終わりの11 伝える。一言だけでいい。
形を持たない声が聞こえた。
同時に膨大な量の思念が激流となって溢れ出してくる。
憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲。
それに質量を持った錯覚を引き起こす。
圧壊させようとする激情達が俺の身体を、俺達の意思を、崩壊させようと握り潰してくる。
『香坂ほずみの意思は想像以上に強固でね。元は僕等と一つであったが故にその妨害を取り除くのも一苦労だった。楔を破った僕等をこんな膜の中に押し込めるとは……ただの小さな意思であるのに驚きだよ』
年齢も性別もわからない奴——ナイアはこの時を待っていたとほくそ笑む。
『こちらから除くのが難しければ君達に破ってもらえば良い。放った分体達が喰い尽くしてくれたならそれでも良かったが……やはり君達はやって来た』
声にならない苦悶。俺からの痛覚を遮断し伝わらないはずの三人の悲鳴が感覚を揺らす。
『白状しよう。僕は君達が恐ろしい。その理解できない君達の変化が恐ろしい。不明の存在であるはずの僕がわからない君達に恐れを抱いている』
守る。圧壊しようとしてくる意思から、守られてばかりだったこの身で三人を何としてでも守る。
『だが、その恐れは憎しみになる。怒りになる。君達の変化はさらなる憎悪を僕等にもたらしてくる』
憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲憎嫉妬怒悲。
全方向から肉体も精神も俺達というすべてを拒み妬み、その存在を許さず喰らいつくそうと牙を剥く。
『ふふ……しかも、欲していた依り代をさえ自ら運んできてくれた。さあ、そら、僕等の意思を受け入れておくれ』
させない。俺の相棒を飲みこませたりはしない。
『無駄だよ、諏訪勇悟。君はあくまで容れ物でしかない。他の力を増幅できても、君自身にできることは何もない』
そんなことはわかってる。
ただ身体が頑丈で怪我の治りがはやいだけ。俺一人じゃ戦う力もないのはとっくに自覚している。
『なら徒労など行う必要はない。受け入れてしまえば君が焦がれる彼女達ともずっと共にいられる。——どちらかを切り捨てる必要なんてない』
奴が笑う。そこには俺達への哀れみがあった。
個別にわかれ、隣にいる親しい人の心さえわからない。
そんな俺達への純粋な憐れみがあった。
この先、俺は向き合うことになる。
定まらず、頼ってばかりの俺の心は二人の少女に焦がれてしまった。
本来ならどちらからも見捨てられても仕方がない。
けれど、そんな俺でも手をとってくれた二人にできることは本気で考えて、答えを出すことだけだ。
本人達がなんと言おうと、いずれ俺はどちらかを傷つけることになる。
それは避けようがない。避けてはいけない。避けたくはない。
誰かは俺を最低な二股野郎と罵るはずだ。
そのとおり、そんな自覚はとっくにある。
けど、だからこそ逃げたくはない。俺といてくれた記憶が悪いものであってほしくないから、できる限りいやそれ以上に向き合いたい。
そうして出した答えの後、二人がちゃんと姉妹として手を握っていられるように。
それを——切り捨てるなんて言わせてたまるか!
