礎の英雄と導きの乙女 ~創成祭の英雄譚
この地がまだ名を持たなかった時代。定住を求める人々が森の近くの平野でテントを張り、暮らし始めていた。
森には魔物や野獣が棲んでおり、大人達は子供に「森に入るな」と言って危険から遠ざけた。
だが好奇心旺盛な少女は、内緒で一人森の中へ入ってしまった。
少女は誘われるように気の向くまま、森の奥へと入っていった。そこには不思議な光景が広がっていた。多くの小動物が戯れ、地面には色とりどりの花が咲き、鳥が歌い、その中心には1本の大木が立っていた。
小動物逹は驚いて姿を隠し、鳥逹は空の向こうへ飛び去っていく。花々は閉じて息を潜め、奏でるように吹いていた風さえも止んでしまった。そして、大木だけが少女の前に残った。
圧倒される存在感に少女は恐れを感じていた。けれど、硬直した足は言うことを聞かず、逃げることも出来ずにその場に立ち尽くしていた。
大木は幹を揺らし、地面を微かに揺らした。すると根元から順に小さな花達が開花していく。更に枝葉を揺らすと、葉の間から極彩色の花弁が降り注ぐ。
その美しさに少女は感嘆の声を上げた。その不思議な大木は意思を持っていた。その事は少女にも理解できた。
緊張の解れた少女は大木に礼を言って、森の外へ帰っていった。
テントに戻ると大人達が心配して少女を迎え入れた。少女は怒られるのを恐れて、森に入った事を告げなかった。
それから少女は大人逹の目を盗んで、度々森の中へ入っていった。行く度に大木は趣向を凝らして、少女を出迎えてくれる。少女も次第に森への恐怖が薄らいでいった。綺麗な光景、珍しい草花、香り良い果実や木の実、少女が訪れる度に大木は幾つも新しいものを少女に与えていた。
ある日、大木は人間の姿を真似た木偶人形を作り出した。少女と背格好のよく似た人形は、少女の動きをよく真似た。親しみを込めて手を差し出せば、同じ様に返してくる。意思のない人形ではあるけれど、少女には友達が出来たような気さえした。
けれど、綻びは簡単にそれまでの関係を壊した。
木偶人形は少女の動きを真似る。笑えば笑い、怒れば怒る。ほんの些細な動きのズレで、小さな不服は大きな禍となって少女に跳ね返ってきた。
怖くなって逃げ出すが、同じ様に人形も走る。走って少女の後を追いかけた。
「来ないで」と叫んでも、同じ様に人形も叫んで笑っている。口を大きく開き、目を細めて奇怪な声を上げていた。悲鳴を上げて走る少女の後をずっと追いながら。
全力で木偶人形を振り切り、少女は森の外へ逃げた。平野に出れば辺りはすっかり暗くなっていた。心配した大人達によって無事に少女は保護されたものの、あまりの怖さに少女は誰にも打ち明けられなかった。
それからは。少女は森へ入らなくなり、何年も年月を経て、少女は気づけば大人になっていた。成長した少女は美しい乙女へと変わっていた。そして、一族の中の青年と恋に落ち、二人で想いを育んだ。
でも、その頃には頻繁に森から野獣が出てくるようになっていた。住み易かった平野は次第に危険が増し、人々は再び放浪を余儀無くされようとしていた。
少女には、ある不安が存在した。森から出てくる野獣は、もしかしたらあの大木の命令で自分を捜しに来ているのかもしれない、と。息を潜める人々に対し、野獣は常に何かを捜すように徘徊する。皆は人間を糧にする為に襲いに来ているのだと言う。けれど、少女はあの大木の存在を知っていた。それが森の全てを操ることも、少女は間近で見てきたからだ。
少女はそんな不安から、愛する青年に過去の自分が犯した秘密を告白した。青年は真摯に彼女の話を受け止めて、優しく抱きしめた。青年は考えて、考えた末に少女に自分の考えを打ち明けた。
その大木を倒せば、野獣の脅威も君の恐れも共に消え去る。と。
少女は青年の言葉を聞いて、少し不安が薄らぐのを感じた。そして、同時に最初の頃の楽しかった思い出も、漸く思い出す。
少女は青年に倒すのを止めるように懇願した。
大木には意思がある。だから私が謝って仲直りすれば、きっと野獣をおとなしくさせるように願う事が出来る。と。
青年は少女の優しさを汲んで、危険が及べば倒す事を条件に承諾した。
そして、二人は周りの人々に気付かれぬよう、森の中へと入った。
途中、襲い来る野獣は青年が剣で倒し、少女の案内で大木が立つ奥へと進んでいく。そして二人の目の前にあの大木が姿を現した。
それは、巨樹の化け物というに相応しい大きさだった。その枝葉の重なり、うねり、木肌に至るまで、おどろおどろしく二人の双眸に映る。圧倒される存在感に立ち尽くす青年と、その隣に並ぶ少女に向けて巨樹は何本もの長い蔓を伸ばしてきた。
それはまるで少女を獲り込もうとする巨樹の魔手にも思えた。
咄嗟に青年は少女を庇い、差し伸ばされる蔓を一刀両断にする。蔓は一瞬怯んだが、変わらず少女に向けて突き進む。その都度青年は蔓を切り落とし、必死で少女を守った。
その時になって、少女はやっと巨樹の恐ろしさを知った。自分の考えの甘さが愛する青年を窮地に立たせている。少女が自分を責める暇もなく、突然地面が大きく揺らいだ。青年はバランスを崩してよろめいた。その時、鞭のようにしなる巨樹の太枝が、少女から引き離すように青年を向こうへ弾き飛ばす。その有様に少女は悲鳴を上げた。
少女は一目散に逃げ出した。幼かったあの時のように、森への恐怖か膨れ上がる。あの時と違うのは、巨樹自身が蔓を差し向け、襲ってきたという事。明白な意図で蠢く無数の蔓に、少女は巨樹の怒りを目の当たりにした。腕に絡まれ、強く締め付けられる。それでも少女はなりふり構わず逃げようとした。
尋常ではない痛みが、少女の腕を襲った。走るどころか、立ち上がるのすら困難で草むらに倒れてしまう。手首から先が無く、大量の血が傷口から流れていた。
蔓が体に巻き付くのを感じ、少女は最期を悟った。涙を零し祈るように呟く。「助けて」と。薄れゆく意識の中で少女は逞しい腕に抱かれ、暖かい光に包まれた。
それは、青年の腕であった。青年は衝撃から立ち上がり、一太刀巨樹に浴びせて、死に物狂いで少女の元へ駆け寄ったのだ。巻き付く蔓を切り剥がし、傷付いた腕を治癒の光で包む。徐々に腕は繋がりをみせ、少女は一命を取り留めた。
振り返ればもう動かなくなった巨樹が、そこに佇んでいた。
森から生還した二人は、人々に報告をした。
青年は、倒した野獣の首と巨樹の蔓を掲げ、危険は取り除かれたと宣言した。
人々は二人を称賛し、この地に根付く事にした。そして、青年と少女はその礎を築いた者として永く称えられた。




