2、面接室をご利用下さい
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<ケース1> 緊張気味なOL
「せ、泉田礼子ですっ。よろしくお願いします!」
俺なんか比じゃないほど緊張しているのか、声が裏返っている。「まるで就活中の女子大生みたいだ」、これが彼女の第一印象だった。そしてなんだか「あ、苦手なタイプかも」と、働かなくても良い直感が働いた。
「どうぞ、かけて下さい。」
「は、はい!」
よくよく見ると「就活中の女子大生」ではなくて、もっと年上だということが見て分かる。肩ほどまで伸びた髪を耳にかけ、仕事中にこちらの世界に来てしまったのだろうか、白シャツに黒いパンツ姿である。甚だ羨ましい。仮にも面接という場で面接官がよれたロンTにジャージとはどういうことだ。
「あの、そんなに緊張しないでくださいね?」
「はいっ、すみませんでした!」
緊張をほぐしてもらうつもりが逆効果だったようなので、俺は早々にこの試みを諦めて本題に入る事にした。
「えーっとじゃあ、軽く自己紹介お願い出来ますか?」
「は、はい!泉田礼子二十七歳、○×大学経済学部出身、生きていた頃はセキュリティ会社で事務OLをしていました。趣味はケーキ作りとガーデニングを少し、もちろん犯罪歴はありませんし真面目に生きていた方だと思います。あ、出身は栃木です。」
息継ぎなしで言い切った、という様に少し頬を赤くし肩で息をしている。
「えーっと、それで泉田さん、なぜこちらに?」
「こちらってあの、こっちの世界にってことですか?」
おどおどと控えめにこちらを見ながら、間違いがあってはいけないというように俺の言葉を確かめる。
「っん、その…手首を切りました。」
多少言葉に詰まりつつも、俺の目を見据えようと必死な様子だ。
「そうですか…って、はい?それは、事故か何かで?」
あまりに自然に言うもんだからスルーしそうになったが、今この人、決定的に誰が聞いてもおかしいことを口にしたよな?念のために確認しておこう。俺を始めとしドナー=「提供する」側、そして面接室の挟んで机を挟んで向こう側に座るべきは、彼女を始めとするレシピエント=「提供される」側。うん、俺の見解に相違はない。
「いえ、自分の意思です。」
ここだけは堂々と顔を上げて自信に満ちた顔で発言する。何故だ!?
「あの…レシピエントですよね…?」
「はい、あの…いつもの様にリストカットをしていて、つい…」
この部屋のどこかに然るべき言葉が漂ってでもいるのだろうか、目を泳がせている彼女は何か探しものをしているように見えた。
「うっかり死んでしまいました。」
「いつもの様にって…リストカットはいつからなさってるんですか。」
なんだか彼女が部屋に入っきた時からほのかに感じていた頭痛が、ここに来てよりはっきりとしたものとなった。
「えっと高校生の時に友人関係で悩んでいて、その頃からです…止めようとは何度も思ったんですけど…」
徐徐にぼそぼそとした喋り方になっていく。
「その日も会社で嫌なことがあって、あ、嫌なことっていうのは上司に怒られたことと、同僚が私以外皆でランチに行ってしまって、それに私は誘われもしなかったことと、廊下ですれ違った男性社員に幽霊でも見るかのような視線を向けられたってこと、それから…すみません、なにぶん前のことなので忘れてしまいました。」
「いえ、気にしないでください。」
「人生誰しも嫌なことは起きますでしょう?そう分かってはいるので一日に五つ以上嫌だなあと思う出来事があったら、その日は『嫌な日』だったと定義するようにしているのですが…」
生前していてそのまま持ってきてしまったのであろう腕時計をいじりながら、彼女の声はどんどん窄まっていく。俺にははっきりと、彼女の頭の上にデクレッシェンドが付いているのが見えた。
「『嫌な日』には大抵リストカットをしてしまいます。」
ほとんど消え入りそうな声だった。
「それでその日もついしてしまったと?」
「はい、あの日は残業をしてくたくたになって家に帰ったんです。あ、残業があったのも嫌なことの一つでした。それからすぐ眠ろうと思ったのに、ふとカッターが目の端に映ってつい…。」
彼女は目を泳がせ左斜め下で視線を止めると、まるでそこにカッターがあるかのように手を伸ばした。
「そこからはもう慣れたもので、左腕内側の肘に近い部分に刃を当ててスゥっと。あ、私の場合はリストってよりアームカットですかね、さすに手首は怖いので。それで徐徐に血が滲んできて、会社に入ってからは人目も気にするようになったので、あまり跡が残らないように深くは切りませんでした。」
そう言って彼女は左腕の内側を摩った。そのシャツの下には長年の傷跡が隠れているのだろうか。
「いつもならここで終わっていたんです。なのにあの日は何故か、もっと別の所を切ってみたくなって…刃を移動させました。」
そう言って腕を摩っていた右手で左手首を指す。
「今思えば馬鹿ですよね。動脈を深く切ったらそりゃ血も止まらなくなりますよ。いつもはスゥって感じなのにその日に限ってザクっといってしまったんです。でも今までにない快感でした。ほら、人参や大根を切れ味のいい包丁でとんとん切っている時って気分いいですよね?あんな感じです。」
心なしか彼女の表情が恍惚として見えるのだが。言っておくが俺はMは嫌いだ。
「あ、料理されない方にはあまり分からないかもしれませんけど。」
そんなフォローはいらん!手首切っときながらなんだが、俺は血とか痛いことにはめっぽう弱い。
「それから、今まで切った時とは比べ物にならないほど血が出て、それはもうドクドクと…」
「分かりましたから!俺もそれで自殺図ったんで大体分かってます!」
擬態語は卑怯だ!サクっとかドバっとかドクドクとか!
