そのご令嬢、婚約破棄されました。
「すまない」
呼び出した上で第一声がそれか。
用件はわかっていたけれど、一応この人にも罪悪感はあったのね。
そう思うと今度は『それならもっと早くからこうして行動してくれればいいのに』と思ってしまうのは、我儘なのかしら。
「すまない、アルシャ」
応えない私に痺れを切らしたのか、なおも重ねて謝罪するのは私の婚約者。
レオナルド・ディルファ。侯爵家の次男で、将来私に婿入りする予定だった人。
「その謝罪は何に対してのかしら、レオ」
愛称で呼び合うほどに親密なのだとあえてそう呼べば、彼の傍らの少女が不快そうに私を見る。
その視線を向ける立場が、貴女にあるの? そう問い詰めたいが私はただ静かに彼女のことも含めて彼を見る。
周りに人がいないのは、賢明ね。
そう笑ってしまいそうなのをぐっと堪える。
「アルシャンティ・バーナード侯爵令嬢、大変申し訳ないが僕と婚約破棄をしてほしい。その手続きを行う前に、己の気持ちに嘘がつけないことを君にきちんと伝え、謝意を述べたかった」
「……そう。唐突に婚約破棄したいというだけではなくきちんと手順を踏む予定だというならば私からは何も申し上げることはございません。……その程度には、恋の熱に浮かされていなかったようで安心したわ」
「なんでそんなひどいこと言えるんですかっ!」
「ひどいこと?」
「ラーナ、よすんだ」
「だ、だって……! レオ先輩を放っておいてどうしてこの人がこんなに偉そうなんですか!? そもそも婚約者だからってそんな風に言われて悲しそうな顔もしないだなんて!」
「ラーナ!」
慌てたようにレオが彼女を止める。
ああ、もう婚約破棄をする予定なのだからレオナルドさまとお呼びするべきね、私たちは他人の、ただの同級生になるのだから。
ラーナと呼ばれるこの可愛らしいお嬢さんは、男爵家の庶子として最近学校に編入してそして……それなりに努力して良い成績を収めて、ええ、頑張る女の子は嫌いじゃない。
嫌いじゃないけど、私はバカは嫌いよ。
「……そもそも」
私は彼女を見つめて静かに言う。
「ラーナ・ベルナンディ男爵令嬢。家同士の婚約という意味をご存知ですか。そこに愛は育まれないと?」
「いいえ、いいえ、そんなことは思いません! でも、先輩たちは愛を育んでいるようになんて……」
「愛の形はそれぞれですわ。静かに樹を育てるような穏やかなものも、炎が燃え盛るようなものもございましょう。それをどうして第三者が量りますの?」
「それは……だって、先輩のこと放っておいたじゃありませんか!」
「私は女侯爵になる予定で、レオナルドさまにご負担をおかけしないためにも領地について日々父について学ばねばならぬ立場でした。それはレオナルドさまには常々お詫び申し上げ、お手紙を差し上げ、季節の変わり目や記念日などは欠かさずにおりました。それでも私が悪いと?」
「えっ」
「その上で学校生活において、御父上同士の親交があるということでベルナンディ男爵令嬢が不自由ないよう便宜をはかるようになったというレオナルドさまを束縛なども致しませんでした。そこでお二人が恋に落ちるとは思いませんでしたが」
不実はどちらだ、と静かに問えばレオナルドさまは俯かれた。
ベルナンディ男爵令嬢は思っていたのと違ったのかもしれない。おろおろとしながら、「それでも」と言葉を続けた。
「それでも、そ、それなら恋人が他の方に想いを傾けるようなことにならないよう、頑張らないといけないんじゃないですか!?」
「……お話になりませんわね」
さっきから手紙だのプレゼントだの欠かさず、束縛もしないで話も聞いて負担もかけないようにしてたって言っているのになにがわからないのかしら。
可愛く「行かないで、寂しいの!」って訴えてろってことか? 貴族としての義務を果たして何が悪い。それを理解しない相手に追いすがってどうしろっていうのか。
ああ、やっぱりバカの相手はするものじゃない。
「それでは私はお父様に話を通しておきますわ」
「……よろしく頼む」
「余計なお世話かもしれませんけれど、婿入りの話が消えてしまったのですから今後文官に進む道を選ぶにしても今の成績では少々厳しいかもしれませんわよ、レオナルドさま」
「……」
「えっ?」
