一話(三)
そうたわいもないことを考えながら歩いているうちに、気がつけばいつの間にか目的の停留所が目の前に見えてきた。
バスの到着時刻が近づいてきているということもあってか、もうすでに人の列ができている。とはいっても、四、五人が並んだだけの短い列だった。
「いつも思うんだけどさ、うちの学校でバスで通学する人ってなんか少ないよね。電車みたいに混雑しないし、切符代安いし。私は好きなんだけどなぁ」
列の最後尾へくっつくように並んで立っていると突然、隣からエノリアが話を振ってきた。
「まぁ、確かにそうだな。人混みで暑苦しくならなくて楽だし、一人暮らしの俺にとって安いはありがたいもんだよ」
「やっぱりそうだよね!私もそろそろ電車民からバス民に乗り換えちゃおっかな〜」
「別にいいけど、お前の場合はそのまま電車通学のほうが楽じゃないか?俺と違ってお前ん家は駅のすぐそばだし、そっちの方が楽だと思うぞ」
「えー、だって電車嫌なんだもん」
駄々をこねる子供みたいに少女は頬をぷぅ、と膨らませる。
「私って獣人族の中でも狐系の一族だから、他の族の人達より尻尾が大きいんだよね。このほど良い柔らかさと感触があるから私は嫌いではないんだけど、まあスペースを色々と取っちゃうんだよ。特に狭い電車内じゃキツくてしょうがないし、これからの季節なんてモワモワと蒸し暑くて嫌なんだよな」
そう言ってエノリアは自身の尾をフリフリ、と左右に振った。
確かに彼女の言う通り、彼女の尻尾は学校や街で見かける他の獣人のものよりも二回り程に大きい。人間である少年が尻尾の感覚がどういう風かを理解するのは難しいが、何となく不便そうなところがあるというのは想像で十分に分かった。
「なるほどな。お前の言っていることは何となくだが分からなくもないよ」
思いの外、しっかりと筋が通っている理由に反論の一つも返せず、少年は納得してしまった。それを見て、彼を論破できたことの優越感で、少女はドヤ顔を決めながら「ムフフフフ」と嬉しそうに微笑んだ。
ちょうどその時、右方にある交差点の向こうから少年たちの乗るバスが姿を現した。
青色の車体に、地域のマスコットキャラクターと観光スポットの写真が両側面にプリントされている、町のコミュニティバスだ。
交差点を通り過ぎてから徐々にバスは速度を落とし、停留所に引っ張られるようにゆっくりと徐行して道路脇に寄り、スッ……と停止する。空気の抜ける音と共に車体が数センチ下がり、注意喚起を促すアナウンスが流れるのと一緒に前後の二枚の扉がぎこちなく開いた。
その扉をくぐって、少年たち乗客は車内へ乗り込む。元々乗っていたお客が少なかったせいか、座席のほとんどが空いており、おかげで彼らはすぐに座ることができた。
少年とエノリアは後方の二人用の席に――窓側に少年、通路側にエノリア、という席順で――着く。久しぶりのバスで浮かれていたのか、いつもより彼女のテンションは高揚としていた。
そう長く間を空けずに、あのアナウンスが再び車内に流れ、それに従って扉が閉まる。そして、独特な鈍いエンジン音を轟かせて、緩やかにバスが発進した。
いつもなら、少年はここから学校までの小一時間を心地良いバスの揺れに身を任せてのんびりとしているはずだったのだが、生憎今日はそうもいかない。停留所にいた時から始まっていたエノリアの雑談が、この瞬間に至ってもなお、長々と続いているからだ。
勉強や愚痴、恋愛、お天気――などなど。マシンガンのように物凄い勢いで、止まることなんてし知らずに次から次へと話題を変えながら彼女は話を進めていく。しかも、いちいち毎回の話ごとにこっちへ意見や反応を求めくるので、正直いって少しめんどくさい。
しかし、だからといって無視したり、おざなりに反応するわけにもいかず、仕方なしに少年は彼女の話に付き合ってあげていた。
とはいえ、悪い気はしないものだった。
ゆったりと過ごすことはできなかったが、代わりに話し相手をさせられたおかげで、十分二十分があっという間に過ぎていく。規則的に並ばされているビルに家といった建物が広がっていた窓外の景色も、いつの間にか見渡す限り広大な田畑と山が広がる景観へ移り変わっていった。
だんだん学校に近づいてきたということもあって、車内はだんだんと少年達と同じ制服を着た学生が目立ち始める。さっきの閑散とした雰囲気と打って変わって、今では少し喧騒とし始めていた。
衣ヶ浦高校はこの地方唯一の訪問者を受け入れている高校。そうということがあって、学生の乗客のおよそ半分はみんな獣人だの精霊、悪魔だのの訪問者ばかりだった。
とはいえ、この光景は決して珍しくはない。むしろ、当たり前すぎると言っても過言ではないのだろう。
けれども、人間と訪問者のこういう優良な友好関係が永遠に続いてくれるという保証は残念ながらどこにもない。
だが、そうはいっても、この平和な世界が今すぐにでも崩壊して欲しいと思っていないのも事実である。
この短期間で急ピッチで変化し続けるこの世の中。一体これからはどうなっていくのやら、と、後半エノリアの話を聞きながら頭の片隅で少年は他人事のように考え始める。
そんな彼のたわいもない考えをよそに、コミュニティバスは順調に交差点を学校へ続いている一本道の方へ左折した。