「あら、奇遇ですね!」
花が咲いたように彼女の周りがぱあっと明るくなったようだった。こんな同類を見つけて嬉しいことがあろうか。
「でも不思議と私、怖くなかったんです。」
一気に花が萎んで、代わりに仏壇にある白い蝋燭が一本灯ったかのような。
「もともとリスカ自体痛くないんですけど、その時はなんと言うか…一瞬意識が自分のものではなくなったというか…流れていく血をこのまま見ていたかったんです。別に恍惚としていたとか血が好きだとか、そういうわけではないんですよ?ただ水滴が血管から溢れて表面張力が限界にきて、そのまま皮膚を伝って流れていって重力に従って床に落ちていくその一連の動作を、そう、理科の実験でデータを取るために見ているような。でもそんな、一生懸命何かを見出そうと観察していたわけではなくて…ほら、理系の大学生でもない限り、理科の実験なんて真面目にやらないじゃないですか。私のはそうですね、中学校の理科の実験ってとこですかね。一応形だけやってはいるけど頭では今日のお昼ご飯のこととか、帰ったら何のテレビ見ようかなとか考えてるんです。どうせデータはしっかり者の班長が取っててくれるんですから。」
彼女のいじっていた腕時計の止め具がパチンと鳴った。
「あ、理系大学の学生さんだったらごめんなさい。失礼なこと言っちゃいました。」
その音で我に戻ったかのようにまた人懐っこい笑顔が灯る。俺は一瞬、なぜこの人には友達が少ないのだろうと考え込みそうになった。あ、泉田さんは一言も生前友達が少ないなどとは言っていなかったっけ、すまん。
「幸い文系なので。」
「それならよかった。」
再び手元をいじりだす。きっと緊張がほぐれると出る癖なのだろうと思い、一応面接中なのだが大目に見ることにした。
「それから?」
「それから…どれぐらい経ったのか分かりません。ただそういえば今日はすごく疲れていたってことを思い出して…ベッドの上で目を閉じました。」
それで人生の幕も閉じましたってか。
「そして目を開けたらここに。」
ここは俺と同じパターンだ。
「もう焦りましたよ。最初は天国だと思って、『本当に死んじゃったんだ、どうしようどうしよう』って。」
「確認しますけど、手首を切った時点で死ぬ可能性については考えなかったんですか?」
俺は反射的にこめかみを押さえた。さっきから俺の頭はずきずきずきずきしていて、たった今最大波を観測したようだ。
「それはっ…運よく死ねたらいいなんて思いながら切りましたけど、まさか本当に死んじゃうなんて…」
「はぁ…」
「す、すいません!」
「それで、あなたは運よくこっちの世界に来れたわけですけど、それでもまた元の世界に戻りたいと?」
棘のある言い方になってしまったのは、俺が正直この人にいらいらしているからだと思う。小学生のときクラスに一人はいたタイプだ。自分の考えをはっきり言えないで先生の後ろに隠れているような。そして中学生になる頃には確実にいじめられる。己の沽券のために言っておくが、俺は断じて人の不幸を好む様な人間ではない。だが断言しよう。あの二度と戻りたくはない理不尽で羞恥に塗れた思春期を潜り抜けた時点で、人をいじめたことのないやつはいない。それと同時に、人からいじめられたことのないやつはいない。これが分からないやつはただ鈍感だっただけだ。
「それが…分からないんです…私…」
もじもじと手を合わせて下を向いているが、顔が赤く火照っているのがわかる。ちなみに俺はこういう仕草もあまり好きではない。
「事故とはいえ、自ら手首切ったのにあなたはドナーではなくレシピエントとしてここにいる。その時点でもう明白でしょ、あなたは生きたいんだ。」
おいおい、安っぽい人生相談みたいになってんぞ、俺…。
「えっ?『いきたい』って、生きたい?逝きたい?」
言って彼女は机に指で漢字をなぞった。一画目のはらいを見た時点で俺はそっちです、と即答する。それを聞いて彼女は安堵の表情を見せた。ほら、やっぱりな。
「これで面接は終わりです。わざわざありがとうございました。」
「あのっ、一つだけ私からも聞きたいことあるのですが。」
