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1、ようこそ生命バンクへ

明日教授に添削してもらうレポートを書いていた。

 時計に目をやると時刻は午後六時になろうとしていて、外ではよく聞く鳥の鳴き声が響いていた。毎日この時間帯になると、全く同じ鳥の鳴き声が聞こえるのだけれど、俺はその鳥の名前を知らず、それどころか姿すら見たことがなかった。そんなことを思っただけで俺は自分だけがこの世のことを何一つ知らず、知らされずにいるようで怖くなる。最近こういうふとした瞬間に、世界に置いていかれているような気がすることが多くなった。いや、もしかしたら自分が世界から離れていっているのかもしれない。もしくはその両方。こんな風に考えるようになったのはいつからだろう。たぶん三ヶ月前からだ。原因は…。

 邪念を振り払って目の前の作業に集中しようと試みるけれど、それでもキーボードのキーをひとつ叩くたびに、やっぱり自分が世界から引き剥がされていく気がしていた。剥がれまいと必死でしがみつこうとするのだけれど、俺が必死になればなるほど誰かが面白がって更に俺を引っ張るみたいだった。どんどんその力は強くなって、そして二二〇〇字打った時点で、完全に千切れた。

 だから全てをそのままにして、俺は風呂場に向かう。

 

 今までありがとうございました…さようなら…っと。

鏡に写る自分の顔を確認して、俺はその鏡のすぐ下に置いてある剃刀を手に握った。左手は無意識のうちに蛇口を掴んでいて、気まぐれにそれを捻った。そしてもう二度と吸うことの無いであろう空気を肺いっぱいに取り込む。少しかび臭い、湿度の高い空気が体中の血管を通って体中を満たす。いつにも増して、荒い息遣いがやたら大きく反響する。流しっぱなしの水道水が手蛇口から飛び出ては排水溝へ吸い込まれていく。目を閉じる。きっと痛いだろうとは思うけれど、世界から千切れてしまった今となってそんなことはどうでもいい。

そして、右手に握った剃刀を静かに左手首にスライドさせた―。


 

一、ようこそ生命バンクへ


           1


「ようこそ!生命バンクへ!」

 男のしゃがれ声と某テーマパークを思わせる爆音の音楽に目を開けると、そこには広く開け放たれた扉があった。

 狭い視界の中、正面を見据えたまま首だけを上に動かすと、目の前の扉がどれほど大きいのかが分かる。いつかどこかの観光名所で見た、巨大な鳥居を思い出した。しかしあるのはその扉だけで左右を見てもそれに続く壁があるわけでもなく、ただ馬鹿でかい扉が支えもなしにそびえ立っているという、なんとも奇妙な光景だった。大勢の人がまるで吸い寄せられるかのように扉をくぐっていく。。

「なんだ…ここ…」

ぼおっとする頭をかろうじて回転させ、今の自分の状況について考えてみる。白い世界の真ん中で突っ立ている。そして立ち止まる俺の横を大勢の人々がびゅんびゅん通り過ぎていく。だんだん視界もはっきりして、自分の置かれた状況の異常さを理解してきた。おかしい、どう考えてもおかしい。何がおかしいって、まず意識を持っている時点でおかしいのだ。俺は確かに左手首を切ってそのときの痛みを感じた。まさか死にきれなかったのか…?いや、だとしたら俺は自宅の風呂場にいるはずだ。辺りを見回してみるが、ここはどう見ても風呂場ではない。水垢のついた風呂桶も長年愛用のシャンプーも俺の周りには転がっていない。大勢の人で溢れかえっていてまるでお祭り会場の様だ。左手首を見てみる。ない。血も傷跡も一切ついていない。

「今リニューアルキャンペーン中ですからね!」

 小太りな男が愛想良くビラと風船を配っている。その一枚を俺は反射的に受け取った。そのビラを見てみると、


生命バンク―あなたの命を有効活用!―


 という見出しがまず一番に、目に飛び込んできた。

「あの…ここ、どこですか?」

 咄嗟に、忙しそうにビラを配る男を呼び止める。

「あー、ドナー希望の方ですね、あちらの列にお並びください。」

 その男は俺を一瞥すると、扉の向こうにある二十人ほどの人の列を指差した。

「あの、そうじゃなくて、ここ何ですか?」

「この度リニューアルしました『生命バンク』ですよ。」

「生命…バンク…?何をするところなんですか?」

 男は一瞬面倒くさそうな表情を見せたが、すぐに営業用の笑顔を作り早口に説明を始めた。周りの雑音に混ざって、癖のある男の喋り声は聞きとり辛い。

「世の中には、『生きているぐらいなら死んだ方がまし』という人と、『命を捨てるぐらいなら私に下さい』という人、二種類の人間がいます。まあ主に前者が自殺志願者、後者が末期のがん患者ってとこですかね。どうです?ばっちり利害が一致しているでしょう?」

