第7話 変化の末に待つ黒色
怒涛の時間が過ぎて、その日は結局簡単な料理をするだけに終わった。
母さんとベルに料理を教えながら三人でキッチンに立ち、皆で笑いながら食事をとって。
変わることのない事実に度々涙を浮かべながらも時間は止まることなく、日はまた昇る。
「きょ、恭ちゃ〜ん……」
いつも通りの時間に起きると、何やら焦げ臭い匂いが漂っていた。
慌てて部屋から飛び出せばそこには、涙目で菜箸を抱えるように持つ母親の姿。
「朝ご飯、作ろうと思ったんだけど。レシピの通り作ろうとしたのに上手くいかなかったのよ」
「そのフライパンの上の何かは?」
「す、スクランブルエッグ……」
黄色など一つも見えないくらい、真っ黒な塊。
明らかに食べられない見た目をしているその物体だが、レシピに沿う中でどうやったらこれが作れるのだろうか。
「全く、このままじゃ死んでも死にきれないな。まだ卵は残ってるし一緒に作ろうよ、母さん」
そう伝えると彼女は少し悲しい顔をしてから、それを振り切って気合を入れた。
とんでもないブラックジョークではあるけれど、悲しまれるくらいなら笑い話にした方がマシだ。
そんな出来事から、昨日とは違う一日が始まる。
「されど世界は変わらず、か。恭也と朝から登校するようになったのは嬉しいけれど、何だか私たちだけが大きく変質してしまったような、タイムスリップでもしたような感覚だね」
朝食を終えて、ベルと一緒に学校へと向かう。
寝起きの弱いベルはいつも時間ギリギリに教室へ入ってきたり、寝坊することが多かったのだが、今日からは毎日一緒に行くこととなった。
「俺たちに気付けないだけで、本当は周りだって変化してるんだと思うぞ。些細なことから大きなことまでな」
「諸行無常ということか。まあよくも知らない他人のことを決めつけるのは私の悪い癖かもしれないね」
こすいて廊下ですれ違う生徒たちだって、いつもみたいに笑い合いながらも昨日とは似て異なるかもしれない。
まあそんな結論の出ない他人の考えなんて考えても意味はなく、大事なのは自分たちがちゃんと変われるかどうかだ。
「それで恭也、君のやりたいことは何だい? ずっと諦めてきたことを成すんだろう?」
「ああ、考えれば考えるほどに沢山浮かぶが……まずはそうだな」
教室の前にまた馬鹿が集まっていたら宣戦布告でもしようかと考えていたが、どうやら昨日の今日で同じことはしていないようだ。
ならばと扉を開けた先に。
「——ほら、飲み物買ってきてよ。吉永さん?」
俯く少女の席を、複数の派手な女子が囲むようにして立っている。
そしてそのリーダー格の少女が放った声は、跳ねるように笑う馬鹿にした色を持っていた。
「きゃはは、もう佐千子ったらひど〜い。買ってきてくれるからって可愛そうじゃ〜ん」
「確かに〜♪ あ、私はミルクココアでお願いねっ」
彼女たちなりの楽しみ方なのか、醜い笑い声をあげている。
その矛先にいる少女の顔は、目が隠れるほどの前髪でよく見えない。
「そ、その、わたし……」
だが薄っすらと聞こえる声は分かりやすく震えていて、悔しさや寂しさ、辛さといった感情が込められているように見えた。
だが、決してその思いが爆発することはなく。
「え? 何? 吉永さん声小さすぎ〜」
「もっと大きな声で言ってくれないと分かんないんだけど」
ああ、この光景を俺はずっと見てみぬ振りしてきた。
覚悟が決まった以上、今すぐにそのクソッタレみたいな行為をぶち壊してやりたいと思う。
だけど……俺がやりたいのは。
「人を仇なす自己満足ではアレと同じだよな。俺がやりたいのは、そうじゃない」
そう自分に言い聞かせるように呟いて、ベルを連れ席へと向かう。
これまで目立たないクラスの陰でいたんだ、いきなり真正面から行っても発言力は皆無に等しいだろう。
下手に首を突っ込んで彼女の立場が悪くなれば、それこそただの自己満足だから。
「大事なのは彼女が助けて欲しいのか否か。当事者を差し置いて勝手に決める訳にはいかない」
「なるほどね。とはいえ、せっかく行動すると決めたのに、また見てみぬ振りするしか出来ないのは歯がゆいよ」
「大丈夫だ。問題を先延ばしにできるような主人公は既にいるからな」
ベルはきょとんと首を傾げると同時に、廊下のざわめきが一段と大きくなった。
さあ、俺が憧れ続けていた主人公の登場だ。
「おっはよー! 今日も楽しんでいくよっ」
この間、俺たちを助けてくれた雛森さんが、アイドルのような台詞と共に教室へと入ってくる。
「友梨っち、おはよ。今日もめちゃくちゃイケてるね」
「ちょっと髪切ったんじゃな〜い? ねね、どこの美容室行ったか教えてよ〜」
いじめが表面化することを恐れたのだろう、先ほどまでの囲みは最初からなかったかのように解散していた。
正義感に溢れる彼女なら絶対に見逃すことはないだろうからな。
見事な変わり身の術を見たベルと俺は呆れた表情をする。
「まるで演者だね。助演女優賞をあげたくなるレベルだよ」
「その前にスクープで辞退してもらわなきゃいけないけどな」
ようやく解放された吉永さんは安心か疲れか、大きな溜め息を吐いているのが見える。
しかし肩を落としながら立ち上がり、賑わっている雛森さんのグループをちらりと見てから廊下へと向かった。
「よし、行くか」
「追いかけるのかい? 行き先は女子トイレかもしれないよ?」
いや、女子トイレだったら行かねえよ。というか行けない。
行きたいとは思ってないが、本当に。
「まあ、その場合はベルが助けてくれるんだろ?」
「君が頼ってくれるなら、私は何だってしてあげるよ」
不敵に笑う幼馴染とハイタッチを交わし、賑わいを尻目に俺たちも行動を開始する。
——その数分後、俺は。
「が、はぁ……!?」
「恭也!?」
「……あっ」
気付けば床に寝転がって天井を見上げていて。
その視線はひらひらと揺れるスカートの中、意外にも黒く大人っぽいパンツに釘付けとなるのだった。
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