1-28 友達として、呼べるのか?
そして、すぐにここまで俺を追ってきた追跡者——優姉こと皇優奈は荒い息を吐きながらも、がしっと俺の肩をつかんだ。
しばらく二人、ぜぇはぁ、とあがりきった息を整えるように無言の時間が過ぎた。
「……なんで、逃げた?」
「いや……もう顔を見せるな、って言われてたし」
まだ整いきってない息の中、優姉の問いかけに俺は視線をそらし気味に答えた。
多分、めっちゃにらまれていることだろう。
ちらっと視線をむけると案の定、その瞳はつりあがり気味に俺を見ている。
幼い印象を与える顔立ちをしているが、今はそこにそれはまあ怒気というか憤りというか、いろいろ俺に対するよろしくない感情をもっているだろう表情を浮かべている。
流す汗とそれではりついた長い髪を気にすることなく、視線も肩におかれた手も俺をつかんで離さない。ポニーテールにした後ろ髪が荒い呼吸にあわせて揺れている。
「だからってな、急に逃げる奴がいるか? しかもここまで全力で」
そう言われるとなにも言えない。
「……たしかに私も少しばかり、威圧的な顔をしてしまっていたかもしれないが」
少し? あれは少しなんて顔じゃなかったぞ。
「……なんだ?」
……いえ、なんでも。
「だが、お前、ここの生徒だったのか? ここは生徒が多いとはいえお前の顔を見るのははじめてだ——いや、D組に転校生が来ると聞いたな。お前か?」
「……そうだよ」
答えを返しながら、膝についていた手をはなし、身体を起こす。
「逃げたのは……悪かった。本当に顔をあわせるつもりもなかったし、今日は思いがけずってやつだよ。だから、思わず逃げたっていうか。——そっちに迷惑かけるつもりなんてなにもない」
優姉の方を振り返らず、俺は答える。
今のは本心の言葉だ。関わるつもりも、関わらせるつもりもない。下手をすれば、今の俺は優姉にとって危険な存在とも言える。あの鬼脅という怪物——あんなものに優姉を関わらせるわけにはいかない。
なら、なんの関係もない他人でしかいられないとしても、それで良い。
「……あぁ〜〜〜!」
しばらく無言だったが、いきなり声をあげるものだから驚いて思わずふり返ってしまう。
そこには自分の髪をわしゃわしゃとかきあげる姿があった。
長くのばされ、髪飾りでまとめられた後ろ髪がいきおいよく揺れている。
「すまない。今回は私も悪かった。理由はともかくいきなり人を追い回すのはほめられた事じゃなかった」
そう言って、優姉は迷いなく俺に頭を下げた。
「な、なんでそっちが謝るんだよ」
「今言った通りだ。私にも咎められる部分があった。それだけだ。だが、逃げたお前も悪い。あんなの、なにかあると言っているようなものだ」
下げていた顔をあげ、びしっとさされた優姉の指にのけぞってしまう。体格差は優姉のほうが二回り小さいはずなのに、やっぱりその迫力には敵わない。
「……ごめんなさい」
素直にあやまってしまう。
よろしい、と指をおろす優姉。やっぱり、敵わないな。
「それでだ、改めて転校生。名前を教えてくれないか」
そして、厳しかった表情と瞳を柔らかくして、問いかけてきた。
その質問に一瞬、答えを迷う。
だが、決めたことだ。ここで曲げるわけにはいかない。
「諏訪勇悟」
その名前を聞いて、やはりまた優姉の表情がけわしくなる。だが、すぐにそのけわしさはなくなっていった。
「そうか。……同姓同名、もいておかしくはない……か」
そして、あっさりとした相槌と、小さなつぶやきを口にした。
「私は皇優奈。そちらと同じ、ここの二年生だ。なんだ……これもなにかの縁。困ったことがあれば声をかけてくれ。これでもここの生徒会長をしている。それなりに顔もきくし、ここの穴場も知ってる。たとえば大学側に来るキッチンカーがいつ安売りをしているかとかな」
ちょっと冗談めかした言い方で優姉は笑った。やっぱり会長やってるんだな。
……ひさしぶりに見たな、笑ったとこ。
記憶の中ではそんなに日もたっていないはずなのに、それがとても遠い日のことのようで。そして、なによりやはり、あれが現実のものではなかったのだと今の優姉の言葉が告げていた。
だが、少し気になることもなくはなかった。
優姉は俺が十年前に死んだと言った。そして、母親は俺をその時、皇の家にあずけていたとも。
とすれば、俺が眠りに入る前、十年より前には俺と優姉はたしかに一緒にいたのだ。
なら、どうして優姉は俺が病院で眠っているのではなく、死んだと思っているのか。
そのあたりは俺があの病院で朝桐の名前でいたのにも理由があるのかもしれない。結局、そのあたりはまだ聞けてはいないが、たしかめてみても良いかもしれない。
それにだ。まったく覚えてはいないが、実はいるという俺の血のつながった姉とはまだ顔をあわせていない。俺の二つ上で今は大学生らしいが、実は今この高校の隣にある大学の中にいるのかもしれない。
幼い頃の写真でしか見ておらず、今の姿はわからないが、たずねてもそのうち会えるさとしかあの母親は答えてくれない。
それはともかく、ひとまずは優姉——あ、そう呼ぶのは止めたほうが良いのか。じゃあ、皇? やばい、違和感が半端ない。
だが、呼ばなくてはいけない。これからは家族でなく、友人として接しないといけないんだ。
「……ああ、こっちこそよろ——」
そう返事を返そうとして、気づいた。
今いる校舎の裏側の向こう。
そこは高校側と大学側とをつなぐ広場のようになっている。
そこに見つけてしまった。
現実には存在しない、だが確実にそこにいる不可視の異形。
鬼脅、だ。




