。他人に唾を吐きかけられて、惨めに暮らす人生なんて嫌。中途半端なプライドが自分の首を絞めている。
着信音が聞こえた。
「父さん?」
『そうだ!聞いてくれ。お前の兄にも電話したら今月は40送ってくれるそうだぞ』
「そう。すごいね、兄さんは」
価値が欲しい。
何故か、また路地に戻っていた。
価値が欲しいなら、自分が変わらなくちゃ。他人任せで世界の変化に身を任せて浮かんでいるだけじゃ駄目だ。泳いで抗わなくちゃ。
ようやく数字の羅列を発見した。
「あのバイトしたいんですけど」
「相模秦、17歳です」
「志望動機?えと、誰かを助けたい?いや違うなえと、なんか自分に価値が欲しい的な、?」
「とりあえず頑張ります‼︎」