1-37 正座のほうがいいのかな?
静かに迎える姿は不思議ときれいだと感じた。
白い被りはすっぽりと頭をおおい隠し、その下の顔はわからない。纏う装束も同じく白地の刺繍などのないシンプルなもので、そこからのぞく細い腕がなんとなく、そこにいる人物が女性なのだと感じさせた。
しかし、隠されていてもその両目が俺達をしっかりと見据えていることがわかる。揺るぎのない居住まいと真っ直ぐにこちらを見る布越しの顔が俺とそらを射抜いてくるようだった。
腕をつかむそらの手に少し力がこもったように感じた。
「遠路よりお越しいただいた事、誠に感謝の念に堪えませぬ。まずは腰を御下ろしになり、御身体を御休めになりますよう」
すっと指をつき礼をする所作は洗練された美しさを持っていた。被った布越しに聞こえる声も落ち着いた清らかさを感じさせる。
声に聞き覚えはない。当然といえば当然だが、俺には目の前の人物が誰か思いあたるところはなかった。
それに声の感じからして、俺達よりも年上のように感じる。
……いや先入観を持ってみるのはまずいか。
声のうながされるまま、俺とそらは木造の床に腰におろす。
「……正座のほうが良いのかな?」
そらが俺にだけ聞こえるように小さく聞いてくる。……そんなこと、俺にもわからん。
「各々方の御好きにされればよろしゅうございます。ここは社ではございますが、作法などは御気になされる必要はございませぬ」
しっかりと聞かれていた。これだけ静かな場所だし、聞こえていても仕方がない。
ばつの悪い表情を浮かべつつも、なら……と足を崩してすわるそら。
俺もその言葉に甘えてあぐらをかかせてもらうことにした。
ちなみに母親はなにも気にする事なくどっかりと腰をおろしている。だが以外にも目の前の人物と同じく正座の姿勢で居住まいを正していた。
するすると盆をもった和服の女性があらわれ、俺達に一つずつ小さな茶碗を手渡してくる。その女性も白い被りで顔をおおっていた。
「神前に供えし水にございます。そちらで内にある穢れをお清めなさいませ」
名前のわからない儀式用かなにからしい小さい壺のような白色の容器から渡された茶碗に水を注がれる。
……これで喉をうるおせってことか?
こういう神社の作法やらはさっぱりわからないので、従っておくことにする。
そらはさっきの石段で出た水分を取り戻すように迷いなく喉に流し込んでいた。
「巫よ。今日は件の二人を連れてきた。私はこの二人に貴方と同じく役目を担わせたいと考えている。貴方の考えを聞かせてもらいたい」
水を飲み終えた母親が静かだった社の中に最初の一言を響かせる。
その問いかけにしばし巫と呼ばれた白装束の人物は無言となる。
「御二方のお考えはいかに?」
問いかけは俺とそらに向けられた。
「わたしは! わたしは……自分が誰かのためになにかできるなら頑張りたい、です」
そらが力強く声をあげる。徐々に尻すぼみになっていく声のせいで、なんとも自信なさげになってしまっていたが。
人見知りはするくせに、こういった時にすぐ答えを返せるのは素直にすごいと感じる。
……俺はどうする。
今までがただの夢でしかなかった俺にこの杜人の人々を守る理由なんて正直ないんじゃないかと思う。
けど、それでもだ。
「……俺もやる。俺の力で、大切な人を守れるっていうなら断る理由なんてない」
たとえ、俺のことを覚えていなかったとしても。
俺は俺の家族だった人達を守りたい。
気の良い友人が突然、消えてなくなるのは考えたくもない。
俺とそらの言葉に、巫はまた無言となる。その布の先にある表情はやはり読み取れない。
「御二方の御考え、しかと承りました。人々を守らんとするその御心、誠に美しきものと存じます。されど——」
「その行いにて他の命を亡きものとなさんとすることも重々御承知の上か?」
わずかな間を置き発する声は先ほどまでと違う鋭さをもったものに聞こえた。
「それは大丈夫です! だって、今日、わたしとゆうであの子を助けられました! だから、誰かがいなくなったりとか死んだりとかそんなことにはならないはずです!」
また響いたのはそらの声だった。
