二話(一)
「エノリアのやつ、間に合うのか?」
バスを降りてから徒歩で数分のところにある校門より。
そこから伸びる二百メートルの坂を見上げながら、少年は呟いた。
彼が見上げているその視線の先には、がむしゃらに坂を駆け上がっているエノリアの姿が見える。
どうやら、今日は生徒会の定例会があったらしいのだが、彼女はそれをすっぽり忘れていたようだった。
それに気がついたのは、今し方のこと。
そこから、間に合わせるように彼女は走り出したはいいものの、その定例会とやらが始まるまであと五分もない。だが、この場から生徒会室までは少なくとも五分以上はかかってしまう。
果たしてエノリアは時間内に目的地に着くことができるのだろうか、という危ぶむ気持ちを抱きながら、少年は遠く離れていく彼女の背中を見守った。
とはいえ、数秒もしないうちにエノリアは道に沈んで消えしまい、代わりに他の生徒達の姿が目立ってくる。バスや上りと下りの二本の電車が同時に学校付近の駅へ到着する時間帯ということもあって、広々としているはずの歩道はだんだん人で溢れかえり始めた。
「あれ、トキじゃね?」
人混みに巻き込まれる前に行くか、と早速歩き始めようとした少年を引き留めるように、背後から覚えのある声が聞こえてくる。自分の苗字が呼ばれたということもあって、少年はすぐに足を止めて後ろを振り返った。
「お、やっぱりか」
こちらに顔を向けた少年を見て、声をかけた主は満足げに呟く。そして、ゆっくりと彼の方へ近寄った。
「なんだ、セザスか。おはよう」
こちらに向かってくるその人物を見て、少年は納得した表情をして挨拶を交わす。
それに対して、その人物——セザスは手短く「おはよ」と答え、少年の背中を優しく一叩きした。
ツンツンと硬質で白銀色をした髪に、澄んだ真っ赤な瞳が特徴的なこの少年。
それ以外はというと、強いて言えば体格がしっかりとしているだけで、他は大して少年とはなんら変わらないように見える。
だが、それはあくまで見た目だけ。
実際に彼は人間ではなく〈死霊〉という種族の者。その中の吸血鬼の系統であるために、人間と似た姿をしているだけなのだった。
「どうしたの、セザス。元気ないね」
横目でセザスの顔を見て、少年は尋ねる。
「そう?まあ多分、昨日はアニメ見るために夜更かししたからかな」
物怠そうなあくびをしながら、セザスは答えた。
「もうすぐテストなのに余裕そうだな、って言いたいとこだけど、俺も見ちゃったからね。人のことは言えないや」
「まあ、先週のあんな次回予告見せられたらな。見ないって選択肢はねえよ、な?」
これに少年は頷いて同意の意を示す。それを確認して、セザスは言葉を続けた。
「今回のは特に、バトルシーンが白熱だったよな。日本侵略編の最後を飾るに相応しい戦いだったわ〜」
「やっぱりそうだよね!現段階一番最凶といわれる第七教徒をバーン!と叩きのめしたあのシーンはすっげぇヤバかった」
「確かにな!最初はこれでもかってくらいボコボコにやられてたけど、その状況を逆手に取って、彼なりの方法で攻め返した主人公のあの姿は最高にカッコ良すぎた。最後の必殺技繰り出すとこなんて、思わず立ち上がっちゃったよ」
「それは分かる。俺なんて興奮しすぎて、気付いたら手に持ってたペットボトルが潰れててびっくりしたわ」
ハハハハ!と、いかにも楽しげな笑い声を重ねる二人。
だが、この陽気な雰囲気に水を差すように、どこかからかいきなり女性の声が飛んできた。
「いいわね、そう二人で仲良く語り合えて……」
どことなく暗く、気重な彼女の台詞は自然に少年とセザスの会話を打ちとめる。