初対面から今までで、初めて彼女の瞳のど真ん中に映った気がする。
「よろしいですか?」
「何でしょう?」
「子供のころ、いじめっ子でしたか?いじめられっ子でしたか?」
「…どちらかというといじめられっ子でしたかね。」
俺は先に言ったような信条の持ち主なので、そもそも人がこの二種類に分けられ固定されるのか甚だ疑問なのだが。
彼女はくすりと笑った。何か言いたそうにも見えたが、ただ一度くすりと笑っただけだった。
「そうですか…ありがとうございました!」
彼女がいきおいよく立った拍子に、パイプ椅子がギーと耳障りな音を立てる。その音に大袈裟なぐらいびくりと肩を揺らした後、「すみません」と小さく謝りながら肩をすくめて、彼女は出て行った。部屋に入ってきた時と同じ彼女だった。
「最後の最後に反撃か…。」
自分以外だれもいない天井に向かって呟く。そして撃たれもしない左胸を右手でさすってみた。無性にたばこが吸いたくなったが、もちろんこの世界にあるはずもない。なので代わりに俺は、メモ用にと用意していたが結局何も書かなかった紙に彼女の名前と「緊張気味なOL、しかし憎みがたし、また侮りがたし」と書き留めておいた。
<ケース2> 偉大な愛の持ち主
次のレシピエント候補者はすぐに来た。
コンコン
「失礼します。」
「はい。」
俺は慌ててメモ用紙を一枚めくり白紙にリセットした。
二人目は俺の親父よりも年をとった、おじさんというべきかおじいさんというべきか悩んでしまうような男性だった。足が悪いのだろうか、歩き方に違和感を感じる。
「よいしょ。」
ゆっくりとした動きで一連の動作を終え、俺の顔を見据える。当然俺のほうも相手を見据えることになったわけで、面と向かってよく見るととても上品な顔立ちの紳士だということがわかった。やっぱり初老ってところか。ここで最も多く見られる淡いパステルカラーの寝巻きを着ているが、品位が滲み出ている。
「こんにちは。」
「あ、こんにちは。」
「随分お若いですな。おいくつで?」
「あ、二十三です。」
「そうですか。」
何か目的があったわけではないようで、聞くだけ聞くと俺の背後の壁をじっと見つめている。初っ端から向こうのペースに飲まれぎみだ。
「えーっと、伊東栄吉さんで間違いないですか?」
視線が壁から俺へと移る。
「はい、そうですが。」
「…そうですか。では、簡単な自己紹介お願いできますか。」
「伊東栄吉六十五歳、六月十六日生まれ。妻に先立たれて娘と息子が一人ずつ、孫が四…いや五人います。…あと何か知りたいことは?」
先ほどまで壁を見つめていた時と変わらぬ視線。別に少し微笑んでもらいたいとかそういうことではないが、何だか自分が壁の一部であるみたいな変な劣等感を抱く。
「そうですね…生前は何を?」
「若い頃に材木の会社を立ち上げましてなあ。最終的には不動産に落ち着いたんですがね、今は息子が切り盛りしていると思います。」
そう広くはないこの部屋の先を見るかのように、再び俺の背後の壁を見つめる。不思議なオーラを纏った人だ。この人の周りだけ時間の流れ方が違うような。ゆっくりゆっくりと流れ、時には止まり時には遡り、といった感じだ。
「いやあ申し訳ない。本来ならあなたのような未来ある若者がこちら側に座るべきなのにねえ。はて、なんでこんなところに来てしまったのか自分でも分からんのですよ。現世に未練があるわけでもなかろうに…。」
「はあ…僕も同じですよ。」
「私はねえ、妻に会いたいんですよ。もう死に別れて十二年になるんですがね、そろそろ極楽浄土であの人の入れてくれた茶でもすすりながら暮らしたい。」
「…そうですか…未練がある人がレシピエントとしてここに来るわけではないというのは不思議ですね。そもそもここにいる人間は自分の意志で来たわけではなさそうだ。生命バンクに来る条件って一体何なんでしょう?」
ふと、この人なら答えを知っている気がした。伊東さんは特に表情を表情を変えるわけでもなく、のんびりとした口調で言った。
「それは難しい質問だ。私もここに来てもう大分経ちますから、何度か考えてはみたんですよ。」