「貴方様方の御力にて、これまで成し得なかった穢れに落ちし者よりその穢れのみを祓いしこと。御見事でございました。されどその行いにより膝を折り、間違えば御二方がその命を失うものとなっていたやもしれませぬ」
「た、たしかに……それはそのとおりだけど、でも、それはなんとかなったっていうか」
「その命、無くした後に同じことを口にできましょうか?」
その言葉にそらが二の句をつげなくなる。
「朝桐様。貴方様が独断にて二度、御二方を穢れの前に立たせた事。その御理由を御聞かせ願います」
そして、白布の視線はそれまで黙って聞くだけだった俺の母親に向けられた。
……今までのこと、全部勝手にやってたのかよ。
二度ってことはさっきの学校でのやつと2日前の街中のことか? 最初のは多分、母親も予想外みたいな言い方だったしな。
「自分達の置かれた状況を理解させるには体験させるのが一番かと思ったまで。それ以上の理由はないよ」
母親の迷いのない答えに白布の下の顔はどんな表情をしているのか。一瞬、無言となり、
「自らの御子が命を落とされたやもしれませぬ」
「なんとかすると思っていたさ。それに保険はかけておいたしね」
おい、なんとかできてなかったらどうしてたんだ。それに保険ってなんだよ。
「承知いたしました」
母親の言葉に納得したのか巫の返答は短かった。
こっちはぜんぜん納得できていないけどな。
無言の時間が少しの間過ぎる。
「……なあ、さっき、これまで成し得なかったって言ったよな。なら、今まで人が変わった奴らはどうしてたんだ?」
わかりきった質問を俺は口にした。
わかりきってはいたが、聞かずにはいられなかった。
「穢れより生じしもの、これ一切を祓い清める。それが巫たる私の役目でございます」
淡々と告げる言葉に息をのむ。
礼儀正しい言葉使いといたって平坦な震えも見せない佇まいに薄ら寒さと恐ろしささえ感じさせる。
「……殺してたってこと?」
そらがはっきりとその事実を口にした。
「穢れを祓ったのでございます。尋常ならざる狭間のものに変わりし人の身を、同じ人を喰らうものとなる前に幽世へとお送りしたのでございます」
「そんなの一緒じゃん! そんなの——そんなの!」
我慢できないといった様子でそらが身をのりだすように声をあげる。
そして、言葉がうまくでないのか、口ごもりながらもぎゅっと目をつぶり、
「なら! もうあなたがそんなことをしなくても良いようにする!」
決心したように開いた目とともに告げた。
迷いのない、力のこもった言葉だった。
俺や母親、目の前の白布におおわれた巫さえもその言葉に一瞬、口を開くこと忘れたように釘付けとなった。
「今までできなくても、今はできる! わたしとゆうができる! たしかにさっきは助けられちゃったけど、それもなんとかなる——してみせる! だから、誰も——貴方にだってそんなつらい思いさせたりしない!」
お前、本当にすごいな。
俺にはそんな啖呵、こんな場面で口にしたりはできなかったはずだ。
それにやっぱりお人好しというか、こいつは今まで怪物の姿となって死んでいったであろう人々だけでなく、その命を奪っていった——奪わざるを得なかった巫のことすら悲しんでいる。
そうして、それを全部ひっくるめてなんとかしようと宣言しているわけだ。
大きくでちゃったもんだ。けど、それくらいがちょうど良いかもしれない。
「——そのように甘いものではございませぬ。かの穢れは一つのみが現れるものではなく、貴方方のみで全てを御救いになられるなど到底無理な数——」
「それでもなんとかするんだ!」
根拠なんてなにもない。だが、そらの顔はひたすらに真剣で、真っ直ぐで、普段の人見知りなんてどこにもない。
巫は無言だった。
じっとそらを見据え、そらもそれを真っ直ぐに受け止めてそらさない。
「その御覚悟、しかと御受けいたしました」
そうして、どれだけの時間が過ぎたのか不意に巫が頭を下げながら告げてきた。
「されど御役目を担うは巫たる私のみ。故に貴方様の御言葉をこの身に御受けすることはできませぬ」
「なんで——」
「故に貴方様がたも御役目を担う必要などございませぬ。御二方は沈め祓いし鬼となれど、巫にはなり得ませぬ」
そう告げて、白布の下の声はそれ以上語ることはなかった。




