第八話 実家の母も知ってました
最近ユリアスと歩いていると、心なしかすれ違う人の視線が生温い。ご近所の人からは会う度にお祝いの言葉を贈られるし、さっきはお喋りで有名な惣菜屋のナンナさんにまで、「やっと結婚するのねぇ!」と祝福のお惣菜をしこたまオマケされてしまった。
このままでは、本当にユリアスはココルと結婚させられてしまう。……もっと問題なのは、当の本人が全くそれを気にしていない。これは由々しき事態だ。
「ナンナおばさんから貰ったお惣菜もあるし、今日はパンだけ買い足そうかと思うんだけど……ココ?」
「あっ!? うん! 何!?」
「もう、聞いてなかったね。塩パンと角パンを買い足すけど、ココは何か欲しいものある?」
「いや、特に……は……」
ぐるりと視線を巡らすと、道脇に備え付けられた魔導通話機に目が止まった。その瞬間、ココルの中で名案が稲妻のごとく閃いた!
「……あたしは外で待ってるから、ユリアスはゆっくり回ってきて」
「えっ?でも、ココ一人じゃ心配だよ」
「あたしのこと何歳だと思ってるの? 大丈夫だから早くいってきて! ほら!」
「あっ、ちょっ! ココ~~~~っ」
渋るユリアスをパン屋へ押し込んで、ココルは拳を握りしめた。そして、角兎のごとき速さで魔導通話機へ走る。彼がパン屋から帰ってくるまで恐らく数分、それまでに何とか蹴りをつけなくてはならない。
魔導通話機は大抵街角に小ぢんまりと設置されている。四角い箱のような形をしており、中心に空いた穴に小さな魔石を放り込めば、通話魔術を発動させる事ができる優れ物だ。魔石投入口の周りをぐるりと囲むように取り付けられたボタンで番号を打ち込めば、魔導通話機同士を繋いでくれる。
今回の連絡先はココルの田舎、実家に備え付けの魔導通話機だ。
ギュインギュインギュウン……チリーン!
『はい、もしもし?』
軽やかな鈴の音と共に、ラッパ型をした受話器の向こうから母の声が響く。成功だ。正直、忙しいこの時間に母が電話に出るかは賭けだったので、ココルは心の中で拳を天へとつき出した。
「もしもし、お母さん?あたし、ココルだけど」
『あらま、どうしたの! アンタから連絡よこすなんて珍しい事もあったもんだね』
「ん、いやあの。相談があって……」
さてどのように話したものか。何せ時間もない。
“ユリアスが私をヤンデレから助けようとしたら結婚することになって”……いや、もっと分かりやすく簡潔に伝えないと母は分からない。というかそもそも『ヤンデレ』なるものの説明からしないといけないのだろうか?
一瞬言いよどんだ瞬間、受話器の向こうから陽気な母の声が響いた。
『分かってるわよぉ、何年アンタの母親やってると思ってんの』
「へ? わ、分かるの?」
カラカラと豪快に笑い、母はいつも通りの明るい声で続ける。
『ユリアス君と結婚するんでしょ?』
「…………えっ? えっお母さん、何でそれ」
『何でって、何日か前、朝一番にユリアス君から速ドラ便で婚約報告が届いたから』
速ドラ便とは、“速達ドラゴン郵便”の略称である。飛行種の中でも特に速いドラゴンと、それを乗りこなす事ができる騎手に依頼できる郵便サービスで、どんな遠方にだって四半日から半日で届けてくれる。その代わり、凄まじく料金が高い。なので大抵は国の重要書簡やら、大商店が扱う最高級品などを運んでいる。民間での依頼も出来ない事はないが、相当重要で緊急な時以外は殆ど縁がない。
そんな速ドラ便を、しかもユリアスが使ったという。
ココルの頭の中は一気にこんがらがり始めた。
「あの、お、お母さ」
『うんうん、照れなくたっていいのよぉ。アンタ昔っからずーっと“ユリアス兄さんと結婚する!”って聞かなかったもんね。良かったじゃない! それでお式はいつにするの? 昔馴染みとはいえ、挨拶しに一旦は里帰りするわよね? 布団干したり客間準備したりしなきゃいけないから、帰る時は早めに連絡頂戴よ。それから』
駄目だ。こうなったら母は喋り終わるまで止まらない。というか、母に伝わっているということはお隣に住むユリアスのご両親にも、なんなら田舎全体にまで“ココルとユリアスが婚約した”との報が広がっているに違いない。大体庶民は遠目に見る事も珍しいドラゴンが、配達とはいえ田舎に降り立ったのである。噂にならない筈がなかった。しかも婚約の報告とくれば、そりゃあ娯楽の少ない田舎では格好のお祭り騒ぎ案件だ。
もう、事態はココルの手に負えない所まで来てしまっている……!!
『ちょっとココル、聞いてるの?』
「えっ、うぁ……何の話?」
『だから、ユリアス君とは仲良くやってるのかって話――』
「それは、」
「はい。勿論、仲良くやってますよ。お義母さん」
柔らかくのんびりとした声に振り向けば、いつの間にかココルの後ろでユリアスが微笑んでいた。固まった彼女から受話器をやんわりと受け取ると、そのまま和やかな会話が始まる。
『あらユリアス君! やだわあの子ったら一緒にいたなら言ってくれれば良いのに』
「はは、ココはこういうのに限って恥ずかしがりですからね」
『そうよねぇ、報告もユリアス君頼りだったし。ほんとこの子ったら変な所でシャイなんだから……あっそうだ! 二人はいつ挨拶に帰ってくるの?』
「そうですね、お互い仕事もありますから、またココとも相談して――」
――お義母さんって何。ユリアスいつからお母さんをそんな風に呼んでたの? 何でお母さんも違和感なく受け入れてるわけ?
ユリアスの吐息がココルの旋毛にかかってそれも擽ったい。魔導電話機を置いてある場所は狭く、長身の彼が後ろに立てば小さなココルはすっぽりと隠されてしまうのだ。呆然と見上げれば、緑色の瞳が柔らかく緩む。少し骨ばった指が伸び、ココルの髪の毛を巻き取って遊び始める。
大好きなユリアスの香りに包まれ、頭の上から響いてくるユリアスの低い声にだんだん頭がぽやーっとしてきた。そんな場合ではないと分かっている筈なのに、恋する乙女の頭は実に現金である。
そうこうしていると、魔導電話機からヂリヂリヂリン!とけたたましい音がなり始めた。魔石の魔力が切れ始め、通信魔法が終わる合図だ。
『それじゃあ、決まったらまた早めに連絡頂戴な。仲良くするのよ二人とも』
「はい、挙式の日取りはまた里帰りした時にまたお話します。それじゃあ……ココル、ほら」
「あっ、……うん。じゃあまた、お母さん」
カチン、と受話器を元の位置に戻し、ユリアスがにっこりと笑う。そして片手にパンの袋を下げ、もう片手をココルの腰にそっと回すと、ゆっくりと歩き出した。
「さ、帰ろ。ナンナおばさんのお惣菜が固くなっちゃうよ」
「う、うん」
傍から見れば、『実家に婚約報告した仲の良い恋人同士』。ユリアスもまんざらでも無さそうだ。ココルも全然嫌じゃない。なのに、この釈然としない感じは何なのだろう?
モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、ココルはユリアスと家路へついた。