一話(一)
「はい、頼まれたスマホだぞ」
「ありがとう、トキ君!今回は助かったよ」
時刻は朝の七時を少し回った頃。空はどこか青白く、まだ春先だからなのか、風が凛として冷たかった。
出勤や登校をする時間帯であるせいか、マンションの所々で住人の足音や人の影が目立つ。その一角、三〇五号室の前で、制服姿の若い一組の男女が何やら会話していた。
片手にドアノブを持って玄関に立ちながら応接する少年と、廊下の真ん中に立って応接を受ける少女。口調や態度から見て、彼らは同級生だろうと伺える。だが、二人の容姿には明らかな違いがあった。
男女の違いや人種の差、ではなく、人間か人間じゃないか、の違いだ。
丸い頭に胴体と二本ずつの手足のみで構成される、一般的な人間の姿をしているのは男性の方。それに比べて女性の方は、その姿に加え、頭に獣耳、腰のあたりにふさふさとした太い尻尾が付いている。
つまり、言うところの彼女は〈獣人〉と呼ばれる種族の者だ。
「今回もだろ。お前はいつになったらそのおっちょこちょいな性格が治るんだよ」
「いやまぁ、しょうがないって言うやつですよ……」
「しょうがなくないだろ。お前がスマホを壊して俺に修理を頼んでくるのがこれで何度目かわかってるのか?」
「さ、三回目……かな?」
「十数回目だわ‼︎お前は本当に反省してる⁈」
声を張らせて少年は怒声で勢いよくツッコんだ。
「あのな、こっちだって来週のテストに向けての勉強で忙しいの。お前のそのしょうがないに付き合ってられるほど俺は暇じゃないの。分かるか?」
そのままの調子で彼は自分の事情を知ってもらおうと説明を続ける。だが、どこかおかしかったのか、うん?と不思議そう少女は頭を傾げた。
「テストって実力テストって事?」
「うん」と少年はうなずく。それを見て、突然彼女はニヤリと、いかにも怪しげな笑みを浮かべた。
「何よ〜、急に真面目になっちゃってさぁ」
「急にじゃねえよ。これまでのテストだってちゃんと勉強してるわ」
「なら大丈夫だって。あんなテスト、勉強しなくても文字通り実力でいけるわよ。楽勝楽勝!」
誇らしげに握りこぶしを肩の高さまで掲げながら、ウィンクをして少女は少年をからかう。しかし、それが気に入らなかったのか、彼は冷たい目線を送って冷淡にあしらった。
「ごめん、ちょっと用事を思い出した」
バッサリ話を切り上げ、手を引いてドアを閉めようとする少年。それを止めようと、少女は咄嗟にドアの端を掴んだ。
「わー!待って待って!ごめん、トキ君ごめんってば‼︎」
「何だよ、エノリア。まだ俺をバカにし足りないってのか?」
睨むような鋭い視線を向けて少年は呟きかける。
「違う、違うよ!もうバカにしない……んじゃなくて、バカにしてなんてないって‼︎」
必死に頭を振って、少女――エノリアは否定した。
「まあ、冗談っていうかおふざけっていうか、ちょっと場を和ませよっかなって思っただけでさ。別にトキ君をバカにしたいって思ってないけど、それでトキ君が傷ついたんなら、ごめんなさい‼︎」
そう言って少女は腰までは折らなかったが、その分頭を深々と下げた。
「はぁ、わかったよ。もう頭を上げてくれ」
少女の誠意に負け、ぽんぽん、と優しく少年は彼女の肩を叩く。その彼のセリフに反応して、少女は恐る恐る顔を上げた。
「い、良いの?」
「良いよ。そんなに怒ってたってわけじゃないからな」
途端、さっきまでの緊迫した彼女の表情が一気に解けた。
「やったー!ありがとう、トキ君!」
自分のいる場所の事を忘れ、少女は嬉しそうに叫んでぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃぎ始める。近所迷惑だけは避けなければ、と少年は慌てて彼女を部屋に引っ張り込んだ。
「ちょお前、何廊下のど真ん中で叫び出すんだよッ!ここはマンションだぞ、マンション‼︎」
「ご、ごめん。嬉しくてつい……」
「それでも程があるだろ。もうちょっと落ち着けって」
「あははは……」と少女は申し訳なさそうな笑みを浮かべる。それを見て、少年は呆れた意で再度、けれども今度は前より深くため息をついた。