「はあ…」

「そこで出来たのがここ!生命バンクってわけですよ。いわば要らない命をほしい人にあげる仲介役ってとこです。何とも合理的でしょ!」

 男は満足げにニタッと笑った。

「ま、詳しいことはチラシを読んでくださいよ。さぁ入った入った!」

 男に気圧されて、半ば無理やり扉をくぐる。くぐったからと言って別段変わった様子もない、白い世界に溢れかえる人、というさっきの延長である。

「さて、ドナー希望の方とお見受けいたします。このまま真っ直ぐお進みになって、ほら、あそこに列が見えますでしょう?あそこに並んでいただければ結構です。あ、ドナー待ちですか?あちらにどうぞ。」

 そうして男はまた慌しそうに、人ごみを掻き分けていった。自分が置かれた状況に対する疑問は一旦全て頭の片隅へと強引に押しやって、とりあえず男に言われた列に並ぶことにした。頭を冷やすにはちょうどいいぐらいの列の長さだったのだ。ちょっと首を伸ばして列の先を覗いてみると、その先は<インフォメーションセンター<1>と書かれた看板の立つ建物につながっている。ほぼ機能停止中の脳細胞を起こすためにも、俺は自分の順番が来るまでさっき受け取ったビラに目を通してみることにした。早く正気に戻らなければ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 生命バンク―あなたの命を有効活用!―          ~ドナー希望の方へ~

本日はご来店誠にありがとうございます。新しく生まれ変わった当店で、どうぞ有意義なお時間を!


<レシピエントの選び方について>

当店ではお客様のニーズに合わせて、三タイプの方法をご用意しております。

一、全てお任せ

 速やかに死後の世界に行きたい方にオススメ!大勢の中から機械によりランダムにお選びします。人数、各人への譲渡年数もこちらにお任せ頂きます。

二、条件付でお任せ

 面倒くさいのはいや!だけど誰でもいいわけではないという方にオススメ!性別、年齢、犯罪歴の有無等、お客様の条件をクリアした人の中から機械によりランダムにお選びいたします。人数、各人への譲渡年数もこちらにお任せ頂きます。

三、全て自分で

 とことん自分でこだわりたいという方にオススメ!面接や観察を通して、直接お客様自身でお選びいただけます。人数、各人への譲渡年数もご自身でご指定頂けます。


<推定寿命残高の分割について>

 今までは推定寿命残高の譲渡はドナー一人に対しレシピエント一人に限られていましたが、この度複数のレシピエントへの譲渡が可能になりました。

 年数に関しましてはレシピエント一人につき一年以上かつ、レシピエントの年齢と譲渡年数を合わせて男性は七十五歳、女性は八十三歳を超えないまでとします。※20○×年3月現在。譲渡年数の上限はその年の日本平均寿命によって変動いたしますのでご了承ください。

 (例)

三十六歳女性のレシピエントの場合

83―36=47 最大で四十七年の命を受け取ることが出来ます。


<対象年齢について>

 ドナー     十二~八十歳

 レシピエント  十二~七十歳

※この対象年齢に当てはまらないお客様は大変お手数ですが、最寄のスタッフまでお申し出ください。


・たくさんの喜びの声が届いています!