「それで、結論は?」
心なしか前のめりになって、答えを待つ。伊東さんは、うーんと一つ唸ると穏やかな笑みを浮かべた。
「案外、くじ引きなのかもねえ。」
「くじ引き…ですか。」
天気のいい日に縁側に座って会話でもしているかのように、その言葉を聞いた瞬間何故だかほっとした。
と、ここで俺は重要な事に気がつく。
「あの、伊東さん、この面接は一応僕の命の残高をあげる人を選ぶためやってるんですけど、もし伊東さんを合格にしてしまったらただのありがた迷惑ってことですかね?」
「あーそうでしたか。こんな老いぼれに残りの命を託すぐらいなら、もっと若い人にやってくださいな。」
この面接の趣旨を分かっていて来たのか、そうでなかったのか、どちらとも分からない風に俺の言葉をかわす。疾うに生への執着など捨てたような、もしくは最初からそんなもの持ち合わせていなかったかのような。
「で、でも僕は伊東さんにあげたいんです!」
自分でもびっくりした。前のめりになった衝撃で机が大袈裟な音を立てる。何言ってんだ俺。
「その、お子さんとかお孫さんが待ってると思うんです。」
違う、そんなこと俺はこれっぽちも思ってない。ただこの人があまりにも潔く、何の執着も見せずに生を捨てるからちょっとむきになっただけだ。自分で言うのもなんだが天邪鬼なんだよ。
伊東さんは、にこっと笑った。
「私にはこの世あの世に関係なく大切な人がます。一番目は妻。二番目は妻以外の人たち。」
この言葉が全てだった。
全く、残酷な笑顔だ。
「…分かるような気がします。」
「ほう、あなたにもいらっしゃいますか、そういう相手が。」
ここにきてやっと、しっかりとこの人の視線を受け止められた。目が合うだけで何だか、この人には全て見透かされているような気がした。
「…はっきりとは分かりません。」
そう言った俺の言葉をゆっくり噛み締めでもするように、伊東さんは数回頷いた。
「それでいいんです。若いうちにそういう相手に出会えるというのは奇跡ですから、大事になさってください。大半の人間は一生かかったって出会えない。」
「そういう相手というのは、その、恋愛対象に限るのでしょうか?」
一体何を言っているのか、言葉にしてから恥ずかしくて堪らなくなる。
「まさか。私の場合はたまたま妻だったってだけですよ。同性かもしれないし親戚かもしれない。それはその人にしか分からない事です。」
本当にこの人の言葉には不思議な力がある。特別な重みがあるわけではない、むしろふわふわとして掴みどころがないのにそれでもまっすぐ心に落ちてくるような。
「それではそろそろ行きますかね」と、放心状態一歩手前の俺を露にも気に掛けず、伊東さんは席を立った。扉を閉める前に、「あ、今の話子供や孫たちには内緒ですよ」と子供のような顔で言う彼の笑顔がただ残像となってしばらく残った。
そして俺は「イズミレイコ 緊張気味なOL」と同じように、「イトウエイキチ 偉大な愛(いや歪んだ愛か?)の持ち主」と書きとめていた。少し失礼だっただろうか。
<ケース3> 勝気な美人
三人目は、とにかく遅かった。二人目の面接が終わって三十分以上経っただろうか、スタッフから「ドナー候補者は三人だ」と聞かされていなかったら疾うにこの場を後にしているところだ。それでも特に用事があるわけでもないし、俺は何となしに三人目を待ってみることにした。
「失礼します!」
コンコン、という二回のノックから一秒の間も空かずハリのある声が部屋に飛び込んできて、机に伏せてだらけていた俺はびくっとして身を起こした。
「はい。」
「遅くなってすみません。前の面接で手違いがありまして。」
そう言いつかつか部屋に入ってきて、パイプ椅子に手をかける。しかし、あ、と思い留まって横に立つ。刹那の沈黙。
「あ、どうぞお掛けください。」
「失礼します。」
少し息を乱したまま椅子に座った彼女は正面から見据えると、彼女の髪は程よく脱色されたロングヘアで、顔のパーツひとつひとつが大きく作られた、言うなれば分かりやすい現代における典型的な美人だった。
「小田茜です。よろしくお願いします。」