私の言葉にまた目を丸くする彼女は、本当に何も知ろうとしていなかったんだなと笑いがこみあげてくる。さながら真実の愛とやらに酔って、物語の主人公にでもなったつもりだったのかもしれない。
夢から醒めた時に真実の愛とやらがどんな風になっているのか、ちょっと気になるところではあるけれど私にはもう関係がないわ。
(ああ、でもなんだか疲れてしまった)
レオナルドさまとは、ちゃんと気持ちが通じ合えていたと思っていた。
燃えるような恋愛感情というのはわからないけれど、一緒にいて安心できる相手だと。……どうやら私だけだったみたいだけれど。
女侯爵は険しい道だとわかっていたし、従兄に家督を譲ることだって考えても良いのよね。
婚約破棄を申し出られた女侯爵だなんてきっと笑いものだわ。私が悪いんじゃないってことはすぐに周囲も理解してくれるだろうけれど、こんな面白いゴシップを貴族たちが放っておくわけないもの。
しばらくは社交界にも顔は出せない。
そんなことを考えていたら、涙が出そう。
こんなところで泣いてたまるかと足を速めたら、角を曲がって現れた人物に思わずぶつかってしまった。
(……転ぶ)
ああいいわ、転んでいっそ記憶喪失にでもなってしまえれば。
そんな風に思った私は相当疲れていたに違いない。
だけど、いつまでも痛みは来なくてきょとんとすれば私は誰かに抱き留められていた。
「失礼! 怪我はないか!?」
慌てたように私を覗き込む、力強い腕の持ち主はどうやら校外の人だったようで見たことのない文官服に身を包んでいる。しかも帯剣していて、持っている大量の書類を片手で持ちながら私を抱き留めている。
なんて器用なのかしら、と思わず目を瞬かせると、その男性は私と視線を合わせた途端ポカーンとした表情になった。
「あ、いえ……大丈夫ですわ。私の前方不注意でしたので、大変失礼いたしました」
「あ、ああ……じ、自分はライルカウ辺境伯の秘書官でベイル・ランシェードと……」
「私はアルシャンティ・バーナードと申します。ああでは本日の講義の準備中でしたのね。お忙しいのにお手間を取らせましたわ」
「……いや、大丈夫……」
私を見下ろすランシェードさんは、まだ手を離してくれない。
じっと見つめられるとちょっと居心地が悪くて、先程まで泣きそうだったのに今度は別の意味で泣いてしまいそう。
こんな風に男の方に触れられるなんて令嬢としては経験がないもの!
いいえ、これは私がよたついていたせいだから、そのせいだから……他意はないはず。
「あ、あの、腕を……」
「あっ、これは失礼!」
ぱっと手を離してくれたランシェードさんは、大慌てで私に頭を下げてくれた。
レオナルドさまと違って、大人の男性。そんな人に謝られて私の方が恐縮してしまって、お詫び合戦になったところを様子を見に来られた辺境伯に止められたから余計に恥ずかしかった。
婚約破棄された恥ずかしさと悔しさがその時ばかりは吹き飛んだから、私は午後の講義も無事に受けて――ちなみにレオナルドさまは来られなかった――家に帰ってお父様に報告したら烈火の如くお怒りになったわ。まあ当然よね……婚約破棄ってそれほどに大きな問題だもの。
その後、ディルファ侯爵家から正式な謝罪文があったり。
レオナルドさまがラーナ・ベルナンディ男爵令嬢に振られて真実の愛とやらの脆さを知って、「真実の愛は君だったんだ! 気づかなかった僕を許してほしい、あの魔女は去った!」とか学校内で追い回されたり。
私の新しい婚約者になってバーナード侯爵家に取り入ろうとする男性陣に辟易したり。
……それらを知ってランシェードさんが、熱烈に口説いて来たりする、なんてその時の私は知る由もない。
だって思うでしょう?
フラれてモテ期が来るわけない。
婚約破棄されて傷物になった私に、碌な縁なんて来ないから従兄にさっさと譲って私はどこかにお嫁に出されるか修道院かしら、と思っていたんだもの。
「憂い顔も素敵だが、おれは君の笑顔が見たいな」
「頑張る姿も素敵だが、どうかおれに甘やかされて欲しい」
「その細い肩に責任がかかっているならば、おれが支え役になりたい」
大人の男の方にそんな風に言われ続けて、どうしてこの小娘がドキドキしないと思うのよ!?
……おかしいわね、私、婚約破棄された令嬢よね?
連載にするかどうかは別として、やってみたかった婚約破棄ものでした!w