「生命バンクさんのおかげで死の淵から生還することができました。今は家族や友達に囲まれて、本当に幸せに生きています。頂いた命、大切にします。ドナーの方も本当にありがとうございました!」 十代・男性


「自分は存在する価値など無いと思い自殺した私ですが、生命バンクさんのおかげで最期の最期に人様のお役に立つことが出来ました。とても嬉しく思っています。本当にありがとうございました。」 三十代・女性

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「次の方―。」

 ビラを途中まで読んだところで順番が来たようだ。五つある内、空いた目の前のカウンターにぎこちなく座ると、そこにはまるで銀行員のような女性が座っていた。きっちりと前髪を斜めに分け、髪は後ろで結わえている。愛想はない。

「こんにちは。ではここ、じっと見て下さいねー。」

 挨拶もそこそこに、何の説明もなく作業に取り掛かる。何やら機械を目に当てられているようだ。赤い光が左目から右目に移動する。

「動かないで下さいねー。」

 間もなく、光が視界から完全に消えた。

「はい、もう結構ですよー。」

 すると今度はキーボードをカタカタと打ち出した。

「えーと、檜山 守(ひやま まもる)様で間違いありませんか?」

「は、はい。」

なぜ俺の名前を?何なんだあの機械?

「檜山様、あなたは本来なら八十一歳まで生きられるご予定でしたが、二十三歳で自殺をされたのであなたの推定寿命残高は五十八年ですね。レシピエントの選び方はどうなさますか?三種類ありまして、全てこちらにお任せいただくパターン、いくつかの条件のみお客様に指定していただいて、その後こちらへお任せ頂くパターン、そして最後は一切をお客様自身でお決め頂くパターンです。」

 そう言って彼女は何やらパンフレットのようなものを俺に見せながら説明してくれたが、これはさっきビラで<レシピエントの選び方について>というのを見たばかりだったから、口頭の簡単な説明でぴんときた。

「えっと…」

 ちらっと隣のカウンターを見てみると、くたびれたスーツを着たサラリーマンらしき男が僕と同じような手続きをしていた。

「なるべく迅速に頼むよ。疲れてるんでね、早く向こうの世界に行きたいんだ。」

「かしこまりました。それでは全てお任せの一番でよろしいでしょうか?」

「ああ、そうしてくれ。」

「はい、ではあちらの扉にお進み下さい。ご利用ありがとうございました。」

 そうして男は席を立つと、カウンターを越えた先にある何かの扉へと続く長い列に加わった。 

 あれは…?

「お客様?」

 慌てて視線を戻すと不審そうな視線を投げかけられていたので、俺は頭の片隅に追いやったはずの疑問たちが再び頭の中で暴れだす前に、この場をやり過ごす覚悟を決めた。

「あ、はい、あの、オススメとかって…。」

 なんちゅう質問だ。

「オススメでございますか?そうですねえ、やはり多いのは二番になりますが、お客様、お時間の方は?」

「腐るほどあります。」

 俺が死んでいるのならば。

「そうですか、では三番もいいかも知れませんね。皆さん早く向こうの世界に逝きたがって、なかなか三番を選ぶ方がいらっしゃらないんですよ。でもここでのんびりするのもいいかと思いますよ。」

 そういうとカウンターの女性はにっこり笑った。愛想がないと言った前言は撤回しよう。

「じゃあそれでお願いします…。」

「かしこまりました。」

 そう言うと彼女は手元の紙の<レシピエントの選び方>という欄の三番に、ボールペンで丸をつけた。それを終えるとデスクから新たに紙を引っ張り出してきて、俺の方へ向ける。

「それでは諸注意がございますのでこちらをご覧下さい。」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

《三番を選ばれた方へ》

・ 推定寿命残高を譲渡するレシピエントを決定する期限は、契約を交わされた日より二 

週間です。この期間を過ぎました場合、推定寿命残高は強制的に、機械でランダムに

選ばれた不特定のレシピエントに振り分けられます。

・ 推定寿命残高を譲渡するレシピエントが決まった場合は、必ずカウンターまで

  推定寿命残高譲渡確定届を提出して下さい。

・ 滞在中は個人用ロッカーをご自由に使用して頂けます。

・ 面接室の利用可能時間は午前九時から午後九時までとなっております。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「三番を選ばれた方はご自分の目でレシピエントを選ぶために、面接室のご利用が可能です。ここで実際にレシピエントと対面をして話をして頂けます。レシピエントと面接を行いたい場合は、使用届さえインフォメーションセンター<1>にご提出頂ければ、自由にご利用頂けますのでにお申し付けください。それから最後に分割についてですが、お客様の推定寿命残高は五十八年ですので、最高で五十八人に一年ずつ命を譲渡することができます。もちろん一人に五十八年でも構いませんので。詳しいことはお渡しする紙にも書いておきましたので、後ほどご確認下さい。」

「はい。」

 何が「はい」だ!何も理解していないくせに!

