シンジノア・シャーク 3
サツキナは目を丸くしてシンジノアを見詰めた。たっぷりと1分間は見詰めていた。
「じゃあ、あなたにも前世の記憶があるの?」
「そうだよ」
「本当に? そうなの? 私、あなたを一目見た時からあなたが真司さんだって分かっていたわ」
サツキナは言った。
「あなたがブラックフォレスト王国にやって来たあの時に」
「ああ。あの時、俺も君こそが探していた女性だと知ったよ」
「あなたも探していたの?」
サツキナは驚いた。
「俺はずっとずっと探していたんだ。君を」
「そんな風に見えなかったわ。……私を冷たい目で見て、それでいてリエッサ王妃や赤ちゃんの事を話すときには和らいだ表情になって……。私、ずっとあなたの事を探していたのに、あなたは私を忘れてリエッサ王妃を愛しているんだってしみじみ感じたの。すごく悲しかった。その日はうんと泣いたわ」
そう言ったサツキナをシンジノアは抱き締めた。
「本当に済まなかった。でも、俺はリエッサ王妃の婚約者という立場だったから、余計に気を引き締めなくてはならないと思っていた。ダンテ王やブラックフォレスト王国の重臣達に警戒されない様にね。それに内はどうであれ、外国に向かっては王家は盤石だとアピールしなくてはならない。王家とアクレナイト家はいい関係にあると。演技をしなくちゃならないんだ」
「それより君こそ城から突然消えてしまって、俺は酷く焦ったし心配もしたよ。やっと見付けたのに他の国に逃げてしまったりしたらどうしようかと思った。森番の一人や二人犠牲にしても君を呼び戻したかったのだ」
「そんな事をしたら大変な事になっていたわよ」
「あの時はそれ位必死だったって言う事だよ」
シンジノアはそう言ってサツキナに口付けをした。
それは余りにも長いキスでサツキナは危うく呼吸困難で倒れるかと思う程だった。
「漸く、こうやって君を手に入れる事が出来た」
彼は唇を離すと微笑んでそう言った。
「ところで、あのミケツカミ様の椅子取りゲームで君が雪隠に落ちたのは覚えているかい?」
シンジノアのクールな目が優しく微笑む。
サツキナはこくこくと頷く。
「そうか。……実はね。君が落ちたあの雪隠に俺も飛び込んだんだ。君を追って」
「ええっ?」
サツキナはまた驚いた。
「俺は必死で手を伸ばしたのだけれど、君はどんどん落ちて行ってしまって見えなくなってしまった。気が付くとこの世界に転生していた。けれど、前世の記憶もあの椅子取りゲームの記憶も持って生まれたのだ。俺はずっと君の事を探さなくてはと思っていたのだ」
サツキナは口を開けたまま彼の顔を見詰める。
「俺はシャーク宰相の子として、イエローフォレストのアクレナイト家に預けられた。
シャーク宰相と俺の育ての父であるジョージ・アクレナイトは古くからの親友だった。
シャーク宰相は俺の命を守るためにアクレナイト家の子供として俺を育てて欲しいと頼んだのだ。アクレナイトの父も母もそれを受け入れた。それから俺はずっとアクレナイト家の次男として生きて来たのだ」
サツキナはごくりと唾を飲んだ。
なんかとんでもない事になっている気がして来た。
「これは謂わば公然の秘密なのだ。アクレナイト家とジャーク家の間では。だが、それだけだ。それ以外の人々は知らない。リエッサも知らない」
「でも、あなたの事をみんなが『ルイス・アクレナイト侯』って呼んでいるし、……何よりもあなたはリエッサ王妃の婚約者なのでしょう? みんながそう言っている」
「沙月。よく聞いて欲しい。リエッサ王妃の婚約者はルイス・アクレナイトなんだよ。俺の兄なんだ。リエッサが妊娠しているのは兄の子なんだ。俺は彼女を抱いたりしない。それは誓って言える」
シンジノアは真剣な眼差しで言った。
「兄は1年前にリエッサ王妃と婚約したんだ。それには色々と複雑な事情がある。そして彼女は兄の子を身籠った。ところが兄は海賊征伐で海に出ていて、怪我をして海に落ちてしまった。海賊との戦いが終わって兄の姿を探したけれど、どこにも見付からなかった。誰よりも強い兄がチンピラ海賊なんかにやられるなんて信じられなかったよ。とても信じられなかった。
しかし、どこを探しても兄の姿は無かった。
兄が亡くなってアクレナイト家の誰もが悲しんだ。
ところが兄はオルカ国の浜辺に流れ着いて一命を取り留めていたのだ。そんな事は誰一人知らなかった。
