3-19 なにもできない子なんかじゃないんだ!
『大丈夫か?』
心臓となったそらに意識だけで語りかける。
俺の声に応えて、そらは俺と『鬼』の姿へと変わっていた。
だが、黒い無機質な身体は以前は満ちていた五体の活力が感じられない。
――身体が……重い。
『大丈夫……ゆうが、ちゃんと相棒って言ってくれたから。わたし、がんばるから』
そらはそう言うが、俺との感覚のつながりは明らかに悪い。
視覚も聴覚も、以前のような広がりが伝わってくることはない。
意識に伝わる声も無理をしているのが見え見えだ。
……だが、今はやるしかない。
鳥羽の巨体を隠塚がなんとか抑えている。隠塚の重い一撃を何度も受け、その度にその鋼のような肉体はひしゃげ、破裂し、砕け散る。
だが、次の瞬間にはそれはなかったかのように、無傷の状態へと戻ってしまっている。
……傷の治りが速いなんてものじゃない。
さすがの隠塚も規格外の再生に徐々に押されはじめているようにも見えた。
どうする? 今の状態で下手に飛び出しても邪魔になるだけだ。
『そら、あいつ、元に戻せそうか?』
やれるとしたら俺達には一つだけだ。
『……わかん、ない。近くじゃないと、今はよく……』
自信なさげな返事だった。
とにかく試すしかない、か。
『そら、隠塚とは話せるか?』
『……やってみる』
一瞬、ためらったようにも思えるが、そらは隠塚へと意識のチャットルームを開いてくれた。
『隠塚、大丈夫か?』
『私はまだ大丈夫。そっちは?』
『……なんとかな。で悪いんだが、いつもと同じ感じいけそうか?』
隠塚はすぐには答えなかった。
『……あなた達は下がって』
そして、告げられたのは意外な言葉。
『下がれって――お前一人でどうにかできる相手じゃないだろ?』
今だって鳥羽の巨体と瞬時の再生力に押されている。
確かに今の俺達はまともに戦えないかもしれない。だが今までどおり、鳥羽の奴を元の人間に戻すことは試してみる価値はある。
『だめよ。諏訪君、あなたはそらを守って。さっきの連中もまだ完全にいなくなったわけじゃない。だから――』
『――ないんだ』
隠塚の言葉をさえぎるようにつぶやきが聞こえた。
『おきは……やっぱりわたしのこと信じてないんだ』
そらの声だ。俺の中にいるそらが、今まで聞いたことのない暗い声を発していた。
『それはちが――』
『ちがわない!』
さっきまでの身体の重さが嘘のようだった。
そらの叫びに呼応するように、その激しい感情と一気に広がる感覚の波が雪崩のように流れこんでくる。
『ずっと一緒にいたのも……わたしのことなんてすこしも頼りになんてしてなかったから。わたしはおきがいないと、ゆうがいないと、守ってもらわないとなにもできないから!』
先程までの怯えていた様子は微塵もない、ただ湧き上がる怒りだけが俺の全身を飲み込んでいく。
そして、その底にはこびりついた無力感が見えた。
そのすさまじい波が身体の奥底から奔流のように力を湧き上がらせてくる。
『わたしは――わたしは――なにもできない子なんかじゃないんだ!』
俺の意識が、そらの激情に飲み込まれていく。
俺とそらの人格の境界が曖昧になっていく。
跳躍する。爆発するように暴れ回る巨体へと接近する。
『――ら! だ――!』
こちらに訴えかけるような声が聞こえたが、遠く離れていてわからない。
間近に迫った巨体を蹴り上げる。
力に満ちた身体はその鋼の肉をたやすく砕き、痛みに苦しむ咆哮があがる。
だが、そんなことは気にしない。
俺は続けて、その腕をつかみ全身をひねりながら巨体を浮き上がらせ、コンクリートの地面へと投げ叩きつける。
すさまじい重量を受けて、頑強なはずのコンクリートがきしみ削れていった。
『がぁぁあぁ! すぅわぁぁぁぁ!』
変わらず俺の名前を呼び続ける声に苛立ちがつのる。
その牙がならぶ頭を渾身の力で殴り飛ばす。
一度、二度、三度、四度、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!
牙が折れ、歪な怪獣の顔が砕け飛ぶ。
けれどやはりそれもすぐに元に戻ってしまい、その度、繰り返し繰り返し止めることなく拳を振り上げ、叩きつけ続ける。
黒い黒い泥のような虚無が流れこんでくる。
なにもかも飲み込めと、なにもかも喰らいつくせと、不定形の連鎖する意思が俺を飲み込んでいく。
傷は治っても、動けない怪獣の首をつかむ。
うめく声なんて聞くつもりなんてない。
だって、こいつは俺の大事な人を傷つけた。許せない。無理矢理、襲って、傷をつけた、まだくっきりと脇腹に、いたいたしい傷跡、許せない、許せない許せない許せない。
人の姿になんて戻さない。
そのまま暗い暗い泥の中に落としたまま、消し去ってやればいい。
それに元より、こいつは人なんかじゃない。
ほら見ろ。
こいつを作り上げている元には人の姿なんてどこにもない。
あるのは俺達と同じドロドロとした飢餓にまみれた穢れだけ。
――してやる。
『あああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
気づいたのは絶叫。
金切り声のような悲鳴が俺の意識に響く。
一瞬前までの激情が一気に消えてなくなり、次に訪れたのは大きな拒絶と拒否。
『ちがう! わたしそんな! そんなこと考えてない! やだ! ちがう、ちがうよ! わたしそんなことしたくない! だめ! 見ちゃだめ!』
悲鳴のような叫び。
『――ゆう、見ないで!』
そしてその瞬間、一つとなっていた俺とそらの姿は元の二人の人間に戻っていた。
同時に強烈な衝撃が俺とそらを諸共に吹き飛ばす。
視界にノイズが走り、何度も身体に衝撃が走る。
何度目か衝撃の後、ようやく止まった俺の身体はぴくりとも動かない。
ぼんやりとした意識。
視界が赤い。比喩でなく、血が出ているらしい。
しかもけっこう激しいっぽい。
それよりも……そらは? あんな間近でまともに吹き飛ばされたら、あいつの細い身体なんてひとたまりもない。たしかめたいのに視線すら動かすことができない。
するといきなり視界が動く。
引きずられてるみたいだ。それから強引になにかに入れられるような。
「ゆ――ん!」
声が聞こえた気がしたけど、もう意識を保つのも限界で、俺の記憶はそこで途切れた。