「今日は三月五日ですので、期限は二週間後のえーと、十九日になりますね。」

 女性はカウンターに置いてあった卓上カレンダーで日にちを確かめた。

「十九日の午前十二時までに、こちらの届を提出して下さい。」

 そう言うと今度は<期限>の欄に三月十九日と書き入れた。「それから、何か向こうの世界から持ち込んでらっしゃいますか?」

「え?いや別に…。」

 咄嗟にジャージのポケットを弄るが、特に何も出てはこなかった。

「それならば結構です。」

 女性はまたもやすばやくボールペンを走らせた。

「三番を選択された方には滞在中、ご自由に使って頂けるロッカーが割り当てられております。この上の階にございますので必要に応じて、どうぞお使い下さい。」

「ありがとうございます…。」

「ではこちらの契約書を読んで頂いて、問題なければここにサインをお願いします。」 

 そう言ってカーボン紙のついた紙を一枚俺に差し出す。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 注意事項

一、一度結んだ契約は、解約いたしかねます。

二、契約内容の変更等もいたしかねます。

三、…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  

 俺はわけのわからないまま親指に朱肉をつけ、所定の欄に印を押した。生前からの悪い癖だ。彼女は契約書の控えを、予めパンフレット等が入っているクリアファイルに入れて僕に手渡した。

「ありがとうございます。ドナーの方にはこちらのバンドを付けて頂くことになっております。」

 彼女がデスクから取り出したのは、小さく数字が記されたプラスティックのバンドだった。色は赤。

「左腕、よろしいですか?失礼いたします。」

 言われるがままに差し出すと彼女はあっという間にバンドを巻き終えた。一度つけたら外すには切るしかない、使い捨てみたいだ。

「ここに個人番号が印字されておりますので。檜山様の個人番号は、えーと、01-6376807ですね。これからこれが通行手形代わりとなりますので、くれぐれも外されないようお願いいたします。」

 よく分からないが、小さく頷いておく。

「その他ご質問等ございますでしょうか?」

「いや、今のところは…。」

分からないことだらけで、何が分からないのか分からない。

「もしご不明な点等ありましたら、いつでも最寄りのスタッフにお尋ね下さい。それとこちら、三番を選ばれた方皆様にお配りしておりますので、よろしければお使い下さい。」

 そういわれて差し出されたのは「生命バンク」のロゴが入ったメモ帳とボールペン。よく粗品として大量発注されるような、あれだ。それを半ば強引に俺に差し出すと、彼女は出会ってから一番の営業スマイルで最後を締めくくった。

「では二週間の期限だけ守って頂いて、後はご自由にどうぞ!」

「あ、はい…ありがとうございました…。」

 俺は力なく席を立った。

「出口はそちらです。では次の方!」

間髪入れずに女性が僕の後ろに並んでいたやつれた顔をした若い女性を呼ぶ。そして俺は誘導された通り、インフォメーションセンター<1>の出口からさらに上へ伸びるスロープの方へと歩いた。長いスロープを登りきるとまた視界が開け、うんと広いスペースに出たことがわかる。

どうしよう。まず一番に知りたいことは、俺は生きているのか死んでいるのかだ。よく周りを見てみるとみんな疲れた顔をしている。そしてふと窓に映る自分の顔を見てみると、自分も同じ顔だった。

近くにあったベンチに腰掛け、ビラの続きを読む。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

プライバシーについて

当店では徹底した管理の下、お客様の個人情報は十年間保存いたします。また、レシピエントの方にもドナーの方の個人情報は一切お教えできませんのでご了承下さい。但しドナーがレシピエントを選ぶために必要最低限の情報(生年月日、性別等)は開示いたしますので、予めご了承下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「俺にどうしろってんだよ、まったく。」

 途方にくれて俺は空を仰いだ。ひとまず深呼吸だ。目を閉じて鼻から大きく息を吸って口からはく。俺は息を…うん…確かにしている。そして静かに目を開けじっと辺りを見回す。人、人、人…。そして耳を澄ませば…澄ますまでもなく爆音の音楽が鼓膜を劈く。

