2-14 頭に血がのぼったんだ。そしたらバカって言われた
派手に吹き飛び、陳列棚へとその身体が突っ込んでいく。並んでいた商品が飛び散り、音をたてて床に落ちていく。
目の前が真っ赤に染まる。
どうしてだとか、そんなことはどうでもいい。
今はこのクソ野郎をぶちのめす。
「そら、大丈夫か?」
腕の拘束から開放されたそらは咳きこみながら、涙を浮かべた目で俺を見て、
まるで初めて見る誰かに向けるような、怯えた目をしていた。
「救急車と警察呼んでくれ。それから、悪いが母親に伝えてくれ」
頭は真っ赤に染まって、まともな思考はもうすでに捨て去っている。
「今日は帰れない――俺も連れてかれるだろうからな」
高笑いが響いた。顔面から固い棚に激突した鳥羽が笑いながら立ち上がる。鼻から流れる血にもかまわず、俺を睨めつけてくる。
「やっぱそう来るよなぁ、お前はそういう奴だ。最初は周りの奴をいたぶってやろうかと思ったが、やっぱ止めだ。お前と直にやるのが一番良い! えぇ! 諏訪ぁ‼︎」
叫びながら変化は一瞬。
人の姿が異形となるのに一秒もかからなかった。
思わず、息をのむ。
だが、それも一瞬。
なら、なにも気にかける必要もない。黒くなり始めていた両腕。
――してしまわないように加減するつもりだったが、必要もなくなった。
なにせ限界まで痛めつけようと思っていたそいつは目の前で鬼脅となったのだから。
両腕は大きく肥大化し、その先端は鉄球のよう。銅も脚も、全身自体が大きく膨れあがり、その姿は一昔前の怪獣映画にでてくるような不出来で、歪な姿となっている。
顔も人のものではなく、鋭利な牙が並び、さながら凶悪な怪獣そのものとなっていた。
かまわず前に進む。
「ゆ、ゆう⁉︎」
そらの声がしたが、耳に入らなかった。
とにかくこのクソ野郎をぶん殴ってやらないと気がすまない。
『すぅわぁぁぁぁぁああぁぁぁ‼︎!』
感覚に響く咆哮がびりびりと全身を震わせる。
だが、それはけして周囲の窓などを震わせることはなく、目前のそれが尋常ではない存在であることを示している。
拳を振り上げる。こいつ相手に守るなんて考えは浮かばない。とにかく殴って殴って根をあげるまで殴り続ける!
俺の動きに呼応するように奴も鉄球となった両腕を振り上げる。
当たったら痛いなんてものじゃないだろう。だが、そんなのは関係ないし、今の俺はその程度では死なないという確信があった。
その身体もすでに尋常ならざるもの。
そう言われた気がした。
迫る巨大な異形の鉄球。後ろで声が聞こえる気もするが、わからない。
真っ赤になった頭は目前のそいつを――すことしか考えられない。
その瞬間、巨体が大きく吹き飛んでいった。
俺はなにもしていない。
俺の拳も、相手の鉄球も互いに届かず、異形となった巨体は突然横合いから突き飛ばされるかのように飛んでいってしまった。
窓ガラスや壁、店の鉄骨をなぎ倒しながら、派手な轟音が鳴りひびく。
なにが起きた?
あまりに唐突なまるでコントのような展開に頭が追いつかない。
真っ赤に染まっていた脳内は強引に冷やされ、続く混乱が思考を邪魔する。
「ゆーはばか?」
聞こえてきたのは少女の声。幼くて、場違いに気の抜けた平坦な声だった。
見ると、そこには先程目にしたジャージ姿。そして、その顔立ちには見覚えがある。
「お前……あの時、駅で――」
目覚めたあの日、駅にたどり着いた俺をそらのいる広場へと向かわせた張本人。
あのベンチで寝そべっていた少女が目の前にいた。
気にはなっていた。結局、誰だったのかと。
思えば俺を意識的にそらの元へと向かわせるようだった言葉。母親にたずねても、さあな、の一言しかなくてどこの誰かもわからなかった。
だが、その顔は、似ている。
同じ日、母親から手渡された写真に幼い俺といっしょに映っていたあの顔に。
「ちゃんと聞いてる?」
顔の前で手をふられ、はっとする。
二回り背丈がちがうこともあって、足をのばす姿が目に入る。
無造作にはねる髪は寝ぐせなのか天然なのか、肩口ほどの長さの黒色が揺れている。
やはり眠そうな――あの時と同じ瞳が俺をまっすぐ見つめている。
ぼんやりとしているのに、なぜかそれは俺に怒っているように感じられた。
立ち上がる音が聞こえる。
コンビニの外、開いた大穴の先で巨体が唸りながら、身体を起こしている。
『く……そがぁぁぁ! なにしやがった⁉︎』
怒りにそまった叫びが響く。
獰猛な獣の瞳がこちらに向けられる。
「しょーがない。お説教はまたあと」
少女はそう口にして、大穴から外に出る。
その姿はまるで飛んでいるようで。
「さきにこっちのバカをお説教」
『……誰がバカだってぇ?』
自分に向けられた言葉を理解する知能は残っているのか、低い底から響くような声を発する。
「ホントにバカ? 目の前にしかいない」
変わらずぼんやりとした口調なのに、明らかに呆れと馬鹿にしていることだけは伝わってくる。
それは言われた本人も当然理解し、全身をふるわせ咆哮を再びあげた。
そして、迷いなく小さな姿へと押し迫る。
「ゆう! 行かないと!」
そらの叫びにはっとする。
いつもなら気づけば勝手に姿を変えているはずなのに、そらは必死に俺の身体を揺すっていた。
今の今までそんなことにも気づかなかった。
――そうだ、行かないと。
あんな小さな身体、あの巨体に潰されたらひとたまりもない。
「おねーちゃんにまかせて」
そう聞こえた。
その目は俺を見ていた。
今までぼんやりとしてはずの顔は――やっぱり眠そうな顔には優しげな笑みが浮かんでいて、
再び巨体が横薙ぎに吹き飛ぶ。
ぐぎゃ⁉︎ と言葉にならないうめきとともにコンクリートの地面にたたきつけられる。
一体なにが起こっているのか。
だが、ひとつ確実なのは今目の前にいる少女――諏訪志穂も尋常の存在ではないという事実だった。




