【番外編】ヤンデレ男の執着④
それから彼女が何を言っていたのかは、よく覚えていない。気づけばココルは占い師のテントから出て、家路につく所だった。その足取りは行きと違って、羽が生えたように軽い。
空は白み、辺りもうっすらと明るくなってきている。これなら、ココル一人で帰っても問題はない筈だ。先回りして彼も家路を急ぎながら、ぼんやりと先程の彼女の言葉を反芻する。
「ココルは今、何を考えているんだろう」
普段の態度や視線から、彼に好意を抱いてくれているのは分かる。先程の発言から、結婚を厭っている訳ではない事も分かった。それなのに、彼の胸には何かもやっとしたものが蟠っている。
彼女が生まれてきてくれたその瞬間から、彼はずっと一緒にいた。誰よりも近くで、誰よりも彼女を慈しみ、愛してきたのだ。これまで、ココルが頭の中で何を考えているのか何となく分かってきた……筈、だった。
――ココルの中に、僕の知らない何かがあるなんて。
その、知らない何かが、彼とココルの結婚を邪魔しているのだ。実に、実に許しがたい。
「……やっぱり、さっさと既成事実を作った方が良かったのかな」
純情なココルの為に、同棲した後も必死で我慢していた。恐らく『“初めて”は結婚式の夜に薔薇の花びらを散らした大きなベッドの上で』なんて夢見ているであろう彼女を、剥き出しの欲望で傷つけたくなかったから。
けれど、もう無理だ。彼女を守る為の箍が、度重なる不安ですっかり壊れかけている。
「確実に、僕との子を作ってしまえば、真面目なココルは僕と結婚するしかなくなる……」
『ユリアス!』
脳裏にココルの太陽のような笑顔が浮かんで、彼の良心と理性を苛む。無理矢理そんな事をしたら、本当に嫌われてしまうのではないか? 泣き叫んで、軽蔑されて、逃げられたら、もう鎖で繋いで閉じ込める以外に選択肢がなくなってしまう。もしそうなったら、きっと、あの太陽のように笑う彼女とは二度と会えなくなってしまうに違いない。生まれた時から護り慈しんできた無垢なココルを、永遠に喪って、彼は耐えられるだろうか?
次々に湧き上がる不安と罪悪感を必死に押し込めながら、ココルの為のサンドイッチを作る。黙々と彼女の好きな具材を挟んでいると……やがて、控えめなドアの音が聞こえてきた。
――ああもう、気がおかしくなりそうだ。
足元を忍ばせてゆっくりと中へ入ってきたココルを出迎えに行く彼の顔は、歪に歪んでいたのだった。
◆◇◆
「……何てことも、あったっけなぁ」
柔らかな金髪を弄りつつ、無防備な寝顔を存分に眺め、彼はひとりごちた。先程まで汗ばんでいた柔肌が、カーテンの隙間から差し込む月光に照らされて淡く輝いて見える。
念願叶えて結ばれて、あれから何度愛を確かめあっただろうか。泣いて恥ずかしがる彼女から引き出す『好き』と『愛してる』は殊更に甘く、もっと、もっと求めてしまう。そうこうしている内に、彼女が気をやってしまって……やりすぎた事を反省する日々だ。
「ん……」
柔らかな頬にキスを落とせば、金色の睫毛がふるふると震えた。それが愛おしくて、額や鼻頭にもキスをすると、擽ったかったのか瞼が上がり、現れた瞳が月明かりの下で海水晶のように煌めく。
「ごめんね、擽ったかった?」
「うん……ン……」
「まだ寝てていいよ。おやすみ、ココ」
「……ん……」
小さな唇にとキスを落としてから頭をなでてやれば、ココルはふにゃりと笑ってまた眠りに落ちてゆく。その安心しきった笑顔がたまならく愛おしくて、頬が緩むのを抑えきれない。
――あの後、ココルと話をして、本当に良かった。
己のどす黒い執着も、ねばついた欲望も、吐き出してしまえば、ココルは拍子抜けするくらい難なく受け止めてくれた。普通なら引いてしかるべき所だとも思うのだが――そこはそれ。きっと、ココルと彼の相性がとても良かったという事なのだろう。
「あの占い師には、最後までしてやられた気がしたけど……まぁ、いいか」
彼女を押し倒した時に発動した魔術にはびっくりした。しかし、そのお陰で誤解を解くことが出来たのも事実だ。忌々しい、胡散臭いと思っていたが……例の占い師には、一応感謝した方が良いのかもしれない。
「愛してるよ、ココ。僕のお嫁さん」
明日の朝も、ふくれっ面したココルの好物を作ってご機嫌をとることになるだろう。そんな当たり前の朝が、今は何よりも愛おしい。
蜂蜜よりも甘い幸福を噛み締めながら、愛しの伴侶を抱きしめ、彼もまたゆっくりと目をとじた。




