2
セシリアの婚約取り消しの話を聞いたエドモンドは、兄に頼み込んでセシリアの父と面会の約束を取り付けて貰った。
いよいよその日を迎え、緊張よりも期待の方が胸を占めて、はやる気持ちが溢れそうになる。
弟だけでは不安だったのか、エドモンドの兄もついてきてセシリアの家を訪ねた。
彼女に会えるだろうかとエドモンドは期待したが、当のセシリアは友人に誘われて出かけているということだった。
婚約が取り消しになって落ち込んでいる彼女を友人たちが気遣ってくれているらしい。
会えないことは残念だったが、彼女を励ましてくれる友人たちがいて良かったと、エドモンドは思った。
「娘さんに結婚を申し込みたいです」
エドモンドはセシリアの父に会うなり、単刀直入にそう告げた。
しかしそれを聞いたセシリアの父も、隣に座る兄も渋い顔をしていた。
沈黙がしばらく続き、ややあってセシリアの父が口を開く。
「しかし、君はまだ十代だろう……」
「来月、二十歳になります」
「しかしだな……」
セシリアの父の反応は当然のものだった。
きちんと仕事にも就いて悪い評判のないエドモンドだが、十九歳という年齢は娘を託すには心許ない若さだ。
ましてや当のセシリアは婚約が取り消しになったばかりの身。
もしも次の婚約も取り消しになるようなことがあれば、彼女は世間から様々な噂をされ、二度と人前に出られないくらいに傷つくだろう。
「娘に結婚を申し込んでくれた気持ちは嬉しいよ。だが、娘にはしばらく心を休ませたい」
「っ……!」
首を横に振ったセシリアの父に、エドモンドが口を開こうとした時。
「エドモンド」
兄に強い口調で窘められ、エドモンドはそれ以上押し通すことはできなかった。
エドモンドは歯を食いしばりながらも、その日は大人しく帰るしかなかった。
それでもエドモンドはセシリアの父に何度も頼み込んだ。
二度目からは兄がついてくることなく、一人でセシリアの父を訪ねた。
忙しいと言われてほんの僅かな時間で帰されることもあったが、それでもエドモンドは諦めず何度も足を運んだ。
いつ行ってもセシリアに会えなかったのは、彼女の父が故意に会わせないようにしていたのかもしれない。
一人娘を心配する父親の気持ちだったのだろう。
たとえ今はセシリアに会えなくてもいい。
いつか彼女と会えるのなら、何十回、何百回だって苦ではないと、エドモンドはそう思った。
「――大切にします。決して苦労はさせません」
すでに両手の指の数を超えるほど訪ねた頃。
何度も来るエドモンドの真剣さに、セシリアの父の表情もだんだんと変わっていった。
室内にしばらくの沈黙が続き、ややあってセシリアの父は口を開いた。
「……私は早くに妻を亡くしてね、仕事ばかりでろくに家にもいられず、娘には寂しい思いをさせてしまった……」
セシリアの父が静かに言った言葉に、エドモンドは耳を傾けた。
「だから、うちより格上の家から結婚の申し込みが来たとき、娘は幸せになれると思ったんだ……」
セシリアの前の婚約者のことだろう。
裕福で名門の家柄だと、エドモンドも情報だけは知っていた。
「だが、何年も結婚を待たせていた時点で気づくべきだったのだろうな……。裕福な暮らしでなくても良いから、娘のことを大切にしてくれる相手が一番だったのだと……」
セシリアの父は視線を上げ、まっすぐにエドモンドを見つめた。
エドモンドの背が自然と伸びる。
「娘を大切にして欲しい。ただ、それだけで良いんだ」
「大切にすると約束します」
エドモンドがそう言うと、倍以上年上の男であるセシリアの父の目に涙が浮かんだ。
「どうか娘をよろしく頼む」
エドモンドは力強く頷いた――。
セシリアの父に認められたエドモンドは、ようやく彼女と対面できる日が訪れた。
すでにセシリアの父が承諾しているので婚約はまとまっている。
それでもエドモンドは緊張した思いでその日を迎えた。