リエッサ王妃は兄が死んでしまったと聞いて酷い精神錯乱に陥った。半狂乱状態だったらしい。彼女は兄が死んだってどうしても認められなかった。父が兄を屋敷に隠しているのだろうと疑い、兵を連れて父の領地へやって来た。そこで城にいた俺と会ったんだ」
「俺はそこで初めてまともにリエッサ王妃と会った。そりゃあ、王宮で遠くから見掛ける事はあったが、まともに向い合せる事は無かった。それにその年、俺はずっと海賊討伐に明け暮れていたし、シャーク侯の用事でオルカ国にいる事も多かったから領地にはほとんど戻らなかったんだ」
シンジノアはそう言うと言葉を切った。
ワインをグラスに注ぐとそれをぐっと飲んだ。
「君も飲むといい」
そう言ってサツキナのグラスにもワインを注ぐ。
「精神的に参っていたリエッサ王妃は俺と兄を間違ったんだよ。俺を抱き締めて大泣きした。「ルイス、ルイス」って叫んだんだ。「やっぱりここにいたのね」って言って。俺はびっくりした。俺はルイスでは無いと言っても彼女は聞かなかった。周囲の人間がいくら違うと言っても俺をルイスだと言って譲らなかった」
「……それから俺はずっと兄の身代わりをして来たんだ。何故なら俺はルイスじゃ無いと言うと彼女は混乱して錯乱状態になるから。医者にそんな状態じゃお腹の子供にも良くないって言われて……せめて子供が生まれるまでは俺が兄上の振りをした方がいいと城の重臣達や父が話し合って決めたんだ」
「そんな事があるの? だってあなたとルイス様では違うじゃない。髪の色はあなたはブラウンだけれど、ルイス様は金髪だわ。目の色は似ているけれどちょっと違う。声も違うし雰囲気も違う。ルイス様の方が逞しいし……」
サツキナのその最後の言葉にシンジノアはむっとする。
「君はあんな筋肉大王が好きなのか?」
彼がそう言ってサツキナは噴き出した。
「有り得無いだろう?あの筋肉。あれはもう熊と一緒だ」
シンジノアは笑いながら言った。
「どうして勘違いをしているのか……その辺りの事は俺には分からないよ。彼女の頭の中がどうなっているのかなんてね。
俺がルイスじゃないって言うと錯乱して騒ぐから城の誰もが俺をルイスと呼ぶ事になったんだ。みんながリエッサ王妃にストレスを与えない様にリエッサに同調したのだ。
その内兵士達も俺をルイスと呼ぶようになった」
シンジノアは苦笑いをした。
「リエッサはすぐにでも式を挙げたいと言った。婚約者の弟である俺とね。だが、父も重臣達もそれには反対した。誰もが出産が先だと言った。ハアロ大将軍さえも。だって、俺がルイスでは無いのは誰も分かっているから。だが、リエッサは諦めなかった。それはもう誰もがうんざりする程だったよ。しかし、父は頑として受け入れなかった。俺はいざとなったらオルカ国へ逃げようと決めていた」
「そんな風に過ごす内にオルカ国から使者が来て、兄が生きていることが分かったんだ。ただ、兄は酷い怪我をしていた。君も見たと思うけれど、頬の肉が無くなってしまって……。命も危なかったんだ。オルカ国でステラがずっと兄を看病してくれていた」
サツキナは昼間に薔薇園で出会ったステラを思い出す。
「と言う事は、ステラ様はあなたのお姉様でルイス様の血縁では無いのね」
「まあね」
「だが、元々アクレナイト家とシャーク家は昔から親戚みたいに付き合っていたからステラは兄の事をよく知っていた。兄はオルカ国でステラの献身的な看護を受けて彼女を愛する様になった。そしてステラも兄を愛する様になったんだ。」
「じゃあ、リエッサ王妃との結婚式は……?」
「兄が生きていると分かったから、父は出産前に結婚式を挙げたいというリエッサ王妃の要望を飲んだ。
結婚式には兄が来る。兄はステラを愛しているが決して義務を忘れたりはしない。兄にとってはイエローフォレストの王になる事が一番なんだ。それはステラとの愛よりも強い。だから俺がルイス・アクレナイトでいるのもその日までだ。それに父が欲しいのは時期国王となるアクレナイト家の血筋だから。俺はアクレナイトじゃない」
「俺はリエッサと結婚はしないよ。絶対にしない。それは最初から父にも言ってある。父も了解している。俺にはずっと探している運命の女性がいるって言ってあるから。彼女の精神安定のためにリエッサ王妃には話を合わせているだけだ」