どことなく関西の方言の混ざる口調。
「すみません、前の面接で手違いがあったもので。」
先ほどの言葉を繰り返したせいでちょっと言い訳じみて聞こえる。
「面接ってドナーの?」
「そうです。」
「何個も受けてるんですか?」
別に他意はないつもりだったのだが、責められていると感じたのだろう、彼女は少しむきになった様子で弁解するように言った。
「はい、就職活動だって何社も受けますよね?」
「ええ、まあ。」
就活をしたことはないが、おそらくそうなのだろう。
「それと同じことです。」
にこっと笑顔でフィニッシュ。俺の敗北。別に討論をしているわけでもないのに、彼女との会話は誰かから見られていて、いちいち勝敗がつけられるんじゃないかと思わせた。まあ、それだけ彼女が正論を端的に話すってことだろうか。
「で、では、軽く自己紹介をお願いします。」
「小田茜二十一歳。生きていた頃は事務関係の仕事をしていました。一応簿記の資格も持ってます。生命バンクに来てしまった理由は、不慮の事故です。」
先手必勝。
特に質問を考えていたわけではない俺は言葉を探すように、九十五パーセント白紙のメモ帳をぱらぱらと捲った。
「えーと、それで、生きていた世界に帰れたら何がしたいですか?」
月並みな質問だが、沈黙よりはましだろう。
「もちろん、家族に会いに行きます。そして与えていただいた命を粗末にしないよう、一日一日をかみ締めながら生きていくつもりです。」
月並みな質問に似つかわしい月並みな答え。うーん、イマイチ面白みに欠ける。しかしわざとらしいぐらいはきはきとした受け答え、表情、何より美人なので良い。
「では、ここにきてよかったと思うことは?」
ただ何となく口を衝いて出た質問だった。しかし一瞬彼女の表情が曇る。たぶん答えを用意していない質問だったのだろう。曇ったままの表情でひとしきり考えた後で、彼女は先ほどの大袈裟な声のトーンではなく、それよりぐっと落ち着いた声で答えた。
「そうですね…友達が出来ました。」
「へえ、ここでですか?」
俺が考えていた「模範解答」ではなくて予想外にびっくりした。「失って初めて命の大切さを知って…」と続くと思っていたのだ。
「理沙っていうんですけど、妙に馬が合っちゃって。生前いた友達より…といってもまあそんなにいませんでしたけど、彼女のほうが全然気が合うんです。おかしなものですよね。」
初めて彼女の自然な笑顔を見た。しかしその彼女の笑顔よりも、正直俺は「リサ」という名前の方に気が向いていた。ありふれた名前…でも…
「どんな人なんですか?その、リサさんって方。」
俺はなるべく自然に聞こえるように、手にしたボールペンの先をいじりながら視線も向けずに尋ねた。
「私より二つ上で、交通事故でこっちに来たって言ってました。確か電車がどうとか…。すごくサバサバしていて話しやすいっていうか…生前私、女子のグループから嫌われちゃうタイプだったから彼女みたいな性格の友達、ずっとほしかったんですよね。」
先ほどまでの挑発的な喋り方が嘘のように、彼女の口から流暢に言葉が紡がれていく。
「そうですか…ちなみに苗字ってわかりますか?」
彼女は少し怪訝な顔をしたが俺の顔を見て、のどまで出かけていたであろう「なぜ?」という言葉を飲み込んでくれた。
「遠藤って言ってましたけど。」
エンドウ…リサ…俺と同い年で、しかも電車の事故…。
「あの…知り合いか何かで?」
今自分がどんな顔をしているのか想像もつかないけれど、きっとひどくうろたえた顔をしているんだと思う。
「いや、えーと、ちなみにどんな容姿ですか?」
それでもまだ、期待はしたくなかった。
「…背は一六〇センチぐらいで割りと細身です。事故で壊れてしまったけど、生前は眼鏡をしていたとか。あと口元に黒子があって…髪はそんなに明るくない茶髪で胸ぐらいのロング、前髪を斜めに流していたかな。」
頭の中で細胞が一斉にフル回転し始めたのが分かる。情報の断片をかき集めて繋げて、一つの結論を導き出そうと必死になって、出来もしない確立の計算まで始まって。最初から自分の導き出す結論なんて分かっているくせに。もはやそれは単なる俺の「願望」に沿って行われているのだ。