「全っ然分かんねぇ、何だよここ…」

 今更だが死んでも尚、独り言の癖は直っていないようだ。

 ずっと座っているわけにもいかず、かといって行く当てもないのでベンチの周りをうろうろすることぐらいしか出来ない。ベンチの真正面はガラス張りになっていたので、何となく外の風景でも見てみようと近づく。しかし予想通りというか、いくら目を細めて遠くまで見ても果てしなく白い世界が続いているだけだ。全体を把握してみようとガラスから一旦顔を離して二、三歩後退すると、背中がコンクリートの柱にぶつかった。

「いって。」

 尻目に見ると、その柱にご丁寧に施設の地図と<案内>が書いてあるではないか。ここは空港のターミナルか。赤い文字で書かれた「現在地」が真っ先に目に入る。俺は今一番上の階にいるみたいだ。案内板でいうと右の隅あたり。えーっと、この施設の全体図は三階建てのようだ。案内板に書かれた小さな文字を読んでみる。今俺がいる階が<ドナー専用階>、一階が<レシピエント専用階>となっているようだ。それで、この階には待合室とコインロッカーがあるらしい。インフォメーションセンター<1>は真ん中二階で、ここは大部分がインフォメーションセンター<1><2>と「面接室スペース」とかいうのが占めている…つまり俺が最初に入ってきたのは、この階なわけだ。気がついたら居たって表現の方が正しい気がするけど。あ、<入り口>って書いてあるし。インフォメーションセンター<1>からここまで来るのにスロープだったが、階段ではないあたり、バリアフリー推奨なのだろうか。確かに「生命バンク」利用者はお年寄りが多そうだ。不思議なことに一階は<レシピエント専用階>と書いてあるのみで、三階のように待合室だのコインロッカーだのの位置は書いてなかった。

 それにしても…

「シュールだなぁ、おい…」

 心の声が漏れる。百歩譲って最初に出会ったあの小太りな営業マンの言葉とチラシの文字を信じたとして、ここは「生命バンク」なんだろ?もっと幻想的で非現実的な演出があったっていいのではないか。例えばそうだな、スタッフの格好をもっとこう天使…あるいは死神みたいなコスチュームにするとか?そんなことを思わずにはいられないほどここはついさっきまでいた現実、ゴミゴミとした街やカビくさい風呂場とか、と寸分違わなかった。

「現実が嫌だからここにいるんだってのに…」

 うな垂れてふと自分の手元を見る。もらったばかりのファイル。それを見ると同時にあの銀行員のような女性スタッフの顔も頭に浮かんだ。読む…か?あーやだ。今形式ばった文章を読んで混乱しきった頭をさらにかき回すようなそんな自虐行為、俺には到底出来ない。ここはやっぱり施設内探検が妥当だろう。

まずはこの階からだ。もう一度案内板を確認し反対側の端を目指して歩いてみることにした。重い足を引きずる。改めて周囲を見ると、二階ほど人がいないことに気がつく。時折通り過ぎる人たちの顔は現実の世界と差ほど変わりはしないが、やはりどこか疲れているようにみえる。それから右手は相変わらずガラス張りでベンチも二つずつ等間隔にならんでいて左手は何の味気もないコンクリートの壁だ。真ん中にそびえる柱もまた等間隔で、通路を二分していた。もっと人が多ければ俺は毎日通っていた駅構内を連想していただろう。何の変化もないただただ続く単調な通路。

しかしその景観をぶち破るかのようなど派手なジャンパーを着た人がさっきから妙に目の端に映る気がする。二階でもその存在を見かけたような気はするが、人の少ない三階ではより周囲から浮いていてどうにも気になる。その存在を数えだして三人目が俺の隣を横切った。不審に思われない程度に過ぎた後をチラ見してみると、そのど派手なジャンパーの背にはその蛍光色に負けないぐらいに存在感を放つ「生命バンクSTAFF」の文字が。よく薬局で見かけるような、もしくは趣味の悪い体育祭委員が独断で決めてしまったクラスTシャツのような、そんな感じがした。