「今はまだ兄は死んだ事にしてある。兄が生きているのを知っているのはオルカ国のシャーク宰相の家族と家来、それにアクレナイト家の一部の人間だけだ。彼等は他言はしない。父と深く結びついているからね。それに兄もシンジノアを名乗って顔を隠して暮らしている。だからリエッサ王妃も兄が生きている事を知らない。それは兄の考えなんだ。兄には計画があるんだ」
「何の計画?」
「それはまだ君にも言えない。だから俺には結婚式までは自分が死んだ事にしておいてくれと言っている」
「だが、あの顔ではリエッサ王妃が拒否するかもしれないな……。だからと言ってもう兄が帰って来るのだから俺がという事にはならない。だから安心して欲しい」
シンジノアがそう言ってサツキナはこくりと頷いた。
シンジノアはサツキナの肩を抱くとその唇に顔を寄せた。サツキナは目を閉じた。シンジノアの唇が触れる。それは長くて深くて甘いキスだった。二人は何度も唇を合わせる。
サツキナはほうっと息を吐いた。まるで頭の中が甘くて濃厚なクリームになってしまったみたいだ。頭ばかりか体までもが溶けそうだと思った。
「あなたはリエッサ王妃ともこんな風にキスをするのかしら?」
サツキナはシンジノアに尋ねた。
シンジノアは答えた。
「絶対に無い。結婚するまでは同衾も勿論、キスさえもしない。彼女が勝手に思い込んだ所為で俺は酷く複雑な立場に置かれている。どうして忖度する必要がある?
まあ、頬へのあいさつ程度はするけれどね(笑)。
「それにリエッサ王妃は閨は結婚式が済んでからと言って、一緒のベッドで寝ようと誘って来ない。妊娠中だから交わる事も無い。非常に助かる」
彼は片手でサツキナを抱き、片肘で頬杖を突く。そしてほんのりと頬を染めたサツキナの顔を覗き込む。
「……兄はそれでもリエッサ王妃を愛そうとしていた。あんな腹黒の強欲女でもね。
何処が気に入ったのかは理解出来無いが、彼女と国を守って行こうと決心していたのだ。彼女は人間社会というモノを全く学んでいないと言っていた。彼女は本能で生きている獣と一緒だと言っていた。自分の利益しか考えていない。自分の利益の為に相手を痛めつけたり陥れたりすることに何の抵抗も無い」
「兄は彼女を諭してイエローフォレストをいい国にして行かなくちゃならないって言っていた。リエッサ王妃に色々と進言していたんだ。国を良くする為に。それに自分の子が生まれるから子供の為にもいい国を作らなくちゃならないって言っていた」
「俺は兄や父を尊敬している。だから、国の跡継ぎがアクレナイトであるなら、それはイエローフォレストにとってもいい事だと思っている。俺は兄の子供はとても大切だと思っているんだ。リエッサ王妃は好きでは無いがね。だからリエッサ王妃に付き合う時はルイスとしての仕事をしていると自分に言い聞かせている」
その言葉を聞いたサツキナは思わず言った。
「あなたって前世でもそうだったわね。私が大崎リエにやきもちを焼くと『ただの仕事だ』って言って。変わっていないわね」
「それにあなた、私にシンジノア様の事を随分褒め称えて教えてくれたわよね。あれって自分の事でしょう?」
サツキナは笑う。
「ああでも言わなくちゃ君の心は動かなかっただろう。俺は是非ともシンジノア・シャークに君を嫁がせたかったのだ」
シンジノアも笑う。
二人はお互いを見詰め合う。
「サツキナ姫。俺は君に渡したいものがある」
サツキナはクスリと笑う。
「指輪ね」
シンジノアは頷く
「君を寝室まで連れていくよ」
シンジノアは立ち上がる。サツキナはシンジノアの端正な顔を見詰めて、その髪に手を触れる。
「あなたの髪は柔らかい茶色をしている。目の色も濃いブラウン。あの頃の真司さんとはちょっと違うけれど声も姿も一緒よ。随分若くなったけれど」
シンジノアがサツキナを軽々と抱き上げると、サツキナはその首に両手を回して胸に顔を寄せる。
「懐かしい匂いがする」
「君もとても若くなったね。それに美しい。そんなに綺麗だと俺は他の男に言い寄られるんじゃないかと非常に心配になる。だけどその目は昔と全く同じだ。おまけに可愛い角まで付いている」
そう言って慌てて言い直す。
「勿論、前世だって、君は綺麗だったよ」
サツキナは微笑む。
「ようやく結婚できるのね」
「そうだよ。今夜は俺と君の待ちに待った初夜だ。転生を果たしたこの世界で」
そう言ってサツキナの体をぎゅっと抱き締めた。