今度も聞き馴染みのある声だったので、彼らは彼女が誰かすぐに把握できた。
「なんだ、ラミナルか」
そう言ってセザスはゆっくりと振り向く。するとそこには、重苦しいオーラを身に纏った眼鏡姿の女子生徒が見えた。
両側頭部から髪をかき分けて三日月型の小さな角を二本生やし、腰のあたりから鞭のようにしなやかな尾を伸ばしている、見るからに人間ではない姿をしているこの少女。
もちろんこれらはコスプレ等で身につけているわけではなく、実際に彼女の身体の一部である。
これらから分かるように、彼女はセザスと同じ訪問者で、〈悪魔〉という種族の者だ。
はぁ……、とため息をつき、ラミナルは無気力に首からガクッと頭を下げる。
「ど、どうしたんだよ?おい」
それを見て、セザスは心配そうに気にかける。
「どうしたの、じゃないわよ……。あ〜昨日のこと思い出すだけで胸が痛い……」
若干掠れた声でラミナル悲しそうに答えた。その声質から、彼女が今、この上なく落ち込んでいるということが察せれた。
彼女の台詞を手がかりに、セザスは彼女が落ち込んでいる原因を探り始める。
「昨日か。もしかしてアニメのことでか?」
ガクッとラミナルは頷く。
原因はどうやらこのことについてらしい。
「今回の話を生で観れなかったとか、録画が撮れなかったとか?」
今度は首をニ、三度横に往復させ、「生で観たに決まってるわよ……」と彼女は呟く。放送を視聴できたかできなかったかが問題ではないようだ。
「要するにお前は昨日のアニメのことで落ち込んでて、別に放送を観れなかったことが原因ではないと」
ガクッとラミナルは頷く。
「ってことは、昨日の話の内容が原因か……」
そう言ってセザスは腕を組んで、アニメの内容振り返り始めた。
一分、二分、とゆっくり時間が過ぎていく。しかし、それに比例せず、いくら昨日の話の内容を思い返しても、一向に原因となりそうな場面は見つかりそうになかった。
「なぁ、お前は昨日の話を観て、それで落ち込んでるんだよな」
半ば嘆くようにセザスはラミナルに問いかける。
「そうって言ってるじゃない……」
「でも、今回ってバトル中心で、激しい戦いを制して主人公が勝ったっていういい終わりだったじゃねえか。別に悪かったとこはなかったと思うが——」
「そこよ、そこ‼︎」
唐突にラミナルは叫び、セザスを見上げて彼の両肩を鷲掴む。かすかに彼女の目に浮かぶ涙を目にして、セザスは刹那の間言葉を失った。
「な、泣いてんのか?お前……」
「泣いてなにが悪いのよ!私の最推しが死んじゃったのよ‼︎」
そう喚きながらラミナルはセザスを前後に強く揺らし始めた。
「落ち着けって‼︎」とセザスが言葉で止めようとも全く聞く耳を持たないラミナル。仕方なく、彼は彼女の手を掴んで無理矢理に止めることにした。
「お前の落ち込んでる理由は何となく分かった。だから一回落ち着け!」
「無理ぃ〜‼︎」
セザスの胸板を太鼓の代わりに叩き、ラミナルは子供のように喚き上げる。
「最推しが死んだのよ!可愛くてカッコいい愛しの第七教徒ちゃんがぁ!」
「それはしょうがないだろ。敵だったんだし、倒されなきゃ主人公が殺されて話が終わっちまうぞ」
「だからって殺さなくたっていいじゃない!逃がして恩を売ったり、仲間にしたり、生かす方法だっていっぱいあるじゃないの!」
「それはそうかもだけど……」
いよいよ反論が出来なくなり、セザスは言葉を詰まらせる。
「ならどうにかしなさいよー‼︎」
だが、そんな彼の事情なんて知らず、ラミナルは再度セザスの肩を掴み、勢い任せに揺さぶりながらを無茶振りを言い続けていった。