2-12 お気に入りの場所で元バイト先(夢の話)
杜人の中心部、繁華街と駅とのちょうど中間くらいにその店はある。
『cielo blu』
イタリア語らしい店名が書かれた木製の看板と、同じく木造の家屋を喫茶に改築したという店の構えが見えてくる。
青空という意味の店の名前のとおり、日の光が入りやすいように作られた店内には季節がら沈むのがはやくなってきた夕焼けが柔らかい雰囲気を作りあげていた。
俺の元バイト先でお気に入り。もちろん、夢の中でだが。
中に入るとかすかなコーヒーの匂いが鼻をくすぐる。夢の中では感覚なんてなかったはずなのに、ひさしぶりの匂いだと身体が覚えている。
やっぱり不思議だ。ついこの間まで、カウンターの向こうでコーヒーいれている店長と働いていた感覚をはっきりと思い出せた。
「いらっしゃい。お好きな所へどうぞ」
人の良さそうな顔は相変わらずな店長は入ってきた俺達を見ると、そう言って手元に視線を戻す。
……やっぱり俺はわからないよな。
わかっていたとはいえ、なれないな。
店の中は俺が知るものと同じく、店長のいるカウンター席と向かいのテーブルが3組ならべられている。どれも木造で店長と亡くなった奥さんが一緒に選んだもののはず。
俺達三人は奥側のテーブルに腰かける。
こじんまりとした店だがテーブルが多くないこともあって、ゆったりとした空間を感じられる。
それにけして強すぎず、かすかに香るくらいのコーヒー豆の匂いと優しい木の暖かさが落ち着ける。
ここをバイト先に決めたのはほぼ一目惚れだったなぁ。初めて来て、そこでたまたま目にした店先のバイト募集にすぐ店長に声をかけたことを思い出す。
……といっても、夢か。
「……わたし、こんなオシャレなとこ友達とはじめてきた」
そらはちょっと落ちつかない様子で店内を見まわしている。
「こんな所があったんだな」
優姉もつられてながめているが、雰囲気を気に入ってくれたのか表情は明るい。
平日の夕方ということもあって、店内にはカウンターにすわる姿が一人いるくらいだ。
けれど、まわりに他の店もなく、ちょうど住宅街からも駅からも来やすい立地もあって、土日や休みはそれなりににぎわっているはずだ。それに平日でも昼や夕食時には食事もだしているはずだし、年齢問わず客足も来ていると思う。
俺の記憶と違いがなければ、料理の腕は一級品の先輩がいるはずなんだが――その姿は見つからなかった。
「どうぞ」
と店員らしい女の子が三人分の水とメニューを持ってきてくれる。
中学生くらいか、ショートヘアの小柄な少女だ。くりっとした瞳が印象的で青藤色の店の制服がよく似合っている。女子でも制服はパンツを用意されていたと思うが、その子はスカート派のようだった。
さてなににするか。せっかく来たんだし、久々の店長のコーヒーを味わいたい。
それに今の時間、食事はまだだがデザートはある。記憶よりも少ないが、メニューにはケーキや小さなパフェなども記されている。
そらもだが、甘味に目がないはずの優姉も迷っているみたいだ。
「はじめて来てくれたのですよね。だったら、これがオススメなのです」
すると先程の店員の女の子がテーブルの上のメニューを指さしてくる。
そこには『店長のオススメセット』と大きく手書きの文字があった。
その日毎に店長がチョイスしてくれたコーヒーとデザートのセットのようだった。ちなみに今日はマンデリンと手作りのカスタードプリン。
とりあえず三人ともそれにする。店員の子はなにやらうれしそうに注文を伝えに行った。
ほどなくして三人分のコーヒーとプリンがやってくる。香ばしさと甘い匂いが広がってくる。
「こ、このまま飲んだほうがいいのかな?」
運ばれたコーヒーを前にそらはどうしたらいいとあわあわしている。
「飲みやすいように砂糖やミルクをいれてもらえれば大丈夫なのです。こうしなきゃいけないなんてルールはないのです。でも、最初はそのまま飲んでみても良いと思うのですよ」
ちょっと独特な口調の店員の女の子の言葉に、そらはおっかなびっくりといった感じでカップを口に運ぶ。
ぎゅっと目をつむって眉がよった。
苦かったらしい。
「そのままデザート食べてみ」
そんなそらに俺が声をかけると、そのままデザートのプリンを口にする。
「――おいしい!」
ちょっと驚いたように目を見開いていた。
メニューに書かれていた豆は酸味は抑え目だが、苦味はしっかりしたもの。なら、一緒にだされるデザートは甘さを強くしたものをだしてくるんじゃないかと思ったが、その通りだったみたいだ。
それからそらはコーヒーを飲んでぎゅっと目をつぶり、プリンを口にして幸せそうな表情に変わるというおもしろい状態を続ける。
「これは良いバランスでおいしいな」
優姉も気に入ってくれたようでなにより。
「おにいさん、あなたやりますね?」
すると店員の子が俺に話しかけてきた。
なにやら目を光らせてこっちを見ている。
「あぁ……ちょっとバイトしてたとこがこういう喫茶だったもんでさ」
けして俺の中では嘘ではない答えを返す。
すると女の子の目がますます光ったように感じた。
「おにいさん、なにも言わずにここに名前を書いてください」
一旦店の奥に戻ったかと思えば、なにやら紙を挟んだバインダーを手にして戻ってきた。
そうしてペンと一緒に差し出されたが、一番下の名前の記入欄以外は上から紙を重ねて隠されていて明らかに怪しい。
しかもめくれないようにバインダーで挟まれていない部分をテープでとめているのが、不信感倍増である。
ペリペリとテープをはがして紙をめくる。
「あ、いけないのです! その下は業務上の秘密というやつなのですよ!」
いやいやこんなはがしてくださいと言ってるようなものみるよ、普通。
『雇用契約書』
紙の下には明らかに手書きの文字でそう書かれていた。
無言で視線を向けると少し慌てたようになりつつも、
「いっしょに働かないか? です!」
開きなおった良い笑顔で握り拳を作ってくれた。
苦笑い。
……やっぱり人手が足りないのか?