 もうどれぐらい歩いただろうか、目の前に突如、ガラス張りのドームが現われた。完全な透明ではなく、濁った曇りガラスのドームで入り口には「待合室」の文字が。無機質な打ちっぱなしのコンクリートの建物となかなかマッチした、おしゃれなデザインである。変化のない通路を歩いていたって仕方がない、一興を求めて足を踏み入れる。だが一歩足を踏み入れた時点で、俺の期待は脆くも崩れ去った。見かけだけは立派なドーム、中は至って普通。先ほどの通路と変わらず、等間隔にベンチが並んでいるだけだった。俺は仕方なくその内のひとつに腰を掛けた。

 一体この階は何を目的としているのか考えてみた。がらんとしていて食事処や娯楽があるわけでもなく、まわりの人を見渡しても歩いているか座っているかのどちらかなのだ。稀に三人がけのベンチを独占し、寝そべっている人もいる。ベンチに人が溢れるということはここではないようだった。

 考えれば考えるほど答えは見つからず、またどうでも良いことのような気がしてきたので無駄なエネルギーの消費は控えることにした。この世界に「エネルギーの消費」という現象が存在するのか分からなかったけど。 

「あんたもドナーかい?」

「え?」

 驚いて横を見るといつのまにか隣のベンチに中年男性が座っていた。頭は薄く、ワイシャツにスラックス姿のサラリーマンといった感じだ。そんな無個性な格好をしているからだろうか、にこにこと愛想はよいが存在感に乏しい。

「あ、まぁ…」

「そうなのかい、若いからてっきりレシピエントかと思ったよ。」

 おじさんの視線が俺の左手首へと移った。

「でもまさかこの階にいるわけないわな。ここの連中は人にこんな家畜みたいなもんつけやがって。レシピエントはこれの色違いで青をつけてる。」

 持ち上げた左手首には俺と同じ赤いバンドが巻かれていた。おじさんはそれをひどく嫌っているようで、顔を歪めるとすぐに腕を下ろした。するとたちまちバンドは長袖に隠れて見えなくなった。

「もう二週間ここにいるんだ。今五十四で、三六年の残高を十二年ずつ三人に分けようと思ってねぇ。」

「そうなんですか、随分長生きされる予定だったんですね。俺はまだ初日ですよ。」

 俺の偏見かもしれないが、この手の世代は聞かれもしないことをよく話す傾向があると思う。例えば、俺の母親とか。

「ゆっくり選ぶといい。」

 この年にしては実に屈託なく笑うものだ。笑った時に目尻に皺は寄るものの、それなりに若々しい方だと思う。

「俺はもう残高をやる相手を二人は決めたんだが最後の一人がなかなか。兄ちゃんがレシピエントなら俺の残高やったのになあ。ところで随分若いようだけど、なんでこっちに来ちまったんだ?さては恋愛関係のもつれか?」

 この手の世代の特徴その二、憶測も甚だしい傾向がある。

「いえ、いろいろあって。」

「そうかい、いろいろねぇ…俺は会社が倒産しちまってよぉ…まぁありきたりな理由だ。」

「それは大変でしたね…。」

 そういえばいつだかテレビで、自殺者の六割が中年男性だといっていたのを見たような気がする。リストラだの過労だので日本の働くお父さん方は苦労が絶えないようで。

「そうだ、最期の言葉何にした?」

「はい?」

 話題がおじさんのテンポでどんどん進んでいくので、俺は全く付いていけていない。

「最期に残した言葉だよ!」

「特に…残してはないです。強いて言えば、ありがとうさようなら、ですかね。」

 決して面倒くさくてこう答えたのではない。一瞬頭の中で考えてみたが本当に思いつかなかったのだ。ただ最期に心の中で唱えた言葉はこれだと思う。もちろん誰かに対して思った言葉ではなくて何となく漠然と心に浮かんだだけの言葉だった。

