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セシリアはある日、婚約を取り消された。
長く婚約していた相手が、別の女性と関係を持ち子ができたことが理由だった。
相手は婚約してすぐに仕事で遠方へと出向き、戻ってくるのを待ってから結婚するという話のまま何年もかかった。
その話がこの結末だ。
セシリアが二十五歳になる直前のことだった。
結婚の手続きはしていなかったので未婚ではあるが、すでに二十五歳となったセシリアの新たな婚約者になってくれる相手はいなかった。
この国では女性は早ければ十代半ばには嫁ぎ、二十歳前後がもっとも適齢期と言われている。
このまま未婚でいるか、年上の男性の後妻くらいしかない。
セシリアも悩んだ。
けれどいくら悩んだところで当てもなく、結婚を諦めようとしていた。
そんな時、突然セシリアの新たな婚約者としてある人物の名前が上がった。
応接室で待っていたその姿を見た瞬間、セシリアは驚いた。
父親から簡単な説明は聞いていたけれども、その姿を見て実感した。
入り口のところで立ち尽くすセシリアの気配に気づいたのか、背の高い後ろ姿がゆっくりと振り返る。
「エドモンド・マクファーソンです」
想像していたより落ち着いた声音が、静かな応接室の空気を震わせた。
柔らかそうな金色の髪を後ろに撫でつけ、真っ直ぐに背筋を伸ばした立ち姿は堂々として目を引く凛々しさがある。
「……初めまして。セシリアと申します」
セシリアは目の前の若者を見つめる自信がなくて、淑女の礼を持って挨拶をすることで視線を反らした。
二十歳の青年なのだとは聞いていた。
父親の仕事関係のつながりだと。
それだけが、セシリアが知っていたことだった。
初めて会ったエドモンドいう名の青年は、背が高く女性に好かれそうな容貌だ。
目元などはまだ少年の面影を残した瑞々しさに溢れていて、想像以上に若い印象に驚いた。
二十五歳の自分に比べて、二十歳というこの若い青年がセシリアの新しい婚約者なのだ。
メイドがティーワゴンを運んできた音でセシリアはっとして、慌てて座るよう勧めた。
お茶の用意をして貰うと、メイドには下がるよう伝える。
婚約者とはいえ婚姻前なので、もちろん部屋の扉は少し開いたままだ。
二人っきりだが、密室にならない配慮は必要だ。
「申し訳ありません、父が急な仕事で出てしまい……」
「かまいません。あなたに会いに来たのですから」
エドモンドという名の青年は、二十歳という若さのわりにとてもしっかりとしていた。
背もたれから背を離して、まっすぐにセシリアに視線を向けた。
「聞いていると思いますが、早めに結婚式を挙げる予定でいます。あなたのお父上もそれで了承されていますから、そのつもりでいてください」
結婚式が早めが良いという理由は、セシリアの年齢ゆえだろう。
二十五歳という年齢は一刻も早く嫁がせたい要因なのだ。
父親と話がついているのならば、セシリアに異論はない。
嫁ぎ遅れの娘がいることで父には肩身の狭い思いをさせてきたのだから。
セシリア自身としても、嫁ぎ先が見つかったことは喜ばしいことだった。
それでも、一つだけ聞きたいことがあった。
「……ご不満ではないのですか?」
セシリアの言葉に、エドモンドが細い眉をわずかに歪めた。
「……何が、ですか?」
「その……私のような年上の妻で……」
セシリアの二十五歳という年齢は、この国の女性としては嫁ぎ遅れと揶揄されるが、男性の二十歳は結婚するには早い。
ましてやこの見目の良い青年なら、これからいくらでも美しく若い女性を選べるだろうと、セシリアは思った。
「……別に、結婚なんて誰としても同じです」
エドモンドは表情一つ変えずにそう言った。
その言葉に、セシリアは彼がこの結婚を望んでいたわけではないのだと知った。
それはそうだろう、二十歳になったばかりの若者が、五歳も年上の妻を望むはずがない。
それに目の前の青年は、顔を合わせてから一度も笑っていない。
セシリアの父か、仕事関係の人から頼み込まれたのか分からないが、不本意な結婚話を背負う羽目になったのだろう。
「……そうですね。でも、結婚したからといって何も我慢する必要はありませんから好きなことをなさってください」
セシリアは夫となる人を自由にさせようと思った。
どのみち、修道院に入るか年上の後妻になるしかなかった身なのだ。
共に暮らす予定の家はこの実家とも近い所にある。
母もすでに亡く、残された父に会える距離だ。
それだけで十分に幸せだから、彼には好きな人生を歩ませたいと、そう考えた。
エドモンドはしばらく無言でセシリアの言葉を聞いていたが、眉間を寄せながら静かに頷いた。
「……分かりました」
そうして、セシリアの二度目の婚約者が決まった。
それから一か月後に結婚式を挙げ、晴れて夫婦となった。
セシリアの実家からほど近い場所に立つ新居は小さいながらも庭もついており、初老男性とその孫娘が小間使いとして住み込みで働いている。
セシリアの実家にも使用人がいたとはいえ多くはなかったので、ある程度のことは一緒にやってきた。
なのでセシリアの朝は早く、使用人を手伝いながら朝食の準備をする。
そしてエドモンドが起きてきたら一緒に朝食を取り、夫を仕事に送り出すのだ。
「では、行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
結婚してから毎朝交わす言葉。
そうしてエドモンドが仕事に行く後ろ姿を見送るのがいつもの日課だったが、エドモンドは足を動かしかけたところで立ち止まった。
「……何か困っていることはありませんか?」
わずかに振り返りながら、セシリアを伺うようにそう尋ねた。
セシリアは首を傾げ、それから横に振った。
「いいえ、大丈夫です」
セシリアの頭の中に、食料貯蔵庫の在庫と石炭はまだ十分にあったはずということが巡った。
しかし、エドモンドはセシリアの返事を聞いても無言で見つめたまま動こうとしない。
出なければ仕事に遅れるのではないだろうかと、セシリアが心配しかけたとき、やっと口を開いた。
「何かあれば言ってください」
それだけを言うとエドモンドは振り返って歩き出した。
セシリアはその背を見送る。
姿が小さくなり、そして見えなくなるまで玄関で立ち続けた。
夫となったエドモンドはセシリアが思っていた以上に誠実だった。
世間ではまだ自由を謳歌している若さだから、度が過ぎなければ目をつむっていようと思っていた。
けれどエドモンドは毎朝一緒に朝食を食べ、毎日この家に帰ってきて一緒に夕食を食べる。
そして年上の妻をきちんと妻として接した。
性格なのかあまり喋らないが、困っていることがないか気を使ってくれる。
「本当に、私には過ぎた方ね……」
夫を見送った玄関で、セシリアは一人でそう零した。
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