流線形となっていた形状を俺の意思で人型へと戻す。装甲はそら、おき、姉ちゃんとつながる胸部へと集中させ、三人へのダメージを最小限にする。
守りの薄くなった手足がきしみをあげ、引きちぎられるような痛みが全身を駆け巡った。
『ゆーくん……そんなことをしたら、あなたの身体が!』
何、そんなやわじゃない。
『ゆう!』
心配すんな。それより頼むぞ。ここがお前の見せ所だ。
『……こっちはまかせて』
おぅ、姉ちゃん、いつも頼りにしてるからな。
そう、俺にできることは少ない。
俺にできるのは頼れる相棒達を信じて、最大の守り手であること。俺の身体を通して、この世界に皆の意識を伝えてくれる彼女達の盾となることだけだ。
だから全力でその役目を全うしよう。
それに、俺達にはこんなにたくさんの支えがある。
『これは——意識達が集まって……だが、取り込んでいるわけでもない。なんだ、何をした?』
これが先輩の秘策。
『来た! ゆき達のひろめてくれたわたし達への想い! それに聞こえるよ! がんばれって、さっきよりもたくさん!』
そらの感覚を通し、すでに感じとれている。
『聞こえる……雪路、琴音、皇さん、夏樹、みんなの声がちゃんと伝わってくる』
それを心臓であるおきが束ねてくれる。
『これを……飛ばしてとどける。ほずみのところへ!』
姉ちゃんが遠い遠いあいつの元へ羽ばたかせてくれる。
こいけがし。
ありえないと思われるからこそ目には見えない意思の塊。
見たくはないと拒絶するから知ることのできない意思の塊。
彼ら彼女らは知られることで力を増す。それは自身へ向けられる憎しみ、怒り、恐れを喰らい取り込むからこそのもの。
向けられた感情——自らをそこに既定する観測がこいけがしの力を強くする。
なら、それは元が同じである俺達も同様のもの。
膨大な意思の塊から力を得た俺達も理屈は同じ。
しかし、今は纏う意思の異なる俺達は恐れの感情では力を得ることができない。
だから、千葉と淳宣の手を借りて広く語りかけた。
この街には守り手がいるのだと。
どれほどの恐ろしいものがいるのだとしても、けして倒れない守護者がいると。
ありがたいことに今の世にはSNSなんて広い広い海があり、ちょうど良くも皆がこの街にいる存在を知ったことで写真や動画にも残すことができる。
そこに浮かべたビンにメッセージを詰めて、どこかで受けとってくれる手へ向けて送り出した。
その海は世界に等しい。けして良い言葉ばかりではない。懐疑、嘲り、信じる声だけではけしてない。
だが、それでも多数の中にたしかにいてくれる声が—— 励ましとなって俺達へと届いている。
がんばれ。
支えてくれる声が多くなる。
だから、この痛みなんて問題ない。
がんばれ。
知っている声達が力をわけてくれる。
優姉。
『何があろうと私はお前の姉なんだ。何時だってお前の自慢でいたい。助けてもらってばかりだからこそ。だから何が相手でも助けに行くぞ! 未来の妹も一緒にな!』
がんばれ。
久遠寺。
『これまでもこれからも、そら、お前は俺の妹だ。そして、勇悟、お前は俺の——親友だ。俺は何時でも共に行こう』
がんばれ!
琴音さん。
『いつでも琴音は貴方方のおそばに』
がんばれ。
『負けたりしたら承知しないぞ! けど信じてる! あたしの友達は絶対に負けないって!』
『自慢するからな! 俺の友達、すげぇヒーローだって! そんで学校でもSNSでもバズりまくりにすんだ! だから絶対負けんなよ!』
千葉と淳宣。
がんばれ。
『はやく帰ってきなさい。帰ってきたら、今度は私が食事を作ろう。覚えてないだろうが……お前は私の味噌汁が好きだった。また作るから……ちゃんと、帰ってきなさい』
母さん。
怒りでも憎しみでもなく、ただただ平穏を望み、なんでもない明日への願いが集まってくる。
がんばれ。
『やるならとっととやっちまえ!』
『こっちは私達が抑えてます!』
世界へ溢れようとする形を持った怒りと憎しみ達を鳥羽と先輩がその身でせき止めている。
『鳥羽慎二……君までそちらにつくのか。君は何も変わっていないはずだ』
『ああ、変わってねえ』
『なら何故だ?』
『てめえにつくよりも楽しそうだったからだよ!』
『わからない……わからない……君達の……お前達の……何なんだ? 何故そうまでして抗う? そこまで痛みに耐えてまで分かれた個体でいたいのか? いずれ傷つけあうとわかっていて抗うのか? 焦がれたものに拒絶される未来があるとわかって抗うのか?』
『だから……がんばるんだ!』
そらの意思の広がりがさらに大きくなっていく。
『一番になれないってわかっても、わたしの大事な人が幸せでありますようにって思えるように! 全力でがんばるんだ!』
『隣に並べないのだとしても、それは拒絶じゃない』
おきの意思が束ねる想いが大きくなっていく。
『また進めるようにって背中を押してくれるの』
がんばれ!
