6 前世のことを思い出した2
「初めまして、エル・ユージュアリィと申します。これからはリリック様のお世話をさせていただきます。よろしくお願いします」
さっきの人と格好は同じだけど若いお姉さんがドアをノックしてから部屋の中へ入ってきた。この人がさっき来た人が呼んできた人かもしれない。
「よろしくお願いします。リリック・ラベンダーです。一応聖女です」
今までこんな風に丁寧な対応をされてこなかったので戸惑う。とはいえこれからはずっとこんな風に対応されていくのだろうな、聖女じゃなくても私は男爵令嬢なのだし。
「ではまずはお食事です。こちらです」
エルさんはカートみたいな物から、深めのお皿とコップを取り出す。
お皿の中にはお米を水でふやかしたおかゆらしきものと煮込まれた野菜と大豆が入っていた。コップの中にはなみなみと水が入っている。
それらをセッティングして、その横に箸置きみたいなのを置いてから、その上にスプーンをセットした。うわこんな丁寧に食器が準備されるのを見るのは生まれて初めてだ、前世じゃあ何回かあったみたいだけど。
「ありがとうございます」
「では私は入浴の準備をしてきますので、ゆっくりお食事をお楽しみ下さい」
慌ただしくエルさんが出ていくのを見送ってから、私は椅子に座って食事をはじめる。
おかゆは薄い塩味がついている程度で、ほとんど味付けされていない。いや今までは小さいパン一個で一日を過ごすことがほとんどだったから、この質と量で十分ご馳走のはず。前世の記憶をできるだけ思い出さないように、私は淡々と食事をして、コップの水を飲み干す。
「お食事はどうでしたか? このおかゆ、実はある聖女様が考えたものなんです。その聖女様がくるまではこのお米とやらは栽培はされていたものの食べられることはなかったのに、今は普通に教会で食べていますから。聖女様は治癒魔法以外でさえ立派なのに、色々な活動をされているんです」
戻ってきたエルさんが自慢げにそう話して、私が食べ終わった食器をさっきまでのカートに片付ける。
「次は入浴ですか?」
「はいそうです。身体を清めることは聖女として大切なことですから」
この部屋でないところにお風呂があるらしく、そこに案内してくれた。
私は今まで入浴したことはない。せいぜい水で髪や身体の汚れを流すとか濡らした布で身体を拭く程度だ。男爵家でもそういったことはしなかったから、うきうきしながら向かう。
「ここが入浴する場所、お風呂です。お風呂の使い方は分かりますか?」
「初めてですので分かりません」
「では説明します」
エルさんが丁寧にお風呂の使い方を教えてくれる。その使い方をなぜか私は知っていた、そうだ前世で私はお風呂へ日常的に入っていたんだ。これほど大きなサイズのお風呂は数回くらいで、一人サイズの小さなお風呂だったけど。
私はエルさんの説明に従って入浴して、髪をタオルで乾かす。前世ではタオルじゃなくて風がふくどらいやーって道具があってそれで乾かすことができたのだけど、この世界にはないから不便だな。いや今までこれよりももっと貧しい生活だったから、不便って思うはず本当はないはずなのに。
「では部屋に戻りましょう。これからリリック様はしばらく療養生活ですので、何もする必要はありません。ゆっくりとお休み下さい」
「それで大丈夫ですか?」
聖女のお仕事とかあるのに、ゆっくりと休んでしまっていいのだろうか。治癒魔法を使った治療など、しなくてはいけないことはたくさんあるのでは?
「大丈夫です。今までの聖女様もそういう風に過ごしていましたから。聖女になるお薬はそれほど身体によろしくないものですので」
笑顔でエルさんは答える。今までの聖女がそうなら、私もそうしようか。
その療養期間中にこれからどうやって過ごすかも考えないといけないから、暇ではないだろうし。
「ところでエルさんはLGBTQ、性的少数者、SOGIの言葉をご存じですか?」
部屋に戻ってから、私はエルさんに一番気になることを聞く。
私が今までいた場所では聖女すら知られないほど情報が少なかった、そこでSOGIのことも知られていなかったのかもしれない。だとすれば聖女が沢山いるところで働いているエルさんならそのことを知ってそうだ。
性的少数者は世界的な話題になっていたのだから、他の聖女だって同じ世界の前世を持っているなら知っている可能性はある。そういう人がエルさんなどの聖女でない人に伝えて、こっそりと知られているっていう可能性に今は賭けてみる。
「いえ聞いたことがありません。リリック様の前世でよく使われていた言葉ですか?」
「はいそうです。そこで他の聖女も知っているのかなと思いまして」
「いえそのようなことを聖女様から聞いたことはありません。もしかしたらご存じの聖女様はいらっしゃるのかもしれませんが・・・・・・」
「結構有名な言葉でしたから、私と同じ世界が前世の人ならありえそうです。ところで同性、女性が女性に対して、男性が男性に対して恋愛感情を抱くことってこの世界ではあり得ますか?」
この世界では性的少数者のことが一切知られていない。そう分かってはいるけど、ついあがいてしまう。名前はなくても、行動は普通にあるかもって思ってしまう。
「それもないです。そもそも恋愛感情って異性に対して持つのですから、同性にはありえないです」
「じゃあ女性として産まれた人が男性として生きたいと言い出したり男性として生まれた人が女性として生きたいと言い出したりする時はどうしますか?」
「そんなこともありえません。というよりも状況が良く分かりません。リリック様の前世ではそういうことがあったのですか?」
「そうです。もちろんあまり認められることはなくて、そういった人達は理解されずに苦しんでいました」
答えながら窓の外を見る。
前世で私は明らかにこの世界よりも恵まれている生活をしていた。この世界の人達が思いもつかないような暮らしを私が前世暮らしていた国ではごくごく普通に行っていて、治癒魔法は空想上の物でそれを使うことが出来る聖女もいなかった。
となると基本的に前世の記憶はあてにならないかもしれない。前世の記憶は参考にする程度で、基本的にはこの世界の常識などをあてにしてしないと、どうにもならない事態になりそう。