むき身の
【むき身の剥き出しの……その向こうに】
あなたは、目の前のあなたは、なにを大事にしているの……?私のこうしたくだらん書きものを目にしてくれていたあなただからこそ、聞きたい問いでもあります。
くだらんものが、溢れているように私は思えてしまいます。
虚栄心や嫉妬心、おべっかや、自らの想いを無視した嘘ばかりの発言。
そういった、心に澱ばかりよどみばかり張り付けていくようなそういったものが溢れているように私は思えてしまいます。
そういった事柄にいつしか慣れてしまうと、自分の本当は、本来自らが大事にしたいものはなんだろう、と、そう、ふっ、と立ち止まってしまう気持ちになってしまうこと、私はあります。
けれど、思うのです。
そういった中でも、正直に自分の心をさらしていくと、そういった張り付けていった殻が、いつしか剥がれ落ちてしまって、むき身の自らが見えてくることがあって、
私は、それを目にして、ほっと安心することがあります。
剥き出しの自分を確認出来てよかったとほっと安心するのです
それはなにも、なにか大げさな事柄が起きたから、何かショックなことが起きたから、そのような解りやすい事象が無かったとしても、不意に気づけるものであり、
それに触れようとすることで、安心できるものを掴めるということも起こりうるのだろうと思います。
むき身にならなければ、見いだせないものは必ず存在していて、それらは、単純に正解だと思えているものの中にはないように思っています。
私が覆ってきた殻が単純に正解だと思っていた事柄は、ひどく画一的で一面的にすぎなかったと、後々気づくことが多かった、私のちっぽけな経験からそう思えてしまいます。
自らが今、持っている価値は何であるのか、それを認識出来ている方のどれだけ少ないことだろうと私は思います。自戒にしながらも思います。
それは身一つ、むき身になってみて初めて見えてくる事柄のようなものにも思えてしまいます。
自らを過小評価も過大評価もしない、むき身の自らのそのままを見つめることの難しさばかり思います。
私は、ほんのちっぽけな頭しかない、アホな餓鬼ですが、それでもそのような生意気な考えを持つことばかりです。
生意気な問いを申し訳御座いません。それでも、このような私の書き物を読んでくださった目の前のあなたにそれを問いたい私の想いがあります。
【目の前のあなたが、たったひとりのかけがえのないむき身のあなたとなったとき、
あなたが最も大事だと思うものは何ですか?】
失礼致します。