「やっぱり!俺もだよ!」

 同志を見つけたかとでも言わんばかりにおじさんは興奮気味に前のめりになった。

「でももっと心に残るようなこと言えばよかったって今更になって思うんだよ。なんせ死んだら終わりだと思ってたのにこんなとこ来ちゃったからねぇ。」

「そうですね…。」

「ま、お互い向こうの世界行くまで頑張ろうや。」

「向こうの世界って…」

「じゃ、俺これから面接入ってっから!」

「あ、ちょ、ま…」

 俺が言葉を言い終えない内に、おじさんはすたすたとその場を後にした。この手の世代の特徴その三、人の話を聞かない。

「聞きたいことたくさんあったのによ…」

 でもおじさんの言葉からして、ここはまだ「あの世」ではないみたいだ。

「死ぬのも楽じゃねーな。」

 盛大なため息を吐いて体をベンチに預ける。

 悪いことしたら天国に行けませんよとか小さいころよく言われたもんだが、死ぬことなんて花畑のきれいなどっかに行ったり、針山のあるどっかにいったり、そんな特別なことじゃないってずっと思ってきた。心臓が止まって、全身に血がいかなくなって酸素も届かなくて、それで意識も何もなくなって終わり。当たり前だが俺一人いなくなったところで世界は何も変わらない。日は昇るし通勤ラッシュは起こるし提出期限の迫った論文はなくならない。それにしても、もし「向こうの世界」にいってもこんな状況が続いていたらどうすればいいのだろうか。そう考えるとぞっとする。これでは自殺した意味など全くないではないか。ただ今は向こうに行けば意識も何もなくなってくれることを、ひたすら信じて過ごすしかないけど。 

 ふと今何時なのかと考える。元は風呂場から来たわけだから、俺はもちろん普段愛用していた腕時計まではこっちの世界に持ち込んでいなかった。というか今更ながら自分の格好が恥ずかしい。くたびれたロンTに高校時代から愛用のジャージの下、まあ簡単に言うと、思いっきり部屋着だ。後悔しても仕方がない、脱線した思考を元に戻し、とりあえず時計はないものかと周囲を見渡すと、そう苦もなく見つけることが出来た。没個性的な電子時計が壁に掛けてあったのだ。そしてその脇には「本日3月6日木曜日」とご丁寧にも電光掲示板付きだ。肝心の時間はというとPM12:09となっている。普通の世界ならば夜中にあたるが、ここでは特に消灯する様子もなさそうだ。ということで俺は再び歩き出した。

 今度はときどきすれ違う人を観察しながら歩くことにした。そうすれば少しは気も紛れるだろう。同年代の女性、サラリーマン風の男性、同じくサラリーマン風の男性、派手なジャンパー、おじさん、派手なジャンパー、若い男性、中年の男性、派手なジャンパー…やたらとスタッフが目に付く。そうこうしているうちに念願の端までたどり着いていた。もちろんそこに着いたからといって何があるわけでもない。

 さて次は二階だ。緩やかなスロープにを下ると見覚えのある景色が見えてきて、俺は元いた場所に戻っていた。相変わらず上とは比べ物にならないぐらいの賑わいだった。老若男女全ての世代を網羅しているのではないだろうかと思う程だ。そしてその多くはインフォメーションセンター<1>と<2>に集中している。おそらく俺が並んだのが<1>の方だから<2>はレシピエント用なのだろう。といっても外観上違いはないし、隣接しているのでどっちがどっちか分からなくなりそうだ。ただ両建物の間に直線が引いてあるのみ。整理用のロープがあるでもなく、レシピエントとドナー、この両者を分けるのは足元の赤い直線だけである。

 それを尻目に俺は、先にまだ見ぬ一階へと続く道を探す。人ごみを掻き分け前へ進むと人の流れで大体下への道がわかった。案の定、緩やかな下り坂の通路だ。

「お客様」

 その道を下ろうとした時だった。スロープ手前の通路脇に控えていた二人のスタッフのうちの一人に呼び止められた。俺、何か悪いことでもしたか。

「申し訳ございませんが、これより先はレシピエント専用階になりますのでお通しできません。」

 そのスタッフは俺の赤いリストバンドに目を遣った。

「あ、下には行けないんですか…」

「はい、誠に申し訳ございませんが、決まりですので。」

 そういうとそのスタッフは徐にパンフレットを取り出し裏面を指差した。俺も持っているやつだ。そこにはしっかり「一階のご利用は出来ません」の文字が。それもご丁寧に赤文字で強調してある。

「あ、ほんとだ。すいません。」

「いえ。」

 結局下へと続く道を目の前に、俺は引き返す羽目となった。

 それにしても、リストバンドは長袖からちらっと覗く程度なのに、何故俺がドナーだと一目で分かったのだろう。もしかすると自殺するやつの顔っていうのは、大体みんな同じなのかもしれない。

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