ソファに座っても落ち着かず、壁に掛けられた絵を眺めて心を落ち着かせながら待っていると、静かに扉の開く音が聞こえた。
胸が大きく音を立て、それを必死に抑えてゆっくり振り返る。
部屋に入ってきた女性を目にして、エドモンドは思わず息をするのも忘れるくらい見つめた。
二十五歳だと聞いた。
エドモンドの記憶の中の姿とは全然違う。
少女ではなくもう大人の女性なのだ。
感じたのは懐かしさよりも、再び胸が高鳴る新鮮さだった。
「初めまして。セシリアと申します」
エドモンドはその言葉を聞いて、彼女が自分のことを覚えていないことを知った。
背も伸びて、姉たちに可愛くなくなったとまで言われるのだから、それは仕方がないことだった。
エドモンドは自分から初めて会った日の話をしなかった。
なんとなく、子供の頃の自分を知られたくないという気恥ずかしさもあったからだ。
「早めに結婚式を挙げる予定でいます」
早めが良いと決めたのはエドモンドの方だった。
十年以上思い続けてきた初恋なのだ。
早く彼女と一緒に過ごしたい。
セシリアの父は娘と離れることを多少渋っていたが、実家に近い距離に新居を構えていつでも行き来できることで納得してもらった。
それを静かに聞いていたセシリアは、少しだけ視線を揺らしてエドモンドを見上げた。
「……ご不満ではないのですか? その……私のような年上の妻で……」
セシリアの言葉の意味が分からず、エドモンドはしばらく考えて、一つの考えにたどり着いた。
もしかすると、セシリアは夫となる相手が五歳も年下ということを頼りなく思っているのだろうか。
そう考えてエドモンドは焦った。
セシリアの父が承諾している以上、この婚約は簡単に白紙になることはないのだが、本人が心配を抱えたままでいて欲しくはない。
確かにまだ二十歳という年齢は頼りないかもしれないが、彼女に頼られる夫となるよう努力するつもりだ。
「……別に、結婚なんて誰としても同じです」
初めから完璧にできる人などいないのだから待ってほしいと、それを言葉にはしなかったけれども、心の中で言ったのは自分自身に言い聞かせたかったのかもしれない。
続けてセシリアが言った、我慢する必要はないという言葉の意味も分かりかねたが、彼女にこれ以上不安の種を増やしたくないと思い、エドモンドはとりあえず頷いた。
――結婚式の日。
初めて会った頃を思い出すような暖かな春の日だった。
あの日と同じようにたくさんの花が咲いている。
あの時、遠目で見た少女は今エドモンドの隣に並んでいる。
視線だけを動かしてその横顔を見て、エドモンドは自分の顔に熱が上がるのを感じた。
初めて会った日は桃色のドレスを着けていた。
今日は真っ白なウエディングドレスを着ている。
白いウエディングドレスに包まれたセシリアは上品で、薄いベールが覆う横顔は木漏れ日を受けて輝いている。
初恋に落ちた日と同じだった。
本当はセシリアの目を見つめて綺麗だと伝えたかったけれど、きっと彼女を見つめたら正気ではいられなくなってしまうと、エドモンドは必死に平常心のふりをした。
表情には出ないエドモンドだったが、兄や遠方から来てくれた姉たちは笑いをこらえて見つめていた。
そうして温かく祝福されながら結婚式は過ぎていった。
夫婦となった翌朝、エドモンドは先に目を覚ました。
明け方のまだ静まり返った様子にぼんやりと耳を澄ましながら、腕の中の温もりに目を向けた。
長年思い続けた初恋の女性が、自分の腕の中にいる。
「ああ……」
幸せだ。
その言葉はエドモンドの心の中で音になりじんわりと染みていく。
温もりが嬉しくて、力いっぱい抱きしめたくなった。
けれど、そんなことをしてしまえばセシリアが起きてしまうだろうから、起き抜けの頭に理性を総動員させて留まる。
子供っぽい真似をしてしまえば、きっと彼女に呆れられてしまう。
年下だから頼りないとは思われたくなかった。
それから、毎朝セシリアより早く起きていながら、彼女が起きたときに今目が覚めたというふりをした。