そして、まとまった。
「あの…何か…?」
「あなたに頼みがあります。会わせてください、遠藤理沙に。」
机に頭をぶつけた。
俺とあいつがどういう関係かって、そんなの俺が一番知りたい。
恋人?まさか、笑わせる。どういう関係?と問われれば、一言で言え、ば単なる「高校のときの同級生」だ。幼馴染というには共有した時間が短すぎるし、ただの友達というにはお互いを意識しすぎている。それならば親友か?と自問すれば、そんなの称そうものなら全国の「親友」同士達に滅多打ちに遭おう。ライバル。これも少し違う。敵対心こそあったけれど、切磋琢磨という言葉に失礼だ。こんな自己の利益と打算のみで成り立った関係を誰が「ライバル」と呼ぼうか。
一種の同盟関係。これが一番しっくりくるだろうか。
「絶対あんたには負けない。」顔を合わせるたびに口癖のようにあいつは俺にこう言った。昔から本当に可愛げのないやつだ。だから俺もあいつに対抗した。言っておくが、別に俺らは互いに相手を蹴落としたいわけではなかった。片方の調子が上がらないと、それに引きずられるようにもう一方の調子も悪くなる。だから俺らは「自分のために」励ましあって助け合ってきたんだ。いつのまにか周りからは「双子みたいだ」と揶揄されるようになって、口には出さなかったけど俺はそんな関係が何となく好きだった。
だからあの時、あいつがこの世からほとんど消えてしまったと知った時、俺は自分と世界を繋いでいた糸が切れてしまったかの様な、そんなどうしようもない虚無に襲われた。後は何かの歯車の一部が、本当に取るに足らないようなピースが、ほんの少しかけたみたいに狂っていって、最初は気にも留めないような違和感がもう建て直しも効かないぐらい大きなものになって、そう気がついた時にはもう遅かった。全てが終わっていた。俺はここに居た。
自分でも本当にどうしたんだろうと思うけれど、要するにあれだ、あいつの死をきっかけに俺の世界は大きく変わったんだ。言っておくが俺はあいつのせいで死んだと言っているわけではない。あいつが死んで俺の世界が変わったと思ったとき、それまであやふやだった俺の中におけるあいつの存在の大きさが、痛いくらいに分かって何か嬉しかった。こんなこと思ったってばれたら、間違いなく気色悪がられるけど。
「面接室、使ったらいかがですか?」
「え?」
「私がお二人を会わせるより、断然早いと思いますけど。」
ひどく高揚している俺とは対照的に、彼女はひどく冷静な顔で最もなアドバイスをくれた。
あれって名指しできるのか。そういえば面接室使用届に、面接したい相手の名前を書く欄があったような。
「そうっすね、なんかすみません。」
どっちが面接官なのか分からなくなってきた。
「善は急げですよ!」
「善は急げ」とは言うものの、これが果たして善なのか悪なのか俺には見当もつかなかった。地獄の道へ真っ逆さまに転がり落ちていくような気もしたし、天使が迎えに来て極楽に連れて行かれるようにも思われた。ああ、仏教とキリスト教の世界観を混ぜて考えるなど俺らしくもない!素直に認めよう、はっきり言ってただ怖いのだ。俺はあいつの存在が怖い。よって、自ら会いに行くのも怖い。案ずるよりも生むが易しとはよく言ったもので、大抵構えてかかった物事は市販の打ち上げ花火の如く、「え?」っと言う間に終わっていたりして、拍子抜けすることが多い。逆に「まぁ、何とかなるだろう」と高を括ってかかったことにほど、意外なところに落とし穴があったりするものだ。つまり俺はこれだけびびっているけれど、実際会ってしまえばどうってことはない、ということだ。しかしこれはあくまで俺の今までの経験からの推測であり…あ、「愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ」っていうよなぁ…確かな根拠など何ひとつもない。また何事にも例外というのが付き物で…
よって、そう簡単に踏ん切りをつけることはできなかった。生前のあいつなら絶対俺にこう言う。
「へたれ。」