1-33 私の記憶はどうやらおかしい
突然の校舎裏の窓ガラスの破損と非常ベルの作動。
昼休みに脈絡もなく起きた一連の出来事はなんらかの振動により亀裂がはいったことによる連鎖的な破損。
非常ベルはそれに乗じた誤作動ではないか。
その後、特に校舎や付近に問題もないことから、そんな漠然とした理由づけをされて決着となったらしかった。
非常時の避難場所となっている体育館に集まった生徒達は不安な表情を見せるもの、面白がっているもの、特に興味のなさそうなものと多様だった。
周辺の安全が確認され生徒達が教室に戻る中、私は現場付近にいたということもあり、教師とやって来た消防署の人間に事情を聞かれることとなった。
しかし事情を話そうにも、突然ガラスがわれて非常ベルが鳴った。それしか話せることはなかった。詳しい状況と言われてもそうとしか言いようがなかったのだから仕方がない。
聴取を担当していた人間は納得いかなげだったが、生徒会長である私は一応教師達からは信用がある。それもあって、教師達からも私を悪く言うような者はなく、変に疑われることなく聴取を終えることができた。
そんなことよりも私には確かめたいことがあった。
昼休み。まさに事件が起きる直前に顔をあわせていたあの男に聞かねばならないことがある。
思えば、あの時、突然私を抱き上げたあいつがしばらく走ったかと思えば、また突然私を放り投げたその直後に事は起きた。
これは偶然か?
偶然にしてはあまりに出来すぎた。
それに校舎裏とはいってもあそこまで姿を消すなんてことできるだろうか。
私の中で疑念が膨れ上がっていく。直接確かめなければ気がすまない。
思えば、先日の自宅前での一件からあいつには振り回されてばかりだ。
あの後、私がどれだけ悶々としていたか!
そうして今日の一件だ。一発がつんとやってやらねばなるまい。
息巻く私だったが、結局、件の彼——諏訪勇悟をその後をつかまえることはできなかった。
生徒達の安全を考え、すでに全員に即帰宅の旨が言い渡されており、聴取に連れられていたこともあって私が彼のクラスである二年D組にやって来た時には、そこはもぬけの殻となっていた。
すっきりとしない胸中のもやもやをそのままに仕方なく私も帰宅することにした。
明日は絶対につかまえて洗いざらいを聞かせてもらう!
まだ校舎内に残っていた生徒の何人かとすれちがった時、私を見て若干怯えていたのは気のせいではないのだろう。
けれど……だ。
確かめるのが怖いという気持ちもあった。
あの校舎裏にいた時、突然、記憶が消えてしまったかのような感覚を思い出す。
まるでなにかをつかんでいたかのようだった私。
なにもなかったはず。
私は背筋がぞくりとする寒気を感じてしまう。
怪談の類は苦手なんだ……。
自分で自分に言い訳をしながらも、自宅への道を一人で歩く。
こんなところを見たら、ゆうはどう思うだろうな。
……ふと思い出してしまう。
十年より前、私の家にあずけられていた男の子。名前は諏訪勇悟。わたしは『ゆう』と呼び、あちらは『優姉』と呼んでくれた。三ヶ月、私のほうが早生まれで、それもあって私はゆうの姉のつもりで一緒に過ごした。
私にとっては本当の家族で、ゆうもきっとそうだったんじゃないかと思う。
そうであって、ほしかった。
あれから十年。
どうして。どうして今になって私にあの呼び名を口にする人間が現れる?
あの呼び方をする人間は一人だけで、その呼び方を知っている人間は、私と、私の両親以外にはいなかったはず。
――そういえば。
そもそも、私は一体誰にゆうが死んだと教えられたんだ?
自宅にたどり着き、そのノブをつかんだ時、ふとした疑問が頭に浮かんだ。
それは何気ない、だがあまりにも私の頭にこびりついて離れない疑問だった。
おかしい。おかしいぞ。
私はゆうが死んだと知っている。
大型車両との接触事故で。
けど、それはどういう状況で?
思い……だせない?
十年も前のことだ。細かい状況を思いだせないことはある。
けれど、ゆうは一体どうやって事故に巻き込まれた。車にのっていて追突された?それとも横断歩道を渡っていて?
わからない。なにも思いだせない。
私がわかるのはただゆうが交通事故に巻き込まれたという事実だけ。
心臓が早鐘のように脈うっている。
息がうまくできない。
「優奈? どうしたんだい、こんな所で」
後ろからの声にはっと振り返る。そこには父さんが不思議そうに私のことを見つめていた。
「あ……いや」
うまく言葉がでない。
「もしや体調が良くないのかい?」
私の身体を案じるように覗き込んでくる。杜人市内の病院に務める父さんはいつもそうしているように私を診察しようとする。
「本当に大丈夫だから。ちょっとぼんやりとしていただけ」
私の言葉に少し考える素振りをしていたが、父さんはなにかあればすぐ言うんだよ、と引き下がってくれる。
「そうだ……父さん」
……聞いて、みるか?
「ゆうのこと、覚えている?」
声が震えないようにするのに必死だった。
その名前を私が口にしたことが意外だったのか、少し時間をおいてからゆっくりと懐かしむように口を開いた。
「もちろん。忘れたことなんてない」
「ゆうが、どうして……亡くなったのかは?」
息ができなくなりそうだった。
「? どうしてそんなことを?」
私の問いかけは変なものだったろう。聞いている私自身でさえそう思う。
「いや、ちょっと気になって」
私の様子を少しの間、じっと探るように見ていたが、
「あれは交通事故だったよ。大型車両との接触事故だったはずだ」
「その時はゆうは車に乗っていた? それとも横断歩道か歩道を歩いていた?」
重ねての問いかけに父さんの困惑が伝わってくる。けれど、聞かなければならない。
「……どうだったかな。もう十年も前のことだ。はっきりとしたことはあまり覚えていないな。けれど、私はそう聞かされたよ」
「——それは……誰から?」
そして、核心。
「誰? ……そういえば誰からだったろうか? 思いだせないな」
それは決め手だった。
何がとはわからない。だが、私がこの十年間疑いもしなかった事実におかしいことがあることだけは確実となった。
「うーん……あれは、そう病院でだったかな? そこで、聞かされた気が……けれど相手の顔を思い出せない。あ! 優奈、どこへ⁉︎」
思わずかけ出していた。
病院へ。父さんもそこで勤務する医師ではあるけれど、あの様子ではちゃんと答えられない可能性がある。
何かされている。
何か、十年前のゆうに関する事実を捻じ曲げる何かがある。
なら、彼は、自分をあの名で呼んだ彼は、もしかすると——!
いくつかの道を曲がった所。
住宅街から病院のある中心市街へと向かう道の途中だった。
息を切らせながら走る私は、そこで足を止めた。
いや、止めざるを得なかった。
「なんだ……あれは?」
一体、どういった形をしているのか。
個体なのかそれとも流体なのか。一つの形に定まらないそれは絶えず変化して、色も赤なのか青なのか黄色なのか緑なのか判別ができない。
だが、そこにいた。
ふわふわと浮き上がるそれは、私の全身に感じたことのない悪寒を走らせる。
怖い。
ただ一つの感情が私を満たし支配していった。