一際大きな声が響いた時、ようやく届いた。
————やっと来た————。
俺達を仮想の杜人へ送り出した時。
先輩は俺達が戻されることをすでにわかっていて、それはほずみもわかっていた。
こいけがしという憎しみと怒りとあらゆる負の意識と呼ばれる感情達の集合体。
その喰らうという『拒否』の意思を共に生きるというものへ移行する。
強制的な上書きでは反発する。しかし、ただ語りかけるには相手が大きすぎる。
だから、その間に入る仲介人が必要だった。
語りかける俺達の意思を浸透させる役割の存在が不可欠だった。
だから、ほずみはあの場に残った。巨大な意思の一部へと帰ることを容認し、仲介の役目を引き受けてくれた。
あえて杜人の底に押しとどめられていた巨大な意思の塊を解き放った。
全てはこの時のため。
杜人全ての人々の意思を束ね、この大きすぎる意思と対話をするための準備。
準備は整った。仲介人の元にもたどり着いた。
後は伝えてもらおう。言葉は一言だけで良い。
一 緒 に 生 き よ う。
『こわいの? なら良いかけ声教えてあげるよ。これを言うとね、ちょっと変われる気がするんだ。少しだけ勇気をもらえる気がする言葉。ほら恥ずかしがらないで!』
そして、俺の相棒はたぶん口になじんでいる言葉を伝えてくれた。
『変身!』
押しつぶそうとしていた意思達がやわらいでいく。
俺達を、この街を飲み込もうとしていた激情が鎮まっていく。
不思議な光景だった。
まるで世界が真っ白く染まったように、意志が広がっていく。
それは、囚われていたものから解放された安堵なのだろうか。
伝わる暖かい感覚達が、共にいる選択をしてくれたことを教えてくれていた。
空が変わっていく。照らす光が明滅するように黒い色へと切り替わろうとしていた。
『……異界でなくなる。元の世界に街が戻ろうとしてるのね』
おきの言葉が伝えるとおり、仮想と重なった現実が遠く離れていくのがわかった。
『はやく戻る。わたし達も帰らないと』
姉ちゃんの言うとおり、俺達がいるのは仮想側。
どういった境目なのかはわからないが、元こいけがしの中心とも言える部分にいた俺達はそちら側に残っているらしかった。
海の上にいたはずが、白い世界の中で同じ色の地面に上に立っている。
『……ほずみ、もういないの?』
呼びかけるそらの声。
先輩は言った。すでにほずみは存在し続けるのには損傷を負いすぎたと。それは球体の姿で屋敷へ戻ってくる前に受けたものが原因。
人としてはありえない状態まで追いつめられ、ほずみ自身が人として存在するのが無理だと認識してしまったから。
もう香坂ほずみはその身体を保つことができない。
それを聞かされ、そらは先輩を責めることはしなかった。先輩も謝ることはしなかった。
ほずみの声は聞こえない。
『……帰りましょう。私達の家へ』
……ああ、そうだな。
おきの言葉に感覚内でうなずきながら、先輩の元へと近づく。
気づけば元の姿に戻っていた先輩は巫の白装束——けどどこか古めかしい衣装を纏っていた。それはもしかすると、遠い遠い昔、祖である彼女が祭りでの舞で着ていたものなのかもしれない。
先輩は何も言わず、俺にうなずいてくれた。
一つになっていた姿を解く。
『え? ゆう、なんで——?』
そらの声が遠くなっていく。
『今解いたらあなたの心臓が——!』
おきが呼ぶ声がした。
……姉ちゃんは俺をにらんでいた。もしかすると、ばれていたのかもしれない。
細くなっていた心臓から感じるつながりが遠くなっていく。
問題ないとは思うが、無事に先輩が皆を送り届けてくれること願う。あの衣装は最後の最後、見送るためのものだったのかもしれない。
そして——俺を呼ぶ声が聞こえなくなった時、ぷつり、と切れてなくなった。
「よぉ、ちゃんと来やがったな」
踵を返した先には相も変わらずにやけた笑みを浮かべた顔がいた。
「約束だ。ちゃんと守る」
その声に応える。気づけば真っ白かった周囲の景色が変わっていた。
これは……学校の屋上か?
「はっ、喧嘩といえばここじゃねえか? 最後の最後だ。舞台はきっちりしないとな」
その姿は人の姿に戻っていた。だが、違和感。それが何かはすぐにわかった。
「なんで制服着てるんだよ?」
顔や耳のピアスは今のままだが、何故かウチの高校の制服を着ている。たしかにこいつは仮想の杜人での俺の一つ上の先輩。なので着ていること自体に違和感はないが、何故今?
「学校で制服を着るのは普通だろ?」
ニヤニヤとバカにする笑みで俺を見る鳥羽慎二。
その手には球体が一つ握られている。
「……ほずみ」
「おぉ、ちゃんとわかるんだなぁ、んじゃあよぉ、時間もあまりないことだ。さっさと始めようぜ」
つかんだ球体を背後に放り投げ、鳥羽が叫ぶ。
「最後の決着とやらをつけようか!」




