3-3 私の嫌いな私の名前
……何と言った?
「同じ能力を持った存在を偶然に任せるのでなく、意識的に作り出せるとしたら、それはこの土地を護る役目への大きな一助となる」
作り出す?
「まだ検証段階ではありますが、面白い論文を目にもしています。形而上的存在への接触による別存在への転移。怪しげな題名ではありますが、その内容は興味深い。なんでも人の認識は本来、この現実に留まるものではなく、超自然的な概念を掴みとることも可能とする――でしたか。たしか、この杜人に籍を置く教授のものだったはずです。荒唐無稽な内容で、哲学論文かと思えば物理学分野として提出されている。無論、学会では目にもとめられなかったようですが」
そう言って彼は馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「しかし、この土地に古くからある存在を知る私にとっては無視できない内容でしたよ。その論文は人間の認識を拡張することが可能であれば、本来存在しない別種の存在に自らを作りかえることが可能であるとしている。――似ていませんか? この土地に古くから存在するものに」
何故かはわからないが、彼は意味深な笑みを浮かべその後の言葉をもったいぶらせている。
どうでも良いから早く終わらせてほしい。
こんなくだらない話、今すぐ終わらせてしまいたい。
「私は貴方の力になりたいのですよ、巫」
そして、まるでこちらを哀れむかのような声で語りかけてくる。
あまりに露骨過ぎて――吐き気がした。
「まだ十代半ばほどの年齢でこのような過酷な役を担い、そして身を削られている。恐らく、同じ年頃の友人と過ごされることはこれまでなかったでしょう。今はあの供達がいるようだが、所詮は貴方とは身分の違う者達。真に貴方を理解されることはないでしょう」
内の昂ぶりを留める。
言うに事欠いて、この男はあの子や彼等を供と呼ぶ。
「ですが、貴方が私の提案に耳を傾けて頂ければ、これまでの苦しみはなくなるでしょう。そして、それは『隠塚』の名を改めて世に知らしめることになる」
自分自身に酔った男の演説は淀みなく続いていく。
ここまで来ると逆に感心さえ覚えてしまう。
「すでに皆の認識から薄れてしまった『隠塚』の存在を復権させることができる。それは貴方のお兄様でさえできていないことだ」
それはその通り。何故なら、兄はそのようにしているのだから。
「そして、すでに絶えつつある隠塚の血をまた受け継がせることもできます。ここに本家の純粋な血筋たる貴方と、同じく純粋な分家たる『鬼束』の私がいるのですから」
手だけで後ろに控える琴音を制する。
私よりも先に貴方が殺気だってどうするの?
「本来であれば貴方もすでに子を為しているはずの年齢。だが、状況が状況だ。それに貴方が私に協力してもらえるなら、若くして子を為させばならぬということもなくなりましょう」
その目は私を見下すようだった。
やはり――この男の本質は他を支配しようとするもの。
それは――母と同じく私が嫌悪する古い『隠塚』の傲慢。
兄が今消し去ろうとしている過去からの汚泥のような鎖。
……こんな人間が、まだ『隠塚』が血を分けた者達の中にいたのね。
そして、長い演説にひとまずの区切りをつけた鬼束総一郎は私の言葉を待っている。
その表情は自分の言葉を否定されるとは露とも考えていない。
私の答えは決まっていた。
「御話が以上であればこれにて失礼いたしまする」
そう告げて私は立ち上がる。
「お、御待ちを! まだ御答えを伺っていない!」
驚いたような声と焦りに似た戸惑いが感じられた。
こちらの反応が予想外であったのか、その声は先程までの余裕を失いかけている。
「今の言葉にて答えと御考えなされまするよう」
短く、突き放す言葉を口にする。
本当に、時間の無駄でしかなかった。
こんなことをしている間にも穢れが現れでもしたら――あの子達は『鬼』となる術を身につけたといえどまだこちら側ではないのだから。ツバメ達に任せているとはいえ気が気でない。
すぐに戻ろう。
そう考えながらも控えの間に通じる通路へと向かおうとする。
「お待ちを! 待ちなさい!」
しかし、そんな私を鬼束の必死な声が引き止める。
「貴方は愚かなのか? 状況を改善する手立てを示され、それを歯牙にもかけないというのか?」
その顔に浮かぶのはまるで親に見放された子供のようで。
あまりに必死な声音に、ほんのわずかな哀れみを感じてしまった。
「穢れを請うことあれど、焦がれることがありませぬよう。それはその身を侵し喰らう甘い毒であります故」
つい……忠告めいたことを口にしてしまった。
これも、考えようによっては私の嫌う『隠塚』の傲慢かもしれなかった。
……それを私はあの子達に向けてしまっていた。
そして、呆然とする鬼束に背を向ける。
「ま、待て‼」
鬼束は私を逃がすまいと手を伸ばしてくる。
「その手で我が主に触れること、許しませぬ」
私が動くよりも早く、琴音が鬼束の前に立ち塞がっていた。
……さっき止めたというのに、私のそばにいつも寄りそってくれる彼女は変わらず心配症だ。
「琴音」
名前だけを呼び、それ以上の行いを止める。
琴音はすぐに鬼束の前から離れるが、向ける敵意はけしておさまってはいない。
「鬼束様、失礼な振る舞いをどうか寛大な御心にて御許しを。では此度はこれにて」
そう言い残し、私は鬼束の前から今度こそ立ち去った。
「後悔しますぞ! 自らが愚かな選択をしたと!」
去る間際、追いすがるような鬼束の叫びが聞こえてきた。
私はそれを意に介さず、通路へと去る。
「ならばよろしい! 貴方がそのように仰るのであれば私もそのように致しましょう! そして後悔なされるが良い! 自分の選択の結果、己の大切なものを失うことに!」
もしそうするというならば――その時は容赦しない。
私の大切な人々に手をかけるのであれば相応の覚悟を。
きっとその時、私はなんの躊躇もなく、その首を削ぎ落とすのだろうから。




