第4話 目が眩むほどの心
「ご、ごめん友梨ちゃん!」
先ほどまでの自分勝手な態度は一変して、教室の扉を塞いでいた男子たちはペコペコと頭を下げていく。
まるでヤクザの親分が帰ってきたかのような光景に、俺たちだけでなく周りの生徒たちも驚いていた。
「うん、失敗したら次に活かせばいいんだよ。今度からは自分たちのことだけでなく、周りもちゃんと見えておくよーに!」
その視線の中心である友梨という名の少女、雛森さんは満足そうに頷きながら告げて。
彼女の笑顔を見た生徒たちは一様に見惚れた後、我に返って教室へ向かって歩き出す。
「相変わらず凄い光景だね。言葉一つで人を動かすなんて、まるで女王様みたいじゃないか」
「女王様像にも色々あると思うけどな。人望があるという点では確かにそうなのかもしれないが」
とても自分には出来そうにない行動だから正直憧れという感情はある。
もしもあんな性格になれたら、彼女のように人望があれば、どれだけ毎日は楽しくなるのだろうか。
「皆から好かれ頼られる。なら彼女にとって相応しい形容は、物語の主人公といった所かな」
「そうかもな。助けてもらって言うのも何だけど、嫉妬するくらい輝いてるように見える」
ベルが耳打ちした言葉は正に意を得ており、だからこそ憧れてしまうのだろうと納得をする。
誰かを変える力がない人は、必ず一度はヒーローみたいな存在になりたいと思ってしまうものだから。
「白山さん、笹原くん! おはよー!」
ボソボソと二人で会話をしてたら、目の前へと心底楽しそうな笑顔が現れた。
何やら後ろ手を結んで近付いて来ていたのは分かっていたが、コミュニケーション能力が爆発している少女に話しかけないという手段はなかったのだろう。
「あ、ああ……おはよう」
俺とベルは素っ気ない一言で返事を終えて、それ以上に言葉を紡ぐことなく口を閉じる。
彼女みたいなタイプはどんな話題であっても上手に切り返し繋いでくるだろうから、話を止めるにはこうせざるを得なかった。
「二人とも、皆が迷惑かけちゃってごめんね? もう通れるから安心していいよっ」
「……ありがとう」
括られた髪を尻尾のように動かしながら、彼女は笑顔でそう伝えてくる。
どうやら俺たちが困っていたのを見て行動してくれたらしい。
だがその頬の緩みに違和感はなく、少なくとも俺には素で言っているのだと分かった。
粗末な感謝だったと言うのに彼女は満足にどういたしましてー! と目を細めた後、踊るように小さなスキップをしながら扉へと去っていく。
それと同時に隣から小さな溜め息が聞こえた。
「確かに眩しいね、彼女は。天真爛漫だと言うのに、私たちのような交流のない人にも気を遣っているなんて。世界がああいう人で満ちていたら、もっと幸せな世の中になったのかもしれない」
「それはそれで喧しそうな世界だけどな」
だが雛森さんを物語の主人公みたいだと思えるのは、手が届かない星のような存在が珍しいからなのだろう。
彼女が輝くためにも扉を塞いでいた彼らが必要で、俺たちみたいな陰で暮らす人間が必要になるんだ。
そう思わないと、どうにも自分の決意が揺らいでしまいそうで。
「あんな風になりたいって誰かを見上げるのは、結構辛いな」
そんな苦痛混じりの一人言を溢しながら、ようやく俺は教室への門を潜って。
ホームルームが始まる頃には、精神的な疲れのせいか眠気が脳をぼーっとさせ始めていた。
「恭也、大丈夫かい? 眠いなら保健室に行った方がいいと思うけど」
「あ、ああ。問題ないから前向いとけ、また怒られるぞ」
前の席に座って心配そうにこちらを見てくるベルだったが、担任の咳払いを受けて仕方なく教壇へと向き直った。
それを待っていたのだろう、先生はプリントを手に今朝の連絡事項を伝え始める。
「最近、この辺りの学校で夜に補導される生徒が多くなっています。なので皆も21時以降は出歩かず、塾などがある場合は終わったらすぐに帰るように」
見回りが多くなっているのか、単純に出歩く生徒が多くなったのか。
どちらかは分からないがあまり外へ出ない俺には関係のない連絡だ。
そう理解した途端、一気に眠気は増していく。
「またその件で今週金曜日、警察の方が注意喚起に来られることになりました。合わせて犯罪に巻き込まれない為のセミナーを――」
ああ駄目だ。何とか話を聞いていようと考えていたけれど我慢できそうにない。
ちゃんと授業を受けて、いつでもベルに教えられるようにしないといけないのに。
学べるものは全部学んで、将来母さんを楽させなきゃいけないのに。
抗うことすら許されないような倦怠感に包まれて、俺の意識は黒いモヤがかかっていくみたいに落ちて。
気付けば深い夢の底から、薄っすらと聞こえる楽しげで心地のいい音色を聞いていた。
「……ここは、どこだろう」
何もかもがボヤけて見える。
身体を動かそうとしても思うように行かず、そんな俺をゲームのように数メートル上から見下ろしているかのような、自分が自分でない感覚もあって。
しばらく漂い続けた後にじんわりと理解するのは。
ああ、俺は夢を見ているんだなという他人事のような感想だった。
「でも、何だろう。とても安心するような声が聞こえる」
耳元を優しく撫でるようなどこか楽しげで心地の良い音色。
いや、これはどちらかと言うと……声音だろうか。
「聞き覚えがあるような、ないような。不思議な感覚だ」
一体、誰の声なんだろう。
そんな疑問が胸中に浮かんだらどんどんと膨れ上がって。
薄く、ゆっくりと。俺は目を開いた。
「――私は人間を果敢ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた」
日差しに細めたままの瞼を開き、身じろぐように身体を起こす。
そして声が生まれる場所へと視線を向ければ、そこには自分たちよりいかにも暗い人なのだと分かる見た目の――黒い前髪で瞳を隠した少女が立っていた。
朗読引用:夏目漱石「こころ」
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