夢の記憶を思い出す。俺が来るまで、店長含めて二人だけで切り盛りしてたしなぁ……。
「あ〜…他に人は?」
「とこ――わたしと店長さんだけなのです」
胸をはって答えてくる。胸をはる所と違うと思うぞ。
今のは確認もかねていた。この店の店員はマスターとこの子だけ……なら、あの先輩はこっちにはいないのか。
「どうかしたのですか?」
「――ああ、いや。ごめん、今はバイトしてる余裕なくてさ」
不思議そうに見ていたその子に俺の答えは決まっていた。
今はいろいろとありすぎて、ここでバイトするなんて考えられない。
「けど、また余裕できたら考えようかなって。その時にまだ募集してたらだけどさ」
俺の答えに肩を落としたが、その後の言葉に一転表情が明るくなる。
「もちろんなのですよ! 自慢じゃないですが、ずっと募集しててもぜんぜん希望者がこないのがウリです。いつでもウェルカムオールウェイズですよ!」
本当に自慢じゃない。奥の店長が苦笑いしちゃってるよ。
「いつでもとオールウェイズがかぶってるな」
隣から優姉の冷静なつっこみが聞こえてきた。
「もちろんお客としても大歓迎なのです。とこは七生橙子というのです。ぜひ『とこ』と呼んでくれるとうれしいのです」
やっぱり独特な子だな。
それよりも、今の名字――。
「……変なこと聞くんだけどさ、姉ちゃんいたりするか?」
俺の質問にぱちくりと驚いた様子の橙子。ころころとよく表情の変わる子だな。見ていてあきない。
「……おねえちゃんのこと、知っているのですか?」
それから少し不審げな目で見られてしまう。
……まずったか。
「いや……すごい料理がうまいって評判の人が名字同じでさ。もしかしてと思って」
「……なら、それは別の人なのです。おねえちゃんは料理したことないのです」
ちょっと警戒され気味だったが、俺の答えに納得してくれたのか、橙子は元の明るい調子に戻ってくれた。
「そうだったの?」
橙子が離れていったところで、そらが俺に聞いてくる。プリンに夢中になりながらも、ちゃんと聞いていたのかそれは確認だった。今はミルクと砂糖で苦さを抑えたコーヒーをすすっている。
「わからないな。少なくとも俺が知ってるのとは違う」
「例の夢のことか?」
俺の答えに優姉も加わってくる。
「不思議だな。ずっと眠っていたのなら今の街の地理やこの店のことも知らないはず。なのに夢と現実のこの街は同じで、違うのはそこにいる人間」
確認するように口にしながら考える優姉。難しい表情で眉を寄せている。
「心理学では夢は人々の無意識の集合体みたいな話もあるが――ゆうの夢は現実に則しすぎてはいるが、抜けも多い」
難しい単語を口にされるが、正直ぴんとこない。
「とりあえずいいさ。……ちょっと気になっただけだしさ」
「ゆうが良いならかまわないが……」
俺の言葉に引き下がってはくれたが、ちょっと納得いかなげな優姉だった。
それから三人で軽く話しつつ、一息つく。
そうして外も暗くなり始めていたので、店を出た。
「またまっているのです」
会計の時にとても念押しされた。バイトはできないが、また足を運びたいと思う。やっぱりここの味はお気に入りだ。
それから名残惜しげな優姉とはわかれ、俺はそらと二人家路を歩いていた。
そらのマンションへ行けとだけ行って、理由を聞いても一向に母親からの返事のメッセージは来ないし仕方ないので従っておく。
逆らって困ることになっても嫌だしな。悔しいが、現状俺は社会生活を送る上であの母親に頼るしかない。
もちろん皇の家に行っても迎えいれてくれるだろうが、本来であれば小学も中学も卒業していないはずの俺が高校二年生というステータスを持てているのは母親の謎の手回しあってのこと。
仮に機嫌を損ねて全部ほっぽり出されたら非常によろしくない。
それもあって渋々家事すべてを担っていたりもする。けど、ゴミ出しくらいは手伝っても良いだろ。
「おいしかったね〜、また行こう。とこにも会いたいし」
よっぽど気に入ってくれたのかそらの足取りは軽そうだった。
暗い顔してたが、とりあえず安心する。
「そりゃ良かった。また兄ちゃんも誘って行ってみてくれ」
そう返すと、隣にならんでじっと見られた。
「どした?」
「……なんでもない。でも、ありがとね」
そう笑顔で返された。
……ばれてたか?
なにやら鼻歌まじりに進むそらの後ろ姿に軽いため息が出る。それはけして暗いものでなく、なんだかんだと前を進む相棒への敬意みたいなものだったかもしれない。




